5-1
見慣れていたはずの部屋に入った時、十夜が真っ先に感じたのは肌を刺すような緊張感だった。
生存本能が足を止めかけるが、先導する上司が背中越しに彼の意識を引き戻した。
「今後のことを検討する前に、まずはお互いの状況認識を擦り合わせるべきだろうと思っているのだがね。疲れているところ心苦しいのだが、報告を聞きたい」
「そりゃそうですね。俺としても、こっちで何が起きていたのかは把握しておきたいところですし」
「結構。ではそちらのソファにでもかけてくれたまえ。申し訳ないが、お茶とコーヒーはセルフサービスで頼むよ」
平坦な抑揚を崩すことのないネーアに促され、部屋の中央に向かい合わせに配置されたソファの片方に腰を下ろす。ついでにさっきから吊り下げていたアインも横に置いてやると、ウサギのくせに人心地ついたとばかりに胸を撫で下ろしていた。
二人が落ち着いた事を見て取ると、部屋の最奥に設えた古めかしい机に腰を下ろしたネーアは、『銀糸境界』の首領という肩書に相応しい重厚な態度で口火を切った。
「十夜君、こちらのモニタリングは、ザハクが君達に接触した直後で途切れている。そこからの空白にどんな事態が発生し、何故リサ君が姿を消しているか、教えてもらえるかね」
普段ならば多少の雑談が混ざるのだが、口を開くやいなや単刀直入に尋ねてくる。その表情には一切の揺らぎすらも浮かんでいないが、ネーアとしても現状にかなり焦燥を感じているらしい。
「少し長くなるかもしれないんですが、時間の余裕は?」
「あまり猶予は無いというのが正直なところだがね。だが、君の報告には時間を割くだけの価値があると、私は確信しているよ。なにしろ、正確な情報が無ければ、対処の方針すらままならないのだからね」
「じゃあ、順番に報告します。まず──」
そうして邪神が現れてからの諸々を告げると、ネーアは表情だけは崩さぬまま、困惑の色を混ぜ込んだ唸り声を漏らした。
「《魔獣使い》だけでは飽き足らず、リサ君の世界の邪神まで現れた、か。おそらくはリサ君の【召喚】に巻き込まれたのだろうが……これはどうも、思っていた以上に深刻な事態のようだね」
「ひとまず、俺が見聞きした事情はそんなところです。ついでに、こっちの経緯について教えてもらっていいですか?」
手短に纏めたつもりだったが、さすがに情報量が多かったらしい。途中から感じていた喉の渇きを、とっくに冷めてしまったお茶で拭った十夜が、今度はこちらが質問する番とばかりに尋ねた。
情報提供を求められたネーアは、何気ない様子でさらりと回答する。
「さすがに君達程の異変があったわけではないとも。せいぜい、アイレン君との通信が途切れた直後に、百を超える数の魔獣が街に押し寄せてきた程度だね」
それは十分に大事じゃなかろうか?
思わずツッコミそうになった十夜だったが、ネーア自身が何でもないことのように語っているため、辛うじてその言葉を飲み込むことに成功する。
「万が一を想定し、《魔獣使い》が総攻撃をかけてきた場合の対応策を検討しておいて正解だったようだね。まあ、この手段は使わないに越したことは無いのだが」
「対応策、ですか」
正直、打つ手が無いと考えていた十夜にとって、ネーアのひねり出した奇策がどのようなものなのか、非常に興味を惹かれる。ところが、そんな期待をネーアはあっさりと打ち砕いてみせた。
「なに、簡単な話なのだがね。向こうが数で攻めてくるならば、こちらも数をもって迎え撃つ。策というほどのこともない、いたって常識的な対応方法だとも」
それが無理だから困っているのではなかろうか。十夜は胸中に生じた徒労感を押し込めると、一つずつ確認するように問いかけた。
「首領、敵の総数は分かっているんですか?」
「正確な数の把握には至っていないが、おおよそ百は確実、大体百五十程度と推察されているね」
「ちなみに、街にいるうちの戦力を数えてもらっても良いですか」
「構わないとも。君、私、そしてアイレン君だね。アカネ君は防衛戦力としては計上できるが、今求められているのは市内を探索して迎撃にあたることのできる、遊撃向けの人員だ。彼女は頭数に入れるには不適切だろうね」
「……知念の姉御と大嶽さんと三馬鹿に連絡は?」
