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交叉都市の引退剣士  作者: 読み専のクェイナー
第一章 来訪者来たる
3/21

1-2

 のそり、と夜の森の中から現れた獣は、強烈な獣臭を撒き散らしながらザハクの隣まで進み出ると、唸り声一つ上げずに(こうべ)を垂れた。

 それは獅子の頭部と胴体に山羊の頭、蛇頭の尻尾を併せ持つ異形だった。四足を地面につけた体勢ながら、その上背は十夜を軽々と超える。捕食者然とした獅子頭の牙の隙間からは、チロチロと炎が漏れ出ていた。

 一目見て通常の生物の範疇に無いと分かる化け物を前に、十夜は小さく鼻を鳴らしてその名を告げる。

「キマイラ、だっけか。このご時世に伝承の魔獣とはな。随分と豪勢なことだ」

「まあね。僕って、質には結構こだわる方だからさ」

 己の傍らに控える魔獣の毛並みをうっとりと撫でながら、ザハクが呟いた。陶酔した表情のまま、己のコレクションのスペックを謳い上げる。

「この子は撫で心地だけじゃなくて、狩りの腕前だって一級品なのさ。こんな小さな島国の片隅にある弱小工房程度なら、えーとこの国の言葉だとなんて言うんだっけ……そうそう、朝飯前に潰せるんだ」

 にわか知識の言い回しを混ぜながら喧伝する魔獣の凶暴性に偽りはない。キマイラは現在知られている魔獣の中でも、トップ級の討伐難易度を誇る文字通りの化け物だ。

 だが、その知識があってなお、十夜は一切動揺するそぶりを見せなかった。

 それどころか、若干面倒そうに片目をつむると、挑発するようにちょいちょいと手招いてまでみせる。

「こういうところは見た目通りにガキだな。御託はいい。こっちは仕事上がりでさっさと帰りたいんだ。面倒だから手早く済ませてやるよ」

「お兄さん、せっかちだなあ。まあいいや、それじゃあ遠慮なく行かせてもらうよ」

 どうやら希望と違ったらしい十夜の態度に、若干ふくれっ面でザハクが告げた瞬間、おあずけを解かれた犬さながらの瞬発力でもって、魔獣の巨体が飛び掛かってきた。

 獣の敏捷性を存分に発揮し、嵐のごとく十夜に襲い掛かる。大きく開かれた獅子の咢が、十夜の肉を食い千切らんと限界まで開かれた。

 対する十夜の応手は緩やかだった。

 キマイラと相対して斜め前に向かって一歩、いや一歩半、ぬるりと踏み込む。その半歩をもってキマイラの間合いを紙一重で外れたのである。更に、目標を見失って虚空を噛んだ魔獣の前足にちょこんと片手を添えた。

 それだけの動きだったが、結果は激烈だった。

「ガァァ!?」

 巨体と称して余りあるキマイラの身体が、頭から尻尾にかけてを軸とし、ぐるりと百八十度回転したのだ。無論、空中でそんな挙動を強制されればバランスを崩すしかない。

 体勢が崩れたキマイラの跳躍は本来の軌道を逸れ、十夜のすぐ脇を通り過ぎると背後の木立へと激突した。

 大質量が巻き起こす衝撃が土煙となり、轟音を伴って伝播する。

 その衝撃を背後に置き去りにして、十夜は素早く左手をコートの内に差し込むと、同等の速度で抜き出した黒塗りの刃のナイフを投擲した。

 ひゅっという風切り音を立てたそれは、無防備に今の攻防を見物していたザハクの喉元に狙い過たず突き刺さる。かに思われたが、その直前、乾いた音を立てて弾かれ宙に舞った。

「やっぱり護衛は残しているよな、そりゃ」

 不意打ちが防がれたというのに、十夜はさほど悔しそうな様子も見せず、ナイフを弾いた相手をじっくりと観察した。その視線の先にあるのは、ザハクの足元から伸びている影だ。

 その影の中からねじくれた腕が突如生えたかと思うと、十夜が投擲したナイフを弾き飛ばしたのである。

影に憑く者(シャドウストーカー)か。また面倒な手駒を連れてやがる」

「お兄さん、やるね! まさかキマイラの一撃をしのぐだけじゃなくて、いきなり僕を殺しにかかるとは思わなかったよ!」

 たった今命を狙われたばかりだというのに、怯えるどころか逆に嬉しそうな様子でザハクが歓声を上げる。相当に興奮しているらしく、見た目の年齢相応に顔を紅潮させて両手をぐるぐる振り回し、全身で喜びの感情を表現していた。

