7-1
ここまで来ました。ラストです!!
「知っている天井だ」
自室で目を覚まして開口一番、十夜が呟いたのはそんな一言だった。
視線の先にある板張りの天井には、この屋敷が建てられてからずっと積もりに積もった経年劣化によって、複雑怪奇な模様が浮き上がっていた。
偶に眺めるならば気分転換にもなるのだろうが、角度によっては絶叫する人間の顔にも見えなくもないその天井の染みと真正面からこんにちはしてから、早くも四日が過ぎている。
はっきり言って飽きる。というか、十夜の場合、二日目にしてすでに飽きていた。
普段ならば、そんな十夜の独り言は虚空に発散されるだけで終わるのだが、今日はそうはならなかった。
「目が覚めたみたいね、トオヤ。気分はどうかしら?」
枕元から降って来た挨拶の主に、十夜は首を一切動かさず、目線だけを合わせた。そして一言。
「退屈で死にそう」
「あの邪神アル・アジードを殺した英雄が、退屈に負けて暇死なんて何かの冗談みたい」
「俺を英雄とか呼んでいる時点で、悪い冗談以外の何物でもないだろ」
聞くだけで身の毛のよだつ呼称を全力で拒否した後、十夜は首から上をわずかに動かそうとしたが、たったそれだけで全身を走り抜けた激痛に、声も出せずに表情だけで悶えた。
たっぷり五分はそうしていただろうか。ようやく体中で暴れ回っていた痛覚の嵐が治まってきたため、十夜は再び口を開いた。
「…………で、今日は何の用だ?ぶっちゃけた話、見ての通り指一本動かせないぞ。話すことだけは出来るのが、唯一の救いだな」
「あのねえ、私がそんな病人に鞭を打つような、鬼畜な真似をするわけないじゃない。今日の目的は、一応のお見舞いと、後は少し確認したいことがあるだけ」
そう告げたのはリサだった。
眉根を寄せて心外を主張しつつ、さらりと告げる。それでも何かは通じたらしく、十夜は珍しく神妙な様子で、無言で先を促した。
「まずはお見舞いの方からね。ネーアさんにこちら風のお見舞いの作法を聞いてきたんだけど……」
十夜の枕元に果物の盛り合わせを置きながら、リサは興味深そうにまじまじと十夜を見つめた。
「話には聞いていたけど、本当にこれっぽっちも動けないのね。アインさんの薬のせいというか、おかげというか、後遺症だっけ?」
「そんなところだ。あの野郎、今度会ったら絶対に全身の毛を毟り尽くしてやる」
息巻く十夜。
あの戦いの後、一晩寝て起きたところ、全身が一切動かせなくなっていたのである。初日は全身にまるで力が入らず、一ミリも動かすことができなかった。二日目以降は、動かすことは辛うじて可能となったが、代わりに神経と神経の間に焼けた鉄串を差し込むかの如き激痛が走るという案配である。
動けないため『銀糸境界』に連絡することもままならず、発覚したのは三日目の午前のことだ。脱水症状を起こしかけていた十夜にとって、様子を見に来てくれたネーアは救世主に等しかった。
そのネーアも、事態に気付いたのはアインの申告によるものだった。
たまにやらかす無断欠勤かと思い込んでいたのだが、電話すら一向に通じないという話を偶然店にやって来ていたアインにしたところ、「それはきっと、僕の特製栄養ドリンクの後遺症だね。はっはっは」と自白したのである。
そんなわけで、アインの言葉を信じるのであれば、あと三日はこの状態のままということになる。
「私も目が覚めたのは一昨日で、昨日はほとんど体を動かせなかったのだけど、代わりにネーアさんから色々と事情は聞いたわ。トオヤが薬を飲んだのも、私を助けるためだったって。ありがとう、感謝しているわ」
「別に、礼を言われるような事はしてないぜ。あんたを助けたのは、突き詰めちまえば俺の都合だ」
リサの礼の言葉に素っ気なく応じる十夜。傍から聞けば照れ隠しのようにも聞こえるが、その表情は心底そう思っているようであった。
そしてリサも、その言葉が紛れも無い真実であると推測していた。
「それがもう一つの用事よ」
さり気無さを装うとするが、抑えきれなかった緊張で拳を握り締めてしまう。それでも呼吸だけは整えると、リサはどうにかその問いを乾きかけた舌の上に乗せた。
「トオヤの都合――目的って、【送還】の魔術を斬ることだったんじゃない?」
リサの目的でもある元の世界への帰還。それを邪魔することが十夜の意図だったのではないか。そう尋ねられた十夜は、一呼吸入れて少しだけ間を取った後、いともあっさりと肯定した。
「まあそうだな。確かにそれが、一番の理由ではあった」
「随分とあっさり認めるのね。もうちょっと誤魔化すかと思っていたのだけれど」
「どれだけ御託を並べても、俺がやらかした事には違いないからな。俺からしてみれば、あんたの方こそもっと怒るかと予想してたぜ」
「怒っていないわけじゃないわよ……それ以上に、理由が知りたいと強く思っている感じかしら。それに一応、トオヤには助けてもらった恩があるし、アル・アジードを逃がさないためという意味もあったみたいだし」