「鏡花君は昨日の定時連絡の時点で、諸々の事情により絶海の孤島にいるとのことだ。ダタール君は里帰り中で、君も承知している通り、彼の実家はネパールでも秘境中の秘境にある。あの三人に関しては、こちらからの連絡に応答する気配が無い。受け持ってもらっている案件が佳境を迎えている頃だから、連絡する余裕が無い、と考えたいところだが……」
「あいつら、面白いものでも見つけて夢中になっちまって、単に気付いていないだけなんじゃ……」
あえて言葉を濁していた可能性を指摘してみると、ネーアもその推測には至っていたらしく、欠片も表情を変えぬまま、困ったものだと嘆いてみせた。
ともあれ、『銀糸境界』狭河市支部のメンバーには、この状況に馳せ参じることができる人員がいないことが如実に示された。お手上げとばかりに十夜は天井を仰ぎ見た。
「首領、百対三ですよ。どう考えても、数で対抗って言葉が空回りして聞こえるんですが」
「ふむ、現状は確かにその通りだろうがね。だが、こう考えてみてはどうかね。足りないならば補えばいい、と」
苦いならば砂糖を加えれば良い、と提案するのと同じ気安さでネーアはのたまった。
「補うったって、どこからですか?形の上だけですが、これはザハクの奴と『銀糸境界』の魔術戦ですよ。よほどの見返りでも用意しないと、他所の魔術組織から手を借りてくるなんて不可能だと思いますが」
ネーアの提案に対する反論を口にしながら、十夜はふと疑問を覚えた。この程度の理屈は、彼が指摘するまでもなく承知しているはずだ。ならば何故、わざわざこのような実現性の低い、それこそ子供の思い付きのような事を言い出すのだろうか?
「なに、実現性ならば十分にあるとも。それに子供の思い付きくらい突飛であれば、相手からすれば逆に想定外となり、有効な策となりうるものなのだよ」
「……さらっと人の心を読まんといてください」
「【読心】の術式は君には効かないだろう。今のは単に、君の表情から推測しただけだよ」
そんなに顔に出ていただろうかと、ついつい己の顔面を撫で回していると、隣に座ったアインがとある結論に達したらしく、ぴょんと跳び上がって声を裏返らせた。
「もしかして、ネーアさん、【招集】をかけるつもりですか?」
「招集?」
意味が分からず首を傾げる十夜だったが、ネーアには通じているらしく、その通りとばかりに悠然と首肯した。
「でも、【招集】をかけるには、結構な条件が必要だったと思うんですが」
「それも肯定するとも。これがただの魔術戦であれば、相手がいかに強大であろうとも、【招集】をかけることはないがね。だが、十夜君の報告で状況が変わったのだよ」
「十夜の……ああ、そういうことか。なるほどです」
「おい、おまえだけ理解してるんじゃない。ちゃんと分かるように説明しろ」
耳をニギニギしながら要求すると、アインはにんまりした笑みを浮かべて告げた。
「やれやれ、十夜、僕達の所属する組織の目的について、もう一度思い出してみることをお勧めするよ」
あまりのドヤ顔のためイラッときて、アインの全身の毛を丹念に毟りかけた十夜だったが、それは後の楽しみにとっておくことにして、ひとまず受け取ったヒントを反芻してみる。
「組織って、『銀糸境界』のことだろ?その目的…………ああ、なるほど」
ほとんど答えそのものと言っていいヒントをもらい、頭からすっぽり抜け落ちていた回答にようやく思い至る。
確かに、十夜の報告を受ける前後では、決定的に状況が変化していた。先程までは流れの魔術師が仕掛けてきた魔術戦というだけだったが、今現在では、『銀糸境界』の存在意義に関わる事態となっていたのである。
となれば、禁じ手とも呼べる手段を使うことに、ネーアはいささかの躊躇も無いだろう。
「これで数についての懸念が消えたことは、理解してもらえたと思うがね。事態の解決には、最低でも二つの問題が残っている」
「と言いますと?」
アインの合いの手に応えるように、ネーアは指を二本立てて見せた。
「まずはリサ君の救出だ。我々は彼女と契約を交わしているのだからね。是が非でも奪還する必要がある」
魔術の世界における契約は、一般的なそれよりも数段上の意味を持っている。表の世界の常識に縛られないからこそ、裏の住人は相互の信頼関係に重きを置くのだ。ゆえに、それが魔術を介さない契約であったとしても、魔術師である以上は一度交わした契約を容易く放棄することは無い。
