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交叉都市の引退剣士  作者: 読み専のクェイナー
第二章 狭河市探訪記
5/21

2-1

 荒凪十夜の朝は早い。

 朝日が昇るか昇らないかといった時刻にセットされた目覚まし時計より、更に30分ほど前に起床してしまう。

 叩き込まれた習慣に従って動きやすい服装に着替えると、母屋の裏に建てられた土蔵に赴き、体を動かし汗を流す。

 その内容は日によってまちまちだが、今朝は一本の木刀を構えていた。

 中段に構えた木刀の先端を小刻みに揺らしながら、仮想の相手との間合いを測る。

 今相手にしているのは先日戦ったキマイラだ。久しぶりの大物相手の感覚がまだ残っているうちに、それを稽古に取り込むのである。

 脳裏に残るキマイラの攻撃を思い返し、その一挙手一投足に対する防御を重ね、それに対する更なる猛攻を凌ぎ、隙を作っては急所に鋭く打ち込んでいく。

 どれほどそうしていたのか。気付くとすっかり息が上がり、全身の汗が湯気となって、稽古を始める前には完全に冷え切っていたはずの土蔵の中を逆に温めていた。

 明かり取り用の窓から差し込んでくる陽光の具合から見て、そろそろいい時刻になっているらしい。十夜は稽古を切り上げると、軽くシャワーを浴びてから朝食をかき込み、身支度を整えて家を出た。

 十夜が住んでいるのは、ネーアに紹介してもらった物件で、狭河市の郊外に佇む一軒家である。

 一人で暮らすには不相応なほど広いが、街の中心部から離れていて不便なことに加え、建物も建築基準法に喧嘩を売っているような年季の入りようのため、『銀糸境界』の居候に過ぎない十夜の稼ぎでも十分にやっていくことができている。

 十夜が街の中央を貫く臨見河にかかる大橋を渡って市街地に入ったのは、大半の店が開店準備にかかっている頃合いだった。徐々に活気を増していく街並みを横目で眺めながら、駅前商店街の一番奥まった場所にひっそりと立つ店舗に辿りつく。

 その店の看板には、洒落た字体で「アンティークショップ 銀糸堂」と書いてあった。

 すでにシャッターの上がった店先には、一見するとガラクタにしか見えないような品々が陳列されている。実際、店頭に並べられているのはガラクタとは言わないまでも、それに近いレベルの品物だ。まともに商売をしているのであれば、店頭には人目を惹く商品を置くべきなのだろうが、そういった点から見てもあまり真面目に営業している様子は無い。

 それはさておき、十夜は店舗脇の小道から店の裏手に回ると、勝手口から店に上がり込んだ。

 その途端、

「トーヤ兄ぃ、トーヤ兄ぃ」

 ぼすっ、という軽い感触と共に、誰かが横から抱き着いてきた。

 見下ろしてみれば、十夜の腰にぶら下がっていたのは一人の幼女であった。屋内だが、猫耳のようなフード付きのパーカーを羽織っている。そのフードが幼女のお気に入りだということを、十夜はよく承知していた。

