3:あっけなさ
医療に関する言葉が入ってますが、私の主観で書かせていただいてます。
ですので、実際とはまるで違うと思います。
ご勘弁を
「トシ君、すごい勘違いしてたね」
「メグが意味深に言うからだろ」
げた箱で靴を履き替える。
「あそこまで勘違いするとは思わなかった」
メグは悪びれた様子もなく笑った。
教室に小走りで向かう。
「すいません。遅れました」
教室のドアを開くと同時に頭を下げた。
「なにしてる小日向!?!」
え??
たかが遅刻でなんでこんな先生怒ってるんだ??
「早く帰れ!!」
やべえ。
めっちゃキレてる。
「先生すいませんって言ってんじゃないすか」
「なにを言ってるんだ!?
小日向、早く病院に行け!!」
「病院??」
俺の頭は混乱し、「遅刻」「病院」のワードが頭で運動会をしていた。
「わけわかんないっすよ先生」
「まだなんも知らないのか??」
「はぁ、なんも知らねえっす」
「こっちにこい」
そう言って担任は廊下に出た。
俺は首を傾げながらついていく。
「お前のばぁちゃんどこに行ったか知ってるか??」
なんでここでばぁちゃんが出てくるんだ??
そう思いながら答えた。
「ばぁちゃんなら旅行に行きましたよ」
先生は顔を下に傾けた。
そして声を絞り出したように発した。
「……その旅行で使ったバスが事故った……」
「は??
なに言ってんすか??」
「今日の朝のニュース見なかったか??
新聞は??
首都高で大型トラックが転倒、炎上したってニュース見なかったか??」
これから先、俺は黙るしかできなかった。
「その事故に……お前のばぁちゃんが乗ったバスが巻き込まれた……
病院や旅行会社から連絡なかったか??」
先生の問いに答えられず、俺は目を見開いて黙っていた。
「とにかく早く病院に行け……
危険な状態だそうだ……
タクシーを校門に呼んでおく。準備が出来次第行きなさい」
俺はその場に立ち尽くす。
現実に頭がついて来なかった。
これは夢じゃないか??
そんな現実逃避を開始したとき、声が響いた。
とっつぁんだった。
「ジョニー!!
病院までは儂が送る!!!
早く来い!!!」
とっつぁんは廊下の遥か向こうにいたにも関わらず、とんでもない大声だった。
その声に我に返り、玄関に走った。
いつぞやの事件でのトシよりも早く走ったと思う。
玄関でトシとすれ違った。
なにか叫んでいたが俺の神経は耳に使われなかった。
ただ早く、速く、疾く、ばぁちゃんのもとへ向かいたかった。
上履きで外にでる。
校門にはとっつぁんの車があった。
「早く乗れジョニー!!」
助手席のドアを開け、飛び込むように助手席に座った。
とっつぁんはシートベルトをつける間もなく、ハイスピードで車を発進させた。
とっつぁんの車が走り出して二十分後、病院の駐車場にドリフトしながら滑り込んだ。
「ジョニー、早く行け!!」
俺はシートベルトを抜いて院内に駆け込んだ。
院内は大量の人でごった返していた。
おそらく、朝の事件に巻き込まれた人の親族達であろう。
カメラを持った人も何人かいた。おそらくマスコミだ。
「小日向ってばあさんが来てないっすか??」
「少々お待ちください」
受付の看護婦は事務的な口調で言い、パラパラとなにかの書類をめくっていた。
俺がイライラし始めた頃、とっつぁんが俺の後ろに並んだ。
「トロトロすんな!!
サッサとやれや!!!」
とっつぁんは看護婦に叫んだ。
は はい!!!、と言って、看護婦は先ほどより二倍近い速さで書類をめくっていた。
「えぇと小日向様は集中治療室です」
その言葉に落胆した。
俺は心のどこかで笑っているばぁちゃんが「全然たいしたことないよ!!」と笑っている姿を想像していた。
だが違った。
集中治療室だって??
