困ったことになった
「……侯爵夫人がお持ちになるには安物過ぎますが、良かったらプレゼントします。先日のランチの御礼で」
エドガーから思いがけない提案を受け、答えようとした瞬間。
「君、せっかくだが、お断りする。侯爵夫人である彼女に、そんな安物は似合わないので」
普段とは全く違う声音と口調、しかも冷たい声でエドガーにお断りの言葉を投げつけたのは、ライルだ。テーブルに軽食の載ったトレイを置くと、さらに私を抱き寄せ、自身のマントで私を隠すようにしている。
いつもの気遣いができ、優しいライルとは別人。
あえて冷徹な人物を演じているように感じた。
「それに侯爵夫人に平民の君が気さくに声をかけるなんて、不躾だと思うが」
怒りさえ感じさせるライルの言葉に、エドガーは慌てて謝罪の言葉を口にする。さらに自身の名前を名乗り、タウンハウスの家具の搬入を任されていることを明かす。
「なるほど。君にとって自分はクライアントというわけか。ならばなおさらだ。顧客の妻に安易に話しかけないでいただきたい、チェイスくん」
「その通りですね。大変申し訳ございません。……ただ、こちらは奥方様が気に入られたようなので、本人の意志を確認いただけませんか。安物であることは確かです。ですが装飾品として自室に置く分には、問題ないかと。誰かに見せるわけではなく、本人が楽しむだけであれば」
エドガーは……へりくだっているが、なんというか負けていなかった。
そこは歴史ある家具屋の跡継ぎとしての、プライドもあるのかもしれない。
「……。判断をアイリに委ねると言うのだな」
そこで私は困ったことになったと汗をかく。
ここでジュエリーボックスを受け取れば、夫であるライルの判断を否定することになってしまう。それは彼の妻として、どうだということになる。だがジュエリーボックスを受け取らないと、暗示することになってしまう。私もエドガーの態度が無礼であり、不躾だと思っていると。
そもそもライルは、自身が平民出身。エドガーを蔑む気持ちはないはずなのに。ただ私が自分以外の男性と、しかも見知らぬ平民と親し気に話している。ジュエリーボックスを受け取ろうとしていることに……嫉妬しているのだと思う。
迂闊だった。
自分の立場を考えたら、ライルの知らない男性と、親し気にすべきではなかったと思う。しかも物を受け取るような状況を作るべきではなかった。つい、エドガーがあの少年と思うことで、気が緩んでいたと思う。前回エドガーと初めて会った時とは、状況が違うのに。これは私の配慮が足りなかった。
いろいろ思うところがあるものの。
ジュエリーボックスを受け取るべきか、受け取らないべきか。
悩んでいたその時。
「このジュエリーボックスは、私がいただいてもよいでしょうか? とても素敵なデザインですし、気に入っています」
フィオナが助け舟を出してくれた。そしてこれに乗らない手はない。
私はこの提案を快諾し、フィオナが受け取り、その場はなんとか収まった。
エドガーも最終的にライルがクライアントなので、丁重に行き過ぎた態度を詫び、その場から去ってくれた。
なんとか収拾がついてよかったと思ったが、ライルが私に尋ねた。
「あのチェイスという男は『先日のランチの御礼で』と言っていました。これはどういうことですか?」
エドガーと対峙していた時の、別人モードが抜けていないライル。
口調がまだキツイ。
その上でこの質問。
これには「うっ」と焦ることになる。
エドガーとランチしたこと。
ライルには特に話していなかった。
何もやましいことはない。
昔話をして、食事を共にしただけだ。
敢えて話すようなことではないと、思っていた。
それにエドガーは、私の初恋の相手。
初恋なんて、私の心の中にしまっておけばいいこと。
敢えてライルに話す必要なんてないと思う。
誰だって一つや二つ、夫婦であろうと明かさない秘密があるはず。
現にライルだって、高級娼館に足を運んでいたこと、私に秘密にしているのだから!
とはいえ、今こうやって問われ、黙っているわけにはいかない。
でも初恋のことまでライルには……。
「街のレストランで食事をした時、同席することになりました。そこで会話をする中で、タウンハウスに家具を納入しているお店の方だと分かったので……。立場として私がご馳走しても、おかしくないですよね」
「……それだけですか」
「はい。食事を一緒にして、タウンハウスの工事の様子、チェイスさんが選んだ家具の話を聞いただけです。食事を終えたら支払いを私がして、解散しました。今日は本当に偶然、再会しただけです。家具の展示に使う小物を買いに来たと、聞いています」
事実しか話していないし、嘘もついていない。
ただエドガーと幼い頃に会ったことがある件。初恋の少年である件。そう言ったことを話していないだけだ。でもそれを話していないことは、ライルは分からない。よって何か隠し事をしているのかと問えるはずがないと思ったら……。
問うことはない。
でもとても悲しそうな顔をしている。
何か知っているの……?
一瞬そうも思ってしまうが、そんなわけはなかった。
「……分かりました」と答えた後、ライルは大きく息をはき、一度目を閉じた。
そしてゆっくり瞼を開けると……。
「アイリ。申し訳なかったです。嫉妬心から自分は、ひどい態度をあのチェイス氏にとってしまいました。……後ほど、お詫びの手紙を送ります。彼の家具屋には追加で注文をいれるつもりです」
いつもの優しいライルに戻ってくれた!
「私こそ、ごめんなさい。チェイスさんとランチしたこと。あらかじめ報告しておくべきでした。彼はタウンハウスに関わる方。ライルにとっても無関係な方ではなかったので。それに……分かっています。ライルは普段、誰かを差別するような言葉を口にしない。あれは敢えて冷徹な侯爵を演じたのだと」
ライルの碧い瞳が、後悔の色に染まっている。
だからこそ、口にした言葉だった。
それはしっかり伝わったようで、彼の瞳が潤んでいる。
このままぎゅっと抱きしめられ、わだかまりはなく、終わると思ったが――。
ライルは伸ばしかけた手を止める。
そのままぎゅっと拳を握りしめ、下ろしてしまう。
「アイリ。ビーフシチューを買ったので、冷めないうちに食べましょう」
その笑顔はとても寂し気だった。