スカッとする爽快な恋愛喜劇!?
――「初夜というのは夫婦にとって、大きな意味を持つ! ザクロのような赤い血が流れることで、新婦の純潔が証明され、晴れて二人は本当の夫婦になれるのです。それを領主だからと言って、踏みにじっていい訳がない!」
――「領主様は初夜の重大さを理解されていない! 愛する男のために、新婦は貞操を守り続けたのです。新郎に捧げるために。それをご自身の快楽のため、新郎に先駆け散らす。そんなこと、あってはならないことです!」
――「夫婦になったばかりの二人が、痛みと喜びを分かち合う初夜。それがその後の夫婦にとってどれだけの絆をもたらすか、領主様は理解されていない。初夜の重要性を認識してください!」
ライルと観劇した演劇。
そのタイトルは「愛の勝利」。
事前情報はないが、チケットを販売していたスタッフからは「スカッとする爽快な恋愛喜劇です!」と言われていた。上演十五分前の駆け込みでもあり、しかもチケットは半額! それならばいいだろうと即決でチケットを手に入れ、座席に滑り込んだ。しかもまさかの最前列!
かつてこの世界で存在していたと言われる悪しき慣習、領主による領民への初夜権の行使。これを領民たちが蜂起し、領主から奪い返すというドタバタ劇で、確かに爽快な恋愛喜劇だったのだけど。
出演者のセリフの中で、「初夜」が最低一回は出てくるような作品だとは思わなかった。
しかも劇中で繰り返し、初夜の意味、初夜の意義、初夜の重要性が語られるのだ。その結果、初夜が夫婦の絆をいかに深めるものなのかを理解させられる。
同時に。
初夜を蔑ろにすることは、罪深いこと。特段の理由もなく新婚夫婦が初夜を行わないことは、不幸の始まり――そんな風に思えてくる内容だったのだ。
これは……初夜がなかったライルと私には――。
隣に座るライルがどんな気持ちでこの作品を観ているのか。
……想像できない。
私自身、初夜がここまで大切とは思わなかった。
なぜなら新婦に月のものが来てしまい、初夜できないこともあると思うのだ。披露宴でお酒を飲み過ぎて、できなかったなんてこともあるだろう。そこまで初夜にこだわらなくても……と思ってしまうのですが。
初夜の主導権は男性にある。男性リードで始まる初夜なのだ。ゆえに私より、ライルが非常にいろいろと考えさせられることになったと思う。
でも観劇中、隣に座るライルの顔を見ることなど、できるわけがない。
拍手喝采で幕が下り、カーテンコールで役者が再登場し、またも拍手となり……。
最終的に皆が席を立った時、ようやくライルを見ることになった。
ライルは……。
表情がない。
というかフリーズしている。
あの碧い瞳は舞台の一点に注がれ、微動だにしない。
「ラ、ライル、公演、終わりました……」
一度声を掛けたぐらいでは、ライルは気づかない。
五回目、そっと手に触れることで、ようやくライルは覚醒する。
覚醒し、私を見た時の悲壮感と言ったら……。
世紀末を目撃した顔に思えた。
なんだか魂が抜けたような表情で、ライルはよろよろと立ち上がる。
相当ショックを受けているようで、貴族としての基本であるエスコートすら忘れ、ベルナードに促される状態。エスコートを始めても、心ここに在らずで……。
私はなぜこの作品にしてしまったのかと、背中に汗が伝う事態。
時間的にはティータイム。でも「お茶でもします?」と言える雰囲気ではない。
ちなみにフィオナ、ベルナード、護衛の騎士は観劇せず、近くのカフェで時間を潰していた。ただ、公演のチラシは……観ていたのだろう。そこには簡単であるが、あらすじも書かれている。それを読み、何かを察したのか……。
フィオナが目で「若奥様、でもこれで若旦那様は動くかもしれません」と言っているけれど。どう動くのか、想像もつかない。
「アイリ……。ホテルの部屋に送ります。ルームサービスでお茶を頼んでください。あのホテルのアフタヌーンティーは有名ですので。自分は少しベルナードと打ち合わせの必要が……専用ラウンジで。終わり次第、夕食を……」
なんだか息も絶え絶えでそう言うと、馬車へと私を乗せる。
ベルナードと打ち合わせ……。
初夜の件を相談する……のだろう。でも今更相談して、どうなるのか。
というか白い結婚なのだから、初夜がなくても問題ないと思うのですが。
いや、白い結婚だから初夜はなしにしたが、初夜ぐらいしておくべきだったと、後悔している……とか?
観劇前は、エドガーのことでなんだかぎくしゃくし、でも私から手をつなぐことで、なんとか甘い雰囲気に戻りかけた。だが観劇後、ライルは茫然自失状態で、どうしていいのか分からない。
今、私にできることは……ない気がする。
初夜の件について感想を言うのも、励ますのも違う気がするのだ。
ベルナードがライルに何かアドバイスするのであれば……。
ライルが元に戻るようなアドバイスをしてくれることを、期待するしかなかった。