#9 一目惚れ??
4月24日水曜日。
結局七葉のお姉さんは、話を聞くことを許可してくれたため、海凪一人でお姉さんの元へ向かうことになった。
ただ今、七葉のお姉さんは出かけているらしいので、七葉と海凪は教室に残って談笑していた。
ちなみに龍は、歯を食いしばりながら渋々塾に向かった。
「深代くん、学校にはもう慣れた?」
「ああ。おかげさまで」
「良かった。でも、私は何もしてないよ?」
「そんなことないぞ。今もこうして楽しく放課後を過ごせているんだから。俺がこんなに早く新しい学校に慣れたのは、空橋さん含むみんなのおかげだ。ありがとな」
「ふふ、こちらこそありがと。私も友達とお話しするの大好きだから、今とても楽しいよ?」
2人とも穏やかな笑顔で、談笑している。海凪も七葉もフレンドリーな性格をしているため、側から見たらとても親密な関係のように見えるが、2人からすると普通の距離感のようだ。
ただ、龍がこの光景を見たら、食いしばった歯が粉々になりそうではある。
「深代くんって、普段何してるの?」
「街中をぶらぶら歩いたり、トレーニングしたり、都市伝説を調査したり、かな」
「なんか一つだけ非日常的なものが…」
海凪の真面目な回答に七葉は苦笑した。ただ、全く馬鹿にするようなニュアンスが含まれていないところが七葉のすごいところである。
「空橋さんは普段何してるんだ?」
都市伝説について特に深掘りする必要はないので、今度は海凪が聞き返す。
「私は習い事に行ったり、友達と遊んだり、お姉ちゃんのお手伝いしたりしてるよ。あ、お手伝いって言ってもアルコールの提供はしてないからね!?」
少し焦ったようにそう付け加える七葉。もちろん海凪がそのような勘違いをするわけもなく、雑談はそのまま続く。
「習い事っていうのは──」
プルルル…
しかしスマホのコール音により、その雑談は強制的に中断された。
そのスマホの主である七葉は、海凪から少し離れて電話に出た。
「もしもし、お姉ちゃん。どうしたの?」
どうやら電話の相手は七葉のお姉さんらしい。
「うん、うん。…分かった、聞いてみるね。ちょっと待ってて」
七葉はスマホを耳から離し、海凪に顔を向けた。
「深代くん。お姉ちゃんが6時過ぎくらいになるかもっていってるんだけど、それでも大丈夫?」
現在時刻は4時半。七葉のお姉さんに話を聞くまであと1時間半待つ必要がある。
「俺は全然大丈夫だけど。もし無理させているなら、また別の機会でも大丈夫だと伝えてえくれる?」
「気遣ってくれてありがとう。でもそれは多分大丈夫だよ。お姉ちゃんも昨日深代くんに会えることを楽しみにしてたから」
そして七葉の予想通り今日会うという予定に変更はなく、約束の時間まで2人は談笑を続けた。
6時前。
辺りは夕焼け色に染まり、夜を歓迎する準備に入っていた。西陽は強いにもかかわらず、どこか物悲しいような気持ちが落ち着くようなこの時間帯を、海凪は気に入っている。
海凪と七葉は肩を並べて、七葉のお姉さんが経営しているというバーへ向かっていた。
「おーい!七葉!」
2人が談笑しながら歩いている中、後方から七葉を呼ぶ女性の声がした。
その声のした方に振り返ると、両手に買い物袋を引っ提げた女性が笑顔で歩み寄ってきた。海凪はその笑顔にどことなく七葉の面影を感じた。
「お姉ちゃん!偶然だね」
海凪の予想通り、この女性は七葉のお姉さんらしい。海凪は、七葉はどちらかというと可愛らしい感じだが、お姉さんの方は美しいといった印象を受けた。首から下げている星型のペンダントも彼女の顔を一層華やかにしている。
「そうね。…それで、そちらの方が深代くんね。……もしかして七葉の彼氏でもあるのかしら?」
「違うよ!深代くんに失礼でしょ!」
しっかりと否定する七葉。
「初めまして。七葉さんの友達の深代海凪です。よろしくお願いします」
