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神足のレオル  作者: 卯野裕富
12/13

ラストラン!

 グレン・ディオニクス・セラティノスは、パルメルフ国二番目の王にして、「暗愚王」として後世の歴史へ名を残す人物である。

 大器晩成型で、国を富ませて拡大し、戦乱の世を治めた名君であり父でもあったアラミス王とは対照的に、彼は破壊と虐殺を好み、恐怖による独裁政治を目指す者であったとされている。

 その暴君ぶりはすさまじく、自身の親族や家臣、その家族、民衆などの処刑など朝飯前で、市民に対して家財の没収、重税、重労働を強いたり、圧倒的な軍事力を動員して、近隣の少数民族の国を無実の罪で滅ぼしたりと、国の内外に暴力の嵐を吹かせた。

 ディオニクスの性格は幼少時より歪な形に捻じ曲がっていた。それは生まれつきのものであった。子供のころは王城の教育係りの見えないところで、小動物を殺したり、下人や召使いをいじめたり、時には城壁の上から、下を歩く市民を弓で射たりしている。

 その性格が、より一層の凶暴性をもった形に進化したのは、父が死去してから後のことであった。

 それは何故か。

 専制君主として全権をその手に得たから、という理由だけではない。

 その原因を知るためには、2代目として戴冠する直前の、アラミス王の葬儀にまで、時をさかのぼらなければならない。それは、歴史の影に隠れた事実なのだ。

 74歳にまで生き、大往生を遂げたアラミス王の葬儀は、王都を上げて、粛々と行われた。市民は嘆き悲しみ、そのすすり泣く声が、あちらこちらで三日三晩聞こえ続けた。他国にも訃報は伝えられ、多くの国は夜に一切の灯りを消し、哀悼の意を表した。

 内戦中の軍隊同士でさえ、その日はお互いに武器を置き、停戦したという逸話まであるほど、パルメルフの王の死は、大陸全土を愁傷に包みこんだのであった。

 そんな葬儀の夜――。王の棺の横に座り、酒をしたたかに飲んでいたディオニクスに、謁見を願い出る者が現れた。その男は、自分の出生の秘密を知っているという――。ディオニクスは、使いの者から聞き、男を呼びつけてみた。

 その男はしっかりした体つきではあったが、フードを被った頭から覗くその顔は、普通の老人であった。

「あなたの本当の母から預かったお手紙をお持ちしました」

とひざまずきながら、老人は神妙に言う。

 その妙な雰囲気に、ディオニクスは、人払いをして、老人に言い返した。

「俺の母はまだ生きているぞ」

「いえ、メーブル王妃様は本当のあなたの母ではありません」

「なぜ、お前はそんなことを言うのだ」

「私は、あなたの本当の母上と最後に会った者だからです」

「最後に、だと? 適当な嘘を申すな、下郎――」

 ディオニクスは側に置いていた長剣を取った。それに怖じる気配も無く、老人は続ける。

「あなたの本当の母上は、ステリア様と言います。あなたの信じる母――メーブル様のお姉様にあたります。ステリア様はあなたを産んですぐに、死にました。あなたを守って、死にました。私はその間際に、あなたを受け取り、アラミス王に渡したのです」

「そんな話、聞いたことがないぞ。父からも、重臣どもからも聞いたことがない。お前は、何物だ」

「私もかつて王に仕えておりました。あれはもう、20年前のことになるでしょうか――」

 老人は、語り始めた――。

 20年前、アラミス王の駐屯する前線の城が、王とその軍団が出陣した隙に、どういうわけか敵に乗っ取られた。城の中には、生まれたばかりのディオニクスとその母・ステリア王妃が居た。外で考えあぐねる王や重臣をよそに、そのフードの老人は、単独で城に侵入し、ディオニクスを救出し、アラミス王へ届けることに成功する。しかし、彼の母ステリアは、二人を逃がすため敵兵に挑み、命を落とした。その翌日、人質が居なくなった城をアラミス王は全力で攻め潰した。敵を全て皆殺しにし、それらがどこから来た敵なのかを調べてみると、それはかつて自国に併合した国の家臣たちであった。

