3-1
きっとR-15展開
(ああ、いつもの夢か)
もはや肉体の重さを感じることのなくなって久しい彼にとって、夢だけが失われたものを実感させてくれる唯一の手掛かりだった。
その結末は常に変わらないが、それでも彼はこの時だけは夢に全てを委ねてしまう。
夢の中で、彼は仲間達と共に、住処の付近の森を哨戒していた。
数日前に森の中で見慣れない人影を見た、という仲間が現れたためだ。
同世代の仲間の多くはただの気のせいだろうと言っていたし、彼自身もそう思っていた。何しろ、彼等がこの地で産まれ、暮らすようになってから長い間、彼等以外の者達がこの地を訪れたことなどなかったのだ。
それでも、この地に来る前から生き永らえている長寿の者達は、万が一に備えて見回りの人員を出すことを主張した。
長寿の者達を多く含む導師連もその意見を受け容れ、数人の小隊を幾つか編成し、定期的に派遣することを決定した。
そして今は、彼の所属する小隊が周囲の警戒を行っているというわけである。
「まったくよー、爺様方も心配性だよなあ」
小隊の仲間の一人で、彼の幼馴染でもある少年がぞんざいな口調でそう零した。彼も同意見だったが、そんな様子はおくびにも出すことはない。なぜなら、そんな事を口にしたら最後、喧しいお目付け役に怒鳴りつけられるためだ。
「こらっ、まだネチネチとそんな事を言っているのか!」
「いでっ!」
案の定、小隊を率いていたリーダー格の青年が聞きとがめ、愚痴を零していた幼馴染の脳天に拳骨を振り下ろした。ゴツンという重たい音が響き、殴られた幼馴染は頭を押さえてうんうんと唸っている。
見回りをするようになってからすでに一週間以上が過ぎているが、二日に一度は同じやり取りを経て鉄拳制裁を受けているこの幼馴染は、よほど学習能力が無いのか、もしくは被虐趣味でもあるのかと、彼は内心で疑っている。
「まったくお前は……毎日毎日愚痴ばかり垂れ流して。長い付き合いだってのに、どうしてこいつとこんなに出来が違うかね」
「ううぅ、俺は俺だっての。何でもかんでもできる奴と比べられたって困るっての!」
眉間に皺を寄せながらのリーダーの言葉に、幼馴染は己の方を困った表情で眺めている者、つまり彼を指さしながら反論した。
「呪素の保有量は十人分以上、その制御も針の穴を通せるほどに精密。おまけに頭も要領も良いから、俺が一つ魔術を使えるようになる間に、その倍の難易度の魔術を三種類は習得してるんだぞ。そんな完璧天才超人と比べたら、誰だって劣って見えるだろ!」
「……正論は正論なんだが、自分で言っていて空しくならないか、お前?」
説教の材料に少し引き合いに出すだけのつもりが、思った以上に思ってもいなかった反応を返され、リーダーが困惑の面持ちで呟いた。一方の幼馴染は、なぜかフンと荒い鼻息を噴き出した。
「俺が何年こいつの幼馴染やってると思ってるんですかね!出来が違い過ぎるなんてのは、とっくの昔に理解してますよ。そもそも差があり過ぎると、嫉妬すらできなくなるもんなんですよ!」
さすがに隣に立つ友人にそこまで言われては、己の実力にある程度の自負を持つ彼も気恥ずかしさを覚えてしまう。肩を叩いてやれば、幼馴染も勢いに任せて言いたい放題していたことを自覚したのか、照れたような顔を見せた。
と、その時である。
ピィーー!!