「どうした、ちびっ子」

 抱き着いたまま離れようとしない幼女をやんわりと剥がすと、目線の高さまで抱え上げる。

 すると、幼女はぷうっと頬を膨らませた。

「わたし、ちびっ子じゃないもん。アカネって名前があるもん」

「ちびっ子はちびっ子だろ。というか、おまえさんの名前って、確かコウメじゃなかったっけか?」

 記憶にある名前と食い違いがあったのでつい突っ込んでしまうと、幼女は何故か鼻息荒く宣言する。

「それは昨日までなの。今日からはアカネだよ!」

「あー、例のやつか。はいはい」

「ちゃんと聞けー!」

 おざなりな返事に腹を立てたらしく耳元で騒いでくる幼女を、若干ぞんざいに床に降ろす。

 舌足らずな口調で文句を言い立ててくるアカネだったが、一通り騒ぐと気が済んだのか、最後にこくりと小首を傾げて用件を告げた。

「あとね、ネーアがトーヤ兄ぃのこと呼んでたよ」

「頼むからそれを最初に言ってくれ」

 思わず愚痴が口を突いて出るが、移り気な子供相手には反省しろと言っても無理な話である。案の定、アカネもぺろっと舌を出し、

「えへへ、ちょっとだけ忘れてたの。あ、ネーアは昨日うちに来た人の部屋にいるよ」

「分かった。んじゃ、行ってくるわ」

 勝手知ったる他人の店、正確にはそれを隠れ蓑としている魔術組織『銀糸境界』の狭河市支部内を進み、昨日の夕刻にリサと面会した部屋の前にやってくる。

 扉をノックして名乗ると、「入りたまえ」とネーアが入室を促してきた。

 十夜が中に入ると、二つの視線が己に注がれていることに気付く。

 一人は入室許可を出した人物であり、『銀糸境界』狭河市支部長を務めているネーアである。

 相変わらずその無表情な美貌からは一切の感情らしい感情を読み取ることができないが、十夜に注がれている視線は常のそれではなく、若干の興味と納得が混ざっていた。

 そしてもう一人は、昨日からこの『銀糸境界』に身を寄せている異世界出身の魔術師――向こう風に言えば魔術士であるリサだった。

 こちらが十夜に向けている視線には、小さな安堵とそれと同量の苦渋が見て取れる。

 視線に乗せられた感情の理由がいまいち飲み込めなかったが、十夜はひとまず疑問を棚上げにすることにした。

 興味深そうに己を眺めてくる上司に声をかける。

「首領が俺のことを呼んでいるって、ちびっ子に聞いたんですが?」

「ああ、その通りだよ。ちょっと問題が発生していたものでね」

「問題ですか? どんな内容か分からないから確約はできませんが、俺にできることなら協力しますよ」

 一応、この組織の世話になっている十夜としては、恩人が困っているのであれば協力するのはやぶさかではない。だがネーアは、十夜の提案に軽く首を横に振ってみせる。

「ああ、それなら気にする必要は無い。もう解決したのでね」

「解決、ですか?」

 わざわざ自分を呼び出したわりには、顔を見せただけで問題は解決したという。意味が分からず首をひねっていると、ネーアはゆっくりと語り出した。

「根本的な解決ではないし、所詮は現状への対症療法、といった程度だがね。実はついさっきまで、リサ君と会話ができなくなっていたのだよ」

「はい?」

 会話ができないとはどういうことだろうか。少なくとも昨日、目を覚ました直後のリサと会談した時点では、互いに理性的なやり取りができていたはずである。首領の言葉の意味が汲み取れず、助けを求めるようにもう片方の当事者であるリサに視線を移した。

「要約するなら言語の問題よ」

 十夜の疑問に対して、リサはごく簡単に回答を告げた。さすがにそれだけでは意味が通じないと理解しているのか、諦観の混じった表情で十夜を見据えると、淡々と補足説明を加えてくれる。

「私の世界には人族共通語という言語があって、一応どこの国でも通じたわ。もちろん、地理的に孤立している地域や土着の言語と混ざった国もあって、派生は数えきれないほどあったけれど。でも流石に、文化の土壌が根底から違う異世界では通用しなかったみたいね」

 リサの言葉を引き取り、うんうんと頷いていたネーアが結論を紡ぐ。

「今朝になってリサ君の様子を見に来てみれば、お互いに何を言っているか分からず大混乱だったのだよ。まさしく、会話できない状態ということだね」

「なるほど。……あれ、でも今は普通に言葉が通じてるような。それに昨日だって、問題なく話せていたんじゃ?」

 二人の語る事情と現在の状態が噛み合わない。

 十夜の疑問に、まったくもってその通りとばかりに、ネーアは深く深く首肯した。

「まさしく、それこそが問題だったのだよ。昨日の時点で会話が成立していたせいで、私もすっかり油断してしまっていてね」

「召喚系の術式には、術者と召喚対象の間での意思疎通を補助する機能があるのよ。でも、正常に機能するためにはちょっと条件があるの。普段は意識する必要のない条件なのだけど、今回は特殊な召喚だから問題になったってわけ」

 リサの説明をまとめるとこういうことらしい。

 リサ達の世界における召喚魔術には、召喚対象が生物だった場合に召喚者との意思疎通を補助する目的で、お互いの会話を自動で翻訳する術式が含まれている。

 正確には、召喚対象が話す言葉は召喚者の母語に変換され、召喚対象が聞いた言葉が召喚者の既知の言語である場合、その意味が自動的に理解できるのだという。

 とても便利そうに聞こえるが、術式の条件を聞いて納得がいった。

 その魔術が正しく効果を発揮するには、召喚者と召喚対象が至近距離――少なくとも、会話の内容が聞こえる程度の距離にいる必要があるのだという。というのも、翻訳機能の中核を果たすのは、召喚者自身だからだ。

 召喚対象が言葉を発しようとすると、召喚者との間に繋がれた魔術経路を介して召喚者の理解できる言語に翻訳され、その言葉が発話される。逆に、召喚対象が何らかの言語を受け取った際には、魔術経路を介して召喚者が理解した意味が翻訳という形式で召喚対象に伝わるのである。

