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神足のレオル  作者: 卯野裕富
11/13

時間無制限一本勝負

 クーロン川を迂回して渡るため、夜通しで山道を走り続ける『金獅子大将』ブリュンハイドは、自らが率いる部隊の進軍の遅さに焦りを感じていた。

 漆黒の膜を幾重にも折り重ねたような闇の中である。

 彼に従っているのは王の直属の近衛兵たちが50人ほど。彼ら近衛兵とは、国王直属の軍隊であり、ここで活躍し、王に見出されることが王都での出世に直結するため、国の重臣たちは自分達の子息をこぞって入隊させていた。その年齢は低く、およそ10代が大半であり、厳しい訓練は積んでいるものの、戦いの経験はほぼ皆無であった。

 この度、王は実戦経験のない彼ら近衛兵に、模擬的な従軍を体験させるという名目で、ブリュンハイドを指揮官として、レオルを追わせた。レオルについては国家に反逆する謀反人、とだけ彼らに伝えていた。

 50人という数は、たがが平民のレオル一人を殺害するためにしては、かなり多い人数に思えたが、軍事訓練という名目であることから、これだけの人数を動員することについて訝しく思うものはいなかった。

 当初の予定では、あの平原における弓矢の一斉射撃により、レオルを仕留めるつもりであったのだが、予想外の馬の登場により、逆にこちら側の数人が踏まれて死んでしまっている。

 突破された後、奔流する河川を遡るように迂回してレオルを追いかけているのだが、馬に乗っていない近衛兵の足は遅く、疲れて脱落しそうな者がいれば、その都度、進軍を止めて休憩をしていたせいで、ブリュンハイドの予測よりも、ずいぶんと時間が経ってしまっていた。

 これが自分の部隊であれば、と暗闇であっても金色に輝く獅子のたてがみを揺らしながら、大将は思う。

 自分の優秀な部下たちは今、東方の辺境部族の平定に備えて、国境付近に待機させていた。ブリュンハイドは、2日前に、その平定のための作戦会議に出席するため、王都パルメルフまで来ていたところ、王に呼ばれ、レオル暗殺の要請を受けたのだった。

 それを不本意ながら、受けてしまった。

 彼は後悔していた。

 こんなくだらない任務――。

 そもそも、たった一人の平民を弑するために、50人もの兵士を動員することに疑問を感じていた。

 一番手っ取り速いのは、今から自分ひとり、馬でレオルに追いついて、仕留めるということだ。

 だが、それを王は許さぬだろう。

「あの愚かな平民は、暴漢に襲われて死んだようにするのだ。人前でお前が殺すなよ」

 出立を命じられた際に、そう指示されたからだ。

 つまり、こういうことだ。

 レオルは道中、盗賊や山賊に襲われ死ぬ。そしてその賊を退治するのが、英雄ブリュンハイド、という筋書きで市民に知らしめようと王は考えていた。あくまでも愚かな男の死は、王の策略によるものではなく、事故か強殺によるもので無くてはならない。無論、このような稚拙な考えは、市民達に看破されるであろうと、ブリュンハイドは思っていた。

 賊を装うため、近衛兵たちはみな、簡単な鎖帷子の上に平民服を着て、兵士とは分からぬ体裁にさせられていた。

レオルを殺害した者は、その直後に彼らの指揮官に殺されるという事実を、若い近衛兵たちは聞かされておらず、全員が、奸賊レオルを暗殺することが武功に繋がると、血気盛んになっていた。

 そのやる気に満ちた彼らの顔を見るたびに、ブリュンハイドの気持ちは、一層重くなるのであった。

月光が頂点から差す深夜に吊り橋地点で折り返してから、実に5時間あまりも走り続けた結果、ようやく木製の橋があった場所の、ちょうど対岸へたどり着いた。

 そこには伝達兵が待っていた。

「ブリュンハイド様、川を渡りきったレオルが、その後で行方不明になりました。しかし、どうやら配走人の道に入りて王城を目指しているようです。さらに、それとは別に、気になることがありまして――」