耳をつんざく甲高い音が辺りに響き渡った。
その場の全員の思考が瞬時に凍り付いた。わずかの間を置いて、最初に口を開いたのはリーダーだった。
「……俺は村に戻る。お前達は指示に従え」
「え、いや、だって、今のは……」
リーダーの下した決断に、幼馴染が混乱した様子を見せる。だがそれも無理はない。今の合図は、全てが手遅れになってしまった場合にだけ発せられる、「生き残った者、各個に村を捨てて生き延びろ」という意味だったのだ。
哨戒任務の話が出た際、万が一、そう本当に万が一の場合にだけ発せられることになっていた合図なのである。
最初に教えられた時には、まさかそんな合図を耳にすることなどあるまいと思っていたが、いざ聞いてみればそれは想像もしていなかった衝撃と混乱を彼等にもたらしていた。
「導師連の方々が仰っていたことが正しかったんだ。俺達は油断していた。油断してしまったんだ」
血が滲むほどきつく拳を握りしめ、リーダーが苦渋に満ちた声を絞り出す。
「奴らは狡猾で残虐だ。おそらく、ノルソの奴が人影を見かけたというのも罠だったんだ」
「わ、罠!?」
「ああ、そうだ。どこから嗅ぎ付けたのかはわからないが、奴らは俺達がこの森に暮らしていることを知った。だが、村の正確な場所までは掴めなかった。当然だな、俺達の村は森の深い場所にあるからおいそれとは辿りつけないし、村に通じる道は全て隠してあるからだ」
だったらなぜこのような事態になっているのか。その疑問に対する答えとして、すでに彼もリーダーと同じ結論に至っていた。
「利用されたんだよ。おそらく、森のあちこちにわざと姿を見せて警戒させ、俺達のような見張りが出てくるのを誘ったんだ。巡回の範囲や頻度が分かれば、拠点である村の場所に目星をつけることだってできるはずだ。くそっ、何故気付かなかったんだ!!」
湧き上がってくる悔恨と怒りを桁外れの精神力で抑えつけながらも、リーダーは手玉に取られてしまった己自身を罵倒することだけは止められなかった。
そしてそれは、彼も同じだった。
彼等を狙う者達がこの世に存在することは、長寿の者達から嫌になるほど繰り返し語り聞かされてきたのである。卑劣さと悪辣さにかけては他のあらゆる生物を凌駕するその者達を相手にするのであれば、二重三重に警戒してもまだ足りなかったのだ。
それなのに、彼は何の根拠も無く目撃された人影を勘違いだと思い込み、哨戒も決められた範囲を決められた通りに回っただけ。そういう意味では相手の事をよく知っていたはずの長寿の者達すら欺かれたということになるのだろうが、それでも現場にいた自分達が気付いてさえいれば、もっと別の方策だって取れたかもしれない。
何が天才だ。ちやほやされていい気になっていただけの、ただの世間知らずではないか。
「でも、合図は逃げろって……」
リーダーの説明をようやく受け入れた幼馴染だが、それでも村に戻ると言ったリーダーの意図までは汲み取れていなかったらしく、怯えたように尋ねてくる。
恐怖で思考が凍り付いている幼馴染を何とか落ち着かせようと試みながら、彼はリーダーがあえて口にしなかった部分を説明することにした。たとえそれが、リーダーの意志に反することであったとしても。
そもそも先ほどの合図は、哨戒中の者だけに向けられたものではない。あれは村に残っていた者達を含めて、彼等全員に対する避難指示だったのだ。
本来であれば、哨戒中の小隊が敵を発見した場合、相手に察知されないように偽装した連絡手段で、他の小隊にもそのことを伝達する手筈となっていた。それが無いまま急に全員に向けての避難指示が出るということは、他の小隊も気付かなかったか、あるいは周囲の小隊に伝達するよりも早く、敵が村まで到達したということになる。
いきなりそんな事態になったとして、村に残っていた者達は無事に逃げられるものだろうか。哨戒に出た者とは違って非戦闘員もいるため、パニックを起こしている可能性もあるだろう。そんなことになっていては、逃げられるものも逃げられまい。
それを懸念し、リーダーは単身村に戻ることを選択したのだ。たとえそれが可能性の一つに過ぎず、上からの指示に逆らうことであっても、己のミスを悔やみ贖罪の機会を求めていたリーダーにとっては当然の選択だといえた。
