#13 第二の噂「異界へ続く滑り台」④ 〜忘失〜
海凪の頼みを拒み店の外に出た虹花は、近くの河川敷へ向かった。そこではランニングをする者、草むらで寝そべる者、犬の散歩をしている者、様々な人間が自然に癒されながら過ごしていた。
そんな人たちに混じって、虹花は気の向くままに歩いた。
本人は一人で散歩しているつもりだが、客観的に見れば2人で散歩しているように見える。
なぜなら
「…いつまで付き纏うつもり?」
「虹花さんが話してくれるまでです」
海凪が許可なく虹花の横を歩いているからである。ただ、虹花は明確に拒否もしておらず、話しかけはしたものの、海凪をいないもの扱いしてるように見えた。
「おっ、虹花ちゃん!奇遇だな!」
無言のまましばらく歩いていると、目の前からやってきた中年の男性が虹花に声をかけた。
「あら、小森さん。お疲れ様です」
帽子を被り、首にタオルをかけてランニングをしていたその男性は、どうやら虹花さんの知り合いらしい。
「ありがとう。この間話した日課のランニング、まだ続いてるぜ」
「そのようですね。3日坊主で終わると思っていましたが」
「ふっ、俺の根性舐めちゃいけないよ。それで、虹花ちゃんはこんなとこで何してんだい?」
「営業前の暇つぶしに散歩しているんです」
「お、インドア派の虹花ちゃんにしては珍しいな」
「今日はそういう気分だったんです」
「そうかい、それはいいことだ。…ところで、隣の方は?」
小森と呼ばれたその男性は、人当たりのいい顔で海凪を見た。
「初めまして、深代海凪と申します」
「おっと、そんなに畏まらなくてもいいぜ。俺は小森ってんだ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
2人は握手を右手で交わす。そしてやはり視線は鎖へ。
「この鎖はファッションなので気にしないでください」
「そうかい。悪いな、最近の若者の流行りには疎くて」
海凪の鎖はトレンドの外側なのだが、敢えて言う必要もないと思い海凪は流した。
「ところでその制服って、確か七葉ちゃんとこの…」
「そうです。七葉さんは同じクラスの友達ですよ」
「お、やっぱりか。羨ましいなあ。七葉ちゃんはぜひうちの愚息の嫁にした……って冗談冗談…!」
冗談混じりにそんなことを言いかけた小森に、虹花が鋭い眼光で睨みつけた。近くにいる犬の毛が逆立ったほどにその眼差しは鋭かった。
「…じゃあ私はこの辺で帰ります。小森さん、また後でじっくりお話ししましょう」
「は、はい…」
貼り付けたような虹花の笑顔に小森の冷や汗は止まらなかった。一方、海凪は後でという言葉に引っかかる。それまでの2人の会話からも察するに、小森はバーの常連さんかもしれないと海凪は考えた。
ただ、そんなことを考えている場合ではない。海凪は小森に一礼をし、虹花を追いかけた。
しかし…
「…深代くん、これ以上のヒントは無しよ」
虹花の意味深な言葉に海凪の足は止まった。
そして再び考える。
(自分がついて行ったことに強く拒否を示さなかったこと、小森さん曰くインドア派の虹花さんがわざわざ外に出たこと、そして小森さんが常連だと仮定すると…)
海凪は踵を返し、水を飲んでいる小森のもとに戻った。
「小森さん、少しお時間いただけないでしょうか?」
「あれ海凪くん、帰ったんじゃないのか?」
「すみません、小森さんに少し聞きたいことがありまして」
「お、なんだ?何でも聞いてくれ」
「座ってお話ししても?」
「オッケー。ちょうど俺も休憩したいと思ってたとこだ」
小森は快く受け入れ、2人は近くのベンチに座った。
「それで、話って何だい?」
「突然で申し訳ないですが、小森さん…異界へ続く滑り台っていう都市伝説、知っていますか?」
その言葉に目を見開く小森。口へ運ぼうとしていたペットボトルが唇に触れる寸前で止まった。
その反応を見て海凪は、虹花が都市伝説のことを聞いたのは、この人だと確信する。
「…それ、誰から聞いたんだい?」
「学校で噂になっていまして」
確信したが、虹花の守った守秘義務をここで漏らすわけにはいかなかったので、それっぽい嘘をついた。
「なるほどな…。やっぱりあいつの言ってたことは本当なのか…」