「そう言っても、居所は分かってるんですか?」
リサを救出に向かうことには異論は無い。だが、どこにいるかが分からねば、助けに向かうことすらできないのである。出迎えの準備をしておくというザハクの言動からして、この狭河市のどこかにはいるのだろうが、街全体は虱潰しにするには広すぎる。おまけに魔獣の群れが闊歩している現状を鑑みれば、リサの捜索は困難の一言では済まないことだろう。
だが、ネーアにはすでに見当がついていた。正確には、リサの現在地を把握しているであろう人物に心当たりがあった。
「というわけでアイレン君、リサ君の居場所を開示してもらおうかね」
感情の色を一切見せない美女に唐突に名指しされ、人語を解するウサギはビクリと身を震わせたが、すぐに観念したように両耳をへにょりと萎びさせた。
「はあ、バレてましたか。やっぱりネーアさんに隠し事はできないですね」
「おい、アイン。どういうことだ?」
声のトーンを一段階下げて凄むと、アインはわざとらしく舌を出して見せた。
「ごめんね、十夜。実はリサさんの居場所については、さっきからずっと確認済みなんだ。でも、それを教えたらすぐにでも飛び出して行きそうだったからさ。少なくとも、ネーアさんと合流するまでは、秘密にしておいた方が良いかなーって思って」
確かに、頭に血が上った状態でそんな話を聞いていれば、十夜はこの毛玉をシェイクしてでも情報を吐かせていただろう。落ち着いて状況を整理することができる状態でそう説明されれば、若干の苛立ちは感じるものの納得はできた。
「さすがネーアさんですよ。本当はもうちょっと引っ張ってから、劇的な演出で公開したかったんですけど」
「君の趣味嗜好に律儀に付き合っていられるような状況でもないのでね。それに正直に言えば、君がリサ君の居場所を特定しているというのも、私の推測に過ぎないのだよ」
「あー、つまり僕は鎌かけに引っ掛かったってわけですか」
「君の性格と能力から逆算すれば、十中八九間違いないとは睨んではいたがね」
眉一つ動かさずに告げるネーアの言葉に、アインは緩い笑みを浮かべて脱力した。表情が読めないことはもちろん、こういった駆け引きにおいて目の前の美女の技量は、己の遥かに上を行く相手だと改めて思い知らされたからである。
「そんなに卑下するものではないとも。それに、こと情報収集能力にかけては、君は『銀糸境界』でも指折りの実力者だと、私は評価しているのだがね。何しろ【探知妨害】の魔術でも行使されているのか、私ではリサ君の行方を追うことは一切出来なかったのだよ。そんな難事を成し遂げてみせたのだからね」
わずかな心の揺らぎをあっさりと読み取られ、更にはフォローまで追加されてはさすがのアインも白旗を上げるしかない。これ以上余計な演出を差し挟もうとすることもなく、おとなしく情報を開示する。
「単純な話ですよ。【帰郷】の魔術が発動していても、機械は動き続けてますから」
「ふむ、そういうことかね」
それだけで過程を察したらしいネーアが、したりと頷く。一方、十夜は訳が分からないといった様子で顔をしかめていた。
「おい、アイン」
「分かってるって。まあ、タネを明かしてみれば、何てことはない手品さ」
こほんと咳払いを挟み、一拍置いてからアインは告げる。
「以前から思っていたんですけど、どうにも魔術師という人種は、問題の解決方法としてまず魔術を第一に想定する癖があるみたいなんですよ」
「ふむ、耳に痛い指摘だね」
まるで表情を動かさずに告げられたため、これっぽっちも実感が伴わないネーアの言葉を受けながら、アインはスマホを操作する。
「そして逆に、魔術以外に対して無防備になりやすい。だから、街中にある監視カメラに無警戒に映り込んでしまう。とくれば、あとは監視カメラのログをハッキングして、まとめて画像解析にでもかけてやれば、足取りを追うなんて朝飯前ってわけです」
差し出されたスマホに映し出されたのは狭河市の地図だった。そのうちの一か所に光点が灯っていることから、ここにリサがいるということを現しているのだろう。