「まったく、お前はどこまで見透かしているんだよ。ああ、そうだ、お前の言う通りだ」
彼がその推測を告げると、リーダーは渋い表情でそれを認めた。
「じゃ、じゃあ、急いで戻らないと――」
「駄目だ。お前達は来るな」
顔面を蒼白にさせた幼馴染の言葉をリーダーが強い口調で遮った。リーダーは強い決意を秘めた瞳で二人を見据える。
「俺の判断は疑問の余地なく命令違反だ。その我儘に、お前達まで巻き込むわけにはいかない」
「そんなっ、だって逃げ遅れた仲間がいるかもしれないって!」
「かもしれない、だ。いると決まったわけじゃない」
詰め寄る幼馴染をたった一言で押し止めるリーダー。この冷静さこそが、リーダーをリーダーたらしめているといっても過言ではないだろう。
「全員避難の合図があった以上、村は陥落した。少なくとも戦場になっているのは間違いない。そんな危険地帯に、『かもしれない』でお前達を連れていくわけには行かない」
「そんな!?」
悲鳴と嗚咽が入り混じる。リーダーはたった一人で死地に飛び込むと宣言しているのだ。
しかし、その表情には悲壮感はなく、これまで見たことが無いような覇気が横溢していた。幼馴染を安心させるためか、リーダーはこれ見よがしにニヤリと口角を引き上げてみせる。
「安心しろ、俺だってむざむざ死ぬつもりは無い。避難が終わったら一目散に逃げるさ。というわけで、これが隊長としての俺の最後の命令だ」
小さく息を吸い込み、そして命令を紡ぐ。
「生きろ。ここから逃げて、必ず生き残るんだ」
「だいぢょ~」
涙腺が完全に決壊した幼馴染は、顔面をぐちゃぐちゃにしていた。
そして彼は、リーダーの命令に対して、おもむろに首を横に振った。
「……あれ?」
この流れで断られるとは考えていなかったらしく、リーダーはぽかんと口を開けてしまう。これまで凛としていたリーダーの初めて見るそんな表情がツボに入り、こんな状況にも関わらず、彼は思わず吹き出してしまった。
ジト目で睨んでくるリーダーの迫力に、すぐさま謝罪しつつ彼は告げる。
先ほどリーダー自身が言った通り、リーダーは命令違反を犯すことを宣言した。であれば、その時点ですでにリーダーにはこの小隊の隊長たる資格は無い、と。
そして何らかの事情で隊長がその職責を果たせない場合、小隊メンバーの誰かがそれを引き継ぐのが決まりである。その順番はあらかじめ決まっており、この小隊では彼がその役目を引き受けることとなっていた。
積み上げられていく理屈にぐうの音も出ず、リーダー、いや元リーダーは渋い表情で先を促す。元リーダーも、一分一秒が貴重なこの瞬間に、何の意図も無く場を混乱させるような事を彼が言い出すとは思っていなかった。
元リーダーの無言の信頼に応え、新リーダーとなった彼は言葉を紡ぐ。彼が出した命令は、村に戻って避難を手伝うことだった。
「おい、お前っ!?……」
彼の意図を悟ったらしい元リーダーに無言で頷き、彼は続ける。
元リーダーと同様、命令違反を犯した彼もこの小隊の隊長から除外される。そうなれば、残るは幼馴染だけである。彼が視線をやると、幼馴染も彼の思惑に気付いたらしく、力強く頷いた。
「最初の最後の指示になるけど、俺だって村の皆を助けたい。だから、俺も一緒に行く」
「はぁ~、くそ……お前らは本当に……俺の覚悟を返せってんだ!」
小隊の全員が命令違反者となれば、それは最早小隊とは呼べまい。そして小隊ではなくなった以上、避難命令に従う必要は無い。それが彼のひねり出した屁理屈だった。
子供のような理屈で説得されたリーダーは、八つ当たりのように喚いていたが、その口元が緩んでいることは隠しようもなかった。
■◇■◇■◇■
そして彼等が飛び込んだ先は、文字通りの地獄だった。
そこには阿鼻叫喚も焦熱も極寒も無い。ただひたすらに噎せ返るほどの血臭と、声にならない無言の怨嗟が満ち溢れていた。
見知った顔の村人達。彼等はすでに物言わぬ躯となり、眼球の抉られた虚ろな眼窩を晒していた。腹を裂かれ、鮮血で大地を濡らしていた。全身の皮を剥がれ、髪の毛を毟られ、まるで鶏のように解体されていた。
