紅茶があればそれでいい
『親愛なるハロルド様
先日は素敵な贈り物をありがとう。ここまで綺麗な緑色のものは滅多にお目にかかることはできないので年甲斐もなくはしゃいでしまいました。お恥ずかしい面を見せてしまい恐縮です。
あなたに戴いた素敵な緑眼は現在、営んでいる喫茶店にて保管しております。実際は私ではなく一人の老年が店主をしている雰囲気の良い所です。彼の淹れるコーヒーと焼きたてのデニッシュは絶品なので是非一度足を運んでみてください。
地図を同封しておきます。
追伸 − プレゼントを用意したので受け取ってね。
あなたの上司・涼子より』
……一体全体どこから突っ込めば良いのだろうか。
ハロルドはスイートルームの無駄に大きなベッドの中で今年一番大きなため息を吐いて頭を抱えた。朝一番、部屋のドア下に挟まれていた新聞紙と共に見慣れぬ封筒があると思って開けてみたらこれだ。差出人を見た時点で嫌な予感はしていたのだが、中を読んだことによる疲労は想像を超えてきた。どうせ送った当人は悪い顔しながらノリノリでこの手紙を書いたのだろう。語尾にハートマークでもあてていたかもしれない。まるであの黒髪の美女が目の前にいるかのようだ。手に取るようにその光景が思い浮かぶ。憎たらしい。
まず彼女には贈り物なんてひとつもしていないし(実際は彼女による強奪である)、それを勝手に持ち去って保管しているなんて聞いていないし(切実に返して貰いたいと思う)、プレゼントなんていらないし(もう必要以上に関わりたくない)、今もこれからも彼女の部下ではまったくない(意味が分からない冗談じゃない)。そもそも自分はコーヒーは嗜まない。甘いものは嫌いではないのでデニッシュとやらは気になるが、わざわざ出向くほどだとも思わない。
「却下だ」
サイドテーブルにまだ目を通していない新聞と共に投げ出すと、スリッパに足を食わしてバスルームへと向かう。
涼子という天上天下唯我独尊を地でいく女に会ったのは今年の夏のことだ。
つい最近まで心を窶し、腐りに落ちて行き着く果てにひょんなことで彼女へ喧嘩をふっかけたのだが、悲しいかな、その結果は見事な返り討ちであった。代償として失くした左目は現在虚となり白い眼帯の下で疼いている。片目と共に生きる目的も失い、けれど本国に帰る気も起きず、今はなんとなく惰性で日々を送る毎日だ。一言では語れない胸にくすぶる遺恨なんて思い出さなければまるで無かったことのように。
ちくり、と胸が痛み、忘れられるわけがない、とかぶりを振った。けれどそんな自分に「どうにかしてやる」という涼子の手をとるのも意に染まず、ダラダラと散財をして今に至る。分かってはいるのだ。今のままではいけないと。分かってはいるのだ。前に進む足がかりがあるとしたらそれは彼女なのだと。「いや、でもそんな俺の手は安くない」などと若干見当外れな言い訳を並べつつ、バスルームから出てベットルームへと戻るべく目の前の扉を押す。
正確には、戻ろう、とした。
チリン、と小気味よい音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
お待ちしておりました。
来店を知らせるベルと同時に人当たりの良い笑顔で迎えられたそこは、どう見ても先ほどまで居たホテルの一室ではない。見知らぬこじんまりとした、喫茶店だ。
「…………すまないが、」
見知らぬ、けれど先の今で若干心当たりのある店に勢いで踏み入れてしまった一歩だけを手前に静止する。こんな理不尽あるだろうかと声をかけてきた中の老年にみなまで言わず片目で訴えるが、けれど彼は首を振ってそれはできないと困ったように笑った。
「申し訳ありません。涼子さんより用を済ますまで帰すなと仰せつかっております、ハロルド様」
あんの女狐……!
