第83話 シャルハートの激昂
シャルハートの空間魔法が解除され、現実世界へと二人は帰還した。
アリスは一歩だけ後ろに下がり、シャルハートを見つめる。
「あの、アリスさん?」
「私の負けです」
「え?」
「私は私の心を支配できなかった。私の心に囁く『何か』に耳を貸してしまった結果があの体たらく……恥ずかしさで死にそうです」
「そんなことは……」
ふるふるとアリスは首を横に振った。その表情は今までのような険しさはなく、穏やかさが込められていた。
「そんなことあるんです。私は一から修行し直します。それで再び貴方と胸を張って戦えるようになります」
「アリスさんなら絶対に今よりもっと強くなれます。あの魔法は感情の度合いに任せてその者の力を強制的に引き出すんです。つまり、アリスさんが潜在能力を解放すれば少なくともあれぐらいには強くなれるってことなんです」
「驚きました。私はまだ、強くなれるんですね。……私は、ちゃんと強くなれますか?」
「アリスさんなら必ず」
「ありがとうございます。……ところでシャルハートさん、一つお願いをしても良いでしょうか?」
姿勢を正し、アリスはそう前置きをした。何だか緊張しているようで、顔が強張っている。両手の指も忙しなく動き、目線も僅かに泳いでいる。
一体、どんな事を言うのだろうかとシャルハートも少し身構えてしまった。
「これからは私の事を“アリス”と呼び捨てで呼んでくれないでしょうか……?」
「……へ?」
思わずシャルハートは聞き返すと、見る見るうちにアリスの頬が真っ赤に染まる。
「で、ですから! 私のことをアリス、と呼び捨てで呼んでくださいというお願いしました! ……代わりに私は“シャルハート”と呼ばせて頂きます」
「もちろんそれは良いですけど、アリスさんはそれでいいんですか?」
「ええ、私は貴方とそういう間柄になりたいです。……ついでにその敬語ももう要りません。私もエルレイと話すようにするから、貴方もそうして欲しいの。さっきの戦いの時のように、ね?」
そこで初めてシャルハートは己の言動を振り返った。
熱くなりすぎて、思いっきりザーラレイド時代に戻っていたのはもはや痛恨のミスというには度が過ぎている。
とは言え、どこまではっきり聞こえていたかにもよる。もしかしたらただの空耳ということで片付けられるかもしれない。一縷の望みを抱き、シャルハートは聞いてみた。
すると、アリスは即答する。
「へ? シャルハートの言葉が荒くなった瞬間から元の敬語に戻るまで全部、としか返せないのだけど……」
「あ、ああぁぁぁぁ……!! 全部かぁ! 全部聞こえていたのかぁ!?」
頭を抱えるシャルハートを見て、くすくすとアリスは笑った。
「男らしくってかっこいいと思うわよ?」
「からかわないでよ……」
「ふふ、ごめんなさい」
会話が一段落したのを感じたシャルハートは改めて聞くことにした。
何故、アリスが精神魔法を食らっていたのか。魔法の詳細についてはよく分かった。しかしタイミングが全く思いつかないのだ。
『揺れる怒り(シェイキング・ヘイター)』というのはそう容易く使える魔法ではない。修練を要する非常に高難度な魔法なのだ。
この場合の高難度というのは、相手を即発狂させないように魔法を行使するという意味である。そういった点で言えば、今回彼女に掛けられた魔法は完璧だった。
いきなり発狂せず、ちゃんと感情の爆発をトリガーにして発動している。下手な者が仕掛けると、今頃はもう廃人となっていただろう。
この話になると、アリスは途端に頭を押さえだした。
「……ごめんなさい。何だか頭が痛くなる……何でかしら?」
「何か思い出せることってあるかな? 何でも良いんだけど」
「何か……そう、だ。私の心に妙な闇が巣食ったのは、エルレイと一緒に『入れない棟』の防御機構が再生するのを見張っていた時、かしら」
そう口にしたアリスは、自分の口元を覆った。
「そうだ……そうだった。私が完全におかしくなる寸前に、あの人が現れたような……そんな気がする」
「あの人……? 誰ですか?」
ドクン、ドクン、とシャルハートの胸がやけに嫌な鼓動を起こしていた。
もしも。
もしも、シャルハートが一瞬でも想像した人間だとするのならば。
シャルハートは自分でどうなるか分からなかった。
「確か、そう……グラゼリオ先生が私とエルレイに何かをしたような、そんな記憶があるわ……」
一度、シャルハートは大きく深呼吸をした。
平静になった。なった上で、あえて聞いた。
「……グラゼリオ先生は『入れない棟』に現れた可能性がある。間違いない?」
「ええ、私の記憶違いじゃなければ……」
「くそ……!」
確定した。
同時に、シャルハートの瞳からハイライトが消えていた。アリスに背を向けたシャルハートは数歩前に出る。
気づけば、彼女は叫んでいた。
「グラゼリオォォォ!!!!!」
今すぐにでも殺してやりたかった。だが、激情に身を任せて事に当たるというのは愚かだ。
シャルハートは即、グラゼリオの魔力をサーチしようとする。四分の三殺しにするつもりで魔法を発動しようとした矢先に、『彼女』が現れた。
「シャルハート! 今すぐ話をしたいんだけど、良いかしら?」
学園長ルルアンリが血相を変えて、やってきた。