 その、併合した国王の名は、カリウスと言い、乗っ取られた城はもともと、カリウスの居城であった。

 つまり、この城乗っ取り事件は、旧領復帰を目指した旧カリウス配下による、クーデーターであったのだ。その数約80名――。わずか80人ほどの軍勢に、自国の城が落とされてしまったのである。彼らは、自軍の数を多く見せるため、城壁に沿って張りぼての鎧を立たせたり、大量のたいまつを燃やしたりした。その効果があって、当初アラミス軍は、城内の兵士の数を500名以上と見積もってしまっていた。

 この事件は、当事者たちの間で秘匿され、二度と語られることは無かった。参戦していた部将以下の軍兵たちは、「パルメルフの恥」として口を閉ざした。

 戦後処理はひっそりと行われ、母の居なくなったディオニクスには、アラミスの第三夫人である、メーブル王妃が育ての母としてあてがわれた。メーブルはステリアの妹である。それからずっと、ディオニクスはメーブルを実の母として育てられてきた。

 ちなみに、王子救出という最大の勲功を果たしたフードの老人は、手負いの傷のせいで数日間生死の境をさまよったが、何とか傷を完治させ、戦列に復帰しようとした。しかし、なぜかその居場所は用意されなかった。そして、辺境の地へと飛ばされたのだという。

「私は、知らなくて良いことまで、知りすぎていたのかもしれません。その命を奪われなかったことだけでも、感謝しなければならないのかもしれませんが、この歳までずっと、納得できずにいました。あなたの本当の母は、あなたが大きくなったら、と言って、死ぬ前に手紙を私へ託してくれていました。それが、これです。」

 老人は懐から、一枚の白い手紙を差し出した。

 酔いがまわり、ふらつく手で、それを受け取ったディオニクスは、早速その中身を読んだ。

 そこには、こう記されていた。


「――親愛なるディオニクス。

 あなたがこれを読む頃には、もう私の姿はそこに無く、あなたは私を知らぬまま、立派な大人になっていることでしょう。

 いま、私達は敵に囲まれています。

 もしかしたら、ふたりとも命を失うかもしれません。

 でも、あなただけでも生き残って欲しいと、希望を持って、将来のあなたへ手紙を書きました。

 もしも、この手紙をあなたが読んでいるとしたら、あなたは生きているということですね。

 どうかアラミス王のように、聡明で逞しい王になってください。

 あなたは私の光。私の魂がなくなっても、あなたを愛しています。

 あなたの母――ステリアより」


 

 達筆な字で書かれた、美しい手紙を読んで、ディオニクスは思わず涙した。

 生まれてから、悔し涙以外の涙を流した経験などない彼にとって、初めての感動の涙であった。

 ふと手紙から顔をあげると、老人は消えていた。

 あの老人の真意とは、何であったのか、わからぬまま、消えていた。


 それからディオニクスは、あらゆるものに疑いの目をむけ、憎んでいった。

 自分の母と思っていたものが、本当の母でなかったこと、それを誰も教えてくれることなく隠されていたこと。このまま自分が知らなければ、この国の人間は、ずっと隠しておいたままであったはずだ。

 母と信じていたメーブル妃は、血が繋がっていない、ただの育ての母に過ぎなかったと思えば思うほど、その根拠には心あたりがあった。

 母としての、優しさが皆無であったからだ。

 食事中、ゴミ箱に入っていた残飯を口に押し込まれたことがある。自分自身の絵を描かせて、ヘタだと「美しくない」と激怒して、椅子を投げつけられたことが何度もある。柱に縛り付けられ、頭から大量の蛆虫を注がれたこともある。城のベランダから外の景色を見ていたら、後ろに気配を感じ、振り向くと、自分を突き落とそうとしていた――等、思いだせば枚挙に暇が無かった。

 自分を見つめる母の目には、暗い憎悪の炎が燃えていたように思える。

 ただ、姉の子という理由だけでは理解できない、異質な憎しみであった。

 それでも子供心に母を愛そうと努めた。ディオニクスは何をされても耐えたし、期待に応えようとした。

 しかし、それは全部、無駄であったと知った。母は、母ではなかったからである。


 それからディオニクスは荒れた。

 手紙を読んだ翌日は、王の戴冠式が行われ、その夜から3日間は、即位の祭りが開催された。

 悶々としながら、王は酒を大量に飲んだ。毎日、浴びるように飲んだ。

 2日目、酔ってさまよう王の目の前を、仲の良さそうな夫婦が通り過ぎた。その妻の顔は、自身が幼かった日のメーブルの面影そのもの。自分がかつで母と慕っていた、あのメープルに――。