――レオルと一緒に、剣を持ったザキットと思われる配走人が森の中へ消えていきました。

 と伝達兵は、ブリュンハイドにだけ聞こえる声で報告した。

――剣士ザキット。

 その名を聞いて、ブリュンハイドの背中に冷たいものが流れた。

 剣を持ったあいつがレオルと一緒にいて、もし護衛という役割を買って出ていたとしたら、生半可な兵士たちでは暗殺が不可能になる。

 しかも、自分の知らぬ、配走人の道を走っているとは――。

 彼らが森の中に消えた時間を聞いた上で、このまま街道を走って、王城前にて先回りするしかないと悟った追撃の大将は、自身の馬と、肩で息をしている兵士たちを少し休ませた後、再び街道を走り始めた。

 近衛兵たちも、疲れてはいたが、レオルに追いつきさえすれば、何の労も無く彼を倒せると思っていたため、残る体力を振り絞って、ブリュンハイドに従った。

 街道をひた走る一同。

 徐々に朝が来ていた。

 東の空が柔らかな光に染まっている。

 その朝焼けの光が、街道を明るく照らした。

 今日も雲ひとつない晴天。

 きっとまもなく、気温は高くなるであろう。

 ふと、その街道の少し先、東側の藪から、1本の長い影法師が伸びて出てきた。

 影法師に続いて、街道の上に現れた人影――。

 その人影を、ブリュンハイドは良く知っていた。

 短躯にして、目鼻立ちのはっきりとした顔。目深に被った紺色の頭巾。右の肩から左側に流れて半身を隠す紺色のマント。マントの下には鍛えられた筋肉がのぞき、特に右の上腕は、彼の腰ほどの太さがあった。その腕にだらりと握られた大剣は、太陽の光で銀色の鈍い輝きを放っている。

