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ジャン・ドワイトの死

作者: 麿之宮清純
掲載日:2016/12/21

 物音が、消えた。

 たくさんの人と、たくさんの物が動く音が消えて、静まり返っていた。 だがそれでもフィリップは動かなかった。

 一、二、三、四、五……五の次はなんだっけ? 確か八くらいだったはずだ。

 たっぷりと……たくさん数を数えた辺りで、フィリップは瓶から顔を出した。 誰もいない倉庫に松明が備え付けられいるはずもなく、辺りは真っ暗な闇の中。 僅かに感じた背筋の震えを気のせいだと思う事にして、


―――がたん、と音がした。


 誰もいないはずだった。 この城の中は誰も残っていないはずだ。 なら今の音は……風だ、風に決まっている。

 そう思いながらも隠していた自分の鎧と槍を、


―――ぺたり。


「「ギャァァァァァァァ!!!」」


 雑巾を引きちぎったような悲鳴が、狭い倉庫の中に響き渡った。




「何やってんだ、お前らは」


 ギィィィ、と建て付けの悪い扉が開けば、いるはずのない人間が光と共にフィリップの目に飛び込んできた。


「若ァ!?」


 自分の声が二重に聞こえた、と思うほど同時に叫んだのは、相棒のジュゼッペだ。 お互い床に転がりながら、瓶の蓋で殴り合っていたのは彼だったらしい。


「おいおい……まさか」


 フィリップとは違い、まともに数字が数えられるジュゼッペは頭の回転が早い。 フィリップには何がなんだかわからないが、いつものようにジュゼッペが答えを出してくれるはずだ。 ジュゼッペより頭は悪いが、フィリップの方が顔がいい分、人生はバランスが取れている。


「若、アンタまさか城に残る気じゃねえんでしょうね!?」


「そいつはお前らに言われたくねえな。 総撤退の命令、聞いたろ?」


 貴族の坊ちゃまらしい服を着ているくせに、若の喋りはいつもフィリップ達と代わりがない。 そのくせフィリップより年下なのに、怒っていると何も言えなくなるほどの力が言葉に乗る。


「あ、いや……」


 それはジュゼッペも同じだ。 若に本気で睨まれると、ジュゼッペの蛙に似た髭面が、滝のような脂汗を流し始める。


「わ、若はお偉い王女様と来月、結婚式じゃねえんすか!? 死んじゃならんですよ!」


 だが今回は何とか反撃の糸口が見つかったらしい。 雲の上の事はよくわからないが、王様の四番目のお姫様と若の結婚が決まったと聞いた。 こりゃめでたいと皆で宴会をしたから、よく覚えている。

 こいつは確かに死んじゃ不味いわな、とフィリップはジュゼッペの言葉に続いて、うんと頷いた。

 これならぐうの音も出ないだろう。 いつもフィリップを馬鹿だ、馬鹿だと言う若が結婚式なんて大事な物を忘れるなんて、若の方が馬鹿ではないか。


「あ、あれは断ってきた」


「なぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 忘れ物を取りに来た。 そんな事でも言ったかのように若は軽く言った。 ジュゼッペが口をあんぐりと開けているのが見なくてもわかる。 それはフィリップも同じだからだ。


「いやよ、あいつは本当に馬鹿でさ」


 もう心底うんざりだ。 如何に自分が苦労しているかを、若は身振り手振りを交えてフィリップ達に語り始めた。


「やれマナーがなってない、やれアタクシ様の事はきちんとエスコートしろ、やれアナタには紳士としての気構えが足りないだの、あいつにはほとほとうんざりなんだよ。 だから、俺からお断りしてやったのさ!」