 あいつは実の母ではなかった。あいつは俺を虐げ続けた。俺は、それでも母と慕っていた。なのに――。

 溜めに溜めていた苦しみの憎悪は、まず手始めに、義理の母への復讐の予行練習としてザキットの妻に向けられた。


 三日に及ぶ祭典が終わると、ディオニクスはまず、アラミス王の参謀として常に側に居た賢臣アレキウスを拷問にかけた。あのフードの老人の言ったことが本当かどうか、知りたかったのである。

 拷問に耐え続けるアレキウスは、家族を目の前で処刑されても、口を割らなかった。そして最後は自ら舌を噛んで死んだ。

 次の犠牲者はディオニクスの姉だった。ディオニクスの姉とは、先代のアラミス王の正室として王を長年支えてきた、すでに亡き第一王妃より生まれた娘のことである。かねてより、メーブル王妃は、このディオニクスの腹違いの姉が貴族の男との間に生んだ男の子を、次の王にしようと画策していた。メーブルは生まれつき残虐で陰湿なディオニクスよりも、そちらを王にしたほうが国のためになると思っていたのである。

 その事をかねがね察知していたディオニクスは、メーブルの見ている前で、自分の腹違いの姉とその夫、および幼い男の子を、反逆の疑いあり、として捕らえた。そしてまず、夫と息子をそれぞれ縄で縛り、動けなくした上で近衛兵に命じて、狼が巣食う森丘の中へ放置させ、その餌とした。次に自分の腹違いの姉を城門内の大きな杭に磔にして、自ら槍で突いて処刑した。

 そして最後は、義理の母、メーブルを毒牙にかける。

 城門の中の大きな杭に、メーブルを吊るして、ディオニクス王は問いただした。

「お前は、俺が自身の子で無いことを、よくもずっと隠していたな。そして自分の腹を痛めた子ではないという理由だけで、俺のことを、ひどく憎んでくれたな。だから、俺を虐げ、あげくには殺そうとまで考えていたのだな」

 そう言われて、メーブルは即位したばかりの王を睨んで、言い放つ。

「当たり前でしょ。あんたは穢らわしい血の子供――。私が知らないとでも思ったの? あんたのせいで、私のステリア姉さんは死んだのよ。あんたには、あの眩しい太陽のようだったアラミス様の血が一滴も混ざっていない。この――」

 と、そこで一旦言葉を区切り、続けざまに彼女は唾棄するかのような言い方で、

「――この偽者が」

 と口を動かした。

 その言葉を最後まで言い終わらないうちに、彼女はディオニクスの剣で両断されてしまった。血とともに、頭の上に乗っていた、彼女の愛用していた瑠璃の髪飾りが、ふたつに割れて地面に落ちた。

 

 母殺しの王――。

その後、しばらくの間、ディオニクス王はそう呼ばれた。

 彼は孤独であった。多くの人間に欺かれて、育ってきたことを憎んだ。そして、この世に起こりうる全ての事を疑った。

 あらゆることを疑うことで、彼は自分の心を正常に保っていたのである。

 それが彼にとっての平和といえた。

 その疑い深さは、今回のレオルの件についても存分に発揮されている。

 まずレオルの待ち伏せと襲撃をブリュンハイドに指示したが、王はそれを信じていなかった。待ち伏せに失敗するかもしれないと思った。だから念のため、豪雨を利用して、クーロン川の橋を落とさせた。

 しかし、レオルが川を泳いで渡ったことを知るやいなや、街道のいたるところに、鋭利な竹槍を底部に敷き詰めた落とし穴を掘り、他の人間が落ちないように、レオルが来るまで、穴の近くに衛兵を置いて監視させていた。彼が通るときだけ、その落とし穴に誘導させるつもりであった。