相変わらず深々と頭を下げ、挨拶をする海凪。そんな海凪を七葉のお姉さんは、鋭い視線で見ていた。
「ご丁寧にどうも。私は七葉の姉の虹花です。お待たせしてごめんなさいね」
「いえ。急にお願いしたのはこちらなので、こちらこそすみません。…あ、それとこの鎖はファッションなので気にしないでください」
海凪も慣れたもので、毎回鎖のことはファッションだと誤魔化している。ただ、たとえファッションだと言っても、あまりにリアルな鎖なので、大体変な人としてみられるのだが。その点、七葉も虹花もそこまで気にするタイプじゃないようで、特に鎖に関して追及されなかった。
「…それで、私から話を聞きたいのよね?今、うちは開店前だからそこで話しましょうか」
「…はい。ありがとうございます」
笑顔で優しく話しかけてくれる虹花に対して、海凪は気付かれない程度に目を細め、そして穏やかに返事をした。
そして虹花の手荷物を代わりに持ち、虹花が経営しているバーへ向かった。
街中の喧騒から外れた、路地裏の一角。そこに店を構えるバーの外観は、黒を基調としたシックな雰囲気で非常に清潔感がある。壁は一部ガラス張りになっており入店しやすさはあるのだが、何せ立地が奥まった位置にあるので、調べずに見つけるのは困難だろう。3人は【bar la vidiana】(バー ラ・ヴィディアナ)と筆記体で書かれた看板の下をくぐり、中に入った。
「荷物ありがとね。少し着替えてくるから、適当に座って待っててくれるかしら?」
「分かりました」
海凪から荷物を受け取った虹花は、七葉とともにカウンター横にある階段を登って行った。どうやら2階が彼女たちの生活圏らしい。
一人取り残された海凪は、カウンター椅子に座り、なんとはなしに内装を見回していた。
部屋の角に置かれている観葉植物や、海凪には価値がよく分からない絵画が、店内のオシャレで落ち着いた雰囲気をより引き立てていた。
「どう?結構いいところでしょ」
「そうだな…ってあれ、空橋さん着替えてないのか?」
2人が階段を登って間も無く、制服のままの七葉が下に降りてきた。七葉の私服姿を期待していた海凪は、心の中で少し落ち込んでいた。
「ちょっとお姉ちゃんがネギ買い忘れてね。今から買いに行くんだ」
「なるほど、優しいな」
嫌な顔ひとつせずエコバックを担ぐ七葉を見て、海凪は感心した。
「じゃあ行ってくるね。あ、お姉ちゃんが部屋で話したいって。だからごめんだけど2階に行ってくれる?」
「わかった、ありがとう」
姉からの伝言を伝え、七葉は足早に店を出て行った。
海凪はなぜ話す場所を変えたのか疑問に思ったが、そこまで気にすることでもないと思い、今から聞けるであろう都市伝説に思いを馳せた。
カウンター横の階段をのぼり2階に到着すると、向かって左側に2部屋、正面に1部屋あることに気づく。そして正面の部屋の扉には、”w・c”の2文字が書かれたサインプレートが吊るされていた。仮に七葉と虹花の部屋がひとつずつだとすると…
「…ご両親はいないのかな」
海凪はそう思った。
だがそんなことよりも、海凪は目の前に現れた課題に頭を悩ませていた。
「どっちに入ればいいんだ…」
目の前には何の目印もない部屋が2つ。2つとも女性の部屋だろうと考えると、余計勝手に入るわけには行けなかった。
「あの、虹花さん?」
「あ、ごめんね。こっちの部屋よ」
とは言っても直接本人に聞けばいいだけなので、海凪は特に問題なく、声がした手前の部屋に入った……が
「失礼します…っ!」
ここで問題が起きた。
部屋に入った瞬間全身で感じた柔らかい感触。
「…何、してるんですか?」
今海凪は足だけを部屋に入れて、仰向けに寝転んでいる。そしてその上には、恍惚とした表情で海凪を見下ろす虹花がいた。それも下着姿で。
──そう。海凪は部屋に入った瞬間に、虹花に押し倒されたのである。
