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03


(──コレを使うと、切断部の接合が難しくなるって話だけど……)


 肘から下はもう死んでいたようなものなのだから、今は腕を付け直すことなんて考えなくても良い。そもそも、切り落とした腕が原型を留めていられるとも思えない。サフラの毒の威力を知るメイはそう断じ、表皮再生剤のデメリットは空になった注射器と共に一旦捨て置く。転がる左腕の切断面からドロドロの赤黒い液体が流れ出ていくのを一瞥したのち、メイは再び触手のモンスターへと視線を向け直した。


(……で、こいつは結局、襲ってくる様子もなし)


 メイの行動に特段反応を変えるでもなく、やはり怒り混じりの警戒心を全面に出して威嚇し続けている触手の輩。落下死、毒死の危機はひとまず去った今、改めてこのモンスターをどうにかしなければならないのだが……


(戦わなくて済むなら、それに越したことはないねぇ)


 そもそも推定数千メートルの垂直落下で、体がダメージを受けていないはずがない。目の前の不定形生物のお陰で瀕死こそ免れ、またメイ自身が痛みや怪我に耐性があるからこそこうして、まだ自分の足で立っていられるというだけの話であって。また、切断したとは言えど猛毒による体力の消耗もかなりのもの。いやさ、腕を一本切り落とすという行為そのものが体力気力を大幅に失うものであることなど、最早言うまでもなく。


(刺激しなけりゃ襲ってこない?それならひとまず、もう少し距離を……)


 むしろ、刺激してもなお襲ってこなかったのであるが。とにかく、害意なきモンスターの意図を読みきれず、メイは視線を逸らさないままゆっくりと後ずさった。大穴の底に当たるこの場所において唯一、彼女の背後にのみ一本の道が伸びている。ダンジョンは人工物ではないが、そのくせ明らかに建造物めいた、真四角に切り抜かれたような薄暗い通路。心なしか威嚇の勢いが弱まってきたような触手を窺いつつ、メイは一歩また一歩と静かに後ずさり……そしてかかとの先が、大穴の直下を抜けた瞬間に。


(──ッッ!?)


 強烈な害意、敵意、殺意が、その背中へと突き立てられた。


(後ろ……ッ、奥の方からッ!)


 先程までは毛ほども感じ取れなかった、紛れもなく凶悪なモンスターたちの気配が、一斉に立ち上る。とっさに振り返り見た通路の奥、暗く委細の分からない曲がり角の先から。姿は見えない。視界にあるのは一見して生き物の気配など感じられないような、上下左右を石壁に囲まれた五十メートルほどの通路だけ。しかして確かに、こちらを食い殺そうと息巻くモンスターたちがあの角の向こうにうじゃうじゃいるのだと、メイは肌が粟立つほどに知覚していた。


(……ってことは安全地帯は…………穴の直下っ!)


 危機に曝されたその瞬間にこそ、彼女の生存本能は即座に正解を導き出す。真上を見上げ、そこにあるのが通路の天井であると──大穴と通路との境目がそのまま、安全と危険の境目なのだと看破したメイは、すぐさま歩を前に進め穴の直下へと立ち戻った。途端にその身を狙っていた獰猛な気配たちは──不満そうに一度揺れ動いたのち──消え、メイの背中に一筋、冷や汗が伝う。


(っぶなぁー……)


 正直ちょっとチビりそうだった。

 自身の状態も相まって恐怖もひとしおなメイは、短パンから伸びる白い脚を一度だけきゅっと擦り合わせる。その仕草を受けてか、変わらず穴の下にいた黒触手がぴくりと全身を震わせて。次なる疑問が、それを見やるメイの脳内に浮かんできた。


(でー……安全地帯に普通に立ち入ってるこいつは……何なの?)


 ダンジョン内には時折、モンスターの立ち入れない安全地帯が存在する。主に各階層のスタート地点や、ボスモンスターを討伐した直後のボス部屋などがそれに該当するが……今いるこの場は恐らく前者なのだろう。直径およそ十メートルほどの大穴の、その直下の空間が、深淵層における安全地帯。なればこそこの真っ黒い触手は、なぜここにいられるのか。


(壁も床も傷一つ付かない。ほかのモンスター共は安地に入ってこない。ならダンジョンの法則はそのまま適用されてるはず)


 深淵層だからダンジョンそのものにイレギュラーがある……のではなく、あくまで目の前の存在にこそ理由がある。しかし真剣な顔で思考を巡らせるメイとは相反するように、件の特異な触手生物は、いよいよもってその怒気を引っ込めつつあった。


(……?????)


 未だ警戒心は強く、メイとは一定の距離を保ったまま。しかし最初の激突に伴う怒りはそう長続きしなかったようで、膨らんでいたその体はうねうねくたりと縮んで……いや恐らく、元のサイズへと戻っていく。


「……いや、ホント何なの?」


 自分の頭より一回り大きい程度になった黒い触手に対して、メイは思わず言葉を投げかけていた。当然、通じるはずもなし……だがしかし、意思疎通を図ろうという考えは読み取れたのか、触手は無数の触手(ゆびさき)でゆっくりとメイを指し、そちらへ意識を向けているとばかりの素振りを見せてくる。……やはり一定の距離は保ったままだったが。


「……警戒心の強い小動物?」


 仮にも深淵層の、それも恐らくイレギュラーなモンスターに対して抱いて良いイメージではないが、しかし今のメイにはもう、これ以上目の前の触手を警戒し続けることは困難だった。それは触手自身から全く害意を感じないからというのもあり、事実として襲ってくる様子がないからというのもあり、そしてなにより。


「……っとと」


 彼女自身の体力気力が限界を迎えつつあるから、というのが大きかった。ここまでの五分足らずのあいだに、あまりにも色々なことが起こり過ぎた。色々なものを失い過ぎた。如何に強靭なS級探索者(ダイバー)といえども、まだ生きて正気を保っていること自体が幸運以外の何物でもなく。


(幸運ついでに、こいつが無害なことも祈っておこう……)


 落下の最中には、せめて深淵層をひと目見てから死んでやるなどと息巻いていた。しかしこうして生き延びてしまえば、さらなる生存への欲求は膨らんでいくばかり。遂に耐えきれなくなりふらりと傾ぐメイは、そのまま倒れ込みながらもギリギリまで、目の前の触手の真意を見極めようとする。


(願わくば、これが永遠の眠りにならないと良いねぇ……)


 どさりと音を立て倒れたメイ。ビクゥッ!と反応を示す真っ黒な触手生物。

 声もない一人と一匹だけが、大口を開ける穴の下に佇んでいた。

 

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