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#8 橘詩音の家族2

「ただいまー」


「お帰りなさい」


家の扉を開け、響歌(きょうか)がお帰りの挨拶をする。その返事は家の中からではなく、後ろにいる詩音(しおん)から返ってきた。


2階建てアパートの1階の角部屋。

外観は決して新しいわけではなく階段や柱には汚れや傷が散見されるが、人が住む場所としての清潔感はある。


間取りは1LDKで、子供4人、母親1人の橘家からすると少し手狭かもしれない。しかし詩音たちにとってはそれが普通であり、全く不都合がないわけではないが、幸せな生活を送れていると思っている。


「よっしゃ、サッカー見ようぜサッカー!」


「先に手洗いなさいよ」


「分かってるって!」


(りつ)は乱暴に靴を脱ぎ散らかし、洗面所へ走っていった。その靴を詩音が呆れながらも整えた。


「全く律のやつ、お姉ちゃんにこんなことさせないでよ」


腰に両手を当て、プリッと怒ってる響歌を見て、詩音が笑みをこぼす。その時詩音は、服の裾を軽く引っ張られる感覚を覚えた。その方を見ると、絵本を抱くように抱えた詠心(えいしん)がつぶらな瞳で詩音を見上げていた。


「どうしたの詠心」


「…お姉ちゃん、今日の夜、この絵本読んで…」


「分かったわ。その代わりちゃんと早く寝るのよ」


「うん…!ありがとうお姉ちゃん!」


あまり感情を表に出さない詠心だが、詩音の承諾を得てとても嬉しそうな笑みを浮かべた。



それぞれが身支度を整え終えると、詩音は晩ごはんを作り始め、律と響歌はソファでサッカー観戦、詠心は地べたで絵本を読んでいた。


「よし!シュート!おいどこ打ってんだよ!」


「ダメねこの選手は。交代よ交代」


律はテレビに釘付けになり、ワンプレー毎に全身で一喜一憂している。響歌も律ほどではないが、サッカーを楽しんでいるようだ。…まあ、コメントは辛辣なものだが。


そんな騒がしい中でも詠心は絵本に夢中になっており、嫌な顔ひとつせずに楽しい時間を過ごしている。


「姉ちゃんまだー」


「もうちょっと待ちなさい。もうすぐできるから」


サッカーの試合がハーフタイムに差し掛かったところで、律が自身の空腹に気づく。


全力で応援していたせいかお腹の虫が騒ぎまくり、ソファでジタバタしながら晩ごはんを催促した。詩音はそんな律に慣れているのか、決まり文句を返す。


詩音も詩音でテレビをチラチラと見ているのだが、料理してる手の動きに無駄がないのもこのような状況に慣れている証拠だろう。


それから約15分後、ちょうど後半戦が始まったところで詩音は晩ごはんを完成させた。


響歌はそれを見て配膳等の準備を手伝ったが、律はソファから微動だにしない。チラチラ様子は伺っているが、動くつもりはないようだ。

詠心はいつの間にか地べたから椅子に移動していた。


配膳が終わったところで律が椅子に移動する。そのめざとい行動に響歌は律を睨みつけたが、律は気にもせず早く食べよーぜと詩音に促した。


そしてみんなで手を合わせて、いただきますと声を合わせ食事を開始した。


「んー!うめえな!やっぱ姉ちゃんの肉じゃがは最高だぜ!」


「ほんとね。いくらでも食べられるわ」


「…美味しい」


三者三様、詩音の肉じゃがを賞賛する。美味しそうに自分の作った料理を食べる3人を見るのが、特に最近の詩音の楽しみである。


「律、よく噛んで食べなさい」