「ふふ。私ね、一目見た時に海凪くんのこと好きになっちゃったみたいなの」
トロンとした眼差しで海凪を見つめる虹花。首から下げたままの星型のネックレスが、より大人の魅力を引き立てていた。
虹花は片手を海凪の頬に添え、さらに顔を近づけた。
「本当に可愛いわね」
海凪に優しい笑みを向けた虹花は、口を海凪の耳元に持っていく。虹花の甘い吐息が海凪の耳をくすぐる。
「──今から私のベッドでイイコト、しない?」
右肩の紐がずれ、さらに扇状的な姿になる虹花。
そんな虹花に、海凪は徐に手を伸ばし…
「…無理しないでください」
肩に手をおいて、虹花の行いを静止した。
そしてそのまま起き上がり、虹花が海凪の膝の上に座る形になった。
「無理なんてしてないわよ?本当にあなたのことが好きなの」
純粋な好意で海凪を襲ったと虹花は言う。その顔は真剣そのもので、演技かどうかも判別がつかない。
「…俺、人の負の感情に敏感なんですよ。だから虹花さんが俺に対して、怒りや懐疑といった感情を向けていることも筒抜けです」
しかし相手が悪かった。
海凪に対しては表でどんなに取り繕っても、腹に一物を抱えていたらすぐに見抜かれてしまう。
海凪の真剣な眼差しを受け虹花は降参したようで、大きな動作で肩を落とした。
「はあ……。なにそれ、ずるすぎるわよ…」
今度は手を後ろに置き、天を仰いだ。
途端海凪は目を逸らし、自身の制服のブレザーを脱ぎ始めた。
そんな様子を見た虹花は、先までのあきれたような表情とは打って変わって、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「あらあら、ませた子かと思ってたけど、ただ強がってただけじゃない。可愛いわね」
自分の演技を見抜かれた腹いせなのか、胸を強調させるように四つん這いになって、わざと海凪の視界に入っていった。
「……自分の美貌を自覚してください。…とりあえずこれは応急処置です」
海凪は出来るだけ虹花を視界に入れないように、ブレザーを正面から虹花に着せた。
「あら、もっと見てもいいのよ?こんなチャンス二度とないんだから」
「…嫌がる人の恥ずかしい姿を見る趣味はないですよ」
虹花が本音じゃないのは百も承知。それでも一瞬流されそうになった自分を恨みながらも平静を装った。
「色々話を聞きたいのですが…。とにかく着替えてきてください」
「はいはい。…ふふ」
虹花は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、着替えに行った。客観的に見れば負けているようにも思えるが、虹花本人は少しでもやり返せたことに、とても満足しているようだった。
「待たせたわね」
着替えから戻ってきた(とはいってもこの部屋はリビング兼虹花の部屋なので、同じ部屋で着替えていたのだが)虹花は、ソファに座らせておいた海凪の隣に離れて座った。
その格好はさっきまでとはまるで違い、上下グレーのスウェットでいかにもだる着といった感じだ。相変わらず、ネックレスはつけているようだが。そんな落差に心の中で苦笑しながらも、海凪は話を切り出した。
「それで、なんであんなことしたんですか?」
あんなこととはもちろん急に押し倒したことである。
「…もちろん、品定めよ」
虹花は、海凪と目を合わせることもなくただ端的に答えた。演技をしていたさっきまでの表情とは違い、まるで海凪に興味がないようで、無の表情である。
「品定め、ですか…。…もしかして、七葉さんの友達として、と言うことですか?」
「ま、そんなんところかしら。もちろん男限定だけど」
虹花の答えに疑問を持つ海凪。妹のために、嫌っているとは行かないまでもいい気はしていない男に対して、体を張った色仕掛けなんてするだろうか、と。
「その言い方だと今までも何人かにやってきたようですが、なぜそこまでして七葉さんの交友関係に関与するんですか?」