「ふむ、君ならば彼女の持ち物に発信機でも仕掛けているのではないかと思っていたがね。例えば、君が贈呈したというスマートフォンなど、そういった仕掛けに最適なのでは?」
「あはは、やっぱり気付いちゃいますか?まあ、仕込んだのはそんな大層な物じゃなくて、ごく一般的なGPSと盗聴アプリですよ。とはいえ、さすがに持ち物の類は警戒されていたみたいで、街に入ってすぐに廃棄されちゃってます。だから、今回の追跡には使えませんでした」
「何を言ってるかまるで理解できないんだが、おまえがまた質の悪いことを企んでいたことだけは良く分かった」
「やだなあ十夜、当然だろ。僕は情報屋だぜ。異世界から迷い込んできたお客さんの個人情報なんて、狙わなければ逆に失礼じゃないか」
一般人が相手ならば胡散臭すぎて警戒されるだろうが、個人情報やセキュリティといった概念が無い異世界人相手とあれば、赤子の手をひねるより容易いとアインは嘯く。
「ともあれ、これで残る障害は一つというわけだ。まあ、この問題が最も頭を悩ませるものなのだがね」
「邪神アル・アジードでしたっけ。異世界から来たという、その迷惑な客人は」
独り言とも確認ともとれるアインの呟きを、わずかに顎を引いてみせることでネーアは肯定した。
「リサ君の世界における《神》がどのような存在かについては、さすがに詳しく聞いたことは無いがね。だが、【翻訳】の術式でそう解釈された以上、この世界での《神》に準ずるとみて間違いあるまいよ」
魔術師の常識からすれば、それだけで敗北を決定づけるに足る推測を並べていく。
「現在、この街全体を覆っている外部との通信を遮断する結界も、おそらくその邪神が施したものだろうね。規模、強度。そのいずれから見ても、神の名に恥じない魔術を行使するであろうことは想像に難くない」
楽観的な評価を一切挟むことなく、ネーアはきっぱりと断定した。さすがのアインも、つぶらな瞳を苦い色に染めている。
「あ、なら、その邪神の相手は俺がやりますよ」
その一方で、コンビニに買い出しに行くような気軽さで十夜は手を挙げた。
その途端、アインは珍しいことに驚きで目を丸くし、ネーアは相変わらず感情が全く籠っていないながらも、どこか十夜を気遣うような視線を向けてきた。
だがそれも無理はない。魔術師の常識から言えば、神に挑むという行為はただの自殺であり、蛮勇ですらないのだ。
「一応、理由を教えてもらえるかね?」
「んー、うまく説明できないんですが……」困ったように後頭部を掻きながら、それでもぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
「勘なんですけど、俺が欲しかった答えが見つかるような気がするんで」
曖昧な、どうとでも受け取れるような回答。だが、ネーアを見つめる十夜の真剣な眼差しが、それが誤魔化しや出まかせの類でないことを代弁していた。
「…………共感、いや、依存か。あまり好ましいものとは言い難いが……良かろう。それが君の出した答えならば、それを尊重させてもらおうかね」
そこから何を読み取ったのか、ネーアは十夜が担当することを承認した。感謝の意を込めて深く頭を下げた十夜に、ネーアは敵の動向についての推測を告げる。
「《邪神》の居所だが、リサ君と同じ場所にいる可能性が高い。彼等の目的にリサ君の身柄が不可欠なのであれば、最も防衛戦力の手厚いところに匿うはずだ。事のついでという言い方は不謹慎かもしれないが、彼女の救出も併せて依頼しても構わないかね?」
「わかりました。じゃあ俺の方は先に出ます。首領はザハクの方を頼みますよ」
「任せたまえ。仕掛けるタイミングは君に任せる。君が答えを見つけられることを祈っておくとするよ」
「ありがとうございます」
すでにスイッチが切り替わったのか、普段の飄々とした雰囲気は消え去り、別人のように精悍な気配を身に纏っている。そんな十夜の背中に、最後にアインが餞別の言葉を贈った。
「武運を祈っているよ、四代目殿」
「……その呼ばれ方は、あんまり好きじゃないって言ってるだろ」
苦笑を漏らしながら、十夜は静かに部屋を退出していった。
戦いは数だよ兄貴!
THE ORIGIN見るまでは、あの一家には遺伝子が仕事していない疑惑を持っていました。
主にド○ルのせいで。