喉の奥からこみ上げてくる何かを強引に押し殺し、村人達の傍らにいる存在へと意識を向ける。
鉄色に鈍く輝く磨き抜かれた鎧を纏い、腰には装飾の入った長剣を佩いている。剣と同様の装飾の彫られた槍の穂先は、辺りの家を侵食する炎に照らされ、ギラギラとした剣呑な光を放っていた。
その連中は数人単位で村人の遺骸に群がり、手にした小ぶりな刃物を新鮮な肉に突き立てていた。まるで長年欲しかった玩具を与えられた子供のように、村人達の身体を千切るたび耳障りな歓声を上げる。
「はははははっ!こいつは凄い!どこもかしこもお宝の山だぜ!」
「違いない!こんな大規模な群生地が見つかるなんて百年ぶりじゃないか?こりゃあ、うちの領主様にも運が向いてきたってことか!」
喜色に溢れた様子で同胞を解体する男達。次の瞬間、彼自身すらも無意識のうちに編み上げていた攻撃魔術が、男達の頭蓋を破裂させた。
「ゴ、ゴドフリーッ、マイアスッ!」
「まだ生き残りがいるぞ!囲めっ!」
死体漁りに熱中していた他の鎧男達が、魔術を放った彼の姿に気付き、応援を呼び始める。そんな連中を睥睨し、彼は錆びついた金属製品のように途切れ途切れに問いかける。
なぜ襲うのか、なぜ奪うのか、なぜ殺すのか、と。
それに対する彼等の返答は、この上なくシンプルだった。
「決まっているだろうが、金になるからだ」
「お前達エルフの目玉や内臓は、不老長寿の薬になるって伝承だからな!」
「本当かどうかなんてどうでもいい。欲しがって、金を出す人間がいる。それだけで狩りの理由には十分だろうが」
確かに、それだけ聞けば十分だった。身を隠して様子を探っていたリーダーも幼馴染も、怒りのあまり逆に感情が抜け落ちた表情でそれぞれの武器を構える。彼も発動直前で待機させておいた攻撃魔術を解放した。
そこから先は記憶する価値も無い展開だった。
殺した連中の人数は十を超えたところで数えるのをやめた。それに倍する数の男達を肉塊へと変えた。それでも男達は際限なく湧き出し、三人のエルフを飲み込んでいった。
最初に死んだのはリーダーだった。彼は突撃をかけてきた男達の前に立ちはだかり、その首を刎ねられた。
次に逝ったのは幼馴染だった。男達の増援が遠距離から射掛けてきた矢の雨から彼をかばい、全身に無数の棘を生やして息絶えた。
最後に残った彼は、力を振り絞って魔術の行使を続けた。辺り一帯が敵であれば、細かい狙いをつける必要は無い。同胞達はすでに息絶え、誤って傷つける恐れも無い。もはやまともな判断能力を失っていた彼は、呪素の続く限り魔術を放ち続け、最終的には死体の陰に隠れて接近してきた男達の槍によって串刺しにされた。
全身から暖かい液体が流れ出していく感触に身を委ねながら、細く途切れがちになっていた彼の思考は、最期になって彼の一族に伝わる秘伝魔術書最大の禁忌とされる術式に思い至っていた。
天才と呼ばれた彼に寄せられる周囲からの期待は大きく、通常であれば秘匿されてしかるべき魔術であっても開示されていたのである。無論、絶対に行使してはならないと言い含められていたが。
だが、死の間際にあってはそんな制約など何の枷にもなりはしなかった。この状況で幸いと言うべきかわからないが、その魔術は瀕死の彼であっても使用できるものだった。というよりも、そんな状態でもない限りは使用が躊躇われる類のものだったのである。
その術式の代償は術者の命そのもの。そしてこの魔術は、術者の存在そのものを世界へと焼きつける。
魔術が完成したその瞬間、彼の肉体は千々に四散し消滅した。すでに事切れたと思っていたエルフが引き起こした凄惨な事態に、男達は唖然としている。
その混乱の中、彼の意識は最後に行使した魔術が成功したことを直感していた。
存在しないはずの全身に意識をやってみれば、肉の身体の代わりに血煙で構成された巨大な顔がその代わりとなっている。
魂の奥底から湧き上がる無尽の赫怒と愉悦に身を委ね、彼は朗々と名乗りを上げる。
「我が名はアル・アジード。短命の屑共、貴様らを滅ぼすものなり!」
それが、邪神が産声をあげた瞬間だった。
要するに、
人魚の肉食ったら不老長寿になるんだぜ!(異世界版)
ってわけです。