#6 せめてもの…
──校舎を徘徊する人体模型の噂の真相を解明した翌日。
海凪は自転車や歩きで登校する生徒たちに混じり、昨夜何事もなかったかのように時間に余裕を持って登校していた。
昨夜の出来事が嘘みたいに学校は活気に満ちており、もちろんのことながら昨夜入り乱れていた校舎の構造も、海凪の右手首に巻かれている鎖の長さも元通りである。
そして海凪は昨夜経験した、入り乱れた校舎に混乱することなく、迷いのない足取りで中校舎に入っていった。
「深代くん!」
そんな海凪の背後から、女性の呼ぶ声がした。
「どうかしましたか?…ってあなたは確か同じクラスの…」
振り向くや否や、見覚えのある顔を捉える。
「うん。同じクラスの空橋七葉です。よろしくね」
その女子生徒、空橋七葉は首を少し横に傾かせ、ニコッと微笑んでみせた。その優しい笑顔に反応したのか、そよ風が吹き、彼女の美しく長い黒髪を優しくたなびかせた。
七葉は、自覚はないが1年で最も人気のある女子生徒と言っても過言ではない。その美貌も性格も1ヶ月足らずで皆んなから愛されている。
「深代海凪です。こちらこそよろしく」
「うん!それで、海凪くん…」
海凪に何かを伝えようとしているが、七葉はなぜか少し躊躇っている。
その間はどこか青い春を感じさせた、が…
「教室、そっちじゃないよ?」
「……あっ」
全くそんなことはなかった。
「他の用事があったのならごめんね。でももしかしたら転校してきてまだ覚えてないのかなと思って」
校舎を間違えたのは事実だが、その原因はそうではない。
「いや、ちゃんと間違えた。教えてくれてありがとう」
ただ、昨日中校舎に入ったら1年1組の教室があって、なんてそんなことを馬鹿正直には言えない。
自信満々で中校舎に入って間違えました、なんて言えない。
「良かった。それじゃあ一緒に行こっか!」
海凪と七葉は肩並べて、北校舎にある自分たちの教室へ向かった。
教室に入り、お互いに手を振ってそれぞれの席へ向かった。海凪は席に向かう途中、周りからの鋭い視線を感じた。
「おはよう龍。どうしたそんなに睨んで」
龍も例に漏れず、海凪に鋭い視線を向けていた。
「おはよう!って、どうしたもこうしたもなんで海凪が七葉ちゃんと一緒に登校してきたんだ!」
海凪に嫉妬の感情をぶつけつつも律儀に挨拶を返すあたり、龍の実直さが窺える。
「なるほど…。ただ迷子になってたところを助けてもらっただけだ」
視線を感じた理由を察する海凪が、ありのままの事実を説明した。
「あー、なるほど。昨日校舎ぐっちゃぐちゃだったもんな」
海凪と同じ経験をした龍は、海凪が迷ったことに納得した様子だ。
「でもよ!ずるいぜ海凪!俺も七葉ちゃんと一緒に歩きてえ!喋りてえ!」
ただ、そっちの納得はしてないらしい。
「話しかけたらいいんじゃないか?」
「そんな簡単にできたら苦労しねえよ」
「なるほど。可愛すぎて緊張するとか?」
「そ、そうだよ…悪いかよ……」
図星を突かれて少し狼狽える龍。美女が好きな龍だが、いざ美女を目の前にするとどうにも緊張するらしい。
「可愛いな龍は」
「嬉しくねえ!」
「じゃあヘタレ」
「おい悪口!……それに昨日の先輩に名前と連絡先聞くのも忘れてたし…」
はあ、と小さくため息をこぼす。先輩というのは昨夜海凪たちと行動を共にした女子生徒のことだ。
龍は同学年の全女子をすでに把握しているため、名乗られずとも先輩だと分かった。
「でも、褒めてもらえたし…!」
落ち込んだかと思えば、鼻の下を伸ばし悦に入っている。海凪は、その変化の激しい龍の表情を見て楽しんでいた。
「あんたたち、いつの間にそんなに仲良くなったのよ」
名前で呼び合って談笑している2人を見て、読書をしていた詩音がその輪に入ってきた。
「ま、色々あってな」
「なんでそんな誇らしげなのよ」
「だってすごい体験したからよ。いやーすごかったなぁ。あれは絆深まるなぁ」
龍は腕を組みうんうんと頷きながら、チラチラと詩音を見ている。
「はあ。どんな体験をしたのよ」
その意図を察して詩音は仕方なくそれに乗っかった。
「いやー、それは教えられねえな」
「……はい?」