 次にレオルが、街道を走らず、陰草の道を進んでいることを知ると、元配走人から道を聞き出し、衛兵に暗殺に向かわせた。それが失敗したときに備えて、その道の出口に同じく落とし穴を掘らせることも忘れてはいなかった。さらに王は、レオルがもし、穴に落ちなかったときのために、さらに別のものを用意させていた――。


 

 その、ディオニクスが用意した落とし穴――。

 そのひとつにレオルは落ちていた。

 それは配走人の道の、出口に掘られた落とし穴である。

 レオルは、突然沸き起こった手足の激しい痛みに、目を覚ました。

 はじめ彼は、井戸の中に居ると錯覚した。周囲を囲む土の壁のせいだ。

 自分が居る場所から見上げると、空がいつもよりも高い位置にあると思った。穴だ、とわかるのに、そこから数刻も必要はなかった。かなり深い穴で、その壁からは木の根がむき出しに見えている。

 下を見た。

 自分の尻の下に、男が居る。

 下敷きになり、冷たくなっていた。

 その男の体のあちらこちらから、緑色の、先端を鋭く磨かれた竹槍が、竹の子のように生えている。

 なぜ、自分の下にこの男が居るのか、覚えていない。

 しかし、この男の存在は、不幸中の幸いであると言えた。

 道を先導していたキアヌが先に穴に落ち、下で待ち構えていた竹槍に貫かれたのである。そしてその上から、穴に気付かぬレオルが落ちていったのだ。

 キアヌが身代わりになってくれたお陰で、全身串刺しは免れたとは言え、キアヌを突き破った竹槍の数本が、レオルの手足と臀部に刺さっていた。

 生暖かい血が、流れ落ちている。

 この期に及んで、レオルは自分の血がまだ、こんなに暖かいことに感心していた。水分という水分は全部流れきり、体の熱など全て逃げてしまっていると思っていたからだ。

 レオルはキアヌの頭を踏みつけて、なんとか穴の外に出た。

 穴から出るときに、腰紐を槍先に引っ掛けてしまい、下半身に巻いていた腰布ごと破り落ちてしまった。腰袋も一緒に落ち、彼の大事にしていた銅色のコインが中からこぼれて消えた。全裸になったレオルには、そんなことを気にする余裕すらもはや無く、城の外壁に沿って街の入り口を目指そうとした。

 走ると、所々から血が吹き出てくる。なかでも足首に刺さった部分は、強烈な痛みを与えてきた。筋肉の痛みには慣れていたはずだったが、槍が深々と刺さった傷の痛みは、いままでで一番強烈だった。

 しかし、目的地は目前だ。

 あと少しでたどり着く。

 ここまで来て、倒れるわけには行かない。

 そう思い、レオルは王都の入り口に続くあぜ道をふらふらと走った。

 城の入り口から、何人かの市民がレオルを見ていた。

 彼らは、レオルの帰参を待っていたのである。

 レオルは、走った。

 走った跡に、血が点々と付着し、地面に吸い込まれて消えた。



 ブリュンハイドは馬を飛ばしていた。

 街道を猛烈な速度で進みながら、自問自答はいまだ続く。

 そんな中、前方に5人ほどの人だかりが見えた。

 その中の一人は衛兵であることがわかる。

 他の人影は、旅の商人の一団のように思えた。

 ブリュンハイドはその異様な様子に馬を衛兵に寄せ、何事かと見に行った。

 一団は、街道の地面にぽっかりと開いた穴をのぞいて騒いでいる。

 どうしたのか、と馬上から衛兵に聞くと、衛兵は答えた。

「王様の指示で掘った穴に、子供がふたり落ちたのです。私は見張りを言い付かっていたのですが、あそこにいる商人の子供達が私を見て、兵隊さんだ、とむこうから駆け寄ってまいりました。それは、来てはならない方向でした。必死で制止したのですが……。間に合いませんでした」

