第94話 過去、あるいは未来からの贈り物
どこでもない白い世界。
そこにシャルハートは立っていた。他に生命の気配はない。見渡す限りの地平線。遮るものは何もない。――否、この表現は少々正確ではない。
下を見ると、そこには姿見が置かれていた。そこには『入れない棟』の光景が映し出されていた。
「リィファス様が先陣を切って……皆、ミラまで」
ゼロガに立ち向かっていた。剣を、魔法を、考えられるありとあらゆる手段を駆使して。
――敵わない。
それはシャルハートが一番良く分かっていた。肉体も、魔法技術も、精神力も、どれをとっても負けている。立ち向かえば確実に死ぬ。
思わず手を伸ばした。だが、指先が鏡に触れるだけで何も起きない。
「ここはどこなんだ……! 早く私が行かないとミラ達が……!」
「――お前が行って、どうするつもりだ?」
背後から聞き覚えのある声が聞こえた。聞き覚えのある? それは間違いだ。知らないわけがないのだから。
「……お前は」
黒衣を纏った長い紫髪の男がゆっくりと歩いてきた。吊り目気味の瞳がシャルハートを真っ直ぐ射抜く。
それは圧倒的な破壊の象徴。
それは人族と魔族にとっての最大悪。
それはかつての――自分だ。
「名乗らなくても良いだろう? ザーラレイドだ」
「名乗ってるじゃないか」
“不道魔王”ザーラレイド。神域の実力を持ちし、両界の絶対悪。
ザーラレイドがどこからともなく出した椅子に腰を下ろした。
そんなザーラレイドをじっと見つめていたシャルハートはすぐに“辿り着いた”。
「まさかお前、私の“力”か?」
「然り。一億回分のお前の力だ。アルザとディノラスの剣によって形成された『生命は続く』の結晶体とでも言えば良いのだろうか? まあ、感覚で理解しろ。俺はお前だからな」
姿形、そして喋り方、魔力、そのどれもが昔の自分だと理解できた。それも全盛期の。
「分かるさ。分かるだけに、何でこの局面に現れたのかが分からないだけだ」
「全て理解しているはずだ。世界を相手にするため、策を練り、狼煙を上げたお前なら」
「策なんてなかったよ。ただ、両界の俗物たちを俗物たちと分からないよう皆殺しにして、世界の憎しみを私に向けさせようとしたくらいだ」
「ああ、俺達はそうだったな。戦いしか能がなかった俺達にとって、それくらいしか思いつかなかったものな」
高笑いをするザーラレイド。
シャルハートはじっと鏡を見ていた。ゼロガは圧倒的だ。あの五人が懸命に刃を振るった所で犬死は目に見えている。だからこそ、早くあそこに戻らなければならない。
だというのに。
いつまでも、状況は変わらない。そんな彼女の心境を見透かしたように、ザーラレイドは言った。
「お前は元々イレギュラーだ。偶然が偶然を呼び、偶然によって生まれたイレギュラーだ。だからもう良いだろう、休め。それが許されるんだ俺たちは。そもそも、俺達が死んだ以降はもう俺達の与り知らぬ領域だろう。もう良いんだ」
そう言うザーラレイドの表情はあくまで真剣だ。小馬鹿にしたような語気はなく、あくまでシャルハートを労った一言だ。
シャルハート自身、そんなものはとうに分かっていた。
「そうだよ。そうだったんだ。私達は死んだ身。だけど、私は“今”に拘っている。何故か分かるか?」
「分からん。教えてくれ」
分かっているだろうに。完璧なくらい理解しているだろうに。
それでもあえてザーラレイドは問うたのだ。シャルハートを試すように。
「友達がいるんだ。ミラが、リィファスが、サレーナが、アリスが、エルレイが。私が今の生を掴んで初めて出来た友達が。ずっと求めていた者達が今、ああやって死にかけている。理由はそれだけで十分だと思うが、不足か?」
「十二分だ」
世界が輝き出す。鏡から光が放たれる。それはまるで元あるべき場所への道を指し示しているようだった。
ザーラレイドは黒衣を掴みながら近づいてくる。