嬉々として語ってくると覚悟していた詩音は、龍がその真逆の態度をとったことに驚き眉を顰めた。
「これに入ってくれたら教えてやるぜ!」
そう言って龍が取り出したのは1枚のB4の用紙。そこには“都市伝説調査部部員募集中!!”と大きく書かれていた。
都市伝説調査部。昨夜、龍と海凪が立ち上げ、学校から部活動として認められるために部員5人以上を目指している活動だ。
ただ活動自体は危険だという海凪の判断のもと、海凪と龍の二人が実働部隊として動くつもりでいる。
昨日の今日で龍はすでに勧誘用のポスターを作っていた。とは言ってもデザインはとても褒められたものじゃないが。
「はあ。じゃあいいわよ」
「なんでだよ!昨日何があったか知りたくねえのか?」
「別にいいわよ。そんな部活に入るくらいなら」
「そんなってなんだよそんなって!」
「くだらないって意味よ」
「なんだと!」
側から見ればケンカしてるように見えなくもないが、詩音と龍が言い合ってるのは割と見かけるので、周りのクラスメイトもすでに慣れたもので特に気にしていない。また痴話喧嘩が始まったとの声も聞こえる。
「龍、無理に勧誘するのはやめておこう」
「……まあ、そうだな。それよりこのポスターどっかに貼りにいこうぜ!」
「おっけー。悪いな橘さん」
海凪は謝罪の合図として手を顔の横に挙げ、龍と一緒に教室を出て行った。
始業までまだ10分ほどあるため、チラシの掲載場を探すには十分余裕がある。
詩音は海凪に小さく手を振り返し、本の世界に戻っていった。
「ところで、足大丈夫か?」
目的地の掲示板に向かっている途中、龍はずっと足を引きずっていた。昨夜の捻挫がまだ響いているようだ。
「昨日よりはだいぶマシになってっからそのうちに治ると思うぜ」
「それは良かった。何か困ったことがあったら言ってくれよ」
「おう!サンキュ!」
雑談をしているうちに、目的地である掲示板前に到着した。
そして龍は、自作のポスターをセロハンテープで堂々と中央に貼り付けた。
因みに、ここの掲示板は誰でも自由に使っていいスペースなので、勝手に貼るのは問題ない。内容は置いておいて。
「よし、これで完了!入部希望者来てくれっかな?」
「どうだろな。まあ、まずは知名度と信頼度をあげないとな」
そのポスターには、メンバー募集と同時にそれと同じくらいおっきく“不可解な事件、我々が解決します!”という強気の宣伝をしている。
メンバーを集めるには、まずはみんなに知ってもらい信頼されることが大切だ。
「…そういや気になってたんだけど、海凪って過去解決した都市伝説の魂術ってやつを使えるんだよな。昨日の人体模型はどうだったんだ?」
魂術とは、都市伝説として広まったその現象を引き起こした死者の魂が持つ、生前の何かに由来した、人知を超えた力のこと。
「使える、というより使ってもらえるってのが正しいかな。魂術は俺が強制的に使わせるわけではないんだ」
「そうなのか。それで、どうやって使ってもらうんだ?」
「まず、俺は一度成仏した惹起魂をもう一度この世に呼び戻すことができる。そして、魂術を使ってもらうには2段階の過程を踏まないといけいない。まずは俺の呼び出しに応えてくれるかどうか、次に魂術の使用を許可してくれるかどうか」
海凪自身は丁寧に説明したつもりだが、龍はいまいちイメージしきれていないようで頭を捻っている。
百聞は一見にしかず。そう思った海凪は周りに誰もいないことを確認し、実践してみせることにした。
「鎖姫さん」
呼びかけた後、海凪が右手の鎖に唇を落とす。
「はいは〜い」
海凪が呼び出して間も無く、昨夜にも聞いた間延びした女性の声が鎖から聞こえてきた。
「これが呼び出しに応えてくれた状態だ」
「今回はなんの用?特に急を要する感じでもなさそうだけど。あ、もしかして私に抱きついてほしいの?仕方ないなぁ〜」
鎖姫は有無を言わさず、昨夜同様に鎖を伸ばし、海凪の身体に巻き付いた。
「…まあ、鎖姫さんの場合は、自由に魂術を使うが。ここが、俺が魂術を使ってくれとお願いするフェーズだ」
「な、なるほど…」
龍がその光景を見るのは2度目だが、一夜経って冷静になったのか、やはり非現実的な光景に言葉を詰まらせていた。
