世界は理不尽で溢れている
誰もが一度は夢見るであろう異世界転移。
この物語の主人公『三景ちひろ』は例に漏れず、異世界への転移を強く切望していた。
ただ、この男が他と異なるのはその夢が世迷言で終わることなく実現してしまったことだろうか。
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ある病院の一室。
そこにはひどく重々しい雰囲気が漂っていた。
病室に佇む面々は皆一様に寝台に横たわっている人物へと視線を向けている。
その視線には後悔や愁い、不憫といった様々な感情を孕んではいるが、どれも平たく言えば可哀想と言った同情のものだ。
それは当然かもしれない。
『その人』の人生を客観的に鑑みれば幸せとは程遠いものだからだ。
この部屋は狭くもなければ広いわけでもない。
だからなのか音が良く響く。
静寂が病室を支配する中、嗚咽とすすり泣く声だけが木霊する。
その数は決して多いとは言えない。
もしかしたら『その人』はあまり人付き合いが得意ではないのかもしれない。
しかしこの部屋にいる誰もが本気で悲しんでいる事が容易に伺える。
『その人』の友人と思われる少女はその事実を受け止めることができないのか声を大にして泣き叫んでいる。
少女だけでなくこの部屋にいる人は皆、瞳から涙が決壊したダムのように溢れ出ている。
その光景は正に阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
そんな地獄を作り上げた当の本人は瞼を閉じ口端を僅かに上げている。
まるでそんな光景を楽しんでいるかのように、そして自分はもうやり切ったと言わんばかりに気持ち良さげな顔を作っている。
もしくは微笑んでいると言ってもいいかもしれない。
どうして『その人』がそんな表情を浮かべているのか、
それを知っている人はこの場にはいない――
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ある夢を見た。
子供の頃、確か小学三年生の時に見た小説の話だ。
ジャンルは恋愛。つまりはラブコメだ。
しかしその話の内容ははっきりとは覚えていない。なにせもう八年も昔のことだからだ。
思い出せるのは主人公とヒロイン二人の大まかな特徴。
そして、その物語がひどく悲しい結末を迎えたということだ。
具体的にはどんな結末を迎えたのかは思い出せない。
ただ漠然と悲壮感の溢れる最後だった印象がある。
小学生ながら、否小学生だからこそなのか俺はその結末に納得できずに憤慨したのを明確に覚えている。
昔の俺がどうしてその作品にそこまでの憤りを感じていたのか、今になってはもう分からない。
なぜらなら家中探し回ってもその小説はでてこなかったからだ。
もしかしたら捨ててしまったのかもしれない。
インターネットで調べようにもタイトルすら忘れているのだから話にならない。
夢から醒めると記憶は朧気だった。
まるで頭の中に靄がかかったように夢での内容を思い出すことができない。
なぜ今になってその小説の夢を見たのか謎である。
特別好きなわけでも思い入れのあるわけでもないからだ。
本当にどうしてなんだろう……
と、そんなもの思いに耽っていた時、俺の頬が優しくつつかれる。
「ひろ君。起きてー、ひろ君ってばー!」
俺の頬をつつくそいつは、耳障りなほど元気一杯に声を掛けてくる。
俺は無視を決め込もうとも考えたが、今までそれをしても俺が反応するまで鬱陶しく声を投げ掛けてくるので仕方なくゆっくりと顔を上げた。
「あっ!やっと起きた!」
顔を確認するまでもなく俺はそいつが『美月麗華』だと分かった。
麗華はいちいちオーバーリアクションなので相手をするのが疲れる。
俺は面倒くさいという感情を全面に、麗華にもそれが伝わるように忌々し気に口を開く。
「別に、寝てたわけじゃない。考え事をしてたんだ」
「でもさっき授業中にいびきかいてたじゃん」
含みを込めて言ったのに意に介した様子もなく、寧ろ楽しげに声を弾ませている。
「気のせいだ。それに今は休み時間だろ?寝てようが俺の勝手だろ」
俺は努めて麗華を冷たくあしらう。
「なんでそんな冷たいこというのさ」
麗華は猫なで声で言う。
しかしこいつ本気でそんなこと言ってんのか?
「だってお前、休み時間になったら毎時間話しかけてくるじゃん」
正直言って面倒で仕方ない。
麗華は悪びれた様子もなく、
「いいじゃない。こんな美少女に相手をしてもらえるんだから」
自分で言うのかよ。とツッコミを入れたくなるのを抑える。
何故なら本当のことだからだ。
麗華は同学年の中でも頭一つは抜けている。
艶やかな黒髪ロングで大きな目、陶磁器のように滑らかな白い肌。その上スタイルも良い。
出るとこは出て、引っ込むとこは引っ込んでいる。
非の打ち所がない。
証拠に彼女に告白しては振られる男が後を絶たない。
そんな完璧さんが俺のようなどこにでもいる平凡な奴に話しかけて来るのは偏に、こいつと俺が幼馴染だからだろう。
でもだからと言って、毎時間話しかけくるのは少々異常なのではないだろうか。
「兎に角俺は考え事をしてるんだ、邪魔をするな」
「邪魔ってひどい!そんなんだから彼女の一人もできないんだよ」
うっ。
こいつ俺の気にしていることを……
ひどいのはお前だよ。
「彼女ならいるよ」
麗華の顔に動揺が走る。
「えっ、うそ、、、」
「勿論噓だ」
つい見栄を張ってしまった。
しかしそんなに驚くなよ、失礼だろ。
「だ、だよね!ひろ君に彼女ができるなんてひろ君に彼女ができること位ありえないよ」
それ同じ意味だから。
てかそんなに俺に彼女ができるのってありえないの?
