哀歓編25話 キミに未来は託せない
※イスカ・サイド(カナタがコールドスリープに入ってから四ヶ月後。神楼市の私邸)
私邸の書斎で紫煙を吐きながら、程良い疲労と充足感を満喫する。戦争の帰結を含めて全てが思い通りになった訳ではないが、合意事項には満足している。大仕事を終えた後の一服は何物にも代え難いものだな。
一昨日、中立都市カムランガムランで行われた最終交渉は無事終了し、講和条約締結の日を待つばかりとなった。二週間後に中立都市パームで講和条約が結ばれ、カプラン元帥とゴッドハルト元帥が戦争終結と共存共栄を宣言する事になるだろう。
停戦協定が結ばれたあの日以降、同盟軍と機構軍は直接間接の交渉を何度も行い、妥協点を探り合った。優勢を保ったまま停戦に応じた我々が優位に交渉を進めたのはもちろんだが、機構軍にも強味はある。図らずも、皇帝一強体制が確立された事だ。最大にして唯一のライバルだったネヴィルどころか王国のナンバー2、3までもが戦死し、残ったのは暗愚なナンバー4。
手際良くマッキンタイアを傀儡の王に仕立て上げたゴッドハルトは、機構軍の完全掌握に成功した。皇帝に異を唱えられる実力と発言力がある野薔薇の姫と智将には、停戦協定を盾に初期段階でコールドスリープ入りを命じて側近ごと排除。フーは元帥の地位を利用してコールドスリープは免れたが、彼女一人の力では皇帝に抗しきれず、持ち帰られた合意事項に対して僅かな譲歩を勝ち取るのが精一杯だった。
皇帝の独断で交渉を進められる機構軍に対し、同盟軍の力関係は複雑だ。交渉の責任者は同盟軍総司令官のカプランだが、副司令官の私もいるし参謀長のザラゾフもいる。カプラン派、ザラゾフ派、アスラ派によるトロイカ体制が、同盟軍の現実なのだ。カプランが総司令官の地位を、ザラゾフが主戦場での勝利を武器に自派閥の利益を主張すれば、同盟内での調整は難航していただろう。
機構軍との条件闘争より同盟軍の利害調整に苦労しそうだと思っていたが、カプランはともかくザラゾフまでもが協力的だった。父親ほど剛直ではなく、柔軟さと狡猾さを併せ持った男だとは思っていたが、あまりに物分かりがいいので、私は理由を訊いてみた。
"もっとザラゾフ派の利権を要求するかと思っていたが、参謀長は案外物分かりが良いのだな"
"派閥ではなく同盟全体の利益を考えての提案だと思ったから賛同したまでだ"
実際、アスラ派ではなく同盟の利益を考えて提案を行っていたが、ザラゾフの顔は本音を語っているとは思えなかった。
"建前ではなく本音を聞きたいのだがな"
"では本音を言おう。"誰よりも要求する権利がある男"が、講和の為に"何も言えない立場"を進んで受け入れた。後事を託された俺が、欲の皮を突っ張らかすような真似をして剣狼を失望させたくない。それだけだ"
剣狼がおまえを信じているようだから、俺も信じてやろう。それが"烈震"アレックスのスタンスで全くブレていない。この答えには私も納得せざるを得なかった。
カナタは私を信じている。それは確信している。しかし……私はどうだ?
おまえを信じている、と言葉にはした。だが行動が……行動が伴っていたか?
……もし、本当に信じているのなら、カナタにだけは叔父上の事を打ち明けておくべきではなかったか……いや、ダメだ!謀殺するつもりで手筈を整えたが、直前で思い止まった。なのにモスが命令に背いて叔父上を殺してしまったなんて話を誰が信じる!そんな都合のいい話など誰も信じない、信じる訳がない!心苦しいが、秘密にしておくしかなかったのだ……
コールドスリープに入る前、バクラにかけられた言葉が脳裏をよぎる。
"わざわざ見送りに来てくれたのかよ。ちょいとばかりの間、お別れだな。……なあイスカ、俺の事なんぞこれっぽっちも気にするこたぁねえんだぞ。誰から懸想されようが、イスカに答える義務なんざねえし、俺は見返りを求めて槍を捧げた訳じゃねえ。けどな……自分に相応しい男が見つかったんなら迷うな。俺が願ってんのは、おまえの幸せだけなんだからよ"
私の幸せ、か。幸福とは何なのだろう?