 その男の名は、バイエルハウゼン・ザキット。片手百人斬りのザキットであった。

 街道の真ん中に立ち、行く手を阻むように仁王立ちする彼の姿を見て、ブリュンハイドは配下の兵士たちに立ち止まることを命じた。

 そして、大声でこう言った。

「ザキット、通してくれ!馬鹿な真似は止めるんだ!」

 しかし、かつての腹心はその声を無視して、かつての上官のほうへ、駆けはじめた。

 近衛兵たちは、「ザキット」の名を聞いて震え上がった。

 片手百人斬りの由来となった、10年前の伝説を知っていたのだ。ドンゲル橋の英雄――生ける伝説が、疾風のごとく、走り寄ってくる。

「剣を抜け!」

 および腰の兵士達に向かって、ブリュンハイドは号令した。

 あわてて剣を抜く兵団の中へ、マントをはためかせた片腕の剣士は躍り込んで行った。



「ザキット、通してくれ! 馬鹿な真似は止めるんだ! 」

 懐かしい声だった。

 確かに聞こえていた。でも聞かないことにした。

 決めていたからだ。

 全員ここで斬り伏せると決めていたからだ。

 俺は止めない。

 ひたすら斬り続ける。

 剣を持つのは久しぶりだった。

 しかも、この剣は伝説の武人、ビーラータイムの剣だという。

 強壮作用で圧倒的な力を発揮した狂戦士の両手剣は、確かに重い。

 だが、これがいい。

 この重さがいい。

 俺の片手には丁度良い。

 おい、お前ら――。

 剣くらい抜いておけよ。

 もう来ちまったぜ。お前らの中に。

 遅い。いまさら遅い。

 まずは3人。

 攻撃に移られる前に斬った。

 そして2人。

 久しぶりの感触。

 刃が肉の中を滑る感覚。

 あれから何度も何度も、思い浮かべたり、夢で見たりしたこの風景。

 さらに3人。

 結局俺は、これが好きなんだ。

 大人になって、子供の頃の記憶をたどると、重たい棒を振り回している記憶しか無い。

 そして、剣の先生のところに行って、厳しい練習をした記憶――。

 堅い樫の木から削りだした木刀で、何度も打ち据えられた。

 避ける練習だと言って、先生は本気で打ち下ろしてきた。

 打たれたところは赤く腫れたり、骨が軋み、動かなくなったりした。

 腹を打たれた日の夜は血尿が出たし、喉を突かれたときは、声が出なくなった。

 ある時から、木刀が全く当たらなくなった。全部避けられるようになった。

 そしたら、あの先生――。

 真剣を持ってきた時はさすがに怖かったね。

 常に死を意識しながら、避けたんだ。

 こちらも真剣を持たされていたから、向こうも怖かったんだろうけど。

 避ける練習と同じくらい、剣を振りまわす練習も厳しかったけど、俺はそっちのほうが好きだった。

 敵の剣を避ける前に、相手を斬ることができればいいな、と思っていたから、一生懸命振るった。

 やがて、剣を振るべき軌道が、なんとなく見えるようになってきた。

 先生と稽古をしているとき、光のような筋がうっすらと、見えたんだ。

 何度も何度も、先生と打ち合いをしている途中で、見えてくるんだ。

 だんだんはっきりと見えてきた。

 その筋は、俺が思う軌道そのものだった。

 やがてその筋が、先生の体に向かって伸びたことがあった。

 俺はその筋をなぞるように真剣を滑らせた。

 先生のわき腹が切れていた。

 当たる瞬間に、身をよじって逃げたため致命傷にはならなかったけど、先生はその日のうちに俺の元を去った。

 もう、教えることは無いという言葉と、軍への推薦状を残して――。

 その筋は、今も見えている。

 間違いのないその光の筋を俺は、いまだになぞる。

 あれ、何人斬ったっけ。

 想い出に浸っていたら、数えるのを忘れてしまった。

 まあ、いい。

 こいつら、鎖帷子を服の下に着ているんだな。

 何度か剣を当てちまった。

 1本しかないんだぜ、剣は。

 あまり堅いものに当てたくないのに。

 刃こぼれしちまうだろうが。

 それと、今気がついたけど、こいつら若いな。

 顔もさることながら、剣も未熟だ。

 実戦を経験したことがなさそうな腕だ。

 殺し合いを、したことが無いとその剣が語っている。

 おいおい。腰が入っていないぜ。踏み込みも浅いぞ。

 怖いのか。

 この俺が、怖いのか。

 へたりこみやがった。

 もういい、お前は見逃してやる。

 次は誰だ。お前か。よし、斬った。

 痛い。

 ももを軽く斬られた。

 誰だ。

 お前か。

 さっきへたり込んでいた、お前か。

 見逃してやったのに。

 斬った。

 死にたくないやつはもう、俺の前に立つな。

 俺の横に立つな。

 俺の後ろに立つな。

 見えないところまで逃げてゆけ。

 じゃないと、斬る。

 誰であろうと、斬る。

 え、なんだって?

 相手が誰でも斬れるのか、だって?

 斬れるね。

 相手が愛する自分の妻でも斬れるのかだって?

 相手がかわいい自分の子供達でも斬れるのかだって?

 なんて質問だ。

 なんてくだらない質問なんだ。

 そんなこと、分かりきってる。

 斬れるね――。

 俺に武器を向けるものは全て、俺は斬る。

 だって俺は、人を斬ることがなによりも好きなんだ。

 初めて体験した恍惚の絶頂は、初めて戦場で人を斬ったときだった。

 血を吹きながら倒れた相手を見下ろしているとき、自分が絶頂を迎えていたことに気付いた。律動の余韻が、背筋を伸ばしていた。

 あれ以来、俺は同じ快楽を求めるために、人を斬りまくった。

 むかし、橋の上で百人くらいを斬った時、連続で押し寄せる快楽に潰されて、おかしくなってしまったこともある。あんな気持ちいいことを、他の誰にも取られたくなかったから、ずっと一人で闘わせてもらった。