「馬鹿正直に使い魔を相手にするくらいなら、まず術者を潰すってのが基本だからな」

「まあ、そうだよね。それに基本だからこそ、不意打ちを警戒しておくのも王道ってものだし」

 何がそんなに楽しいのか欠片も理解できないが、うきうきとしているザハクを視界の端にわずかにとらえつつ、十夜はようやく収まってきた土煙の方へと向き直った。

 土煙から姿を現したキマイラの毛皮には、傷らしい傷は見当たらない。この強力な魔獣にとっては、先ほどの一撃など攻撃のうちにも入らないのだろう。それでも明らかに警戒して唸り声を漏らしている様子を見れば、キマイラにとって十夜の位置付けが、単なる獲物から油断のできない敵に格上げされたことは一目瞭然であった。

「ったく、本当に面倒な話だ」

 隙を突いて一撃で司令塔を仕留めることができなかった以上、ここから先は正面きっての戦闘となる。しかも相手は、どれだけの手駒を持っているかも分からない《魔獣使い》なのだ。

「消耗戦になるな、こりゃ。ま、仕方ないか」

 この期に及んで葛藤や逡巡は不要。面倒そうな口振りながらも、十夜はあっさりと現実を受けいれた。

 それを待っていたかのように、キマイラが再び襲い掛かってくる。

 ただし、今度は正面から無策の突撃ではない。牽制と目潰しを兼ねた火炎を吹きつけ、十夜が横に回避するように誘導、逃げ道を塞いでくる。飛び掛かってくる動きにも左右への蛇行を織り交ぜ、十夜の狙いを外そうとしていた。

 しかし、それは悪手だ。

 キマイラの恐るべき点は、強靭な肉体に裏付けられた速度と破壊力に物を言わせた攻撃である。小手先のフェイントは付け焼刃でしかない。そして付け焼刃の技術は、それをしのげる相手からすれば、これ以上ないほど付け入るべき隙となるのだ。

 わずかな残像を残し、十夜の身体がブレて消える。

 そう見紛うほどに鮮やかに、緩急の差をもって相手を幻惑する歩法を駆使し、真上から叩き付けてくるキマイラの前足をかわした十夜が、音もなく相手の懐に潜り込んだ。

 必殺の一撃を再度空振りさせられて決定的な隙をさらす魔獣の横腹に狙いを定め、乾坤一擲の一撃が繰り出される。

 誰もがそう思った瞬間、十夜は突如として攻撃のチャンスを放棄し、大きく背後へ跳びすさっていた。

 高速で推移していた戦闘に空いた間隙に、当事者達の動きが止まる。

 どう見ても十夜が致命の一撃を放つには十分すぎる好機だったのだ。防御や反撃のおそれが無かったことは、突然の十夜の行動で命ながらえることになったキマイラ自身が困惑していることからも明らかである。

 では、何故?

 その答えはパキンという乾いた音と共にもたらされた。

 キマイラの頭上、すなわち一瞬前まで十夜のいた位置の頭上の空間に、かすかなヒビが入ったのである。

 ヒビは即座に拡大して大人一人分ほどの大きさとなると、圧力に耐えられなくなったのか、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。

 破片は地面に落ちるより早く宙に溶け、そこには漆黒の穴が口を開ける。

 続けて、今度は穴の中から大量の鎖が放出された。

 重力に引かれた鎖の塊はそのまま真下に落下し、一瞬でキマイラを飲み込んでしまう。

 強力な魔獣すら一切の抵抗を許さず押し潰した鎖の群れは、今度は獲物を探す蛇のごとく鎌首をもたげ、ぐるりと周囲を見渡した。

 そして探していた対象を発見する。

 枯れ草色のコートを身に着け、鋭い眼光で鎖の群れを観察している者。

 荒凪十夜という名前は知らずとも、彼を招くために生み出された術式である鎖がそれを見間違えることはない。

 すでに小屋ほどの大きさにまで膨らんでいた鎖の塊が蠕動し、そこから生えた特に太い4本の鎖が超速で放たれた。逃げ場を残さぬように四方から迫る鎖は、一瞬で十夜の元に到達し、その四肢を絡め取ろうとして――空を切った。

 鎖に包囲される寸前、魔獣のお株を奪うような獣じみた反応速度で、わずかに早く鎖の包囲網を抜け出していたのだ。

 捕縛を免れた十夜は、息つく暇もなく、今度は本体と思しき鎖の塊に向かって駆け出した。十夜を迎え撃とうと次々と鎖が放たれるが、流水に浮かぶ木の葉のような不規則な身のこなしでことごとくかわしきり、わずかに腰を落とした体勢をキープしたまま、鎖の塊の直前で停止する。