「忘れるなよ。俺たちに負けはあり得ない。何度死んでも良いんだ。だが、負けることだけはあり得ない」
黒衣を脱ぎ、シャルハートの肩に羽織らせた。
「分かっているよ。いつまでも、これからも、ずっと、ザーラレイドは――シャルハート・グリルラーズは負けられない」
ぎゅっと黒衣を掴んだ彼女は鏡へ跳んだ。つま先が鏡に触れた瞬間、更に大きく発光し、シャルハートの身体が吸い込まれていく。
完全に吸い込まれる直前、ザーラレイドは拳を突き出した。
「かましてやれ。いつだって俺達はそうしてきた」
「それも分かっている」
◆ ◆ ◆
ゼロガを中心に五人が倒れていた。
それぞれぐったりしているが、生きてはいるようだった。
「強すぎる……」
アリスがそう漏らすのも無理はなかった。強固な魔法防御によってそもそも刃が通らず、攻撃魔法もシャットアウトされている。
シャルハートが何故戦えていたのか、疑問しか出てこない。
「弱いな。あの銀の者に比べるのは酷というものだろうがな」
ゼロガは既に倒れている五人に興味はなかった。これからの彼の目的は決まっている。
地上に出て、そして人族と魔族に対し、復讐する。
そこまで考えた所で、ゼロガは両手を広げ、その手掌に魔力球を作り出した。
「私はここを出る。が、その前の景気づけだ。貴様たちを滅殺する」
「私は、まだ……倒れたくない」
ミラが立ち上がり、掌をゼロガへ向ける。
自分が原因でシャルハートは死んだ。だから自分がゼロガを止めなくてはならない。
今の彼女を突き動かしていたのはその義務感だけだった。既に勝敗とかそういう次元の話ではない。
そんな彼女の覚悟に何かを感じたのか、ゼロガはその両手をミラへと向けた。
「人族にしては諦めが悪いな。決めた、お前から滅しよう。哀れな人族よ、力の無さを悔いろ」
放たれた。
禍々しき光の奔流が。
ミラが放った攻撃魔法など一瞬で飲み込み、光はどんどん彼女を飲み込まんと迫る。
逃走は不可能。防御も非現実的。ならば、あとは――。
「シャルハートさん……ごめん。本当に、ごめんね。ずっと一緒にいたかった」
自分のせいで死なせてしまった友達へ詫びを入れることしか出来なかった。
光が、ミラを包み込む――!
「謝らなくて良いよ。私もずっと――ミラの隣にいたい」
割れた。爆発的な威力を持つ光が、ミラを飲み込む前に真っ二つに割れた。
ゼロガは突如ミラの前に現れた新緑を思わせる爽やかな光を放つ繭を見て、背筋を凍らせた。
無理もない。何せ、ソレについては知識のみで見るのは初めてだったのだから。震える唇を動かし、ゼロガは言った。
「『生命は続く』……だと? まさか、あり得ない。その魔法を使える者などいないはずだ。神代の魔法だ。天才が何千、何万、何億と人生をかけてようやく使えるか使えないかの魔法だぞ……馬鹿な、私は何か強力な精神魔法でも喰らったのか……!?」
「残念ながら、現実だよゼロガ」
繭が割れた。中から出てきたのはシャルハートだった。だが、完全に元のシャルハートかと問われると、少し違っていた。
美しい銀髪が“紫”に変わり、ぼんやりと光を放つ黒衣を制服の上から羽織っている。
「まさか! 使ったというのか!? その魔法を!? 完璧に!!? 嘘だ! 私でさえ研究だけしか出来なかったその神代の魔法を!? 冗談は止めろ!! どんな手品を使ったというのだ!?」
ゼロガの問いには答えず、シャルハートはただ自分の状態を確認していた。
これこそが彼女にとっての奥の手。いつか来たるべき時のために編み出した究極の奥義。
その名も――!
「――『過去、あるいは未来からの贈り物』。過去か未来で到達出来る最強の自分を探し、強引に取り込む魂の魔法。私の場合はやっぱりこれか」
長い紫髪、そして黒衣はまるで、前世を思わせた。
これがシャルハートにとっての最強。世界に戦いを挑んだ孤高の魔王。
そうだ。
現代に舞い降りたのだ。
彼が――!
「ゼロガ、私はもう負けんぞ」
“ 不 道 魔 王 ” が !