 うんざりなのはフィリップ達の方だった。 訓練が終わって、さっさと飯食って休みたい、というのに、


「俺のイセリナが可愛いんだよ! おい、馬鹿。 お前にもわかるだろ、この美しさ!」


と、何度も何度も何度も見せられた肖像画を嫌だと言っても見せられ、如何に自分がイセリナを愛しているか、彼女の小鳥のような声でなんたらかんたら。

 それはこの城に住む人間なら、誰でも一度や十度なら耳にしていたはずだ。


「い、いいんですか、若……?」


「……いいわけあるか」


「だったらよ、若!」


「あーもう、うるせえな!」


 若は綺麗に整えられていた髪をかきむしりながら言った。 こういう所はいつまでも子供のままだ。 こんな事をする貴族様は他に見た事がない。


「どいつもこいつも同じ事を言いやがって! 馬鹿じゃねえの!?」


「馬鹿はあんたでしょうが!? ……どいつもこいつも?」


「まったく……馬鹿だ馬鹿だと思ってたが、お前らがここまで馬鹿だとは思わなかったぜ。 ほら、さっさと中庭に行け」


 若が息を吸い込んだ。 訓練でしごき抜かれた身体が勝手に動く。 とりあえず鎧と槍だけを慌てて担いだ所で、


「駆け足ッ!」


 フィリップとジュゼッペは転がるようにして、倉庫を飛び出した。




「お、ジュゼッペとフィリップじゃねえか」


 中庭に行ってみれば、見知った顔ばかりだった。


「なんだこりゃ。 三百人くらいか?」


「おう、さすが遠見のジュゼッペだな。 正解は二百八十六人だ」


「おいおい、どこにいたんだ、お前ら……」


「俺は厨房の氷室に隠れてたら若に見つかってよ……」


 ジュゼッペ達の世間話に混ざらず、フィリップは思い出していた。 若のかくれんぼに付き合わされたはいいものの、どんな所に隠れても簡単に見つかってしまう。 ほら、見ろ。 また五人ばかり走ってきたではないか。

 フィリップは笑いながら、鎧を着込んでいった。







「総員整列!」


 一矢乱れぬ槍先にジャン・ドワイトは満足すると共に内心、頭を抱えた。

 練兵所に並ぶ兵達は、死ねとジャンが命じれば死ぬだろう。 それは論ずる必要のない事実である。 ……と思っていた。

 だというのに自分の撤退命令を無視した馬鹿共が五百人ちょうど。 ドワイト家の兵八千のうち、ジャンに預けられた兵達だけが丸々残っている。


「総員傾注!」


 青い空に長年、ジャンを鍛えてくれたギルバート・ウィリアムの声が響き渡った。 八十にもなる爺じいに、まだ声の大きさでは到底、勝てる気がしない。 剣の腕ではやっと勝てるようにはなったが。 初めて一本取った時の、あの悔しそうな顔はいつまでも忘れられない。 若者の成長を快く喜べよ、と思う。


「若」


 背後に控える爺の声に、内心でわかっていると返す。 空が、どうしようもなく綺麗だった。 綺麗だと思い込もうとした。

 曇り空なんぞを見ても心休まる趣味はないのだ。 青空の方がいい。 青空なら、空を見上げていても不自然ではない。

 鼻にツンと来るのは、きっと枯草熱(アレルギー性鼻炎)だ。


 ジャンは足を進めた。

 そして、どこかから見つけて来たらしい踏み台に足をかけ、ようと思ったが思いっきり蹴飛ばした。 哀れな踏み台は空中でバラバラになると、無残な屍を地に晒した。


「ああっ!?」


 今のはクリストフの声か? 馬鹿野郎め、踏み台で演説するなんて格好つくかよ!

 大体、あいつはいつもそそっかしいんだ。 去年の野盗退治の時だって、崖から落ちて捕まりやがって。 俺達がどれだけ焦ったかわかってるのか。

 あいつも、あいつも、あいつも!


「馬鹿ばっかりか、お前ら!」


 気付けば叫んでいた。


「敵は四十万の大軍、こっちは五百人。 お優しい陛下が逃げろと言って下さったのに、この俺が撤退しろと命じたのに、何の因果かこのボロ城に残りやがって!」


 俺が怒っているのに、にやにやと笑っている奴らがいる。 あとで地獄に落ちるまで、しごき抜いてやる。 ……全員か、おい。


「若こそ逃げないじゃないですか!」


 ジュゼッペの笑いを含んだ声がジャンの癪に触る。


「うるせえ、馬鹿! 俺はいいんだよ!」


「なんでなんすかぁ?」


 ギャハハ!と品の欠片もない笑い。 わかって聞いてるのが丸わかりだ。

 ドワイト家の居城はこれまで敵に占領された事はない。 それは誇りだった。 ジャンが生まれてから曾祖父に聞かされ、祖父に聞かされ、父に聞かされ。

 それはいつしかジャンの誇りになっていた。


「それはだな、ドワイト家の誇りというやつで」


 ゲラゲラと山賊のような笑い声が巻き起こる。 くそっ、馬鹿共が!