その時、初めて自分の直面した状態の重要さに気づいた。
「ジョニー、ショックなのはわかるが早く行ってやれ」
「………はい」
俺は集中治療室に向かい歩いた。
ゆっくりと。
この先に待っているばぁちゃんと未来に直面したくなかった。
だからゆっくりと歩いたんだと思う。
集中治療室に入るのに消毒された真っ白な白衣を着せられ、マスクを着けて、髪が落ちないようにビニールのハットを被った。
そこには入り口以外の壁には、なにか難しそうな機械が大量にあり、その真ん中にベッドがあった。
そこに横たわる人。
一瞬これがばぁちゃんだとわからなかった。
体中に包帯が巻かれ、顔にも包帯を巻かれ、口にはチューブのようなものが入り、腕には点滴が刺さっていた。
テレビでしか見ることがないような心拍数と血圧を刻む機械もあった。
その数値が高いのか、低いのか、正常なのか、異常なのか、すらわからない。
ばぁちゃんは寝ていた。
呼吸もせず、目も開けず、寝返りを打つこともなく、ただ寝ていた。
ただただ心臓だけが休むことなく働いていた。
ばぁちゃんは生きてる。
俺の頬になにかが流れた。
その時、集中治療室のドアが開いた。
俺は頬のなにかを手で拭い、そちらを見た。
中年の白衣をまとった男がいた。
「小日向様のお孫様ですね??」
「はい」
「小日向様の担当医の山田と申します。
まずは連絡の不備をお詫びさせていただきます。
申し訳ありません」
「いえ。
それより……」
「小日向様の病状ですよね??
非常に申し上げにくいのですが……」
「わかってます。
全て、教えて下さい」
「……
バスの乗客の証言ですと、小日向様はバスの最前列にいられたそうです。
事故に巻き込まれた際に、トラックに詰まれた荷物が崩れ落ち、その下敷きになりました。
その結果、全身の骨が折れてます。
片肺が潰れ、腸は捻れています。
手術はしました。ただ体力の問題で不十分なところもありました。
今は麻酔で寝ています」
「そう……ですか」
「助かる見込みは……」
山田さんが言い渋る。
「言ってください」
「……………
助かる見込みはないと言っていいでしょう……」
「……延命なさいますか??」
「延命??」
「生かし続けるということです。
どこまで保つかは患者さんの体力次第ですが……」
「………」
「延命にはお金もかかります……
……身寄りのない君には正直薦められません……」
「山田さん……
死ってなんですか??」
「我々医師は、いえ、医療という学問は死に抗う学問です。
延命とはその学問に則れば、至極当然です。
進んで死を選ぶ人間はいません。
それは敗北や、負けと似ている価値観です。
医師にとって、死とは敗北に似ているんです」
「じゃあばぁちゃんの死は敗北なんですか??
人は皆、敗北する生き物なんですか??」
「興奮なさらないでください。
敗北に似ていると言ったのです。
そして敗北は0ではありません。
敗北は必ずなにかをもたらします」
「…………」
その時、ドラマで聞いたことのある音が響いた。
心拍数が下がっている音だ。
つまり……ばぁちゃんの死が近付いているということだ。
山田さんはベッドのそばにある機器を取り出し、ばぁちゃんの胸に当てた。
次の瞬間ばぁちゃんは反り返った。
瞬間だけ心拍数は跳ね上がった。
そして一気に下がる。
山田さんは機器を操作し、またばぁちゃんの胸に当てた。
さっきより胸が反り返った。
バキバキと音がした。
骨が折れる音に似ていた。
「……山田さん……
なんで助けるんですか??
助かる見込みはないんでしょ??」
俺の質問に山田さんはこちらを見た。
「私は医者です。
人を助ける仕事です。そこに理由はいらないでしょ」
俺はこれ以上ばぁちゃんを傷つけたくなかった。
だがそれ以上にばぁちゃんには生きてほしかった。
生きて欲しい。最後の最後まで。
「……先ほどの死とはなにか、という質問の答え……あれは医師としての答えです。
私の答えは、死とは死と向き合うことです。
そして死と向き合うことは全力で生き続けることです。
私はあなたの考えを尊重いたします」
山田さんはそう言うとまたばぁちゃんに向き直った。
またばぁちゃんは反り返った。
ほどなくして、ばぁちゃんの心拍数を刻む線は直線になった。
「……ご臨終です」
山田さんは白い布をばぁちゃんの顔に被せた。
「はい……
最後までありがとうございます」
俺は頭を下げて病室を出た。
実感がわかなかった。
延命行為をする間もなく、俺が来たらばぁちゃんは死んだ。あっけなかった。
なにがあったんだろう??昨日の朝まではいたのだ。存在していたのだ。
それがどうだ??今ばぁちゃんは存在してない。体はそこにあるのに。
病室の前の廊下にとっつぁんは座って待っていた。
「とっつぁん……
ばぁちゃん、死んだよ」
「そう……か」
とっつぁんは深いため息をついた。
駐車場まで一緒に歩いた。
「乗ってけ。
家まで送ってやる」
とっつぁんはポツリと独り言のように言った。
俺は無言でとっつぁんの車に乗り込んだ。
とっつぁんの運転は来たときとは別物で、素晴らしい安全運転だった。
とっつぁんは俺を俺の家に降ろした。
「気分が落ち着いたら学校にこい。
面倒な手続きがあったら儂に言ってこいよ」
俺はとっつぁんの言葉を無視して、家に入った。
家の空気はいやに冷たく、重かった。
広いとは言えない家だ。
だが決して狭いわけではない。
二人では狭いが、一人では広すぎた。
俺は居間に倒れ込んだ。
倒れた時の音が家中にむなしく響いた。
テーブルを見た。
朝の俺とメグが使った食器があった。
食器棚にはばぁちゃんの茶碗があった。
ばぁちゃん愛用のマグカップがあった。
干している洗濯物に目がいった。
ばぁちゃんの服があった。
写真だってある。
ばぁちゃんの使っていたものがたくさんある。
ばぁちゃんは確かにいた。
だが今はいない。
さっきまであったばぁちゃんの意志は??命は??魂は??