 すでに得物の準備はできている。

 ようやく出番が来たかと暴れ出そうとする圧力をいなしながら、十夜は緩やかに呼気を発した。


 八紘流剣術 鋼穿ち


 それは一筋の剣閃だった。抜いた時点ですでに斬られていたと錯覚するほどの剣速。

 まさしく抜く手も見せぬ早業で、十夜はコートの内側に吊るされていた太刀を振るう。

 鎖の群れが動きを止めた。一拍置いて、束ねられた鎖の塊に亀裂が走り、鮮やかな切り口を見せて上下に両断される。

 たった一刀。ただそれだけで、束ねられた無数の鎖の大半を斬って捨てたのだ。

 切断された鎖の内、下半分は支えを失って地面に崩れ落ちるが、上半分は動画の逆再生のように頭上の穴へと引き戻されていく。全ての鎖が吸い込まれると、今度は穴自体が歪んでいき――

 ぽいっ、と何かを吐き出した。

 何か、というか人間であった。

「ひゃわわわわっ!?」

 ひどく慌てた様子である。まあ、いきなり空中に放り出されれば、誰でもそういう反応になるのだろうが。

 不幸中の幸いというべきか、落下した場所に積もっていた落ち葉が緩衝材となり、人影はしたたかに腰を打ったものの怪我にまでは至らなかったらしい。打ち据えた腰を撫でながら、人影はゆっくりと周囲を見渡し、

「え、何、これ。何がどうなってるの?……」

 茫然自失といった様子で呟いた。

「その疑問はむしろこっちが訊きたいんだが」

「誰!?」

 ぽつりと零した十夜の独り言を聞きつけ、人影が勢いよく振り返る。

 そうして月明かりに照らし出されたのは、一人の少女だった。

 見慣れない革鎧らしき装備を身に着けており、特徴的な翠と黒のオッドアイには、これ以上ないほどの警戒の色が浮かんでいる。

「あー、俺は、うん、怪しいもんじゃないよ、一応は」

 控えめに言ってとても怪しい返答である。結果、少女はますます警戒の度合いを高め、後ずさるように十夜から距離を取った。

 杖を突きつけて臨戦態勢を取り、薄い混乱の色を混ぜながら詰問してくる。

「あなたは誰、ここは、アル・アジードはどうなったの!?」

「そんなに一度に質問されても答えられないだろ。とりあえず落ち着けよ、な」

 興奮する少女を宥めようと、十夜は少女の方へ一歩踏み出す。いや、踏み出してしまった。

 その手に刀という明確な武器を握ったままで。

 結果として、それが少女の最終警戒ラインを突破することとなった。

「止まりなさい!」

 半ば悲鳴のように叫びながら、少女は握り締めていた杖を小さく振るう。すると少女の眼前の空間が揺らめき、淡く発光する矢が出現した。

 自らに照準を定めている光の矢を眺めながら、十夜はうんざりと表情で溜息を吐く。

「また魔術師か。今日は本当に厄日だな」

「命までは取らないわ。せいぜい半日寝込む程度だから」

 気休めの言葉を一方的に告げ、少女が杖を振り下ろすと、それを合図に矢が放たれた。

 十夜は咄嗟に矢の軌道から身を逸らそうとするが、回避する方向に合わせて矢がその軌道を変えるのを見て取り、苛立たし気に舌打ちする。

「ちっ、追尾式か。あー、くそ、どうなっても知らないからな」

 小さく吐き捨てると、素早く太刀を正眼に構え、飛来する矢が間合いに入るやいなや、

「シッ」

 一太刀で斬って落としてみせた。切断された矢は出現した時と同様、淡い発光を伴いながら溶けるように消失してしまう。

「魔術を斬った!?」

 想定外の光景に少女は驚愕の声を上げるが、即座に立ち直って次の魔術を行使しようとする。

 戦場に長く身を置いていることを想起させる対応能力の速さである。だが、彼女が次の魔術を放つことはできなかった。

「……!」

 それは少女の胸元に、淡く輝く一本の矢が突き立っていたためであった。

 十夜が矢を放ったわけではない。矢は唐突に出現し、その瞬間には少女に突き刺さっていたのだ。

 いや、突き刺さった状態で出現した、という方が正確か。

 ともあれ少女はその一矢で気を失ったらしく、その場にグラリと崩れ落ちる。

 短くも濃密な戦闘を終え、十夜は体内に籠った熱を呼気と共に吐き出すと、ようやく静寂の戻ってきた周囲を見渡し、困惑した様子で呟いた。

「どうしたもんかなぁ、これ」

 その呟きに答える者は、月下には誰もいなかった。

キマイラはフロなんとかさんの話が一番印象的だったなあ。

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