 フィリウム王朝の初代『慈雨王』に仕えし、二十四騎士の筆頭ドワイト家。 それは誇りだった。 ジャンが生まれてから曾祖父に聞かされ、祖父に聞かされ、父に聞かされ。

 それはいつしかジャンの誇りになっていた。


「我が輩、ドワイト家は常に王の盾としてだね、ちみ達……!」


「聞こえませぇぇぇぇん!」


「マジでてめえら、ぶっ殺すぞ!?」


 瞬間、無秩序だった場が一つにまとまった。 しんと静まり返った兵達に、ジャンは狼狽える。


「だから、教えて欲しいんですよ。 俺らは何のために戦うのか。 若の言葉で」


「フィリップ……」


 見た目だけは貴公子然としたフィリップと、潰れた蛙のようなジュゼッペは初めて見た時は奇妙な組み合わせだと思っていた。 いつもいつも、人を貴族の若様と敬わないジュゼッペと無口なフィリップ。 そんな彼らが真剣な顔で、彼らだけではない。

 誰もが、ジャンを見ていた。 ジャンの言葉を求めていた。


「共和国軍が四十万の大軍で国境を超えてきたのが七日前」


 ジャンは心の底から恥じた。 ここに残ったのはどうしようもなく、この場が好きな奴らだった。 この場以外では生きていたくなかったのだ。


「今、王都では兵を集めているが、このままでは間に合わない」


 誰もが誰に言われたわけでもなく、こうして集った彼らを死に向かわせる。 ジャンが彼らを殺す。

 だというのに、そこに虚飾を持ち込むなど騎士として恥ずべき所だった。

 曾祖父に鍛えられ、祖父に鍛えられ、父に鍛えられ、爺に鍛えられた騎士ジャン・ドワイトは、恥を知る騎士だ。


「だから時間を稼ぐ。 ここで止められなければ、イセリナが死ぬ」


 イセリナの気高き魂は、国を蹂躙する侵略者に身を委ねる事はないだろう。 城下に敵が迫れば、喉を突いて自らを勝利の生け贄に捧げかねない。

 ジャンが惚れたイセリナの苛烈な魂は、どこまでも国へ捧げられている。

 だが、


「イセリナに死んで欲しくない」


 騎士ジャン・ドワイトではなく、ただのジャンが戦う理由など、それ以外にはない。


「皆、俺の愛のために死んでくれ」


 たった五百人。 そして、イセリナの次にジャンが愛する五百人。

 たった五百人で四十万の兵に何日稼げるのか。 幸いドワイト城の位置は、共和国軍の兵站を脅かすのに最適な位置にあり、補給線を確保するにも最高だ。 この城が捨て置かれる事は、軍学をかじった事がある者なら絶対にないと言い切れる。

 だが逆に言えば四十万が一斉に襲いかかってくるのだ。

 こんなにも素晴らしい兵達をジャンの我が儘に付き合わせていいのか。 今だって彼らを見れば、肩を震わせて目に涙を……ん?


「よーし、聞いたか、お前ら!」


「おうよ、若を男にしてやろうじゃねえか!」


 必死に笑いを堪えながら、兵達は口々に叫んだ。


「皆、俺の愛のために死んでくれないか」


「くううう、痺れるねえ! いよっ! さすが愛の騎士様!」


「愛だぜ、愛! お前、かかあに言った事あるか?」


「あるわけないだろ、こっ恥ずかしい」


「き、貴様らぁぁぁぁぁぁ……!」


 ジャンが怒りのまま声を張り上げようとした、その時だった。


「来たぞ、共和国軍だ!」


「こんな時にか、ちくしょう!」


 怒っている暇もないとは世知辛い。 物見の声に、ジャンは走り出した。


「てめえら持ち場につけ!」


「応ッ!」


 その返答を聞くまでもなく、ジャンはあっという間に城壁を登る階段を跳ねるように駆け上がる。

 ああ、くそっ……気を使われた!


「指揮官失格ですな」


 ジャンの燕のような足の速さに追い付けるのは、兵達の中には一人もいない。 ただ爺のみが平気な顔をして着いてくる。


「うるせえ、わかってる」


「指揮官たる者、兵に内心を見抜かれてはいけないと何度言えばおわかりになるのですか」


 彼らを死なせたくない。 この土壇場でジャンは思ってしまった。 その揺らぎを、彼らは笑い飛ばしてくれた。

 だからジャンは今、こう言えるのだろう。


「そんな事よりも……見ろよ、爺。 あれが俺達の晴れ舞台だ」


「ふむ、悪くありませんな」


 槍の林とはためく旗で、地平が埋まる。 四十万の兵を高い所から見下ろすのは、なかなか爽快な気分だった。


「ああ、悪くない。 とても悪くない気分だ」


 ジャン・ドワイトは笑った。





















二十日後、最後の一人が死んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] とてもよかったです。なんか続きが読みたかったりします! ありがとうございました。
[良い点] チクショウやっぱりこれはいい。最高だ。
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