……考えるのはよそう。父の築いた自由都市同盟、そのトップの座が目の前にある。御堂阿須羅も東雲刑部も、娘を自由都市同盟の指導者に推戴し、人々を新時代に導く事を望んでいた。いや、父や叔父が願わずとも、私は権力の掌握を目指していただろう。我こそが頂点という自負と野心、これは私の生まれ持ったサガなのだ……
ノックの音で我に返る。
「イスカ様、カプラン元帥がお見えになりました。」
「ザラゾフも一緒か?」
「いえ、お一人です。」
ザラゾフどころか護衛もいない、か。まあ、めぼしい兵士は全員、冷凍睡眠に入っている。腕に覚えもある事だし、一人で行動するのに抵抗は感じまい。問題は、わざわざ首都から龍ノ島まで訪ねて来た理由だ。機構軍との交渉はまとまり、直に話し合う議題はない。
「すぐ通せ。地下室の客の様子は?」
まさかとは思うが、客の存在を嗅ぎ付けたのか? いや、客の確保には私が直々に動いた。気取られるようなヘマはしていない。
「観念したのか大人しくしております。今のところは、ですが。」
「カプランが帰るまで騒がせるな。あの男は異常に耳がいい。」
地下牢の防音は完璧だが、念には念をだ。書斎から客間に移動し、バリスタマシンで珈琲を淹れる。私邸に使用人を置かないポリシーも、そろそろ改めねばならんな。
ティーカップをテーブルに置いた直後に、マリーに案内されたカプランが客間に現れた。
「急に訪ねて来たりして悪かったね。」
根回しの達人がアポを取らなかったのも引っ掛かる。イヤな予感がしてきたな。
「ようこそ、元帥。大したもてなしは出来ないが、ご了承願いたい。」
私とカプランが差し向かいに着座すると、マリーは当然のように私の斜め後ろに佇立した。
「御堂大将、人払いを願いたい。」
マリー・ロール・デメルが私の側近である事を知っていて、それでも人払いを望むのか。一体どんな話をするつもりだ?
「マリー、席を外せ。」
「し、しかし……」
渋るマリーを目で制して退室させる。彼女の手を借りる必要があれば、後から話せばいいだけだからな。
二人きりになった客間、私とカプランは申し合わせたように珈琲を一口啜り、煙草に火を点けた。寸鉄帯びずに敵要塞に乗り込み、無血開城を勝ち取った事もある論客の顔に緊張が窺える。これは相当に重要な話のようだな。
純銀の灰皿に煙草を押し付けて火を消したカプランは、表情こそ穏やかだったが、鋭い光を帯びた目で話を切り出した。
「講和条約締結に向けて、キミの交渉力は欠かせないものだった。懐柔と恫喝を巧みに使い分け、相手に花を持たせながら実利を得る手腕は見事だったよ。わかっていた事ではあったが、御堂イスカは天才軍人にして天才政治家だ。」
「賛辞を贈りにわざわざ神楼まで訪ねて来るとは思えないな。……本題を伺おうか。」
柔和なマスクを脱ぎ捨てた論客は、眼光と同じく厳しい顔付きになった。
「……結論から言おう。キミは現時点では最高の指導者かもしれないが、いずれは最悪の独裁者になりかねない女だ。未来を託す事など出来ない。」
なんだと!? こいつ、どういうつもりだ!!……落ち着け。まずこの男の腹を探るのだ。
「……同盟元帥の椅子が惜しくなったか?」
「いや、調印式が終わったら私は引退する。つまりだね。私と一緒にキミも引退しろ、と言っているのだ。軍事からも政治からも財閥からも身を引き、自由な億万長者として優雅に暮らせばいいさ。」
重苦しいが自信ありげな顔。何の材料もなくこんな要求を突き付けるような男ではない。間違いなく、カプランは切り札を握っている!
「……そんな話を私が飲むとでも?」
クソッ!平静を装って突っぱねるぐらいしか手がないとは……慌てるな。巻き返すのはカプランの手の内がわかってからだ。
「……残念だよ。実に残念だ。本来であれば、キミは自由都市同盟の指導者として、時代の先頭に立つべき存在だった。」
「それを阻んできたのは、卿ら三元帥だろう!」
気を静めろ、昂ぶるな。カプランの思うつぼだぞ。
「……青鳩、この言葉に聞き覚えがあるはずだ。」
青鳩!……カプラン派、ザラゾフ派、帝派で共有する正体不明の何か……三者で交わされた秘密協定だと思っていたが……違ったらしいな。
「さて、初めて聞く言葉だな。」
顔色を変えずに空惚けてみたが、知らぬ振りなどこの男に通じる訳がない。
「キミは青鳩の存在は知っていたが、それが何であるかまでは知り得なかった。答えを教えよう。青鳩とはフラム派のIT企業が開発した先進的な暗号装置だ。自画自賛させてもらうが、時代の二歩は先を行く破格の性能でね。既存の暗号解析装置では絶対に割る事は出来ず、あらゆる電波欺瞞装置をも無効化する。」
青鳩は志を共にする三派で安全に通信する為の最新鋭暗号装置だった。……だが……電波欺瞞装置の無効化だと!?
……カナタは私が両元帥と協調する事を望んでいた……であれば、橋渡し役は叔父上……ま、まさか!!青鳩は……瑞雲にも……
「察しのいいキミの事だ。もう私の握っている札が何であるか悟っただろう。それでもキミは聞くべきだ。……死者の声を、ね。」
カプランがポケットから取り出したハンディコムから立体映像が投影され、私は思わず顔を背けた。だが、死せる通信士官の声が、生きた私を糾弾する。
"……誰でもいいから……聞いてくれ……御堂イスカに……裏切られた……こ、この映像が……その…証拠…だ………"
※あけましておめでとうございます。500話以上続いた第二部も後2話で完結します。第二部最終話と第三部の開幕を合わせようと準備中。第三部は一気に5話ほど投稿したいので、お時間を頂くかもしれません。本年もよろしくお願いします。
 