「分かってるって!」


律は無我夢中でご飯を掻き込みながらも、目はテレビに向けている。なんとも器用なものだ。


「姉ちゃんおかわり!」


「はいはい。ちょっと待ってね」


律は爆速でご飯を平らげ、空になったお茶碗を詩音に押し付けるように手渡した。

そんな律を見て響歌が苦言を呈す。


「ちょっと律、それぐらい自分でしなさいよ」


「…な、なんだようっせーな!…っては!?今のノーファールだろ!」


律は一瞬図星のような反応を見せたが、すぐに強気になり響歌に反発した。

そして意識はテレビの方へ。


「ちょっと──」


「大丈夫よ響歌。響歌はおかわりいる?」


「私は大丈夫だけど…お姉ちゃん優しすぎだよ…」


「うっま!何今のドリブル!すげー!」


さらに突っかかろうとした響歌を詩音は落ち着かせ、ご飯をよそいに行った。


いつもより騒がしいお茶の間は、喜怒哀楽が混ざった濃厚な時間となった。



みんな綺麗にお皿を平らげ詩音が片付けを終えた後、その片付けを手伝っていた響歌がどこか恥ずかしそうに詩音に話しかけた。


「…あの、お姉ちゃん…。…久しぶりに、一緒にお風呂にはいろ?」


響歌は、小3にもなってお姉ちゃんと一緒にお風呂に入るなんて恥ずかしいと思っているので、最後に詩音と一緒に入ってから少なくとも一年以上は経っている。


詩音もまさかそんな提案をされるとは思ってなかったので、少し目を見開いた。


「いいわよ。一緒に入りましょ」


しかし詩音が断るわけもなく、優しい笑顔でそれを承諾した。


2人は脱衣所へ向かい、お風呂に入るための身支度を整える。


詩音は自分の服を脱ぐ前に、響歌の脱衣を手伝った。

詩音が響歌のシャツを万歳で脱がせた時、響歌のツインテールを支える髪結びがシャツに引っ掛かって床に落ちてしまった。


「あっ、ごめんなさい響歌。…ねえこのヘアゴム、私の小学校の時に使ってたやつよね。新しいの買ってあげようか?」


オレンジ色のボール付きのそのヘアゴムは、ボールに輝きがなく使い古されているのが見て取れる。


「いや!これがいいの。これはお姉ちゃんからの大事なプレゼントなんだから」


響歌は詩音から庇うようにそのヘアゴムをガッチリと両手で掴む。


プレゼントとは言っても、詩音にとってはもう使わないからという理由でもあったのだが、響歌が大事にしてくれているのならそれは詩音にとってとても嬉しいことだった。


そのヘアゴムをタンスに大切にしまい、2人は一緒にお風呂に入った。


「あはは!ちょっ、お姉ちゃん、くすぐったいよ…!」


「ふふ。これぐらい我慢しなさい」


詩音が響歌の頭をわしゃわしゃと洗い、響歌がくすぐったそうにする。それでもとても楽しそうに笑い声を上げていた。


「それじゃあお姉ちゃん、仕返し…じゃなくて今度は私が洗ってあげね」


「私は自分で洗うから大丈夫よ」


「遠慮しなくていいよお姉ちゃん。ほら!」


「え、あ、ちょっ、やめなさい…!」


響歌が仕返しと言わんばかりに詩音の頭をわしゃわしゃと洗いだした。それに頭だけでなく脇も洗いだし、あからさまに反撃をしている。


詩音も楽しそうにしている響歌の手を払えるわけもなく、必死に笑いを堪えながらその攻撃を受け続けた。

結局そのあとは洗い合いっこというより、じゃれ合いのような感じで互いの身を清めた。


楽しいお風呂の時間を終えた後、今は詩音が響歌の髪を丁寧に乾かしている。


