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「死について」フレディ・マーキュリーの命日に(エッセイ)

作者: 弘せりえ

何度も考えてきた。


酔っぱらって死にかけた

こともあった。


自分から消えるということが

自分から発信できる

唯一のアピールのような

気がしていた。


でも、今は、そんなアピールに

何の意味があるのかわからない。


自分で死ぬ人は

人生あきらめたと言いながら

何か言い残したつもりなのだろう。


私もかつてそうだった。


だけど、もうやめた。


時間がくれば、死ねるのだ。

死なないでいる人はいないのだ。


なら、死ぬまでの時間稼ぎだと

思って、生きてようと思った。


この世に未練がないのは

生きていても死んでみても同じ。

同じなら、植物のように

淘汰されるのを待っていよう。


そう、私は、植物から学んだのかも

しれない。


自分から死なないけど、

いつ死んでもいい。


それが今の私の死生観。

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― 新着の感想 ―
[一言] いずれ死ぬ 何時かは解らないが必ずみんな誰もが ならばその時が来るまで出来ることやれることをやってみよう 仕事なのか遊びなのか犯罪なのか ま、犯罪は無しで とりあえず、金と愛する女…
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