「……七葉はね、純粋で優しくて可愛くて…ちょっとおっちょこちょいなとこも可愛くて……そして、可愛くて可愛くて可愛くて、先週なんかお昼ご飯作ってくれてでも塩と砂糖を間違えて超甘かったけど必死で謝る姿が可愛くて余裕で全部平らげちゃったあそうだ去年なんか──」
いきなりエンジンがかかり、一人突っ走る虹花。あまりに急発進だったが、七葉への愛が暴走し出した虹花を海凪は止めようとはせず、元から準備をしていたかのように幸せそうに語る虹花を、助手席でただ見守っていた。
10分後──
「──それでね、20連続ガーターでスコアが0だったのよ。本当に可愛いわぁ」
ここまで幸せそうな笑みを浮かべながら話していた虹花だったが、急にその表情は影を落とし、瞳も真っ黒になった。
「……だからね、そんな七葉に下心で近づこうとする男はたくさんいるの。そういう奴らの本性を暴くのにさっきの方法はもってこいなのよ。…七葉が変な奴に捕まらないためなら、私の身体なんて安いものよ」
妹のため。その目的はさっきとは変わらないが、その愛の深さを知った海凪は、虹花が体を張る理由を少しは納得できた気がした。
しかし、まだ聞きたいことは山ほどある。そこまで七葉を溺愛している理由や、七葉はそのことを知っているのか等。でも今、それ以上踏み込むのはまだ早いだろう。
それにここにきた理由は都市伝説の話を聞くため。そう思った海凪は聞きたい欲をグッと抑えて、ただ一つ言いたいことを言うことに決めた。
「…理由はわかりました。でも一つだけ言わせてください。無理はしないでください」
海凪は覗き込むようにして、無理やり虹花の目を見て真剣に言う。その真剣な眼差しに虹花は少し呆気にとられたような顔をした。しかしすぐに取り繕う。
「さっきも言ったけど、無理なんてしていないわよ」
「……さっき押し倒されたとき、虹花さんから怒りや懐疑心以外に恐怖といった感情も感じ取れました」
2人の間に沈黙が落ちる。
海凪は虹花の目を捉えて離さない。虹花も対抗するように海凪の目を見続けた。
「……はあ。はいはい私の負けよ。そうよ。ちょっと怖かったわよ」
しかし海凪のまっすぐな眼差しに根負けしたのか、虹花は素直に吐露した。
「はあ。全くなんなのあなたは。第六感どうなってんのよ」
虹花は完全に脱力してソファにもたれかかった。どこか既視感を感じる動きだ。
「……そりゃ怖いわよ。知らない男の人を襲うなんて…」
「…何か言いました?」
「いえ、なーんにも」
天井をむいてぶつぶついう虹花は、どこか子供みたいに不貞腐れているように見えた。
「ただいま」
「あ、七葉!」
しかし一階から七葉の声が聞こえた瞬間に、虹花は顔を輝かせた。そして一目散に一階へ向かおうとした。
「虹花さん、最後にもう一つ」
「……なにかしら」
自分たちの逢瀬に水を差された虹花は、怪訝な顔をした。しかし嫌々ながらも足を止め、耳の意識だけ海凪に向けた。
「俺は虹花さんにも、もっと自分のことを大切にしてほしいです」
「……生意気な子ね」
そう呟き、虹花は足早に一階へ向かった。
「おかえり七葉!」
「あ、お姉ちゃん、ただいま。…あれ、深代くんは?」
自分への挨拶は早々に海凪の名前を出されて、虹花は少し顔を顰めた。しかし七葉に気づかれるわけにもいかず、すぐに笑顔に戻した。
「彼なら2階にいるわ。噂話については、今から話すところよ」
「え、ほんと!?いつも男友達連れてくると、私がいない間に帰っちゃうんだけど…。良かった深代くんはいてくれて!」
「……ま、友達としてなら…。ぎり及第点、かな」
「なにボソボソ言ってるのお姉ちゃん。深代くん待たせちゃ悪いよ。早く行こ!」
「…そうね」
2人は海凪の元へ向かった。
ついに、海凪お待ちかねの都市伝説が聞ける。
果たしてどんな話を聞けるのだろうか。
「ネギありがとね。…って七葉、これニラよ」
「あれっ…」