 ブリュンハイドは、沈痛な表情の衛兵をそのままに、穴へと歩み寄ると、中を覗き込んだ。

 穴の中には、凄惨な光景が落ちていた。

 それを見て、忘れようとしていた過去の箱のひとつが開けられ、心がちくりと痛んだ。子供を手にかけたのは、後にも先にも、あれ一度だけであった。それを、思い出した。

 また考えた。

 なぜ、無実の子供が、この穴に落ち無ければならないのか。

 ここに、穴を掘るほどの理由が、あったのだろうか。

 今日起こった色々なことを反芻し、アラミス王がかつて提唱した市民のための政治と戦争という理念を思い出し、ディオニクス王のこれまでの行為を省みた。

 それを踏まえた上で、金色の大男は、決心した。



「走っているのは、セザールのレオルという青年だそうだ」

 市民達は、城門のそばに群がって、待っていた。レオルが来るのを待っていた。

 最初はみな、面白半分で、娯楽のように、レオルが走るに至った経緯を噂し、広め合った。

「王に楯突いて、走らされているようだ」

「いや、自分の妹のためらしいぞ」

「それもそうだが、友人のためでもあるらしい。その友人とはセルビアヌス様だそうだ」

 しかし、事情通の配走人たちから、道中の王の卑劣な罠について知らされると、人々はレオルに同情しはじめた。その罠にも負けず、走り続けるレオルを賞賛した。

「大勢の兵士に追われているという」

「街道の橋を落とされても、泳いで渡ったらしい」

「いまさっき、血だらけで走っていると聞いた」

「頑張ってほしいな」

 やがて、市民達はレオルの処刑を望まなくなった。かといって、セルビアヌスの処刑も望んではない。彼らが期待するのは、王が信義というものを知ることであった。誰も信じず、圧政を続ける王の性格が、ふたりの友情劇を目の当たりにすることで、少しは良い方向へ向かってくれることを望んだのである。

 何かをすれば殺され、何かを得れば奪われ、何もしなければ罰せられる。

 国家に抑圧された市民達は、自分たちの苦しみをレオルとセルビアヌスの苦しみに重ね合わせ、彼らがその苦しみを乗り越えることで、自分達の心の救済としようとしていた。

 弱き市民達の、祈りにも似た願いも、レオルの背中に乗っていた。



 ディオニクス王は、城門の中に立って、衛兵の報告を聞いている。

「レオルが、落とし穴から這い上がって、こちらに来ております。殺しますか?」

 衛兵は申し訳なさそうに、そう質問した。

「いや、それは出来ない。市民が見ている。それに、やつはどの道、俺の居るここまでたどりつけない」

 にやりとして、王は答えた。そして、近くの兵士に何かを伝えると、後ろのセルビアヌスに振り向き、こう伝えた。

「お前の友人は、もうすぐここに来るそうだ。やつの一生懸命な走りに、俺は敬意を表して、ささやかなもてなしをしようと思う」

 やがて、城の外から円筒状の大きなものが運び込まれてきた。数人の衛兵達が、円筒を地面に置き、ロールに巻かれているそれを一気に広げ始めた。

 血の色にも似た赤い絨毯であった。真っ赤で、柔らかな厚みのある絨毯は、城門から外に向かって長く伸ばされ、まるでレオルの帰還を祝福する花道のように思えた。

 日差しは、斜め上にある。

 真上に来るまで、あとわずか――。

 レオルは間に合うのだろうか。

 セルビアヌスは心配した。目の下に黒紫色の隈を作り、頬はこけて、唇は乾燥していた。

彼もまた、レオルと同様に2日間、闘い続けた者である。

 するとふいに、城門の向こうの、見えないあたりから人々の歓声が聞こえてきた。

 レオルか――。

 セルビアヌスは、今までで一番の期待をこめて凝視した。

 王は腕組みをして、城門のあたりを見ていた。

 その場にいた誰もが、見ていた。

 やがて――。

 そこに見えたのは紛れもなく、レオル。

 セルビアヌスを含めた、その場の人々の予想をはるかに上回るほどの満身創痍で現れた。

 両腕をぶらぶらと下げ、よたつく足はいつ転んでもおかしくないくらいの動きで、城門への直線上をこちらへ向かってくる。

 髪は乱れ、額からは大量の血の流れた跡が黒い模様を作り、目は焦点を定めること能わず、口はだらしない空洞をぽかりと開けるのみで、衣服を全くまとっていない全裸の体にいたっては、骨の相貌が陰影もあきらかに浮き出ていた。

