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神足のレオル  作者: 卯野裕富
6/13

馬術競技

 狂戦士の愛馬に乗って、王城まで一気に駆けて行こうと思っていたレオルは落胆した。

 確かに体力的には楽なのだが、なにしろ遅かった。自分が走ったほうが速いのではと思うほど、馬は遅かった。しかも時折、簡単な段差でつまづき、よろけた。その度にレオルは手綱に力を込めて、落馬を防がなければならなかった。

なぜか馬はとても面倒くさそうに歩いている。

 傾斜の厳しい丘を下ると、再び広大な平原に出た。ここからは、さすがに老馬と言えども、気持ちよく駆けてくれるだろうとレオルは期待した。

 しかし、そんなレオルの期待をよそに、馬はあいかわらずのんびりと歩いていた。

 レオルは馬のたてがみを撫でながら、語りかけることにした。

「頼むよ。アイゼンウルフ。私は急いでいるのだ。あなたの全力を見せておくれ」

 馬はフン、と鼻から息を吐き出した。生意気な人間め、私に命令するな、というような吐き出し方である。レオルは気が遠くなりそうだった。自分で走ればよかった、と後悔をため息に混ぜた。

そんなアイゼンウルフだったが平原の道を歩いてしばらくして、レオルを拒絶するように突然、頭を思いっきり跳ね上げた。

 レオルは後ろに倒れそうになり、手綱をたぐり、自分の頭を下げて、馬の首に顔を寄せる。そのとき、レオルの背中の上を、空気を切断する音が通りすぎた。凶悪な音。思わず、すぐに前を見た。

 街道の上に人影はない。しかし、遠くのほうの脇の背の高い葦の草むらの隙間から、ちらちらと動くものがある。どうやら、人のようだ。

 さらに眼を凝らすと、その人影は群れをなしており、全員が弓矢を構えているのが確認できた。

 レオルがその矢の先端に背筋を凍らせたとき、おもむろに、何人かが街道を塞ぐように走り出てきた。

 彼らは、平民のようないでたちであったが、その構えから兵士であると思えた。

 矢が全て自分を向いている。

 レオルは戦慄した。全身の毛が全て逆立った。

 ディオニクス王の差し金か。そうに違いない。

 そう思ったが、この局面を乗り切る方法を思いつくことができなかった。

 すると、再びアイゼンウルフが軽く跳ねた。

 その微妙な反動をレオルは手綱で操作することができず、思わずたてがみのある馬の首筋にしがみつく結果になった。

 老馬は、レオルをその姿勢にさせるためにわざと軽く跳ねたのだが、その訳が分かるのは、この直後のことなのである。

 その瞬間――。

 レオルはこの馬が、狂戦士の軍馬であったことを痛感した。

 この雌の老馬は、いきなり猛然と激走したのだ。

 先ほどまでの、頼りない様子が嘘のような突進。

 同時に放物線を描いて、大量の矢が空へと放たれた。

 大量の矢が空間を切り裂く音と、雌馬が猛進する蹄の音が混ざり合う。

 レオルの頭の後ろを多くの矢が掠めていく。

 弓の狙いよりも、馬が予想外に速いスピードであったため、弓兵たちは目測を誤った。

 そして次の矢を番えたときには、すでに馬は目の前に来ていた。

 恐るべき速度――。

 馬は姿勢を低くして、街道の弓兵を吹き飛ばし、踏み潰した。

 兵列を突破する。

 後ろから弓を放つ兵もいたが、その弓の速度よりも馬のほうがずっと速い。

 レオルはアイゼンウルフの首筋にしがみついたまま、全く動けずにいた。

 敵の攻撃が届かないとわかると、なんとかレオルは体勢を立て直し、ふと、右後ろを見た。

 向こうのほうから馬に乗り、こちらに駆けてくる一人の大男。

 その馬は、葦をなぎ倒すように駆け寄ってきている。

 腰まで葦に隠れているその男のからだは太陽を浴びて、全身が金色に輝いているようだった。

 金色の兜には、同じく金色のたてがみが、雄々しくなびいていた。

 その男の馬も、この馬に負けないくらい速い。

 直進するアイゼンウルフに対して、対角線を駆けて迫ってきていた。

 レオルはその男の左手にある、赤く野太い槍を見て、恐怖を覚えた。

 あんなのでなぎ払われたら、体が真っ二つになってしまう――。

 想像しているうちに、金色の大男が寸前まで迫ってきた。

 男の眼光は鋭い。

 おそろしく強そうな顔をしていた。

 その槍の穂先が、男の後方へ引かれる。

 あきらかに自分を狙っている引き方であった。

 槍が振られる――。

 その刹那――。

 死への恐怖のあまり、レオルは失禁して、失神した。

 顔から馬のたてがみの中に、沈み込んだ。

 その真上を、轟音で槍が通り過ぎる。

 


