初恋
幼い頃、秋の収穫祭で迷子になった私を助けてくれた少年。
それがエドガーなのではないか。
思い切って私が尋ねると、エドガーはアイスシルバーの髪に触れ、考え込む。
「秋の収穫祭……それは僕も子供の頃からよく行っています。人出も多く、迷子になる子は多いですよね。そう言われると迷子の子供を助けたことは……何度かあります」
「! 迷子の私を助け、両親のところまで案内してくれただけではないんです。コットンキャンディを買ってくださって……。別れ際に私、自分の名前と我が家の紋章が刺繍されたハンカチも渡したんです。御礼をしたいと言ったら、遠慮されてしまい、どうしてもとお願いしたら……。『いつか大人になり、俺が立派になったら、君に会いに行く』と言われました。ちゃんと会いに来れるようにと、ハンカチを渡したのです」
するとエドガーは「なるほど」と何度も頷く。
そこに注文していたサラダが到着した。
サラダを食べながら、エドガーはしみじみと口にする。
「確かに子供の頃、可愛らしい女の子からハンカチをもらった記憶があります。とても大切にしていましたが、今はどこにいってしまったか……」
「そうだったのですね! 当時の私はミルフォード伯爵家のアイリです。ミルフォードの名に聞き覚えはありませんか?」
「ミルフォード伯爵家のご令嬢……。少し前、社交界で話題になっていた令嬢ですよね?」
それは……ユーリだ。
ここでユーリが出てくるのは、なんとも言えない気持ちになる。
でも仕方ない。
確かにミルフォード伯爵家と言えば、ユーリなのだから。
「社交界で話題になったのは妹です。私はこの通り、地味ですので……」
するとエドガーは、すっと伸ばした手で私の手を握りしめた。
「そんなことありません。あなたと目が合った瞬間。心臓が止まるかと思いました。とても美しく魅力的だと思いましたよ。……既婚者だと分かった時は、とても残念でしたが」
そこで慌ててエドガーは手を引っ込め「失礼しました」と謝罪する。
その様子から、本当に素直な気持ちで、私に魅力を感じてくれたことが伝わって来た。
「幼い頃の記憶は、全てを完璧に覚えているわけではないですよね。僕も自分がマダムの言う少年なのか、自信はありません。でも断片的な記憶はあり、もしかすると……という気持ちはあります。ただ、会いに行くと約束しておきながら、果たしていないのは……申し訳なく思います。ごめんなさい」
エドガーが素直に謝罪の言葉を口にした時、スープが到着した。
そのスープを眺めながら、彼の謝罪に応じる。
「子供の頃の約束です。そして成長する過程でいろいろなことを経験していたら、約束を忘れてしまっても……仕方ないと思います」
私が少年との約束を忘れられなかったのは、屋敷で閉塞感を覚えていたからだ。
ここから抜け出すにはあの少年しかいない……と思い、すがっていたからだろう。
もし両親に愛され、ユーリに遠慮することなく生きていたら、男友達も沢山できたかもしれない。
そうなったら少年のことだって……私も忘れていたかもしれないのだ。
ある意味私が一方的に執着していたと、言えなくもない。
「あなたはとても美しい。きっと幼い頃も素敵だったことでしょう。それなのに忘れてしまったとしたら……」
そこでスープを飲む手を止め、エドガーは寂しそうに笑う。
「あなたが貴族の令嬢だったからでしょう」
「!」
「身分の違い。乗り越えられない壁。それを悟り、僕は……あなたとの記憶を封印してしまったのかもしれません」
これには「なるほど!」だった。
平民が爵位を得ることは、安易なことではない。
そして身分違いの恋を実らすのも難しいこと。
ゆえに諦めてしまったとしても……。
「でもこんな形であれ、再会できたのなら……。奇跡というか、運命ですよね。ただ、あなたが既婚者であることは……。繰り返しになりますが、残念です。それに大切なクライアントの奥様だった。運命とはなんとも皮肉なものですね」
これにはその通りと思うしかない。
結局、私だって少年のことを諦めたのだ。
諦め、現実を見て、ライルと結婚をした。
そして今、ライルとの新婚生活は……。
白い結婚。高級娼館。ユーリとの関係。
ライルには謎ばかり。
「とはいえ、せっかく再会できましたし、これからも関わることはあるでしょう。今後も仲良く……というのも変ですね。たまにこんな風にお食事をしたり、お茶をできたら嬉しいです。あ、勿論、旦那様もご一緒に」
「旦那様もご一緒に」と言葉にした時のエドガーの表情。寂しそうに思える。
チラリと彼の左手の薬指を見るが、そこに結婚指輪はない。
婚約者がいてもおかしくない。でもそれなら私が既婚であることを、何度も残念がりはしないだろう。つまりエドガーは独身。
「そうですね。夫は……なかなか忙しく、ホテルにも戻らないのですが、でも、はい。ぜひ」
「今はホテルに滞在されているのですね。あ、でもそうか。タウンハウスは絶賛準備中でしたね。ご結婚は最近されたのですよね。それなのになかなかご主人と会えないのは、お寂しいのでは?」
「それは……でも仕方ないです。騎士団の団長という立場ですから」
「なるほど」とエドガーが応じた後は、タウンハウスの話に移ることになった。
そして最終的にあの時の御礼を改めて伝え、そしてこの昼食は、私がご馳走することができた。つまりあの日の御礼もこれでできたわけだ。
幼い頃の淡い恋。つまりは初恋。
私の初恋は、思いがけない形で幕を閉じることになった。