 そして何より、その体のあちこちから、生々しく血が流れている。

 彼のために道を開ける市民達は、彼の後ろ姿を見てさらに驚愕した。

 足首がパックリと割れていたからである。地面を踏みしめるたびに、そこから血が吹きこぼれていた。本来であれば、走れないはずの大怪我であるにも関わらず、彼は走っていた。歩きよりも遅い速度で、走っていた。よろよろと走っていた。誰もそれを「歩いている」とは思わなかった。確かに彼は、走っていたのである。

 市民達は、レオルを応援した。声をあげて励ました。

 その声援にまったく反応を示さず、レオルは走る。



 もう目がほとんど見えない。

 耳鳴りがする。

 頭も痛い。

 けれどもレオルは、道を違わずに城下町を走り、正確に城門までたどり着いた。

 ぼんやりと見える城門の輪郭に向かって、あとは真っすぐ走るだけ――。

 城門の中は、かすんで見えないが、そこに確かに大切な友人の気配を感じた。

 あとはただ、真っすぐだ。

 足の指を、膝を、性器を、臍を、乳首を、喉仏を、口を、鼻を、眼を、眉を、額を――自分の正面全てを前に向けて、走り続ければやがて城門の中へ到達する。

 太陽が、今、どの位置なのか、出血の酷いレオルにはもう確かめる術はなかったのだが、まだ時間内であると信じて、ただ走った。

 門の中に入ったら、倒れこめばいい。

 それで自分が終わってしまったとしても、それでも良い。

 いまさら、生きたい、などとは思っていないからだ。

 一歩踏み出す。

 自分に限界は無い、とレオルは確信している。

 この2日間、何度も心身ともに限界を迎えた。しかし、その限界を超えた先に、また限界があった。その先にも、限界があり、さらにその先にも、同じものがある――。言葉に出すことは難しいが、つまり、限界の先に「死」がない限り、それは本当の限界ではないということなのだ。自分が今、死んでいないということは、自分はまだ限界を迎えておらず、それはただの苦しみに過ぎないと、レオルは漠然とわかることが出来た。

 だからまだ走れる。

 さらに一歩。

 また一歩。

 まだまだ走れるじゃないか。

 これなら最後まで、あの向こうにぼんやりと見える大きな門の中まで、自分は走れる。

 その時である。

 これで目的は果たせる、と安心したレオルの足裏に、強烈な激痛が疾った。

 踏み込めば踏み込むほど、次々に痛みが襲いかかった。

 その痛みは、背骨を突き抜けるほどのものであった。

 一体なにが――。

 レオルの残された体力では、それを確認することすらできなかった。

 

 

「おお、レオルよ。よくぞたどり着いた! お前の凱旋を祝し、高価な赤い絨毯を敷いてやったぞ。どうかその上を通って、こちらへ来ておくれ、勇者よ!」

 ディニクス王は、城門の外に見えたレオルの姿を確認すると、にやついた顔で両手をひろげ、こう叫んだ。その声は、相手に聞こえているかどうかは定かではなかったが、杭に吊るされているセルビアヌスのほうは、王の言葉になにかしらの罠を予感した。だから、吊るされたまま、友に向かって、こう叫んだ。

「来るなレオル! その上を通っては駄目だ!」

 その忠告を聞いたディオニクス王は、セルビアヌスのもとへと駆け寄ると、ひじでその顔を打った。何度も打ちつけた。打たれた口から血と歯が落ちる。

 しかし、友の発言も、友の様子も、レオルには届いていなかった。

 ふらつきながら、レオルは前に進み続けている。

 そして、その途上に敷き広げられた赤い絨毯の上に足を乗せた――。

 赤い絨毯――。

 別名、悔恨の肉削ぎ絨毯。

 それは、古来より続く罪人の処刑器具であり、赤い絨毯を2枚重ねたその間に、鋭利で硬い、いばらの棘を無数に挟みこんだものであった。ある一定の重さが上からかかると、毛足の長い絨毯の隙間から、いばらの鋭い棘が突き出す仕組みである。その棘は長く、たとえ革のサンダルを履いていたとしても、十分それを貫通できるほどの威力を秘めており、その上を歩き続けると、足裏からの出血による死か、痛みによる悶死が待っている。かつては、罪人の処刑台に向かう道に敷かれることが多く、ほとんどの罪人は処刑台へ上る事無く、この上で息絶えたといわれている。

