#2 第一の噂「校舎を徘徊する人体模型」② ~遭遇~
──午後7時40分。赤青高校正門前。
「何回来ても慣れないな」
校門の外から校舎を見つめて、一人呟く龍。結局、海凪の忠告を無視して校舎を徘徊する人体模型の噂の真相を暴くために、夜の学校へやって来た。
過去何度か夜の学校に侵入したことがある龍だが、その不気味さには耐性がついていないようだ。
月明かりも雲に遮られ、龍を照らす光は街灯のみ。
両手で抱くように体をさすりながら、忍足で学校に侵入する。まだ校門は開いているため、入るのは容易だ。
そして目的の物理室(物理室の中に物理準備室がある)がある中校舎に足を踏み入れる。
「流石に怖えな…」
龍は今まで夜の学校に来ても校舎に入ることはなかったため、音も光もほぼない校舎に足を踏み入れた瞬間、一人で侵入したことを若干後悔した。
おそらく夜の学校というだけではそこまで怖くないのだろうが、龍は都市伝説を信じてるが故に余計怖さが増している。
へっぴり越しになりながらも、校舎の中を歩いていく。
「今からでも帰るか、…いやいや!都市伝説の存在を証明してやるんだろ俺!しっかりしろ!」
恐怖に怖気付きそうになるも、なんとか自分を奮い立たせて歩みを進める。
中校舎3階、お目当ての物理準備室へ向かうため、階段を静かに上がる。1階でも2階でも念の為廊下を覗いて様子を確認したが、吸い込まれそうな暗闇に怖気付き、しっかりとは確認できていない。
「よし、着いた…」
いつもより体がこわばってるせいか、階段を登るのに変に力が入り、少し息切れを起こしている。
「こっからどうしよう…。何も考えずに来ちまった」
物理室の前で肩を落とす。目的地に着いたはいいが、物理室に入るための鍵は持ち合わせてはいない。
「いったん別の校舎に行くか…」
龍の考える人体模型は校舎を徘徊しているため、用務員のように校舎内をくまなく歩きまわる必要があるだろう。
龍は南校舎に行くために踵を返し、階段を降りていく。
──2階に降り、渡り廊下を渡ろうとしたその瞬間、視線の先になにかをとらえた。
渡り廊下の先の、南校舎の角から何かが出ているのを視認する。
「なんだ、あれ…」
自然と重心は低くなり、警戒するように顔だけ突き出して目を凝らす。そして、暗闇に慣れてきた目が、その輪郭をはっきりと浮かび上がらせた。
「人の手だ!人が倒れてる…!」
その物体を、人の手だと気づいた瞬間、龍は走り出していた。さっきまでの及び腰はどこへやら、今、龍の頭の中はそこにいるであろう人への心配で埋め尽くされていた。都市伝説のことなど、すっかり忘れている。
渡り廊下を抜け、南校舎の廊下に足を踏み入れると、そこには制服を身に纏った女子生徒が倒れていた。
「おい!大丈夫か!?」
体をゆすり、大きな声をかけるも全く反応を示さない。無情にも声が廊下に響くだけだった。
「やべえ、どうしよう…」
このような緊急事態に何をすればいいのか龍には全く知識がなかった。
「くそっ!」
そんな自分を責めながらも携帯で救急車に連絡しようとする。
しかし…
「は!?圏外!?」
意味がわからない。困惑が龍の頭を支配し、完全に動きが固まった。
それもそうだ。街中にある高校の敷地内で圏外なんてあり得ないだろう。混乱するなと言われても無理がある状況だ。
「…よし!とりあえず動け!」
しかし、考えすぎない龍の性格が幸いしたのか、一度自身の頬を強く叩くと、龍はその女子生徒をバッグと共におぶり、すぐ近くにある階段に向けて歩き出した。
「もう少し待っててくれ…!」
物理的に見ると確実に重量は増えているのだが、龍の足取りは校舎に入った時よりも軽いように見えた。ただ助けたい一心で、龍は力強く歩みを進める。
「──ミツケタ」
しかし龍の思考は一瞬にして現実に引き戻された。非現実的な声によって。
「何だ今の声…!」
声のした方を振り返る。明らかに人じゃない声色、声質だと本能的に理解した。
視線の先、わずかに人の輪郭を捉えたが、はっきりとした外見はわからない。早く姿を見たいのに、体はジリジリと後ずさる。
しかしその思いは幸か不幸か叶うことになる。その物体が龍に向かって走ってきたからだ。
「うっそだろ…!」
龍にとっては願ってもない正体。しかし今は絶対そうであってほしくなかった相手。
──人体模型が龍目掛けて一直線に走ってきた。
「ハハハ」
乾いた足音を鳴らしながら、無機質な表情で迫ってくる。いや、明らかに襲ってきている。そう感じた龍は体を反転させ、走り出す。
しかし、ほぼ倍の体重、異常な状況に龍の体は言うことを聞かなかった。
「──っ!!」
足首を捻り、その場に倒れ込む。何とか女子生徒の頭を支え、地面に強打するのを免れたが、龍の足首は言うことを聞かない。
そんな状況でも人体模型は待ってくれず、不気味なほどに綺麗なフォームで龍に肉薄する。
「お、おい!待て待ってくれ…!」
女子生徒を庇うように抱き抱え、這いつくばるように後ずさる。しかし互いの距離は縮まる一方だ。
そしてはっきりと見える人体模型の全体像。
剥き出しの内蔵、半身だけ皮膚のない姿が龍の恐怖心をさらに掻き立てる。
