新生編14話 恋の忍術
※今回のお話はマリカ視点になっています。
「忍者の頂点」と呼ばれた男、火隠段蔵、彼には、一人娘がいた。ルビーのように輝く左目を持った娘に、父、段蔵はしみじみと語ったものである。
「マリカよ、我ら火隠忍軍は、炎を尊ぶ。だからそのルビーアイの中に揺らめく炎が消える事は決してないのだろう。猛き炎のように情熱を燃やす女、火隠の血脈に相応しい我が子を持てた事は僥倖であった。」
父の言葉通り、火隠マリカは情熱的な女に成長した。戦場においては、比喩でなく猛き炎を操り、どんなに困難な任務でも炎のような克己心で遂行する。炎の女は今、戦いの場以外でも、その情熱の炎を燃やしつつあった。
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「……自由都市同盟・加盟国基本法の閲覧はこっからアクセスすんのかい……で、これが納税法と……贅沢税の項目は……あった、これか。」
複数配偶者を持つ場合の追加課税に関する事項はと……まず前提条件として、永久パス、もしくは一代パスを持つA級市民である事、か。
確か伯爵以上の爵位を持つ人間とその家族には、A級市民権が自動付与されるはずだよな? だったら侯爵号を得たカナタは、A級市民権の取得についてはクリアしてる、と。……いや待て、剥奪された爵位を回復した場合も自動付与されるのか?……念の為、爵位の回復と復権についての条項も調べておくか……
クソッ、ヒムノンに聞けば即答してくれるような事を、なんでアタイが調べなきゃなんないんだ?
パソコンの横に平向きに置いたハンディコムの画面から、着信音と一緒にホログラムの小人が現れる。おっと、復権貴族に関する条項を見られちゃ面倒だな。アタイは画面を部隊データに切り替えてから、宙に表示された通話開始マーカーに手をかざした。
「マリカ様、執務の最中でしたか。」
フィギュアサイズの副長ラセンは一礼してからモニターを見上げ、アタイにそう言った。
「今始めたところだ。ラセン、なにかあったのかい?」
「お婆様から通信が入っています。なんでも"里の一大事"だそうで……」
「ラセン、"いつもの一大事"かい?」
「だと思いますね。お繋ぎしますよ、後はよろしく。」
「待ちな!繋いでいいとは言っ…」
画面に現れた皺だらけの婆ぁは、ノートパソコンの中からアタイの面を意味ありげな顔で一瞥してから、一礼した。
「マリカ様、お久しぶりですじゃ。……そのお顔、小童めに通信を切らせようとなさいましたな?」
火隠忍軍副頭目のラセンを小童呼ばわりするのは、梟お婆だけだ。この婆ぁは親父の乳母兼相談役を務めた長老。同じ長老衆で現相談役のゲンさんをガキの頃から知ってる、里の最長老だ。
「お婆、一大事ってのはなんだ?」
「おお、そうじゃったそうじゃった。婆とした事が"里の一大事"を失念するとはのう。齢も百を越えると耄碌は避けられんわえ。」
失念するのは一大事じゃないからだ。憎めない婆様だが、困った婆様でもある。
「婆ぁのしわがれ声は聞き飽きてンだ。サッサと要件を言いな。」
「ホッホッホッ、マリカ様のご気性は変わりませんのぅ。婆は安心しましたぞえ。亡き先代もさぞかし…」
婆ぁの話はいつも前置きが長いンだよ!アタイが短気なのは知ってンだろ!
「婆ぁ、婆の前に"クソ"を付けられたくなきゃ、今すぐ要件を言え!」
「フェッフェッフェッ、クソ婆ぁで一向に構いませんぞ。何を言われようと、目に入れても痛くない曾孫のような里長様ですからのぅ。痛いも何も、この婆の目はもうロクに見えとりはしませんがの、ヒャッヒャッヒャッ……」
二重まぶたどころか五重まぶたから覗く白濁した目。若い時分は目を見張るような美人だったってゲンさんは言ってたけど、本当かねえ……
かつては美人だったにしてもだ、今の姿を他所のガキどもが見たら"妖怪"呼ばわりされそうだ。いや、見知ってるアタイの目から見ても妖怪そのものだな。ま、アタイも婆ぁの歳まで生きてりゃ、こうなるんだろうが……
「曾孫みたいな里長ねえ。婆ぁ、里の一大事ってのは、"早く玄孫の顔が見たい"って話じゃあ、ないだろうね?」
バイオメタル化のお陰で人類の平均寿命は飛躍的に伸び、玄孫の顔を見れる爺婆も増えた。梟お婆もその一人で、五人の玄孫が既にいる。だけど、この婆ぁは玄孫の顔よりもアタイの子の顔を見たがってるときたもんだ。
「左様ですじゃ。マリカ様、この婆の生き甲斐の為でなくとも、里長の血を引くお子は必要ですぞえ?」
「問題ない。ラセンに女が出来た。結婚も時間の問題だ。」
漁火家は火隠れの頭領家である火隠家の分家。問題はこれから生まれるであろう里長の血を引く子に、ラセンのカレー狂が遺伝しかねないって事か。ラセン級のカレー狂が里長になった日には"火隠れの里"を"カレーの里"に変えちまいかねない。
「マリカ様、分家より本家の血を引く者が里長になられるのが理想。長老衆もそう申しておりまする。副頭ラセンは極めて優秀な忍びで、立派に里長が務まる器量を持っておりますが……火隠れ伝来の火薬調合術より先に、カレーパウダーの調合を覚えた小童ですじゃ。」
そのラセンが調合したライスカレーが婆ぁの大好物なのは知ってるからな。
「親の性癖が子に遺伝するとは限らん。それこそ爺婆どもの教育次第だろう。」
小童なんて呼んでるが、梟お婆が一番ラセンを甘やかしたのは周知の事実だ。ラセンの要領の良さ、悪く言えばチャッカリ気質は、教育係だった婆ぁの教育の賜物なんだよ!親父め、なんでアタイと一緒にゲンさんに師事させなかった!
