哀歓編27話 地下室の客
※イスカ・サイド(前話からの続き)
「私がいきなり引退すれば混乱は避けられないが、それでも構わないのだな?」
屈辱で腸が煮えくりかえりそうだが、今の私に抗する術はない。カプランがその気になれば、いつでも私を葬る事が出来るのだから。
「構わない。表向きの引退理由は、"世界が安定するまではと奮闘したが、戦傷による後遺症が深刻で、これ以上の激務に耐えられない"とでも言えばいいさ。皆が訝しがるだろうが、じきに忘れる。キミの背信行為は罰せられるべきだが、刑部クンが悲しむだろう。だから真相は墓まで持って行く。私が死ぬ頃には、御堂イスカは"過去の人"だ。」
皮肉なものだな。引退を望まない私が引退を強いられ、引退したいカナタが頂点に祭り上げられようとしているとは。
「引退発表の期限は?」
「講和条約の調印式が終わったら、その場で引退を発表してくれたまえ。ハプニングをかき消すには、ビッグニュースに被せるのがいい。」
「少し時間をもらいたい。どうしても待てないなら、パーチ会長に掛け合ってカナタの封印を解除し、三者会談の場を設けてくれ。卿らがカナタをトップに据えるつもりなのはわかっている。引退を発表する前に、今後の事を話し合っておきたいのだ。」
これが最後の手段、カプランを説得出来るのはカナタだけだ。三人で話し合えば、活路が見出せるかもしれない。叔父上の事を隠していた私を、もうカナタは信じないかもしれないが……
……骸骨戦役が終わって二人で話し合った時、叔父上の事を打ち明けておくべきだった。あの時であれば、カナタは私を信じてくれただろう。いや、もっと前に……父の死の真相を知った時に、腹を割って話し合っておくべきだったのだ。そうすればカナタは、激情に駆られて復讐しようとする私を体を張って止め、叔父上は生きていた。
「不可能だ。もうパーチ会長には私でも連絡が取れない。彼が調印式の会場に現れるまで待つしかないのだよ。」
クッ!用心深い男とは聞いていたが、想像以上だな。異名兵士の封印場所は己の脳内に留め、誰とも連絡せずに調印式まで隠れているつもりとは。
「聞きしにまさる用心深さだな。だが、引退発表を伸ばす事なら可能だろう。三人で話し合ってから…」
「悪足掻きはやめたまえ。もし、三人で話し合うべきだと考えていたら、キミとカナタ君がリグリットにいる間にそうしていたよ。勘違いしないでもらいたいが、私もキミと話し合う気はない。これは会談ではなく宣告。新時代の旗手に泥を被せたくないから、サシで決着を付けに来ただけだ。キミが選べる未来は二つ、引退か破滅だ。好きな方を選びたまえ。」
やはりダメか。時すでに遅し、カプランは何としてでも私に引導を渡すつもりだ。調印式終了後に引退を発表しなければ、その場で告発するだろう。
「引退するしかなさそうだな。いいだろう。私抜きでの時代の舵取り、せいぜいお手並みを拝見させてもらうとしようか。」
やれるものならやってみろ、と言ってやりたいが、カナタならやれるかもしれない。いや、きっとやってのけるだろう。カナタの才気には欠損もあるが、足らずを補う者が力を貸す。特に、今まで影に潜んできた教授とやらの辣腕は本物。御鏡雲水を過小評価していた事は否めないが、照京復興と御門グループ躍進のかなりの部分は教授の仕業だろう。私も舌を巻くレベルだ。
四半世紀戦争を終わらせた英雄・天掛カナタを神輿に担いだ新体制の成功は、御堂イスカの忘却を指す。カプランの言う通り、このままだと私は過去の人にされてしまう……
「賢明な判断だね。念の為に言っておくが、私はオルセンのようにはいかないよ。口を封じたところで無駄だ。」
「わかっている。そうでなければ一人で乗り込んできたりすまい。自分の身に何かあれば、オリジナルを公表する手筈が整えてある筈だ。」
「そういう事だよ。このコピーは進呈しよう。叩き壊すも良し、自分の目と耳で罪を再確認するも良しだ。話も終わった事だし、これで失礼する。」
断罪を終えたカプランは席を立った。残された私は煙草に火を点け、起死回生の策を巡らせる。
オリジナルを持っているのは誰だ……考えられるのは娘のジゼル……違う。カプランは娘にも泥を被せたくない筈だ。では腹心のペリエ少佐……でもない。ペリエは人が良すぎて秘め事が顔に出るタイプだ。新参で謀略に不向きなピーコックでもない。カプランが絶対的な信頼を置き、口が固い実力者……ダン少将だな!
ダン・ヴァン・ゴックは既に冷凍睡眠に入っている。どこで眠っているかはパーチしか知らない。そしてパーチの隠れ家は不明、マリカが眠りに入る前は火隠屋敷に匿われていたようだが、現在は行方が掴めない。マリカの事だ、自分が眠った後に備えて入念に隠れ家を準備していたはず。今は手駒が不足している、二週間で居所を突き止めるなど絶対に不可能……クソッ!手詰まりなのか?
