舌戦
ノートを受け取っていないことを指摘すると、ライルは悲壮な表情を浮かべ、「……言葉が思いつきませんでした」と答えた。
言葉が思いつかない。
ノートに書くことがなかった?
それとも書くことがあったのに、言葉が思いつかなかったの……?
それを問おうとしたら、先にライルに質問された。
「昨日は薔薇石英の方、いかがでしたか?」
尋ねるライルの顔に、さっきの悲壮な感じはない。
もしや顔にできた影のせいで、悲壮に見えただけ?
表情の件はさておき。
昨日は薔薇石英でいろいろ動きがあった。
それはライルにも話したいことだったので、公爵家の令嬢と会ったことや、新しい商会との取引が決まった件。一人で参加した舞踏会だったが、沢山の収穫があったことを話すと……。
「そうですか。それは朗報です。間違いなくこの王都で、薔薇石英は貴族に受け入れてもらえたと思います。それもわずか数日で。アイリ、君のおかげです。ありがとうございます。領民のためにがんばってくださり」
「そんな……でもお役に立てて良かったです」
この瞬間はいろいろなことを忘れ、単純に嬉しい気持ちだった。
薔薇石英が人気になれば、ライルの領地に住む領民は、これまで以上に収入を得るチャンスに恵まれるのだから。
「薔薇石英以外のことをした時間は、なさそうですね」
これにはドキッとする。
宮殿へ足を運んだこと。
これを話すつもりはなかった。
そしてエドガーのことも、話す気はない。
「確かに今は、薔薇石英のことでいっぱいで、それ以外の時間はないですね」
私の答えを聞いたライルが視線を伏せた。
先程の悲壮さとは違い、今度はとても寂しそうな顔になっている。
「ライル、何かありましたか?」
私の言葉にビクッと体を震わせたライルは「い、いえ何も」と慌てて答えると。
「いろいろ忙しいと思いますが、くれぐれも無理はなさらないでください」
何とも弱々しく微笑む。
明らかに何かあったが、それを言うつもりはないようだ。
ということはきっと。
ユーリのことを尋ねても、答えないのだろう。
と言ってもユーリの件を聞くつもりはない。
だが。
「宮殿の正門の門番は、兵士に加え、騎士も数名、常駐しているんです」
ライルの言葉に盛大に心臓がドクンと反応している。
「アイリは昨日、宮殿へ来ませんでしたか。お昼前に」
紋章のついた扇子を見て、名乗っている。
それをライルの部下にあたる騎士が見聞していた……のだろう。
誤魔化しは……通用しない。
「そう、ですね。その……」
嘘をつき慣れていない人間は、咄嗟にうまい言葉が浮かばないと思う。
あの時、見た事実から私は……。
「ライルも薄々気づいていると思いますが、私は……あまり家族に愛されていません」
これにはライルがハッとした表情になる。
私への同情が感じられ、これから言うことになる苦し紛れな嘘を……きっと信じてくれると思えた。
「よって王都に滞在していますが、両親にも妹にも会う予定はありません。ですが薔薇石英の件で、様々な方に会う中で、聞いたのです。妹であるユーリが、最近社交の場に顔を出していないと。その一方で、宮殿で妹の姿を見たという方もいたのです。薔薇石英の件で公爵家に行った帰り道。宮殿に行ってみました」
ライルは分かりやすい。早速私の言葉を聞き「なるほど」という表情になっている。
「ただ、宮殿に行き、ユーリを探そうと思ったものの。会ったところで何を話すのか。そもそも屋敷では邪魔者扱いされていたので、嫁に行ってくれてせいせいしたと思っているはずです。それなのにのこのこ私が現れても……そこで思い直し、すぐに引き返しました」
兵士に訪問理由は、特に話していない。
名乗ったことで理由を特に聞かれず、宮殿へ入れてもらうことが出来たからだ。
「そうだったのですね……。妹君が宮殿にいる。そうですか。その方は妹君と親しい方なのでしょうか。どうして妹君と分かったのでしょう。その話をされた貴族の名前は、覚えていますか?」
ライルの声音が変わった。妻である私への問いかけと言うより、詰問になっている。
あの時のユーリは、黒ぶちのメガネをかけ、ほくろまでつけていた。
今更だけど、あれは変装でもしていたということかしら?
お洒落の一環でほくろをつけたり、メガネをつけることもある。
てっきりそういう意味かと思っていたけれど……。
ライルの質問から察するに、変装しているのになぜバレたのかと思っているように感じる。
逢引きするのに変装していた。それなのになぜ分かってしまったのか、ということかしら?
確かにあのメガネとほくろだけでも、ユーリの印象はかなり変わっていた。
しかもライルが、騎士団長が、エスコートしているのだ。
まさかユーリとは思わないだろう。
なんなら地味で目立たないミルフォード伯爵家の令嬢、ライルに嫁いだ私だと思われた可能性の方が高いかもしれない。
でも。
私はユーリと共に育ったから、分かってしまった。
もしも私ではなかったら……。
ユーリであるとは分からなかったかもしれない。
「アイリ、宮殿で妹君を見たと言っていた貴族の名前、覚えていますか?」