 そしてどちらの場合においても、翻訳機能の中核である召喚者が近くにいなければ、術式は機能しないというわけだ。

 今回のケースに当てはめれば、術式の中核は十夜が担っており、先程までは十夜がいなかったがために【翻訳】の術式は機能しなかったらしい。

「便利なんだか不便なんだか、よく分からんなぁ」

 ちょっとした寄り道を交えつつのリサによる解説を聞き終えた十夜の、第一声はそれだった。リサもその意見には同意せざるをえないらしく、面と向かって否定することはなかったが、口を尖らせておざなりに反論する。

「普通は召喚者が近くにいるものだから、問題にならないのよ。そもそも翻訳機能だって、本来は言語を持たない相手に命令を伝えることが目的なのだから。異世界の人間相手に会話を成立させようとしていることからして、まずイレギュラーなわけだし」

「そういうもんか?」

「そういうものよ」

 なぜか胸を張って断言された。十夜としても議論するような話題ではないため、ひとまずそれで納得しておくことにする。

 一方、ネーアは顎に手を当て、何か思索していた。

「しかし、そうなると予定が色々と…………ふむ、それもありか」

 このわずかな時間に方策をまとめ終えたのか、おもむろに十夜へと向き直る。その表情は相変わらず一切の感情を宿していないが、なぜかひどく背筋に寒気が走る。

 本能が全力で発している警告に、十夜は迷わず身を委ねた。

「あー、どうやら俺の役目はこれで終わりみたいなので、ここらで失礼させて――」

 十夜はにげだした。

「待ちたまえ、十夜君」

 しかし、まわりこまれてしまった!

 ギギギッと油の切れた蝶番のような動きでゆっくりと振り返る。無表情のまま瞳だけを輝かせるという芸当を見せている己の上司に、精一杯の抵抗を試みた。

「えーと、首領? 俺、今日はいろいろと予定が詰まってまして……」

「もちろん把握しているとも。だが気にしなくても結構。『朱の砂塵』向けの納品であれば来週から準備しても十分に間に合うし、『条約』からの伝達事項の受け取りは、元々私が行う予定だったものだ。幸いにも、最大の懸案は昨日片付いてしまったからね。それくらいの余裕はあるとも」

 全てわかっているとでも言いたげに、ネーアが優しく十夜の肩に手を乗せる。そして一言、しかしきっぱりと言い放った。

「そういうわけで、君の今日の仕事はリサ君のエスコートとなる」

「……エスコート、ですか?」

「その通りだとも。昨日結ばれた協定により、我々『銀糸境界』はリサ君に必要な支援を提供する義務がある。それは覚えているかね?」

 物覚えの悪い生徒に講義をする教師のように、ネーアはまず大前提を確認した。その場にいた十夜にとっても記憶に新しい話なので、特に疑問を挟むことはない。せめてもの抵抗とばかりに、不満気な表情を作ってみせることくらいだ。

「さすがに昨日聞いたばかりの話を、すぐに忘れることはないですよ」

「結構。では、言葉が通じないという状況は、その義務を遂行するに当たって重大な障害となることも、もちろん理解してもらえると信じているよ」

「それは、まあ、そういうことになりますかね……」

 ネーアの言わんとするところを察したのか、十夜の表情筋が全力で面倒くさいとアピールする。とはいえ、仮にも魔術組織の首領を務める人物が、その程度で包囲の手を緩めるわけはない。

 むしろここぞとばかりに攻勢を強めくるのは必定というものだろう。顔色一つ変えぬまま、理屈によって十夜の逃げ道を潰しにかかる。

「ところが、君が彼女と行動を共にしてくれさえすれば、その障害が取り除かれるわけだね。ここで質問なのだが、この状況であえて君を同伴させない利点はあるのかな?」

「――わかった、わかりましたよ。俺に通訳をやれってことでしょ」

 言いなりにならざるをえないことには若干の抵抗もあるが、説明されればその理由は理解できる。そもそも渋ってみせたのも、あまりに都合よく使われ過ぎないためのポーズのようなものだ。

 相手が異世界からの客人とはいえ、仕事の内容そのものは魔術の絡まないただのお世話係である。これ以上ごねても百害あって一利なし。大人しく両手を上げ、十夜は降参の意を示した。

「ご明察、その通りだとも。なに、安心したまえ。問題点が明確になった以上は早急に対処にあたる。さしあたって、リサ君にこちらの言語を学んでもらう準備が整うまでの期間……三日程もあれば十分だろう。その間、君にはリサ君の面倒をみてもらいたいのだがね」

 改めてのネーアの要請を、十夜は諦観と共に引き受けたのだった。

なんでアンティークショップやってるかっていうと、隠れ蓑に便利だからです。

魔術絡みの怪しげな品物を取り扱っても、商売道具で通りそうだし(すごい偏見)

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