 そこに裸足のレオルは足を乗せた。

 一歩踏み出すごとに、足裏に棘が突き刺さる。

 何度も、何度も突き刺さる。

 湿った黒い染みが、彼が踏んだ部分に残された。

 10歩ほど進んだレオルの足裏はすでに、踏み潰された葡萄の実のように、皮から中身が飛び出ているような状態になっていた。

 失われていく、足裏の感覚。

 流れ出ていく、残り僅かな血液。

 激痛と失血のあまり、レオルの視界は狭くなり、世界の全ての形と色が溶けて無くなり、光の加減以外を認識することができなくなってしまった。

 心配そうに見守る群衆の目の前で、突然レオルはふらり、と体を斜めにした。目の中には、黒い部分がなくなっていた。

 この絨毯の上に倒れこむ――。

 それはつまり、全身を棘で貫かれるということであり、死に直結することでもある。

 意思が頭の外に飛び出たレオルの体は、ゆっくりと真っ赤な地面へと沈もうとしていた。

 


 最初に駆け寄って、手を伸ばしたのは、少女であった。

 それは、遠巻きにレオルを見ていた群集に混じって、レオルを心配そうに見ていた小さな少女であった。

 少女は赤い絨毯の脇まで走って、倒れそうになるレオルを支えようと手を伸ばした。

 はかなく小さな手で、レオルを支えようとした。

 しかし、いかんせん子供の手である。大人の男を支えることなどできない。

 次に走りよってきたのは、少女の母であった。少女を追いかけるように続いた母の手は、自分の娘の体ではなく、倒れるレオルに向けられた。

 母子ふたりで、斜めに倒れようとするレオルを支えた。

 その手のぬくもりを、冷え切ったレオルの体が感じとり、レオルの目の中に、黒いものを甦らせる。

 母子の手によって支えられたレオルの体は、一度まっすぐになると、次に反対側へ倒れそうになった。

 その体を、赤い絨毯を挟んで、反対側の人々が支えた。

 さらにレオルはふらつき、何度も左右に倒れそうになったが、その度に絨毯の両脇に寄った人々が支える。

 小さな手、大きな手、皺だらけの手、若々しい手、柔らかい手、堅い手、白い手、黒い手、細い手、太い手、綺麗な手、汚れた手――。

 あらゆる手が、レオルを支え、倒れることを許さなかった。

 赤い死の絨毯に沿って、市民たちは壁を作る。びっしりと隙間の無い壁。そこに居る全ての人々が手を前に出していた。

 赤い道は、レオルにとって「絶対に倒れることの出来ない道」となった。

 自分の足で走る――。

 それだけはレオル自身が行った。

 意識を失いながら、なおもレオルの足は先を急いでいた。

 あと少し、などという考えを、彼の頭はもはや考えていない。

 頭はもう動いていない。

 ただ動いているのは、彼の足だけであった。

 目はもう見えなくなっていた。

 それでもわかる。友の姿が見えている。

 ひたすら、前へ、前へ。

 2日前から、やっていることは変わらない。

 足を前に出すこと――それだけであった。



 城門の中から、それを見ていたディオニクス王の顔は、憤怒の形相を呈している。

 自分の用意した、赤い絨毯の上に倒れこみ、全裸の哀れな男は、死ぬ予定であった。

 ところが――。

 なんの力も持たない愚民どもが、恐怖に打ち震えるだけの愚民どもが、ただそこにいるだけの存在であった愚民どもが、レオルを助け始めたのだ。

「貴様ら、止めろ。誰が助けていいと言った。いますぐ止めよ。さもなければ――」

 王は腰の長剣を抜いた。斜めからの太陽の光が、白刃を照らし出す。

 その剣先を、絨毯沿いの民衆に差し向けると、周囲の衛兵に命じた。

「あの愚民どもを止めよ。弓で射掛けて殺してしまえ」

 しかし、衛兵達は槍や弓を下げ、立ち尽くしたまま、動くことをしなかった。

 市民達と同様、レオルの姿に見とれていたのだ。

 レオルの姿――。

 それはもはや、頑張っている、とか、命を懸けている、などという言葉では形容できないほど、崇高なものになっていた。

 彼は王を恐れてはいない。恐れているのは、友を裏切ることだけであった。王を恐れぬということは、国を恐れぬということだ。権力を恐れぬということだ。死ぬことを恐れぬということだ。