 あれは凄かった。

 1週間は、血の匂いが消えなかった。

 1週間は、快楽の余韻を楽しめた。

 いまだに思い出すと、堪らなくなる。

 またやりたい、と思う。

 そう思っていたからこそ、俺は今日、人を斬れる喜びを噛み締めている。

 俺は普通じゃないんだ。

 普通じゃ、満足しないんだ。

 だからお前ら、楽しませてくれ。

 そんな遠巻きで、俺を見てないで、来てくれよ。

 泣いてる奴もいる。

 股間を濡らしてる奴もいる。

 剣を投げ捨てて、許しを請うてる奴もいる。

 でも俺は決めたんだ。

 全員、ここで斬り伏せる。

 来ないのなら、こちらからゆく。

 早くたどり着かないといけないからな。

 後ろのほうで控えている、馬上の大きな男。

 俺が憧れた男。

 俺が認めた唯一の男。

 隊長・ブリュンハイド。

 あなたまで、もう少しだ。



 5年前、とある戦場の帰り道、赤い夕日を背中に浴びながら、ブリュンハイドは、傍らに馬を並べて進む自らの副将・ザキットに聞かれたことがある。

――この世界には多くの強者がいますが、隊長が一番戦場で会いたくないのは誰ですか?

 その問いにブリュンハイドは、笑うことなく即答した。

――お前だ、ザキット。

 現在の状況下において、ブリュンハイドはそんな、昔のやり取りを思い出していた。

 目の前のザキットの剣は隼だった。

 向きを変え、角度を変え、眼にも止まらぬ剣の速さで、近衛兵たちを崩れ落ちさせている。

 半分以上が減っていたし、数人は恐怖に負けて、戦意喪失をしていた。

 若い近衛兵たちも、こんなはずではなかったと後悔しているはずだ。

 俺だってそうだ。

 まさか、こんな任務で、こんな場所で、最強の剣士がこうして襲ってくるとは、予想してなどいない。

 ブリュンハイドは、残りの兵士達を鼓舞して、ザキットに当たらせながら、冷静にそう思っていた。

 ブリュンハイドもまた、剣の達人である。

 いまだに剣の勝負では誰にも負けたことがない。

 その斬撃は、避けようと思っても避けられぬほど、真っ直ぐに飛んでいき、防御ごと叩き斬る凄まじい剛剣であった。

 しかしそれでも、天才ザキットには勝てぬと、自分でも思っている。

 だからこそ、疲弊させる必要があった。

 だからこそ、若い兵士を一人でも多く、あいつに向かわせる必要があった。

 堂に入ったザキットを止めるには、それしかないのだ。

 若い命に対して、申し訳ないと拳を握りながら、ブリュンハイドは時を待つ。

 その命が、半分の半分に減ったとき、2年のブランクは、次第にザキットの剣の流れに影響し始めてきていた。その体に数箇所の傷を負っていることからも、それがわかる。

 そして突然その剣が、一人の近衛兵の首を切断し、その頭を飛ばした。

 血が集まる部分だけを攻撃するザキットにしては、あり得ないミスである。

力が入りすぎている。

 あるいは筋肉の疲れが、剣の制御をわずかにずらしている。

 そろそろ、いけるか。

 金色の鎧を着た大男は、そっと馬から下りて、腰の大剣を抜いた。

 その体躯と同じ、刀身の大きな両刃の剣である。

 この剣もまた、多くの血を吸っていた。



 金獅子とよばれた男、バスカーレ・ブリュンハイドは、諸国にその名を轟かせる猛将であった。

 パルメルフ初代の王、アラミスがその版図を築きはじめた初期の頃に、初陣を飾ってから、常に王と共に戦い、勝利に貢献してきた。

 長い間、アラミスは地方の小さな領主だった。家来も10数人しかおらず、近隣の同じ規模の領主たちと簡単な同盟を結んで、自分の土地を守るだけの存在だった。

 あるとき、それらの小規模な領主連合の一部の領地に、隣接する強大国が攻めてきた。

 攻められた先の領主はアラミスたちに救援を求める。

 しかし、彼らが幾ら束になってかかっても、その数の差から勝てぬ相手であると誰もが思っていた。