「ごめん鎖姫さん。今日はもう帰ってくれないか?」
「ええ〜ん。呼び出し早々それはひど〜い」
「ごめん。また今度埋め合わせはするから」
「ほんと?…まあ、仕方ないかぁ。じゃあまた今度ね坊や。ばいば〜い」
鎖姫が別れの挨拶をすると、鎖は海凪の右手に収まり、微動だにしなくなった。一方の龍も、まだ固まっていた。そんな龍の意識を引き戻すためにも、海凪は話を戻した。
「それで、人体模型はどうかって話だったな。結論はまだ分からないな。昨日の今日でまだ会いに行ってないから、呼び出しに応えてくれるかも分からない。…そういや今日物理の授業あったよな。行けたら行ってみるか」
「…そうだな。ちょっとこえぇけど…。行ってみるか…!」
昨夜の恐怖よりも好奇心が勝った龍。2限目の物理の授業を楽しみに、2人は肩を並べて、ゆっくり教室に戻った。
…いや、戻ろうとしたのだが、1人刺客が目の前に現れた。
「随分と自信たっぷりなポスターだな」
「げっ、委員長…」
海凪たちのクラス委員長である浅香晃大が、ポスターを冷やかしに来た。
「そんな宣伝したところで誰も入部なんてしないぞ。それに、この世に謎めいた事件なぞ存在しない」
晃大は身体を半身に構え、メガネのブリッジを人差し指でクイッとあげた。その様子を見た二人は何かを思ったのか、互いに目配せをした。
「赤い蝶ネクタイして身長縮んだらかっこいいのにな」
「浅香くん、カプセルのむ?」
「張り倒すぞ」
3人の頭の中に思い浮かぶ、1人のちっちゃな名探偵。
その冗談に対して晃大は、目を鋭くさせた。
「悪い悪い。…それで、浅香くんは入部してくれるのか?」
「なんでそうなる。スペースの無駄だから剥がせと言いに来たんだ」
「別に自由だしいいだろ!」
「ダメだ。剥がせ」
どうしても都市伝説を否定したい晃大。そんな風に感じた海凪は、その強い意思に疑問を抱いた。
「どうしてそんなに都市伝説の存在を否定したいんだ?」
「…否定したいとかそういうことではない。ただ実在しないのだから否定するのは当たり前だろう」
「……そうか」
嘘をついている。そう確信した海凪だったが、それ以上は追及しなかった。
「とにかくそのポスターは剥がす」
「…ま、コピーあるしいっか」
「…それと瓦。お前には約束通り罰ゲームを受けてもらうぞ」
「証明できない前提かよ。まあその通りだけど」
龍と晃大は、龍が校舎を徘徊する人体模型が実在することを証明出来なかったときに、罰ゲームを受けるという約束をしていた。
「なら放課後、授業が終わったら教室に残ってくれ。やってもらう罰ゲーム…というか作業はその時に話す。じゃあな」
晃大は、龍のポスターを剥がして教室に戻っていった。…いや、超丁寧に剥がして、と付け加えるべきか。
その様子を見て、再び海凪は晃大に対して疑問を感じた。
(昨日食堂で会った時も、何も買ってなかったよな。それに、こんな時間にわざわざ中校舎にいるなんて…)
「…浅香くん、龍のことめっちゃ好きじゃん」
「「はぁ!?」」
堂々と歩いて行った晃大は、その言葉に勢いよく振り返り龍と言葉を被せた。
その後、龍と晃大が始業まで言い合ったのは言うまでもない。
2限目が終わり、皆が教室に戻ろうとしている中、海凪と龍はコソコソと物理準備室に入って行った。
「バレたら怒られるなこれ…」
「その時はその時だ」
意外にも海凪の方が楽観的で、堂々と部屋の中を闊歩していた。
昨夜とほぼ変わらない内装だが、明るさからか不気味さは一切感じない。
「…因みに呼び出しって、俺がやっても応えてくれるのか?」
「それは多分無理だ。死者の魂とコンタクトを取れるのは今のところ俺以外見たことがない」
その発言に、さらに海凪に対して謎が深まる龍。しかし龍は海凪の表情を見てなんとなく深掘りすることが憚られ、そうか、と返事だけして追求はしなかった。
そのまま2人は目的の場所へ行く。とは言っても物理準備室はそこまで広くないので、もう視界には入っている。
──そして正面に捉える人体模型。
昨夜、都市伝説を解決した後海凪が元に戻したのだが、その位置と全く変わらないところに人体模型はいた。
