残されたもの
「死んだか」
路地の奥にいる老婆はそう呟いた。目の前にはゾーヤが1人。いつも白い顔は真っ赤に染まり菊子を睨んでいる。
「そうだよ。あんたが助言したせいでな」
ゾーヤが机を叩く音が路地に響いた。
「死に方を教えただけだがね。というか、ヴァンパイアというもの自体が変なんだよ」
「はぁ?」
「普通の人間は死に方ぐらい簡単にわかるもんだ。それなのにヴァンパイアは教育が終わってから初めて教わる。人によっちゃ無理矢理ヴァンパイアにさせられてってものもいるのさ。それでいて半永久的に生き続けるのは酷だと思わないかね」
ゾーヤは反論を試みるが、見つからない。全てが感情論だと嫌でも分かってしまう。
「教育方針を決めたのは初代ヴァンパイアじゃないか。その意向に反対してるというのはどうなんだ?」
ゾーヤは分かっていた。こんな事は言っても意味がないと。初代ヴァンパイアの意向に従う義務はない。反論として弱いこの主張は無視される。すると、菊子はゾーヤの顔をじっと見て言った。
「その初代は私だよ」
「な、バカな」
菊子は真剣な顔で
「嘘じゃない、初代だからワープキーの場所がわかるんだよ。初代だから路地にいるのに、しょっちゅう協会に挨拶してるんだよ」
ゾーヤは小さな納得と大きな怒りを持った。
「わかった、じゃあ、もしあんたが本当に初代だったとしたら、なぜ死に方を教えたのかますますわからないんだが」
「人もヴァンパイアも時が経てば意見が変わる当たり前の事だろ」
そう落ち着いて答える菊子にゾーヤは刺すように言った。
「いや、わからないね。具体的に言ってくれないと理解すらできない」
菊子はあからさまに面倒そうにため息をついた。
「昔は死なないことが嬉しかったもんさ。それが良いことに思い込んでいたから、ヴァンパイアに死ぬことを許さなかった」
菊子はゾーヤの目をしっかりと見た。
「ただね、数百人に1人くらいかな、死ぬやつがいる。説得しても意志が強いからか死のうとする。そんなあいつらの言い分は永遠に嫌なことを覚えていたくないだそうだ」
菊子は立ち上がってゾーヤを見上げた。それなのに、ゾーヤは見下ろされているように感じた。
「そんなあいつらを説得できるか」
菊子からの圧のある声にゾーヤは答えのカケラも口から出なかった。息ですらも。
「そうだよな。私もどう考えても、能天気な答えしかできなくて、悟ったんだよ」
「止められないってね」
菊子の息が重い。
「だから、あいつらが苦しむ期間が短いようにしてるだけさ。まぁ、あと育てる側は大切にしていた期間が長い程、死なれたら苦しむからな。そんな師匠は見てられないんだよ。おまえさんもだよ」
ゾーヤはびくっとした。確かに、これ以上後に死なれていたらと考えると恐ろしい。
「長年生きているから、どうやっても死のうとするやつはわかっちまうんだ。いやでもな。だから、さっさと終わらせるんだ。苦しまないように、悲しまないように。」
再び、菊子は座り、下からゾーヤを見た。
「ここで、失ったものについて言い合っても意味がない。というか、それよりも重要なことがあるだろ。今あるものを大切にな」
そう言われて、ゾーヤは納得を拒みたかった。しかし、ここで言い合っても根底の違いはどうしようもなく感じ、何も言わずに飛び去った。
ゾーヤは黙って帰宅した。来は言い付けをしっかり守り大人しくしていた。部屋中に沈黙が流れていた。
「何があったの?」
数十分の無言が破られた。
「来、ヴァンパイアになって良かったか」
ゾーヤは誤魔化してしまった。しかし、菊子の話の後から気になっていたことだから思わずいってしまったのだ。来はゾーヤの突然の質問に少し考えて、こう答えた。
「ヴァンパイアになって良かったかは、わからない。でも、ゾーヤにあえて良かったって思ってる。ゾーヤと一緒ならもっと生きてみたいし」
ゾーヤは思わず、来に抱きついた。涙が止まらない。ゾーヤのもう失いたくないという気持ちが溢れたのだろう。「大切にするさ、一生」そう、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で囁いてしまった。