 一応、それぞれ領主より、ささやかで簡単な援軍こそ出しはしたものの、まったく勝てず、結果、ちいさなその領地は奪われ、領主は処刑されてしまう。

 次は自分達の番だと彼ら連合軍の領主達は恐怖したが、誰も何らかの対策を打つこともなく、ただ滅ぼされるのを待つのみの様相を呈していた。

 このとき、立ち上がったのが、すでに白髪が頭に交じり始めた髭の男、アラミスである。

 彼は、評定を繰り返すだけの領主達に言い放った。

「もし次に、あの大国が攻め込んできたら、私が戦おう。そして勝って見せる」

 他の領主たちは笑った。

 ろくに戦争もしたことがない男が何を言うかと、勇気に対する賞賛の代わりに大口に対しての嘲りを贈った。

 その声を物ともせず、アラミスは断言する。

「もし、勝ったならば、あなたたちは次の日から、私の配下になってもらう」

 その発言に色めく者もいたが、多くはあり得ない話と馬鹿にして聞く耳すらもたなかった。このまま滅びの時を待つつもりも無く、かといって抵抗する気も無い、そのいい加減さに、アラミスは怒りを覚えながらも、急ぎ作戦を練り始めた。

 そして、その時は訪れる。

 敵軍の兵士3万人の再襲来。大規模な遠征であり、その数で威圧し、戦わずして降伏させようという腹づもりも伺えた。

 これに対し、アラミスは領土から集められる限りの兵士と民衆200人を集めた。ほかにもアラミスに同調する領主が数人おり、そこからも兵を借りた。集まった兵の合計はなんとか500人――。

 その協力的な領主の中に、アラミスと歳の近かったブリュンハイドの父親もいた。

 そして結果を先に言うならば、アラミス軍はその戦闘に勝利した。

 歴史に刻まれるほどの奇襲戦である。

 まず、戦いの初戦は、わざと負け、勢いづく相手を、領土の奥へ奥へと進ませた。

 そして、味方の兵士に土地の住民を装わせ、土地勘の無い敵軍の本陣を、両側に切り立った崖がそびえたつ狭い道に誘導する。そして街道に偽装された山道にて長蛇の列となった敵の本陣の通過を待ち続け、その時が来たら山道の前後を伏兵によって分断し、さらに崖の上から敵本体へ奇襲を仕掛けたのである。

 奇襲の際、豪雨がちょうど降り注いだことも幸いし、前後を失い大混乱に陥った敵軍の中から、敵の王将を見つけ出し捕虜とすることができた。

 捕虜と交換条件で、敵軍を自国から撤兵させるとアラミスは、約束通り、近隣の小領主の土地を自領に併合し、一つの国を作り上げた。もちろん中には、抵抗する領主もいたが、ある者は説得され、またある者は攻め滅ぼされた。この併合にあたっていち早くアラミスの傘下に下ったのが、ブリュンハイドの父と、もとより幼馴染であったセルビアヌスの父であった。

 こうして15の領土をその手中に収めたアラミスは、領主から王となり、国を首都と同じ名前であるパルメルフとした。


 わずか一カ月あまりで、この大陸に他国と比肩するほどの国家が突如として出現したため、人々はアラミスの事を『勃興の王』と呼んだ。

 勃興王の飛躍はその後も続く。まず、一ヶ月前に自国に攻め込んできた隣国をあっという間に制圧すると、その後も武力と知略を駆使し、多くの戦争で勝利を挙げ続け、領土を拡大した。

 初め小さな領土の主だった男が、10数年をかけて、周囲の国家をあらゆる面において凌駕するほどの軍事的優位と政治的優位を身につけたのである。しかし、大陸統一を目前としながらも、アラミスは歳をとりすぎていた。

最初にパルメルフ国を築いたとき、彼はすでに50歳を超えており、その版図が最大となったときにはすでにこの時代の平均年齢を遥かに超える65歳となっていた。この年代あたりから、王は重い病気に悩まされ続け、進撃の速度は緩んだ。

 そして最終的に王は、体力的な理由から、大陸の統一を諦め、列強諸国との和平同盟により、長きに渡った侵略戦争を終結させた。後世、もし彼がもう少し若ければ、この大陸は全て、彼の手中に納まっていたと言われている。