響歌は鏡の前で椅子に座りながら、とても陽気に鼻歌を歌っていた。詩音と一緒にお風呂に入れたのがよっぽど嬉しいのだろう。


髪を乾かし終え、その流れで歯磨きも終えた響歌は、お風呂ではしゃいだ反動が来たのかすぐに夢の世界へ旅立っていった。


一方詠心は響歌が寝ているその隣で、絵本を抱くように持ちながらソワソワしていた。

寝室は1つしかないため、4人とも同じ部屋で雑魚寝する形である。


「お待たせ詠心」


自身の髪を乾かしパジャマに着替えた詩音が、その寝室に極力音を立たせずに入ってきた。


「お姉ちゃん、早く早く」


「はいはい。まずは布団に入りなさい」


詠心が横になり、詩音が優しく掛け布団をかける。詩音もその横で肘をつきながら横向きで寝た。

そして詠心から絵本を受け取る。


「これ好きね詠心」


「うん!大好き!」


その絵本はこれまで100回近く読み聞かせをしており、詩音はもう余裕で暗唱できる。

詩音は飽きないのだろうかと思っているが、それでも詠心はいつも楽しそうに聞いてくれるため、話し手冥利に尽きるとその時間を楽しんでいた。


そして割とボリュームのあるその絵本のページをめくり、読み聞かせを始めた。


「金色のバラ」


「森の中に小さな家がありました。その家には二人の姉妹が、お母さんと一緒に暮らしていました。しっかり者の姉『ラン』と元気な妹『アン』は、とても仲良しでした。ある日の夜、アンはベッドの上で一人悩んでいました。『明日のお姉ちゃんへの誕生日プレゼント、どうしよう』アンは誕生日の時にランからバラの髪飾りを貰ったので、そのお返しがしたいのです。『あ、そうだ!明日森に行こう!』すると、アンが何かいいことを思いついたようです。森に行って何をするつもりなのでしょうか」


詩音は響歌を起こさないように小声で読みつつも、詠心に満足してもらうために精一杯読み聞かせをしている。

その声が心地いいのか、詠心はうとうとし始めた。


「次の日の朝、アンはランに内緒で一人で森に入って行きました。その森には昔からこんな言い伝えがありました。“森のどこかにある小さな泉の中には、金色のバラが咲いている”」


詠心はこのページに描かれている金色のバラを、半目の状態だがキラキラとした目で凝視していた。


「アンは必死で泉を探しました。蜘蛛の巣に引っかかっても、木の根っこで転んでもアンは諦めませんでした。しかし小さな泉は見つからず、とうとう夜になってしまいました。『どうしよう。ここどこだろう』しかもアンは道に迷ってしまったのです」


詠心はさっきよりもうとうとしだし、今にも瞼の重さに負けそうである。しかしこの先に一番のお気に入りシーンがあるため、なんとか必死に耐えている。


「アンが真っ暗な森に怯えていると、遠くに灯りが見えました。その光に近づいてみると、なんと金色に光った小さな泉を見つけました。『まさか、これは!』アンは迷わず泉の中に入っていくと、その真ん中に金色のバラが咲いていました」


詠心はお気に入りシーンの前に、ほとんど意識を手放してしまった。それでも完全に眠るまで詩音は読み聞かせを続ける。


「アンは大変喜び、金色のバラを引っこ抜きました。するとなんということでしょう、突然アンの足元からとっても大きな魚が大きな口を開けて、パクッとアンを飲み込んでしまったではありませんか」


詠心が大好きなとんでも展開を読んだところで、詩音は絵本をそっと閉じた。そのシーンの絵はポップに描かれているため決して怖いものではないのだが、なぜ詠心が好きなのか詩音は不思議に思っている。