空を見上げながらポツリとそんなことを漏らす。突然、求めていたような話が聞けそうになり、海凪の顔はぎゅっと引き締まった。
「あいつ、とは?」
「…先月くらいかなぁ…風の噂で“異界へ続く滑り台”っていう話を聞いたんだよ。最初はなんだそれって感じで気にも留めてなかったんだけど、2週間前ぐらいに俺の知り合いが突然こんなことを言い出したんだよ。『息子が公園で消えた』ってな」
(…惹起魂に直接関わる話ではなさそうだが、別の被害者の話を聞けば、異界に行くためのトリガーとなる感情が分かるかもしれない)
龍に話した、惹起魂(都市伝説の現象を引き起こす死者の魂)の生前を探るというのは理想の話で、それよりも海凪は異界に行くことを最優先としていた。
「それを聞いた瞬間は何か怪しい宗教にでも勧誘されるのかと思ったよ。だが、その場であしらうことはできなかった。だって、そんぐらいそいつの顔が真剣だったから。高校からの腐れ縁だけど、嘘つくの超下手だからなぁ」
話をしながら小森の表情も段々と暗くなっていく。それはいまだにその子供が帰ってきていないことの証明だ。
「っと悪いな高校生相手にペラペラと話して」
「いえ、むしろありがとうございます。…それと、もし宜しければその人と会って話を聞きたいのですが」
「なんだい?探偵ごっこかい?」
「本物の探偵ですよ、都市伝説限定の」
海凪は冗談半分、本気半分で自称した。そんな海凪を見て小森は逡巡したのち、スマホを操作し始めた。
「…それは頼もしいな。…ほら、連絡先」
小森はQRコードの画面を見せ、海凪がそれを読み取った。
「事情は俺から話しておくから、あとは自由にしな」
「ありがとうございます、小森さん」
スマホをランニング用のアームバンドに戻し、小森は再び空を見上げた。
「…なんでだろうな、高校生に頼るなんて。思いの外、あいつのこと心配してんのかなぁ」
小森は自嘲気味にそうごちる。しかし自分がつくったしみったれたその空気に自ら嫌気がさしたのか、無理やり話題を切り替えた。
「そういや、虹花ちゃんとはどういう関係なんだい?」
「どういう関係、とは?」
「例えばほら、彼氏とか?」
想定外の解釈に、海凪は一瞬固まった。
「…何でそうなるんですか…」
「だって、虹花ちゃんが男と2人でいるところなんて見たことないからな」
「それはただ外で見る機会がないだけでは?」
「ま、それもあるんだが。だが、3年以上彼女のバーに通ってる身として、男からの誘いをおっけーしたところを見たことないんだよ。だから海凪くんには相当心を許していると思うな」
「そうだと嬉しいですね…」
そうは言うが、海凪自身は七葉に近寄らせないための監視役として接されていると感じていた。
「それじゃあ俺はもうひとっ走り行ってくるわ。ありがとうな海凪くん!」
「こちらこそありがとうございました」
小森は勢いよく立ち上がり、軽く伸びをしてから走り出した。
海凪はお辞儀をした後、もう一度ベンチに座りぼーっと目の前の川を見つめた。
今日一日少し忙しなかったが、ゆったりとしたの流れと、音も相まって海凪の心は穏やかになっていた。
「虹花さんにはちゃんとお礼しないとな」
遠回りではあるが、とても有益な情報を教えてくれた虹花。まだありがとうも言えてないので、海凪は今度しっかりお礼をしようと心に決めた。
その時、海凪のスマホが振動した。
「小森さんからだ。『明日の12時にこの場所で話せるって。よろしくな』か…」
その文章と共に、近くにあるカフェの位置情報が送られてきた。
正直、海凪は今日にでも話を聞きたかったのだが、都合が合わないのなら仕方ない。
しばらく自然に癒された後、海凪は頭を切り替え自分の家に向かった。
家に帰ってすぐ、祖母が用意してくれた夕飯を4人で囲った。祖母の気合を入れて作ったハンバーグのおかげか、食事中に響歌と詠心に少しづつ笑顔が戻ってきた。
どうやら2人は海凪の外出中に祖母とお風呂を済ましていたようで、食後に少しゲームや宿題等を一緒にやった後、21時ごろに海凪たちは就寝の準備をした。ちなみに祖母はもっと早寝早起きなので、すでに夢の中である。
「よし。2人ともお待たせ」
箪笥からお客用の布団を引っ張り出し、普段海凪が寝ている布団の横に並べるようにおいた。
2つの布団で3人で寝るので、海凪は布団の境目に寝る形になっている。