 さて、この10余年間の戦争において、早々に急逝してしまった父の代わりに活躍したのが、その息子ブリュンハイドである。彼はアラミス王の信任厚く、常に傍らで戦場を往来した。

 その活躍は目覚ましく、常に敵中に先鞭をつけて斬り込み、名だたる将たちを次々に討ち取っていったのである。その武勇は瞬く間に各国に広まり、ついには「黄金の戦神、槍を持てば疾風の如く、弓を放てば流星の如く、剣を振れば稲妻の如し」と世の人々が流行り歌の中で彼を賞賛するほどとなった。

 彼の象徴となり、敵兵を常に恐怖させた金色の鎧も、獅子の兜も、アラミス王が褒美として仕立てたものである。鉄の鎧に貴重な金箔を施し、兜には遠い南方からの高価な舶来品であった獅子のたてがみをあしらった。貴重で高価なこれらの品を下賜しながら、王はブリュンハイドにこう述べたという。

「お前の死はわが国の死を意味する。だからお前は我が国の宝だ。金銀財宝などではお前の武功に報いることはできないと思っているが、それでも受け取ってくれ」

 しかし、その黄金の鎧のように輝かしい実績の陰で、国家のために、反乱分子の暗殺や敵の輸送隊の襲撃、捕縛した密偵の拷問など、多くの汚れた仕事もさせられていたことを知る者は少ない。

 その中でも、いまだに彼の心の中に深い影を落とす任務があった。

 あるとき王の命令に従い、ブリュンハイドは、侵略し、降伏させた敵国の捕虜を、自国に送致することになった。その捕虜とは、敵国の王の幼い息子と娘。子供を人質に取ることで、パルメルフ国への恭順の証とする目的であったが、アラミス王は、その服従の王――カリウスを突如として殺すことにした。

 突然の決定により、護送途中のブリュンハイドに、捕虜を殺害せよ、という伝達が入ってくるのは護送途上でのことである。ブリュンハイドは護送の山道で、二人の無垢な子供を剣で斬った。子供を斬ったのは初めてであったが、何のためらいもなかった。国家のためであると思っていたからである。しかしその後で、熾烈な罪悪感が彼を苛み続けることになる。子息殺害と時を同じくして、父であるカリウスも自身の城の中で毒殺され、誰も知らないうちにその姿を消した。

 不思議なことに、このときカリウスの夫人だけは消息が不明となっていた。それからしばらく、夫人の腹には誰かの子供が宿っていたと言う噂が、王都の知識人の間でひそかに流れたが、事実かどうかを知っているものは、ほんの一握りの者だけであった。

 その夫人は、名をダリアといった。



 ああ――。

 痛い。

 左肩に矢を受けてしまった。

 俺としたことが――。

 たったの2年と思っていた。

 剣を持たずに、たったの2年。

 しかしながら、2年という時間は、体で感じる時間の長さよりも、長かったようだ。

 体には他にも軽い傷がいくつかついている。

 何故避け切れなかったのか。

 勘が鈍った――。そんな言葉、おれは信じたくないね。

 刺さったのが左肩でよかった。

 左肩は使わないからな。

 だって腕がないから。

 もし左腕があったら、俺は剣を選んだのだろうか。

 あるいは槍を持っていたのだろうか。

 弓矢の達人になっていたかもしれないな。

 いや――。

 もし両腕があったら、これほどの技を使えたかどうか。

 片腕だからこそ、俺。

 右腕だけに剣を持っているからこそ、俺。

 だから俺は俺として、ここにいるんだ。

 よし、ようやく弓を持ってる奴を斬った。

 おいおい。

 お前らもあわてて弓を出したな。

 弓ならやれると思ったか。

 でも甘い。

 矢を番える隙に斬る。

 弦を引く隙に斬る。

 それとわかっていたら、避けるのは簡単なんだ。

 ほらな。

 おい、そんなに驚いた顔をするなよ。

 間近の剣を避けるより、間近の弓矢を避けるほうが簡単なんだぜ。

 もう止めておけ。

 お前らは俺に、斬られていればいいんだ。

 もう止めておけ。

 無駄だ。

 もう止めておけ。

 走ってどこかへ消えろ。邪魔なんだ。早く隊長と闘いたいんだ俺は。だから来るな。

 もう止めておけ、と言ってるだろ!

