強い欲情
ライルが私の腰に腕を回し、顎を持ち上げ――。
唇が重なった。
結婚式の時のキスとは違う。
唇ではない、何か温かいものが唇に触れたことに驚き、思わず口を少し開けてしまう。するとその熱い何かが口の中に入ってきて……。
もうそこからは頭が真っ白になりそうだった。
何がどうなっているのか分からないし、でも全身が熱くなり、息が上がり、呼吸が乱れる。
気付けば仰向けでソファに倒れこんでいて、ライルがこちらを覗きむように、両腕をソファについていた。
私の息も上がっているが、ライルも肩を上下させ、呼吸が荒くなっている。
その碧い瞳は甘さを通り越し、強い欲情を感じさせた。
「……申し訳ないです。つい、自制心が……」「い、いえ」
即答してから気が付く。
自制心が効かなくなり、私を押し倒したことを謝罪してくれたけど……。
ここは夫婦の寝室。
そしてライルと私は夫婦なのだ。
謝る必要があるの……?
申し訳ないと思う必要なんてない。
むしろ、止めないで欲しかった。
そのまま続けて欲しかったと言いたくなっていたが。
貴族令嬢としてそんなこと、言えない。
ただ瞳を潤ませ、ライルを見上げることしかできなかった。
「アイリ……」
ライルはそのまま私を抱き上げるとベッドへと歩き出す。
心臓が急加速で反応し、下腹部がぞわぞわと反応している。
ぽすっとベッドに下ろされ、息を止め、目をつぶる。
「!」
ふわりと全身を温かい羽毛布団に覆われる。
驚いて目を開けると、ライルが微笑んで私を見下ろしていた。
「アイリ、チェスに付き合ってくれて、ありがとうございます。また、明日、頼みます」
これには「えっ」と声を上げ、いろいろと尋ねたいことが満載だった。
だがそれを尋ねる間もなく、ライルは会釈と共に部屋を出て行ってしまう。
残された私は……。
悶々とすることになる。
思うのはこの一つ。
なぜ、キスをしてソファに押し倒したのに、その先に進まなかったのか。
ロマンス小説では……そういう描写が多い。
押し倒されて、朝になっている。
でもその暗転している間に、二人は結ばれているのだ。
しかもライルと私は正式に婚姻関係を結んだ夫婦。
どうして「……申し訳ないです。つい、自制心が……」なのか。
自制心を失って突き進んで何ら問題ないのに!
まだ心臓はドキドキしていた。
それにあの全てを奪うような情熱的なキスを思い出すと、体中が震え、甘美な痺れが広がる。
この熱い気持ち、ライルはすぐに静めることができたの?
どうしてそんなにすぐ、クールになれるの……?
それともこんな気分にはならなかった……?
それはないと思う。
確かにあの時、ライルの瞳には強い願望が表出していた。
不思議でならない。
そして「なぜ」の答えは見つけられないのだ。
しばらくは寝付くことが出来なかった。
でも次第にクールダウンできた。
そこからようやく眠りにつくが……。
とにかく釈然としないまま、眠りに落ちた。
◇
翌日。
朝から冷えていると思ったら、朝食を摂っている間に雪がはらり、はらりと降って来た。
ウールのパステルブルーのドレスに白のロングケープを着て、屋敷内、庭園、離れ、厩舎、乗馬練習場、菜園……などをライルに案内してもらった。
そのライルはサファイアブルーのセットアップに、細身の黒のロングコートを合わせている。合せた黒の革手袋と言い、とてもよく似合い……カッコいい。
こんなに素敵な人が私の旦那様なのに。
白い結婚だなんて。
しかも白い結婚のはずなのに、あんなキスをしたのだ。
それなのに今朝、何事もなかったように爽やかに笑えるなんて……。
ライルは目の下にクマもなく、肌艶もいい。
私は悶々としてなかなか寝付けなかったが、ライルはそうではなかったようだ。
これにはズルいと思ってしまう。
私の心に波風を立てるだけ立てて、しれっと立ち去ってしまうなんて!
でもいい。
代わりにライルが午後、どこへ行き、何をしているのか。
探ると決めたのだから。
とはいえ、私が出掛けるわけにはいかない。
そこでフィオナには、ライルが昨日に続き、外出することが気になっていると相談した。
すると……。
「そのお気持ち、分かります! 新妻を置いて、本当にどこへ行っているのですかね!? 確かに私もそう思います。若奥様、安心してください。従者に頼み、若旦那様の後をつけてもらいます」
そう。
私が王都から連れてきた信頼できる従者に、ライルが外出したら、後をつけてもらうことにしたのだ。
「……ここが温室です。しばらくここにいれば、冷えた体も少しは温まるでしょう」
ライルの言葉にハッとして我に返る。
つい考え込んでしまったが。
ライルは律儀に敷地内の、ありとあらゆる場所と建物を案内してくれたのだ。
「若旦那様、若奥様、お待ちしていました。ホットレモネードをご用意しています。こちらでお飲みになって、体を温めてください」
気が利くヘッドバトラーのジェフが、温室に温かい飲み物を用意してくれていた。ライルと私だけではなく、同行したフィオナとベルナードの分も。
「温まるわね」とフィオナと言いながらホットレモネードを飲んでいた時間は……。
従者が後ほど持ち帰る情報を知らない、まさに嵐の前の静けさだったと思う。