先に布団に入った海凪に続き、2人もいそいそと布団に潜った。
その時、詠心が手に絵本を持っていることに海凪が気づく。
「詠心くん、その本は?」
「…海凪お兄ちゃん、読んで…」
詠心は横向きに寝転び、自分の顔を隠すようにして絵本を海凪に見せた。
「もちろんいいよ。響歌ちゃん、読んでもいい?」
「いいよ、私も久しぶりに聴きたい」
海凪は、遠慮がちだとしても自分に頼み事をしてくれたことに嬉しくなり、二つ返事で承諾した。ただ、読み聞かせとなれば声が出るので、隣にいる響歌に迷惑かと思いその旨を問うたのだが、響歌もむしろ積極的にそれを受け入れた。
そして海凪はページを捲り、2人とも見えるようにページの境目を持ち真上にあげて読み始めた。その絵本はやはり詠心が好きな『金色のバラ』。
海凪も初見だったので、自身が読みながらもそのストーリーを楽しんでいた。
「──アンは大変喜び、金色のバラを引っこ抜きました。するとなんということでしょう、突然アンの足元からとっても大きな魚が大きな口を開けて、パクッとアンを飲み込んでしまったではありませんか」
そして詠心の好きなシーンに差し掛かった。まだ全員起きている状態で。
「再び暗闇に包まれたアンは、恐怖のあまりとうとう泣き出してしまいました。『お姉ちゃん、助けて…!』アンは大きな魚のお腹の中で叫びました。すると突然、ランから貰ったバラの髪飾りが、アンの頭で金色に光り出したのです」
ストーリーが思いのほか面白く、海凪は自然と声に感情が乗ってきた。もちろん小声で気遣ってはいるが。
「そしてその光はだんだんと明るくなっていき、なんと大きな魚をまるで魔法のように消し去ってしまったのです。気づけばアンは泉の真ん中で、一人ぽつりと立っていました。『アン!大丈夫!?』そしてしばらくすると、遠くからランが迎えにきてくれました。2人は力強く抱き合いました。『ごめんお姉ちゃん。誕生日プレゼント、用意できなかった』アンは必死に涙を堪えました。『いいのよ。私はアンが元気でいてくれるだけで充分よ』しかしランはそう言ってもう一度アンを力強く抱きしめました。バラの髪飾りはいつの間にか赤色に戻っており、月明かりだけが金色に輝いていました」
読み終えると両サイドから規則的な呼吸が聞こえてきた。見ると二人は体を海凪の方に向けてすやすや眠っていた。
「絶対に律くんと詩音を連れ戻すから」
海凪は小声で二人にそう決意表明をし、明日に向けて英気を養うためにあかりを消して眠りについた。
◇◆
異界、いや、遊園地に囲まれた世界に飛ばされた詩音は、いまだに律を探していた。
歩いても歩いても見つかるのは他の子供ばかり。その子供たちは皆楽しそうに様々なアトラクションを楽しんでいるため、いつの間にか詩音の恐怖心は偽りの安心感に覆われ始めていた。
「…一回上から見てみよう」
その空気に流されてか、詩音は空から探すという名目で観覧車の搭乗口へ向かった。
──その時
「律…!」
詩音の目の前に、観覧車に乗ろうとしている律がいた。
もう一人、男の子と一緒に。
詩音の叫びにも近い呼びかけに、その二人は詩音に振り向いた。
その顔を見て、律だとはっきりと確信した詩音は律に向かって駆け出した。隣にいる男の子の顔はいまいちはっきり見えないが、今はそんなことどうでもいい。
これまで探し回って溜まった身体的疲労のせいで、詩音の足取りはどこかおぼつかない。律を早く抱きしめたいというはやる思いもそれを増長させる。
それでも詩音は、ただ必死に走った。
後少しで律の温もりに触れられる。
しかし──
「…お姉ちゃん、誰?」
「──えっ」
その一言で詩音の足はぴたりと止まった。
間違いなくその声は律から発された。そのことは詩音も理解しているが、詩音の頭は同時に理解を拒んでいる。
「…早く行こ、律くん」
ここで初めて律の隣にいる男の子が言葉を発した。どこか落ち着きがあるも明るい声で律を促す。
「…そうだな夢幻。観覧車楽しみだなあ」
律は詩音を数秒不思議そうな目で見つめた後、何事もなかったかのように前を向いて観覧車に乗った。
その瞬間、男の子が詩音に振り返り、歪んだ笑顔を向けた。真っ黒な瞳と共に。
詩音の心を覆っていた安心感は剥がれ落ち、精神的疲労はついに限界を迎え、詩音はその場で力無くへたり込んだ。