「頼む頼む来んじゃねぇー!!」
どれだけ拒絶しても人体模型の足は止まらない。ついに目前まで迫り、筋肉むき出しの手が目の前に伸びてくる。
深代の言いつけを守っていれば──
そんな後悔が頭をよぎるも、もう遅い。
「くっ……!!」
死を覚悟した龍が目を瞑る。
「ツカマ──」
「瓦くん!」
その声にハッと目をあけた龍の視界には、人体模型の頭頂部が映った。
龍が倒れてた近くの階段から駆け上がってきた海凪が、2人を抱えて人体模型の上を飛び越えたのである。
「深代!」
海凪は2人を抱えたまま廊下を走り抜ける。その速さは抱えてる2人に体重がないかと思わせる。
「深代!深代!ありがとう…!」
「よく泣くな、瓦くんは」
龍は恐怖からの解放と、歓喜で濡れた目をゴシゴシと擦っている。
「とりあえず一旦、外に出るぞ」
海凪は反対側にある階段を降り、校舎外へと向かった。
「…ショウブ、ホンキ、ハハハ」
ぐりんっと首を後ろに向けた人体模型が、低くて無機質な声でそう呟いた。
「ありがとう深代…!そしてごめん!!」
海凪の忠告を無視して、そして実際危険な目にあった上に助けられたのだから、龍は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「いいよ。俺の方も言い方が悪かったな、ごめん。とにかく瓦くんが無事でよかった」
「くうっ、かっけえ…!」
怒られると思っていた龍にとっては、海凪の対応がとても紳士的に見えて感激した。
「それに瓦くんのおかげでこの女性が助かったんだ。ありがとう」
「そ、そうかな……って、助かるのか彼女!?」
「ああ。呼吸も脈も安定してるし、外傷もない。おそらく気を失ってるだけだから、急を要する容態ではないな」
「そ、そうか。よかった…。てっきりすぐそこまで死が迫ってるものだと…」
恥ずかしそうに頭をぽりぽり掻く龍。意識の確認しかしていなかったため、龍は盛大に勘違いしていた。
──瞬間、海凪の足がぴたりと止まる。
「…どうした?」
「まずいな…」
海凪が眉を顰めながらそう呟く。その様子を見て、明らかに良くないことが起こっていると龍もはっきりと分かった。
「今、階段を降りたよな」
「えっと…そうだな」
当たり前の問いに首を傾げる龍。しかし、“違和感”には気づいていないようだ。
「あれを見てみろ」
「えっ…。4、階…?」
海凪の指差した先にある壁には、4の数字が刻まれていた。普通、2階から1回階段を降りたら、校舎の出口が見えるはずだ。
「それに窓も開かない」
「うわっ!ほんとだ…!」
海凪に続き龍も鍵を開けようとしてが、びくともしなかった。
「完全に閉じ込められたな」
「えっ!?…閉じ込められたって…どういう」
完全に混乱した龍が、海凪に問いかける。
「…少し、話そうか」
それを聞いた海凪は、周りを確認した後近くの教室に入り、龍と女子生徒を座らせて説明をする体勢を整えた。
「じゃあ早速本題に入るが…まず、瓦くんに気をつけてほしいことが一つある」
一度間を取り、今から話す内容の重要性を強調する。
「これから話す話は、俺の経験に即した話だから、鵜呑みにはしないでくれ」
自分の話に専門的な知識はない。真実かもわからない。そう自覚をしているが故の忠告だ。
「わ、分かった……」
海凪は人体模型の存在を警戒すべく周りを確認し、話を続ける。
「簡単に言うと今、この校舎はやつの魂の中だ」
「……魂の中?」
「ああ。そもそも俺たちの言う都市伝説ってのは、未練や恨みを持った死者の魂が生み出した現象だ。この魂を俺は惹起魂と呼んでいる」
海凪の口から告げられる都市伝説の実態。
今まで都市伝説について、そこまで考えてなかった龍にとってはキャパオーバーの情報だったようで、理解が追いついていない。
「…とりあえず俺たちが今すべきことは、人体模型に宿る死者の魂、惹起魂の未練、若しくは恨みを解消することだ」
それを見計らって、海凪は今自分たちがすべきことをでくるだけ簡潔に述べる。
「…よし!よく分からねえけど分かった!」
今は深くは考えまいと龍は激しめに頷いた。
「…けどよ、どうやって未練とか恨みとか知るんだ?」
「さっきも言ったがここは人体模型さんの魂の中だ。恐らくどこかにヒントが転がってるはずだ」
「な、なるほど…」
「まずは物理準備室に行こう。そこにあった人体模型に魂が宿ってるなら、その近くにヒントがあるかもしれない」
「よし!って…!」
意気込みを持って立ち上がった龍だが、自身が足首を捻っていたことを忘れており、その痛みにやられてドスンと椅子に座りなおすかたちになった。
「大丈夫か?」
「ちょっと、やべえかも…」
「無理するな。ほら」
海凪は龍の前で膝をつき、おぶる体勢を取る。
「わりいな。でも彼女はどうすんだ?」
「それも問題ない」
海凪は龍をおぶった後、女子生徒をいわゆるお姫様抱っこで持ち上げた。
「すげー…。ちょー力持ちじゃねぇか!」
「よし、行くぞ。ちゃんと捕まっててくれよ」
腕のリーチ的に龍の脚には片腕しか絡められなかったので、あとは龍の腕力に任せるしかない。
2人がしっかりとバランスを取り合った後、物理準備室へ向かった。