今はない。
なんにも
生と死の境界線なんてとてつもなく曖昧で、簡単だ。
なにか叩かれる音で目を覚ました。
俺はいつの間にか寝てしまったらしい。
音の正体は玄関から響いていた。
誰か来ているようだ。
俺は体を起こし、玄関に向かう。
「……トシ、メグ…」
戸を開くとトシとメグが伏し目がちにいた。
「ジョニー……」
メグはポツリとつぶやいた。
「大変だったみてえだな……
上がって良いか??」
トシは言う。
思わず ああ と了承した。
さっきまで俺が寝ていた居間に二人を通す。
「なんか飲む物持ってくる」
俺は三人分の麦茶をお盆に置いて持っていた。
「ジョニー、とっつぁんから聞いたよ。
大変だったな」
「いや……
そうでもねえよ」
「そうでもないって……
おばぁちゃん、亡くなっちゃったんでしょ……??」
メグの言葉は段々と小さくなっていく。
「それがよ、すげーあっさりしてたんだよ」
「なんだよあっさりって」
トシは少しだけ笑みをこぼす。無論引きの笑みだ。
「実際立ち会えばわかるよ。
意外とよ、想像してたより死なんてあっさりしてんだよ。
泣きもしねえし笑えねえ。
心にぽっかり穴が開いてる感じ。
小説とか映画見終わったときにあんだろ??なんか感動したときの浮遊感みたいなよ。
その時わかったよ。
死っていうのは真っ暗の暗いもんじゃない。感動的なもんだ」
すらすらと言葉が出てきた。
そのときの二人の顔は覚えていないが、唖然としていただろう。
俺は麦茶を飲んでまた話し始める。
「わかるか??
テレビのドキュメントの方がまだ泣けるんだよ」
「そっか……
で、これからどうすんだ??」
トシは一口麦茶に口をつける。
「さぁ。
まだわかんねえ」
「そっか。
まぁ困ったことがあったらいつでも頼ってくれよ」
トシはそう言って立ち上がる。
「じゃあオレは帰るな。
また明日な、ジョニー」
明日??曖昧な言葉だ。
もし死んだら、今まで当たり前だった明日はもう来ない。
人間はいつ死んでもおかしくない。いつ明日が来なくなるかなんてわからない。
だから俺は返事が出来なかった。
トシは俺の返事を待たず、帰っていった。
居間には俺とメグが残された。
「ジョニー、私も帰るね……」
「ああ」
メグは続いて立ち上がる。
俺は玄関まで見送る。
「多分明日は学校行かないから。
卒業式くらいは出るからよ。
じゃあな」
俺は一方的に言いたいことを伝えて、戸を閉めた 。
俺は次の日 学校を休み、ばぁちゃんの服や写真、食器などを処分した。
死んだ人に依存するほど弱くない。
いや 依存がこわいんだ。
依存すれば常にばぁちゃんが死んだ時の悲しみがまとう。
なら一瞬の悲しさですませたかった。
朝の六時から始めて、夕方の四時まで休まず処分した。
トラック一台分くらいの荷物を全て外にまとめた。
外から家に入ると、ここが俺の家とは思えないほど、がらんとしていた。
そのなにもない空間には、死んですぐのぽっかりとした死の気配があった。
その死の気配は俺を苦しめた。
それから逃れるため、俺は戻ることにした。不良に。
誰かを傷つけなければ気が狂いそうだった。
誰かを傷つけなければまともにいられない俺は、結局弱い人間なんだろう。
俺は髪を染めた。
ピアスを開けた。
知らない奴と喧嘩した。