 暑さがセルビアヌスの肌を焦がしていた。

 先ほど来た伝達兵は、最初の丘にレオルが差し掛かったことを王に報告していた。

「とりあえず、家を出たのだな。良かったな、セルビアヌス。あいつはここに来るつもりのようだ。しかし、無事にたどり着けると良いなあ。ふふふ」

 満面の笑みを浮かべて若い王は言い放った。

「レオルは必ず来ます。あいつはどんな困難に遭っても、絶対に乗り越えるでしょう」

あいかわらず街道の向こうを見ながら、吊るされた半裸の男は言い返した。

 昨日吊るされてから、水も食料も口にしていない。王城の下人が、事あるごとにそっと駆け寄り、水くらいは飲ませてくれようとしたのだが、それを彼は拒んだ。

 レオルは自分よりも、もっと辛い思いをして走っている。自分がここで楽をしてしまっては、あいつに失礼だ、と言って拒み続けた。

 そんな様子で耐え続け、信じ続ける男を、ディオニクスは忌々しげに睨み付けると、伝達兵に言いつけた。

「途中でもし、あの男が死んでいたならば、その首をすぐにここへ届けよ。その無様な死に顔を、信じ続けているこの男に見せたいのでな――」


 

 一方――。

 さわさわと葦の群れが揺れていた。

 向こうのほうへ、頭を低くして過ぎ去っていく馬の尻尾を横目に、金色の大男は自分の槍の穂先へ目をうつした。

 そこには血痕が残っている。だがあの男のものではない。

 あの男、槍で首をはねられる寸前に気絶したようだ。

 そのおかげで幸運にも、斬られてはいまい。

 だとしたら俺が斬ったものとは……。

 立ち止まった馬上で、『金獅子大将』ブリュンハイドは一考した。

 レオルを乗せた馬の姿は、すでに小さくなっている。

 あの速度――。尋常な馬のそれではない。

 どこであれを手に入れたのか。

 色々な想いを巡らせながら、混乱する兵士をまとめて、すぐに追撃に移ろうと、金色の鎧を輝かせながら、彼は馬首を返した。



 ふいに、レオルは投げ出された。

 気がついたときには、からだが空中を飛んでいた。そこで眼が覚めた。

 何がどうなっているのか、全く分からないまま、茂みの中に落ちる。

 幸いなことに、そのとき茂みのツタが全身に絡みつき、落下の衝撃をやわらげてくれた。

 そのツタを、むしりとり、引きちぎりながら、レオルは茂みの外に出た。

 ぐるりと頭をめぐらせ、周りを見渡す――。見覚えのある景色。

 おそらく、あの平原から、ひたすら真っ直ぐ進んだ山の、頂上のあたりではないかと思われた。

 自分はどれだけの間、気を失っていたのだろうか。

 レオルのめぐらした視線の先に大きな木があった。それを見て確信する。それは、行き道で休憩した山の頂上にあった大木だと分かったからだ。

 大木の下に視線を落とすと、馬が倒れている。こちらからはその臀部しか見えないが、間違いなくアイゼンウルだとわかる。

 急いで駆け寄る。馬の倒れている場所の、大木の腹のあたりには、びっしりと血の跡がみえた。

 アイゼンウルフは、この大木の幹に頭をぶつけたのだろうか。その反動で、意識を失ったまま乗っていた自分は前方へ投げ出されたということか。

 アイゼンウルフが生きているかどうか確認するため、その頭のほうへ回り込み、レオルは驚愕した。

 雌馬の頭のてっぺんが無くなっていたのだ。頭頂部から耳のあったはずの場所までが全て切り取られたように欠損し、まっすぐ伸びた切れ目から潰れた脳みそが見えている。こんな傷は、とても木にぶつけて出来たものではないと考えられた。

――馬が死んだ。

 せっかく、あの老人から頂いた馬の命を、あっけなく自分は無駄にしてしまった、とレオルは激しく落胆した。落胆し、後悔しても、馬は戻ってくるはずもなく、レオルはむせび泣いた。額を失くしたアイゼンウルフのそばに座り込んで泣いた。

 この狂戦士の雌馬は、頭を斬られながらも、レオルを遠くまで運んでくれたのである。彼女はすでにそのとき、意識など無かったに違いない。ただ長年に渡って連れ添い続けてきた、主人の最後の言いつけを守って、命の限り、レオルを運んだのであろう。

 斬られて耳を無くし、おそらくよく見えぬ目で、ひたすら真っ直ぐ走り続け、山を駆け上り、ついに街道の真ん中にそびえる大木を避けることさえもできず、むきだしの頭をぶつけて絶命した。

 ただ、自分を運ぶために――。

 レオルは悲しみに狂いそうだった。この健気な馬の想いを、自分の中に永遠に仕舞い込みたいと思った。どうすればいいのだろうか――。

 レオルは、腰袋に入れていた小型のナイフを取り出した。

 そして天に向かって叫び、馬の腹にナイフを突き立てる。

 4回突き刺して、四角にえぐった。

 そしてその肉を、喰った。

 その血を、飲み込んだ。

 再び叫んで泣いた。泣きながら、噛み締めた。

 自分の中に、老人と馬の想いを、とにかく詰め込んだ。

 そうして心と腹に詰め込み終わると、激昂にうめき声をあげながら立ち上がり、レオルはまた、走った。


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