そして詠心は、大体このシーンで寝てしまうのだ。

詩音は詠心の掛け布団をそっと直し、小さくおやすみなさいと呟いて寝室を出た。


詩音はその足のままベランダに向かった。

ベランダに出るとスリッパがないことに気づく。そしてふと横を見ると、サッカーボールを抱き抱えた律がキャンプ用の椅子に座っていた。


「…こんなところで何してるの?」


自分の後にお風呂に入りに行った律がもう上がってベランダにいることに、詩音は驚き一瞬言葉を詰まらせた。


「……別に」


律はサッカーボールに顎を乗せ、詩音から目を逸らす。因みにこのボールは公園で男にぶち当てたものだ。


「…もう寝なさい。風邪ひくわよ」


「……うん。おやすみ」


意外にも律はすんなりと受け入れ、ボールを持ったまま寝室へ向かっていった。

さっきまでサッカーを見て狂喜乱舞していた様子とはかけ離れた塩らしさを見せ、詩音は首を傾げた。


律が寝室に入ったのを見送った後詩音は戸を閉め、さっきまで律が座っていた椅子に腰をかけた。

そしてポケットからスマホを取り出し、ある人に電話をかけた。


「もしもしお母さん。…元気?」


その相手は詩音たちの母親だった。


「元気よ詩音。いつも電話ありがとね」


包容力のある優しい声が受話口から聞こえてくる。しかしその声はどこか弱々しさを感じた。


「…まだ退院の目処はたってないの?」


なぜ詩音の母が家にいないのか。それは仕事で遅くなっているわけではなく、今入院中だからである。


「そうね、まだいつ退院できるか分からないわ…。…入院してからもう2週間くらいかしら…。ごめんね詩音、いっぱい無理させているわよね」


「ううん、私は大丈夫だよ。だからお母さんは心配しないでゆっくり休んでね」


とは言っても今まで母と分担していた家事をほぼ一人でこなしているので、普段よりも疲れは溜まっているだろう。しかも、高校生という新しい環境もさらに詩音に疲労を与えている。


「…本当にありがとうね。とても頼もしいわ。でも無理はしないでね」


それでもそれを表に出さない詩音に、母は察しながらも感謝の意を示した。


「…ところで、律と響歌と詠心の様子はどう?元気にしてる?」


「うん、みんな変わらず元気だよ。でも、響歌と詠心はいつも以上に甘えてくれてる…かな」


母に甘えられない分、それが詩音に向けられているのだろう。


「ふふ、可愛いわね。…律はどうなの?」


「律は……」


そこまで言って詩音は本音をグッと押さえ込み、別の言葉を選ぶ。


「…いつも通り元気にはしゃいでいるよ」


「…律に何かあったの?」


詩音が言葉を詰まらせたのは本当に一瞬。

それでも母は詩音の様子を敏感に察知した。


「…何もないよ。ただ、いつも通りすぎて呆れただけ」


「……そう」


自分のために嘘をついている。

母はその詩音の思いやりを汲み取り、それ以上追求はしなかった。


「…もう一度言うわ詩音。絶対に無理はしないでね」


念を押すように少し語気を強める。

ただ、詩音に無理させているのは自分のせいだと思っているので、母は申し訳ない気持ちになっていた。


「うん。…ごめんお母さん、もう眠くなってきたからまた次の土曜日に話そ」


「そうね。楽しみに待ってるわ」


詩音は27日の土曜日に兄弟みんなで母のいる病院に行く予定を立てていた。


「うん。じゃあ私もそろそろ寝るね。おやすみお母さん」


「おやすみなさい、詩音」


詩音は少し間をおいて通話を切った。

そしてベランダの格子に身を預け、夜空を眺めた。


「…はあ。律の様子は明らかにおかしいんだけど…お母さんに心労をかけるわけにはいかないわよね…」


律はいつもやんちゃな感じだが、ここ最近はそのトゲがいつもより鋭いと詩音は感じていた。ただ、どうすればいつもの律に戻ってくれるのかは、詩音には分からず一人頭を悩ませていた。


「お母さん…早く帰ってきて…」


つい本音がもれ、咄嗟に口を押さえる。

自分が弱気になってはいけない。自分が家族を守るんだ。


「今までお母さんに無理させてた分、私が頑張らなきゃ」


詩音は自分にそう言い聞かせ、家族が寝ている寝室に向かった。







挿絵(By みてみん)

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