大丈夫? それは悪魔のささやき
震災関連としては第三弾となります。
前の2つは、モーニングあんこで検索してください。
感想は特に求めてませんが、ご意見のある方はは賜ります。
震災関連でもありその他のことにも当てはまる大事なことをお伝えしたくなりました。
※注意※
最初にお伝えしますが、心理学を学んだわけでもないただの素人ですが、実際にとても胸が苦しくなった過去を振り返りなにが問題だったのかを検証し、知り合いの臨床心理士さんにお尋ねしてある程度の答えを頂いたのを自分なりに文字にします。
私の事はあまり書きたくありませんが、心が人より弱く共感性の高さはいっちょ前で、好奇心旺盛なタイプの人物です。その私が経験した言葉で胸を痛めしばらく立ち上がれないことがありました。
その言葉が「大丈夫?」
大丈夫?と言われて大丈夫じゃないとはなかなか気心知れた相手でも言いにくい言葉です。
なので、言葉を詰まらせながらも「うん。大丈夫だよ」と返してしまいます。
大丈夫?と問いかけた方のお気持ちは重々承知してます。優しさからなのは。
しかし、心が人よりも弱い私には、本音を言いたいけど言えば優しさから言っていただいた方に申し訳ないという気持ちになってしまいます。
書いている今も胸から背中にかけて痛みが出てます。これを書いたらひとまず休もう。
以前の私は、大丈夫?と聞く側でした。これも相手を思いやったつもりの言葉です。
しかし、一度自分が言われる立場になるとなんて窮屈で嫌な言葉なのだろうかと感じます。「大丈夫じゃないから助けて!」と言える人ばかりなら良いのです。私にはそれがなかなか言えません。大丈夫じゃないと言ったら相手はどう思うかと考えてしまうのです。大丈夫という人は、優しさがあるものの大概が何もできない人たちです。これがもし、「道路が寸断されて電気も水も出ない。孤立してるから助けて!!」ならば、無い知恵を絞って消防や警察に連絡をしてくれることでしょう。
しかし、ライフラインがなにひとつ閉ざされてもおらず、私自身が怪我をしてるわけでもなく見た目健康な人に見える状態での大丈夫は、何もできない人からすれば「大丈夫じゃん」と思うわけです。
中には、惨い人もいるわけで。
「お前よりもっとヒドイ状態の人がいるんだ。それくらいで甘えるな」
とか言う人がある一定数います。甘えと言われるのが最も堪えます。
これは、叱咤激励のつもりの人もいますが、心が折れかけてる人にその言葉はただの暴力です。
大丈夫?にもレベルがあるらしく、甘えにもレベルがあるそうです。
少し話しがズレますが、先ほどのニュース番組でハウスの中で自主避難している人たちの取材映像で、ホッとして涙が込み上げてきたおばあちゃんがいました。その方が涙ぐむと同じ避難者の女性が「泣いたらダメ!」と釘を刺してました。私はあの映像を見て胸が痛くなります。泣いて心が落ち着くなら泣けばいいのです。私は残念なことに涙が出なくなり十数年。あのおばあちゃんが泣けるなら泣いて心の蟠りを少しでも解くことがが出来ればどんなに楽か。
かといって、泣いたらダメといった女性が悪いわけでもありません。これは勘違いしないでほしいのですが、あの女性は映像の音声として聞こえたのか思った事か忘れましたが「泣いたら皆泣いてしまう。前を向いて」とあったように思います。避難をしているのですからどの人も家に住めないのです。だからハウスの中で自主避難をしているわけで。
もし泣いたら連鎖すると思いますがそれがなんなのでしょうか。
泣いてスッキリするなら泣いた方が良い。涙の出る人は出してほしい。私のようにならないためにも。
思い切って時間を決めてこの時間だけ自由に泣こう。という取り決めがあれば。
話は戻します。
こういう状況の人たちに、状況を知らずに「大丈夫?」と一言心配してるぞというメッセージを送られたらどうなると思いますか?温かい味噌汁を飲んだだけで思いがこみ上げて来るおばあちゃんがいるんですよ。そこへ「大丈夫?」と優しさだけの言葉を放り込んだらどうなると思います?
それは、優しさではありません。
むしろ、言葉の暴力です。
大丈夫?ハラスメントだと言えます。
するとこういう反応があるので先に言っておくと。
「そんなこと言ったら何も言えねえじゃねえか!」
となるわけです。
先ほどから何度か言ってるように、何もできないなら何も言わないでほしい。「大丈夫?」のひとことで済む問題じゃないから!!!
別の言葉で会話をしようとしてください。
たとえば
「TV(ネットでも可)で見たけど、酷いことになってるのね。○○の身体にケガは無い?通報出来ないなら私がするよ。家から出入りできる?壊れてない?そう。大丈夫なんだね。わかった。でもこの後も余震があるだろうからいつでも外に出られる格好で寝なさいよ。デニム生地の衣服はそう簡単に貫通しないからそういうのを着込んでね。それから靴は履いて寝て。水が出るなら底を良く洗って。ガラスが割れて踏んだら歩けなくなるからね。靴はしばらく履いて寝てね。それから。ああ。ごめん。あれこれ言われても困るよね。箇条書きにして送るからなるべくやってみてね」
電話でもメールでもLINEなどの会話ができるツールならなんでもいいんです。ただし、SNSは身バレする恐れがあるのでなるべくプライベートなことは閉鎖的なところでしましょう。
私が言う場合は、最後にのんきな表現を使うようにしてます。電話やメール・LINEなどでは、語尾に「ほなな~」と使う事で間が抜けてちょうどよくなります。あまりにも緊迫感がありすぎると心が折れてしまう恐れがあるので。
ここまでで、書いてて思いましたが、震災関連ですね。
では、仕事や学校を途中で抜けて帰ったとします。その場合も同じです。
「途中で帰ったけど具合はどう?少しは楽になった?最近頑張りすぎてたからなんじゃないの?体がよくなったら休みの日にでも一緒に出掛けない?たまにはふたりでゆっくりと話をしたいし。喫茶店でもファミレスでもいいよ。ドリンクバーがあるファミレスの方が安くすむね。じゃあ良くなったらまた連絡してよ。いつでもいいよ。じゃあね」
「じゃあね」を「ほなな~」にしても良いでしょう。
言葉足らずの人ほど全てをまとめた「大丈夫?」で聴いてしまいます。
相手を思いやる気持ちがあるのならば、ひとことで聴くのではなく、具体的なことを織り交ぜながらでも明るく近い将来のことを一言加えることで、相手の気持ちをやすらぐことが出来るかもしれない。と思って聞いてみてはどうでしょうか。
また今回も説教臭くなりました。すみません。
絆という言葉が流行ったあの年。絆と言えば良いと思った芸能人の言葉に吐き気を覚えたのもあり、言葉には発する側と受け取る側がいる。双方が同じ気持ちであるとは限らないのだと。その時知りました。翌年には、あれだけ騒いだ絆がほどけてましたからね。誰も言わなくなってました。一時的な流行語すぎてあの絆ブームはなんだったのかと。