「もちろん小童めの子にも、この婆が里長の血族としての生き方をお教えしますわえ。……マリカ様、老い先短い婆の頼みですじゃ。亭主に迎える男のハードルをお下げくだされ。"アタイより強い男を連れてこい"は、あまりにご無体。そんな男は現世から来世、天竺から冥府魔道まで探したところで見つかりませぬわえ。」
「………」
梟お婆の頼みは聞いてやりたいが、アタイはアタイより弱い男の女になる気はない。もちろん、ただ強いだけでもダメだが……だが、カナタなら……あの天狼ならアタイを超えてゆくかもしれない……
「……まさか!見つかったのですかえ!先代様を超えた最強の忍びを……超えてゆく男が!!」
「お婆、その話は暫し待て。少し様子を見たい。」
器量だけではなく、強さでもアタイを超える男と所帯を持つのが理想。そしてアタイの緋眼が教えてくれた。"この男はいずれおまえを超えてゆく"と。
……例えこの緋眼が節穴で……カナタがアタイを超えられなかったとしても、アタイは……アイツの傍にいたい。この心に灯った炎に殉じたいんだ。
「よろしゅうござりまする。……シュリが"お婆様、僕の友は最強の狼になる男です。天駆ける狼が、どこまで昇るか見てみたい"と言った時には、情に厚い男だけに、友を過大評価しておるとばかり思うていたが……そんな男がおったのかえ……」
「お婆、まだ誰にも話すなよ。フラれたらカッコ悪い。」
女としての自分に自信はあるし、先んじて手付けも打っておいた。だけど……最強の狼になれる素質を持った男は、現在既に最強の天然ジゴロなんだ。三人娘以外にも惚れてる女がいてもおかしくない。特に魔境"魔女の森"で、カナタが守り抜いたっていうローゼ姫が怪しい。カナタの"たらしオーラ"は、相手が敵国のお姫様だろうがおかまいナシで、発動しそうだからねえ。
「マリカ様がモノに出来ぬ男など居りはしませんわえ。……じゃが万一、儂らの崇める炎の女神、マリカ様を袖になどしたら、其奴には死んでもらいまする。くノ一梟、現役復帰ですじゃ。」
く、ノ、一、と書いて"女"。人生初の"女の戦い"で負ける訳にはいかないねえ。常勝不敗が火隠れ忍軍のモットーだ。とにかくカナタには、アタイとナツメだきゃあ娶らせる。力尽くでもな!……そうだ。確かくノ一梟は失伝したはずの、あの術を知る唯一の女……
「里の者の手は借りん。そうなったらアタイが殺すまでさ。お婆、一つ頼みがある。火隠れ秘伝の"房中術"の書を送ってくれ。」
モニターの中で歴戦のくノ一"梟"は、妖怪みたいにニチャアと笑った。……この絵面、そのままホラー映画のワンシーンに使えそうだねえ。
「フェッフェッフェッ、それで婆には秘め事を話してくださったのですな? しかと承知、極秘に"房中秘術書"を送らせますわえ。唯一学ばなかった術である房中術をマスターされれば、マリカ様は"忍びの完全体"に成られますな。」
房中術の事は今、気付いたんだ。最長老が婿取りについて沈黙すれば、他の爺婆も静かになると思っただけさ。
「くれぐれも里の者には気取られるな。次に里帰りした時に、お爺にはアタイから詫びておく。」
火隠れの先々代だったお爺は"忍術は売りにするが、操は売らせぬ"と言って房中術を封印した。……ま、お爺は"惚れた男をモノにする為に房中術を使うな"とは言ってないから、いいだろう。
「泉下の先々代も、孫のマリカ様が封を解くと仰られるのならば、お許しになりますわえ。秘伝書を送る前に、婆が神棚に酒でも備えておきまする。それではおさらば。」
妖怪婆ぁの姿がモニターから消え、悪い顔で笑うアタイの面がモニターに映る。
これでよし。……カナタ、次の夜伽じゃ、骨抜きにしてやんよ。骨という骨が蕩けて、タコみたいにフニャフニャになるまで寝かせないから、覚悟しな。