不意に
「なるほど。既に返事の手紙は用意できていて、自分は印とサインを入れればいいのですね」
執務机で私の渡した書類トレーの中を確認しながら、ライルが私を見上げた。
私は執務机の前に立ち、一通りの説明をし終えたところだった。
「はい。『出席します/欠席します』のところは、どちらか一方に印をつければいいので、丸をつけていただき、あとはサインを入れれば完了です」
「これまでは欠席、出席で返信を書き分けていましたが、これなら雛型さえ用意しておけば、返信先の名前、印で出欠表明、あとはサインで、あっという間に完了しますね。とても効率的です」
ライルの言葉に私はコクリと頷く。
「欠席の印が入っているものは、ライルの騎士団の任務があり、絶対に参加できないものになっています。それについてはサインだけ入れていただければ大丈夫です」
「……! そこまで配慮いただいていたのですね」
「その方がライルに手間がかからないと思ったので……。あとですね、束になっているものは、日付と日時が被っているものです。稀にそういうこともあります。よって束のものについては、出席は一つのみにしてください」
こんな感じでひとしきり説明を終えると、ライルは補佐官にペンのインクが切れたので取ってくるようにと命じ、フィオナにはお茶を出すように命じた。
「アイリ。君は侯爵夫人になったばかりなのに、実務がしっかりできていますよね。しかも新しく効率的な方法を提案してくれました。とても……感動しています」
椅子から立ち上がると、ライルが私のそばに来たと思ったら。
ふわりと私を抱き寄せる。
「君がこんなに優秀だとは思いませんでした。これなら安心して留守を任せられます」
「そ、それは良かったです」
不意打ちで抱きしめられてしまい、ドキドキが止まらない。
いつもの彼の香水、ミントの良い香りもしている。
この胸がときめく状態に、つい流されそうになるけれど。
フィオナと約束した焦れ焦れ作戦のことを思い出す。
というか、ここは執務室で、いつ補佐官やフィオナが戻って来るか分からないのだ。
「ライル、補佐官やフィオナが戻ってきます」
そう言ってその逞しい胸から逃れようと後退すると、逆にライルは腕に力を込める。
「構わないではないですか。自分とアイリは夫婦です。しかも新婚なのですから」
「そうですよね」と言いかけ、白い結婚であることを思い出す。
白い結婚なのに、このスキンシップはいりますか?と。
でもそんなことをストレートに問うことはできない。
「そうかもしれませんが、TPOはわきまえないとなりません」
そう答えながら、後退を試みた。
すると今度はライルが前進する。
微妙に移動しただけで、抱きしめられている状態から解放されていない!
「でも今は二人とも、ここにはいませんから……」
侯爵家当主としても、騎士団の団長としても。
随分相応しくない言葉を口にしているような。
「今はいなくても、不意に戻ってきますよ」
さらに後退すると、ライルは前進する。
じりじりと動くが、彼の胸の中からは逃げ出せない。
「!」
なんだか斜めに移動していたようで、背中に何かが……本棚がぶつかった。
「アイリ……」
切羽詰まったような甘い声に、ドキッと盛大に心臓が反応し、顔をあげると。
焦がれ切ったライルの碧い瞳と目が合う。
これはキスをされる気がする!
慌てて横に逃げようとすると、すっと伸びたライルの腕に、進路を塞がれてしまう。
しまった!と思った瞬間、ライルのもう片方の手が、私の顎をくいっと持ち上げる。
「ライル、だ、ダメです!」
「どうしてですか!?」
顎を持ち上げる手をはずそうとして、力では敵わないと思い、ライルの唇を手で押さえようとすると。
その手はあっさり掴まれ、本棚に押し当てられてしまう。
「アイリ、焦らさないでください」
掠れた切実な声に、全身の力が抜けそうになった。
ライルが全力で求めていると分かってしまい、喜びで体の芯から震えている。
懸命に抵抗しているが、本心ではキスをされたいと思っているのだ。
抗うことなんて、もうできない……。
ライルの顔が近づくことに、嬉しくて仕方なかった。
フィオナ、私は意志が弱い女みたい!
彼の魅力に抗うことができないわ……!
まさにもうキスをされると思った瞬間。
扉をノックする音が聞こえた。
しかもこの状況を察知し、止めるため……と思えるぐらい勢いがある音がしている。
ライルが盛大なため息をつき、私の手を離す。
「はい……」とかなり不服そうな返事をライルがすると、フィオナが笑顔で部屋に入ってくる。
「厨房で確認したところ、間もなくティータイムでした。既に奥様はティールームに移動されていますので、お茶はお持ちしていません。若旦那様と若奥様も、移動されてはいかがでしょうか」