ちょっと、ほんのちょっとだけショックだ。
「そういうお前も彼氏いないだろうが」
最も麗華は作ろうと思えばいつでも作れるわけなので俺とは立場が違うが。
そう考えると世界って本当に理不尽だと思う。
生まれた環境が全てものを言うんだから。
例えば俺がどれだけ自己研鑽に努力を費やしたとしても麗華ほど異性にモテるなんてことは絶対にありえない。
例え俺がどれだけ勉強をして学年一位を取れるようになったとしても、どれだけ運動をして賞を取れるようになったとしても、麗華は素で俺を超えてくる。
そう考えると全て馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「はあ、、、」
無意識に深いため息がでた。
「どうしたの?何かあった?」
麗華が心配そうに言った。
こいつはきっと俺のことを本気で心配してくれてるんだろう。
だけどお前には関係のない話だ。
「ほっといてくれ、お前には関係ない」
そうお前には関係のない事だ。
言い方が気に入らなかったのか、麗華はそこで初めてムッとした表情をした。
「関係ないって私達幼馴染じゃん!関係あるよ!」
麗華の声は教室中に響き渡る。
数舜教室が静寂に包まれる。
普通ならそんな事を大声で言えばまず間違いなく好奇の目に晒されるであろうそれはしかし、何事もなかったかのようにクラスメイトの皆はそれぞれの会話を再開する。
それがいつもの光景であるかのように。
「はぁ。あのな幼馴染なんて言ってもただ小さい頃一緒にいただけだろ?それ以上でもそれ以下でもない」
俺は麗華に高説を垂れるかのように言い、話はこれで終わりだと言わんばかりに机に伏す。
正直、余計なお世話なのだ。
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俺はいつも夜寝る前に一日の出来事を振り返る。
そうすることで一日の反省点を洗い出し、明日から同じ失敗を繰り返さないようにするためだ。
俺の失敗とはトラブルにあうこと、何か面倒ごとに巻き込まれること、などだ。
俺みたいな弱者はそういったものに出くわしたら対処できないからな。
しかし、
「まだジンジンする」
俺は幼馴染こと『美月麗華』にぶたれた右頬を抑えて一人愚痴をこぼす。
あいつ、本気でぶってきやがった。
それもパーじゃなくてグーで。
今夜の議題はその問題一つに絞られた。
しかしこの問題がいかんせん難しい。
何がどうなったら人を殴るという暴挙につながるんだ。
俺が何かあいつを怒らせるようなことを言ったなら理解もできるんだが、そういったことを言った覚えはない。
俺はかれこれ1時間近く考えたが結局その答えは出てこなかった。
まあ、あいつの奇行は今に始まったわけではないからな。
前にも突然怒り出して口を聞かなくなったこともあったし。
それが今日は突然人を殴りたくなって、偶々俺が近くにいた。
きっとそれだけのことだろう。
しかしあいつの気まぐれに付き合わされるこっちの身にもなってほしい。
殴られてもう半日は過ぎたのにまだ痛むぞ。
はあ、俺もストレス発散に誰か殴りてー。
そう思い、
俺は試しに兄に一発殴っていい?と聞いた。
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「ジンジンする」
とついさっきも言ったことを繰り返す。
何かがおかしい。
俺はさっき兄に「殴ってもいい?」と聞いたはずだ。
ところが殴られたのは俺だ。
証拠に麗華から殴られた箇所が前にも増して赤く腫れ上がっている。
断じて俺は「殴ってもいいよ」とは言っていない。
我が兄は日本語が通じないのかもしれない。
将来が心配だ。
冗談はさておき、
この世界は理不尽に満ちている。と本気でそう思う。
なぜ麗華は許されて俺はダメなんだ。
顔か?この顔がいけないのか?
俺はイケメンってわけでもないがそんなに不細工でもないと思うが。
いや、この世界に理屈を求めも仕方がないのかもしれない。
それは今まで生きてきて散々分からされてきた。
だが、分かっていても理解していたとしても実際に理不尽を目の当たりにすると腹立たしい気持ちがこみ上げてくる。
「はあ、もうこんな世界いやだ」
願わくば目が覚めたら異世界で、とんでもない力に目覚めて俺TUEEEしたい。
可愛い女の子に囲まれてキャッキャウフフなことをしたい。
そんな都合のいい世界に行けたら。
そう思い俺は目を閉じた。