と大声で叫びたい気持ちを堪えて眉間を抑える。つまりは手紙が来た時点で拒否権はないということらしい。問答無用で来店を強いられて、ハロルドはひくひくと震えるこめかみをそのままに入り口から動こうとはしなかった。いや、怒りを通り越し呆れて動けなかった、と言うのが正しい。
そんな彼を見て、聞いていた通りだと、目の前の老年が内心思っていたことをハロルドは知らない。この人もまた振り回されているのだろうなぁ、と同情と共に豊かな眉を僅かに下げる。
「まぁまぁ、細かいことはお気になさらずこちらへ」
「いや、だから、な?」
深緑の縁眼鏡と同色のニットベストを纏った老君にハロルドは顔を上げて首を横に振った。彼がこの店の、涼子の代わりだという店主だろう。彼女の下で動いているとは考え難いほどその表情は穏やかであるが、その深く刻まれた皺からは彼もまた何かしら業があることを感じさせた。
やんわりと断り帰ろうとするも、そもそも話を聞く気はないらしい。それが彼の仕事なのだからしょうがないのかも知れないが、ではこちらも何も言わずに立ち去っても良いだろうかと踵をあげる。が、見計らったかのように店主は「実は、」と静止の声を投げかてきた。できた人である。
「英国の方、と聞いてビスケットを焼いております。紅茶もフォートナムアンドメイソンよりアッサムをご用意致しました」
「…………」
「ミルクティーにてご提供しようかと」
「……話だけ聞こう」
別に朝食前だからと言って腹が空いていたわけではない。ただ、そういう仕立ては嫌いではないというだけだ。店主の人の良さそうな風貌に負けたのもある。元々下がりがちな眉を嬉しそうに更に下げてカウンター席に案内をしてくるものだから、今回は特別だ、と誰に対してでもなく言い訳をする。示されるままに背の高い椅子へ座り腕を組み視線を斜めに構えて、こぽこぽ、と湯の奏でる音に耳を傾けた。ふわりと香る茶葉の良い香りに思わず息を吐く。
そうして出てきたウェッジウッド社の陶磁器に乗せられた、焼きたてのビスケットと淹れたてのミルクティーに手を伸ばす。胃の腑から温まるそれについ「美味い」と呟けば店主は嬉しそうに顔を綻ばせた。悔しいが訪れて良かった、とまで思う。
「それと、こちらも。涼子さんからの預かりものです」
そう言って横に並べられたのは黒と銀の二色の紙縒で閉じられた小さな桐箱と、赤いシルクのリボンで閉じられた小さな布袋だった。どちらも手のひらに収まるような大きさだ。
沈黙を挟んでそれぞれの封を開く。桐箱に横たわっていたのはシルバーの片眼鏡。そして布袋からはーーーー。
「義眼か」
まるで作り物とは思えないほど精巧なそれにまじまじと見入る。その虹彩を始めとした色合い、形、大きさ、全てがハロルドのためにあつらえたとのだと主張していた。手のひらで転がる美しい緑の瞳が、彼の右目を射抜く。
ハロルドはそれに所謂まじないの類がかけられていることに気付いていた。自分には似つかわしくない、守護の呪いだ。持ち主を癒やし、守る。それはハロルドがもうずっと長い間、執拗に避けてきたことでもあった。
「……あいつは、一体何を求めてる」
そう尋ねられて店主は、そうですね、と少し言い淀んだ。実のところは分からない、と前置きをして目を伏せ答える。
「神になりたかったのだと、以前聞いたことがあります」
仰々しい願いだと思う。そして大方そのような理想を掲げたものに碌な奴を見たことがない。それでも目の前の聡明そうな店主は彼女に一等の信頼を寄せているようだったし、以前出会った涼子と共にいた少女もまた然りであった。かく言う自分だって彼女を一目置いてはいるのだ。
あぁ、そうだ。
(今更保身をしてどうする)
一度は捨てたこの身だった。
ならば、もうなるようになればいい。流れに乗ってしまうのも、これから何の当てもなく惰性で過ごすよりはずっと楽しそうだ。
左目に当てていた眼帯を外し、まるで元より自分のものかのように虚に適った義眼を埋める。ごろり、と違和感は最初だけで、すぐ溶けるように馴染んだ緑眼をシルバーの片眼鏡で隠した。
「お似合いです」と本音なのか世辞なのか、はたまたどちらでも良いのか、変わらず笑みを浮かべて店主は言った。返す言葉は思いつかず、目の前のティーカップを不躾に仰ぐ。
少し温くなっていたものの、やはり、それは美味い紅茶の味がした。
「そういえば店主、あなたの名前を聞いてなかった」
「総一郎、と申します」
「ありがとう、総一郎。次はぜひ、あなたのコーヒーとデニッシュも食べてみたい」
良いだろうか。
少し気恥ずかしそうに言うハロルドに、総一郎は嬉しそうに応える。そうしてまた、空になったポットに新しい湯を入れるのを、その新しい常連客は眩しそうに眺めていた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今年の更新はこちらが最後です。
そして!
平成最後の大晦日。今回はファンアートをご紹介させていただきます!
描いていただいたのは三ツ葉きあ様。ハロルド氏のマンガですよ。マンガ!!
全三ページです。どうぞご覧ください!
ふふふ、どうです?!
良いでしょう、素敵でしょう!!
1ページ目のこの横顔とか堪らんですね。なんてイケメン。永遠に眺められる。
そしてオチも秀逸で……!バラには是非そこを代わっていただきたいです。
ちなみにこのバラは最初、私がツイッターでふざけて描いたものでした。まさかこんな風に動くとは当初夢にも思わなかった……!
三ツ葉さんの作品はどれも素敵でございます。挿絵はもちろんのこと、小説そのものも引き込まれること間違いなしであります。かくいう私も虜の一人です。
ローファンタジー好きの方は是非ご覧になってください!
さて、あっという間の一年でありました。
更新が月一目標(それすら有耶無耶だった)というローペースながらも、多くの方に見ていただき大変嬉しく思います。
皆様のおかげで一年弱続いております。本当にありがとうございました。
来年も相変わらずのんびり更新ではございますが、お付き合いいただけると僥倖です。
どうぞ良いお年をお迎えください!