なるほどと納得すると、少しの間だけ十夜は言葉を探すように目を閉じた。やがて目を開けると、様子を窺うようにリサを見やった。
「俺の事情についてどこまで知っている?」
「ネーアさんから色々聞いたわ。八紘流の四代目継承者。つまり、魔術史が神話ではなく人の歴史になってから、たった四人しかいない“神殺し”の一人」
それだけで魔術師からすれば仰天ものなのだが、十夜は何でもないかのように頷いた。リサも弁えたもので、残りの情報もすらすらと並べ立てていく。
「後は出自と『銀糸境界』に来るまでの経緯。おまけで味の好き嫌いといったところかしら。確か、辛いものがダメで、意外と甘い物が好物だって」
「ほとんど全部じゃないか。つうか、味の好みなんて首領にも言った記憶ないぞ」
「ああ、それはアインさんが教えてくれたわ」
「……やっぱりあいつか」
苦虫を噛み潰したような声音で呻く。この分だと、本人すら自覚していない個人情報も知られていそうである。とはいえ、この場では関係ないと強引に自分を納得させた。
「俺があんたの帰還を邪魔したのは、あんたがどんな選択をするのかが知りたかったからだ。俺と似ているあんたがな」
「似ている?私とトオヤが?」
何一つ共通点を見出すことができず、リサは困惑で瞳を瞬かせた。片方は異世界から紛れ込んだ来訪者。もう片方は歴史上、片手で数えるほどしか存在しない“神殺し”の一人。この二人に本当に似ている箇所があると言うのだろうか。
「今ならあるだろ。目的は果たしたのに帰るべき場所が無い、宙ぶらりんって共通項が」
「……ああ、なるほどね」
十夜の挙げた理由に、気付けばリサは心底から納得してしまっていた。
ネーアから聞いた情報に拠れば、十夜は妹の仇を討つために八紘流を修め、神を殺したのだという。また、故郷と呼べる場所も最早無いことも。燃え尽き症候群と言われていたのも当然の帰結だろう。
そしてリサも、あれほど強く元の世界へ帰りたいと願っていたのは、向こうの世界に残っていると思っていた邪神アル・アジードを葬るという目的があればこそだった。
だが、その前提は崩れていた。
邪神はリサの【召喚】に巻き込まれてこちらの世界へとやって来ており、紆余曲折こそあったものの、リサが召喚しようとしていた“神殺し”により消滅の憂き目を見ている。つまり、リサの目的はこれ以上ない程に達せられてしまっているのである。
更には十夜の企みにより、元の世界への帰還の手掛かりになるはずだった【送還】用の魔術経路も失われている。
確かに、リサも十夜も、目的を果たしたのに帰ることができない、片手落ちな状態と言えた。
「だから俺は、あんたの選択を知りたいと思った。俺と同じ状況になった時、あんたがどんな選択をするのかを。首領に言わせれば依存の発想だし、これは完全に俺の我儘であんたへの妨害だ。取り返しのつかない事をやらかした事は分かっているし、いくらだって謝罪する。それでも知りたかったんだ」
天井の模様を眺めているようで、実際はどこにも焦点を当てられぬまま、十夜は言葉を紡いでいく。
対するリサは無言を貫くことしかできなかった。十夜の心情が手に取るように分かるがゆえに。
なるほど、確かに己とトオヤは似ているようだと、胸中で一人ごちる程に。
時計の秒針が優に三周はした頃、リサは溜め込んでいた思いを全て吐息に溶かして吐き出していた。
「はあ……本当は、色々と文句を言うつもりだったんだけど……なんだかどうでもよくなったわ」
見上げてくる十夜の視線からぷいと顔を背ける。
「元々の話をするなら、十夜を巻き込んだのは私の【召喚】だったわけだし、この件はお相子ってことで手を打つわ」
「良いのか?」
「その代わり、トオヤにはこれからも手伝ってもらうわよ」
何のことかと首を傾げようとして激痛に呻く十夜を見て、少しだけ口元を緩めると、リサはきっぱりと宣言する。
「私の目的は元の世界へ帰ること、これを変えるつもりは無いわ。邪神アル・アジードは倒したけれど、それが全てってわけじゃないもの。十夜には引き続き、私があの世界へ帰るための手助けをしてもらう。それがあなたを許す条件。どう?」
右手を差し伸べながら、悪戯っぽく微笑んでリサが尋ねる。
対する十夜の返答は決まっていた。眩しい物を眺めるように、目を細めてリサを見る。その様子を見る限り、十夜が無意識に望んでいた回答に沿っていたのだろう。
「――それがあんたの選択ってわけか。そういうことなら喜んで引き受けさせてもらうさ。なにより、あんたの選択の結果も見届けたいしな」
そう言うと、差し出された手を握り返そうと手を伸ばし、再びの激痛で今度こそ絶叫を上げるのだった。
これにて完結です。ここまでお付き合い頂いた方がいればありがとうございます。
もし続きが読みたいという方がいれば連絡ください。
頑張ってみたいと思います。