まだだ!考えろ!オリジナルを破壊する方法を!
「イスカ様、カプラン元帥の用向きは何だったのですか?」
煙草を吸い終える頃に、控え目なノックをしたマリーが怖ず怖ずと入室して来た。
「考え得る限り、最悪の話だった。マリー、地下室に行くぞ。」
腹心の返事を待たずに地下に向かう。いくつものセキュリティに守られた地下牢の最奥、分厚い鋼鉄のドアの前でクランドが室内をモニタリングしている。
「カプラン元帥はお帰りになったようですな。」
「ああ。最悪の置き土産を残してな。クランド、ドアを開けろ。」
「ハッ!」
暗証番号、指紋、網膜、声帯の四重認証を解除した老僕がドアを開く。室内には床にビス留めされた鉄椅子に手足を拘束され、猿轡を噛まされた女がいた。
「マリー、猿轡を外してやれ。」
「……はい。」
猿轡を外された女は、新雪のように真っ白な肌をしている。窓のない地下牢に幽閉されたからではなく、白子症なのだ。
「ペッ!……私に何の用かしら?」
"純白の"オリガは床に唾を吐き捨ててから、皮肉っぽく問うてきた。この女はそこそこ頭が切れる。任務に失敗して逃亡したが、慌てて化外に高飛びせず、潜伏先に選んだのは土地勘のある機構領ではなく、盲点である同盟領。しかもよりによってリグリットにだ。
"まさか同盟の首都に潜伏しているとは誰も思わないだろう"と考えたに違いないが、いくら何でも奇をてらい過ぎた。私は逃げた手練れを追う場合、"ここだけはないと思われる場所"を真っ先に捜索する事にしているのでな。
「用もないのに貴様に会おうとは思わん。」
「ハン!それはそうね。だけど私に証言させようったって無駄よ。」
オリガと司法取引し、煉獄と兵団の悪行を法廷で証言させる。そうすれば兵団の冷凍睡眠は、凍て付く骸の永眠に変わるだろう。カナタとシオンは減刑にいい顔をしないだろうが、最後の兵団を合法的に葬れるのであれば、納得してくれるはず。そう思っていたのだがな……
「仲間は売らない、立派な心掛けだな。」
「私に仲間なんていない、いるのは主だけよ。見てなさい!私を殺したところでセツナ様が貴様らを…」
「話を聞け。おまえなら逃亡中のアマラと繋ぎをつけられるのではないか?」
オリガの賢さはそこそこだが、アマラは本当に賢い。煉獄が己の命運を託すとすれば彼女だ。あの女は何らかの策を授けられているはず。まだ動かないのは肝心要の煉獄の居場所が掴めていないからだろう。封印を解く事なく兵団を葬るつもりだったが、状況が変わった。
「……出来るかもしれないわね。ま、出来るとしてもしないけどね。」
そこそこ賢いだけあって、状況の変化を感じ取ったようだな。……アルハンブラを通じて煉獄と極秘会談した時、奴は得意気に吹聴した。
"フフッ。密約などに頼らずとも、キミと私が手を組めば、世界を手にする事が出来る。なぜなら、私は※※※※※を持っているからだ。キミの※※※※と私の※※※※※があれば、神の力を我が物と出来る。……御堂イスカよ、私と共に理想郷を創らないか?"
奴と共に天を戴く事などあり得ない、私は即座に拒否した。だが……煉獄が本当に※※※※※を持っているなら、絵空事ではない……
……潔く身を引け、それが世界の為だ……
内なる声が私に囁く。そんな事はわかっている!だが私に!この私に時代の引き立て役で終われと言うのか!
「……どうしてだ!!どうしてこんな事に!!」
地下牢の壁を力任せに叩くと、分厚いコンクリートの表面に無数の亀裂が入った。身内のクランドもマリーも、敵のオリガも目を見開いて息を飲み、一言も発しない。私は血の滲んだ拳を見つめながら、呪詛めいた独白を漏らす。
「……カナタが……カナタさえいれば、こんな事には……」
黄金の狼は私の知り得ぬ場所で眠り、助力は仰げない。今こそ、助けが必要だというのに……
悔やんでも悔やみきれない。後悔しても、もう遅い。……だが、決断しなければ。市井の一私人として、世界の行く末を見守るのか……それとも……
様々な想いが灼熱の奔流となって渦巻き、心が燃え滾る。ロドニー・ロードリックは、"この結末がわかっていようとも、同じ道を選んでいた"と言い残して死んだ。私の迎える結末はまだわからない。わかっている事はただ一つ。この決断は、共に歩めた未来を葬り去るに他ならない事だ。
……すまない、カナタ。……私は……私でしかいられないのだ……
未来を共にしたかった男に心中で詫びながら、決意を口にする。
「この御堂イスカが!誰かの創る世界を黙って見ているだけなど、断じて許せん!!」
※作者より
第二部は次のエピソードにて完結します。最終話の投稿日は1月26日(日曜)、第二部の完結と同時に第三部が開幕、5話ほど一気に投稿する予定です。第三部のタイトルは「クローン兵士の~」ではなく、新タイトルになりますが、もちろん剣狼カナタが主人公の続編となっています。