もちろん微動だにせず、瞳からも正気を感じない。間違いなくただの人体模型だ。
とは言っても昨夜のトラウマは残っているのか、龍は及び腰の状態で海凪の後ろに隠れている。
「…帰るか?」
「…いや、大丈夫だ…」
それでもやはり好奇心の方が勝つようで、龍は視線を人体模型から離さずに残ることを決めた。
「それじゃあ、呼んでみるぞ」
ゴクリと龍の生唾を飲む音が聞こえた。
海凪は一度間を取り、人体模型の方に手を置き…
「船本隆さん」
魂を呼び出した。
……
…
流れる沈黙。
「…何も、起きねえな…」
「…だな。ま、応えてくれない時もある。むしろその方が多い」
「すまない。反応が遅れてしまった」
「はぇあっ!!」
あまりに自然に会話に入ってきたもう一つの声に、龍は素っ頓狂な悲鳴をあげた。
「おっと。驚かせてしまったな、すまない。……ま、昨日はそれ以上に酷いことをしてしまったが…」
「昨日の夢以来ですね船本さん」
「…あんたか、夢の入り口をオープンにしてくれていたのは。…ありがとな昨日、恥だらけの人生を見てもらって」
「いえ。あなたの人生を少しでも知ることができて嬉しかったです」
目の前に広がる異質な光景、海凪と人体模型が話しているその光景だけでも龍はまだ飲み込めずにいるのに、さらに意味不明な会話のせいで、龍は先の人体模型のように固まっていた。
どうやら海凪の呼び出しは成功していたようだ。
「ところで、そこの…龍くんと言ったか。昨日はその、申し訳なかった…」
「…え、あ、いえ、大丈夫っす!元気っす!」
いきなり人体模型に頭を下げられ、自分でも何を言っていいいのか分からないままとりあえず反射的に言葉を発した。
しかし、突然ターゲットが自分に来たことで昨夜のことを思い出したのか、一瞬狼狽えた龍は踏ん張ったために、捻挫している足に痛みが走り、顔を顰めた。
「その足…。昨日のことはあまり覚えてないのだが…もしかして俺のせいか…?」
「あ、いえ……」
「すまないな…。本当にすまない。…また俺は、人の足を引っ張るような真似を…」
昨夜、海凪の夢の中で船本が言っていた、他人の足を引っ張るようになったという言葉。
その詳細は見ることができなかったが、おそらくこれがエネルギーを吸収するような魂術に現れたのだろうと海凪は考えていた。
「大丈夫っすよ!何があったのか知らないっすけど、とにかく俺は大丈夫っす!」
深々と頭を下げる船本を見て、龍は感じた。目の前にいるのはただの人だと。
そう思った瞬間恐怖は吹き飛んだのか、純度100%の笑顔で右手を差し出した。
船本は思った。こんなにも真っ直ぐな眼差しを持って人生を歩めていれば……。
「…ありがとう、龍くん」
船本もその右手を握り返した。
「──えっ…」
その瞬間、龍は右足に違和感を覚えた。そして海凪たちも視覚的にその違和感に気づく。
なぜか分からないが、龍の右足が仄かに光っているのだ。
「な、なんかやってしまったか…!?」
慌てて手をひく船本。それとは対照的に龍は落ち着いていた。というよりむしろ何か信じられないといった顔である。
そして徐に歩き始める。それも怪我人とは思えないほどに、ごく普通に歩いていた。
「…俺の足…治った……」
龍のぼそっとこぼした言葉に、龍本人含めて全員驚きのあまり言葉を詰まらせた。
キーンコーンカーンコーン♪
その沈黙を破るようにチャイムが鳴り響く。
「やば、もう3限始まってしまったな」
いち早く現実に戻ってきた海凪が、授業に間に合うことを諦めたように事実だけを述べた。
「…とにかく良かった!治って良かったぜ!あざっす船本さん!」
相変わらず深く考えすぎない龍は、ただ自分の足が治ったことを喜び、海凪と一緒に出口へ向かった。
「じゃあまた会いましょう!昨日のことはもう気にしないでください!」
龍は足が治ったことがよっぽど嬉しいのか、海凪を置いて走って去っていった。一方海凪は扉の前で立ち止まり、再び船本に対して体を向ける。
「また一緒に走りましょう。全力で」
船本に向かって笑顔を向けた海凪は、静かに扉を閉めて教室へ向かった。
物理準備室に一人取り残された人体模型。
無音であるはずのその空間に、小さな音が小さくこだました。
「──ありがとう」