 耐えがたき理不尽に耐え、忍びがたき苦難を忍び、末期のときを刻むその体をなおも酷使し、まだ走っている――。常人の常識では一切計りきれぬ非常識を目の前にして、その場にいた、王を除く全ての人間が、レオルを見ていた。ただ、見ていた。彼の邪魔などすることは、誰であろうとも許されない。

 セルビアヌスはレオルの走る様子を見て、ずっと泣いていた。歯のない口から嗚咽をもらして、悲しみに暮れた。自分のために――あんな姿になりながら、あんな仕打ちをうけながら、なおも進むレオルに対し、感謝と無念の入り混じった涙を落とした。そして、王に向かって言い放った。

「みたか、王よ。これが、信念だ。あなたの知らぬ、信念だ。あなたに虐げられ続ける市民たちは、あなたの汚い策略を乗り越えた傷だらけのレオルに心を奪われた。あいつの背中に見える人々の想いが、あなたには見えぬのか」

 その言葉が火に油を注ぐ結果となり、怒れる王は剣の柄で、吊るされた男の顔を正面から殴った。その衝撃で、セルビアヌスは、後頭部を杭にぶつけて、意識を失った。

 そして隣で、槍を持ったまま立ち尽くしている衛兵を、王はその剣で刺し貫き、剣を引き抜きながら、脳天が突き抜けるような怒声をあげた。

「愚図どもめ! やらぬならば俺がやってやる!」

 血の付いた剣を握ったまま、王は赤い絨毯の脇に立っている人々のところへ進み、城門の真下の、自分から一番近いところでレオルの通過を待っている若い女に向け、剣を振り上げた。

 しかし、振り上げられた凶器に注目する者など、誰もいない。

「お前らの首、一人残らず全員落としてくれるわ!」

 女の首すじめがけて、長剣が振り下ろされようとしたその時――。

 ひゅっ――。

 という音が空間を切り裂き、ディオニクスの手首へぶつかった。

 それは、矢であった。

 矢が突き破ったのは、王の手首の腱。

 力を失い、落ちる剣。

 苦悶の表情で手首を押さえ、王は矢の飛んできたほうを見やると――。

 限りない輝き。黄金色。大男。

 ディオニクス王の直線上、城門外の人々の向こう、離れたところにいる馬上の男――。

 その大男が、手に持つ弓矢でディオニクスの腕を射抜いたのである。

「ブリュンハイド――」

 と王はつぶやき、なぜお前が、という形に口を動かしたが、言葉は出なかった。臣下の大将が、王を射たという事実を信じられず、驚きが彼から言葉を失わせた。

 馬上の金獅子大将は、弓を下ろすと、哀れなものを見る目でこう言った。

「王よ、もう止められよ。もはや、これ以上は、国のためにならぬ」

 それでも、まだディオニクスは諦めなかった。手首に矢が刺さったまま、レオルに掴みかかるため、レオルの道沿いに列を作って並んでいる人々を押し分けて、赤い絨毯に近づこうとする。

 しかし、それは出来なかった。絨毯の中のレオルを守ろうと、市民達は壁になり、王を中に入れなかったのだ。同時に、レオルを支え終わった人たちが、レオルと並行するように市民の列の後ろを進んできていたため、壁の中に入れなかった王は、それらの人々の群れの前進に押されるように、後ずさりを始めた。

 数を増しながら進む市民。

 市民の圧力に押されて退く国王。

 群集は増長する波濤となり、城門を呑み込みそうな勢いへと成長していく。

 そんな中、レオルの走りは、赤い絨毯を終わらせようとしていた。

 唾を飲む者、呼吸を止める者、目を見開く者。全員が、レオルの足を注視した。

 約束の場所である城門の中まで――。

 

 もうあと3歩――。

 

 あと2歩――。

 

 1歩――。

 

 ――。


 そのとき丁度、喜びに満ち溢れたように太陽が、燦々と頭上から祝福の光を浴びせた。



次回いよいよその時が!

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