 ああ、いけない。

 力みすぎた。

 俺としたことが、力みすぎて、首を刎ねてしまった。

 剣先もブレるようになってきた。

 肩で息をしている。剣を握る力も、なくなりつつある。

 隊長、まだですか。

 まだ来ないのですか。

 俺は、一番美味しい料理を、最後まで取っておくことなんて、できないんですよ。

 おや。

 馬の上から居なくなってる。

 いつの間に。

 どこだ。

 どこだ。

 どこだ。

 殺気!

 ぐう。

 なんという豪剣。

 防いだ右腕がしびれる。

 剣と手を紐で結んでいなければ、剣を飛ばされていたかもしれない。

 なるほど、隊長の剣とはこういうものなのか。

 すさまじい力。

 また来る。

 むう。

 また来る。

 ぬうう。

 あれほどの大剣を、これほどの速さで振ってくるとは。

 隊長――。

 最高だ。

 あなたは、最高だ。

 風圧、剣圧、斬圧。

 どれをとっても。最高だ。

 もっと早くやっておけばよかった。

 こんなに楽しいこと、なんで今までやらなかったんだろう。

 こんなに近くに、俺を楽しませてくれる人が居たことを、なんで気付かなかったんだろうか。

 一撃、二撃、三撃。

 防戦一方だ。

 両手で振り下ろされる隊長の剣を、片手で受け止めるのが精一杯だ。

 でも――楽しい。

 こんな時間が永遠に、続けばいいのに。

 ずっと、終わらなければいいのに。

 笑っているな。

 俺の顔、笑っているな。

 唇の両端が、吊りあがっているのがわかる。

 嬉しいんだ。

 こんなに強い相手とやれることが、嬉しいんだ。

 隊長――。

 俺がいままでやった中で、あなたが一番強い。

 間違いなく、一番だ。

 ここまで、俺に剣を振らせないとは、流石です。

 いやあ、楽しい。

 でもね――。

 残念なことに――。

 見えてきたんです。

 光の軌道が見えてきたんです。

 俺の右手から、あなたの首筋にむかって、一筋の光が伸びてきました。

 やがてその光は、あなたの首筋と繋がるでしょう。

 そのときが終わるときです。

 俺の剣があなたとの時間を終わらせます。

 俺の剣があなたとの今までを終わらせます。

 間違いなく、終わらせます。

 俺は勝ちます。

 ああ。

 繋がった。

 いきますよ。

 しゅうっ。

 俺の全力を、剣に乗せて、踏み込んで、腰をいれて、光の筋をなぞり、しっかりと柄を握り、なめらかに、剣先が、ああ――。

――斬れ……。

 ……。

 ……。

 ……! 

 まさか。

 まさか。

 まさか。

 なんという。

 なんという。

 なんという。

 斬れなかった。

 いや、斬れたが、入らなかった。

 深く、入らなかった。

 まさか、刃こぼれ……。

 下からの、風圧――。

 避けろ。

 避けろ。

 体をねじって回転して避けろ。

 そうか、やはりそうか。

 だから隊長は、俺の剣だけを叩いてきたのだな。

 刃をボロボロにするためだけに、俺を狙わず、剣だけを狙っていたのだな。

 流石は隊長――。

 俺の、隊長――。

 斬れぬのならば、突く。

 そして俺はもう、その体勢に入っている。

 自分より大きな相手の喉を貫く突きの型――刺突の3番。

 先生から習った型の中でも、俺の最も好きな型。

 これで行くと決めたときには、もう動きに入っている。

 腰を回転させ、再び踏み込む。

 隊長、喉がガラ空きですよ。

 そこに向かって、剣先を――。

 まっすぐ――。

 すばやく――。

 するどく――。

 ――。

 入った!



 その闘いを、生き残った数名の近衛兵たちは眺めていた。

 なにもせず、ただ、立ち尽くして眺めていた。

 それほどの闘いであった。

 ブリュンハイドとザキットの剣戟の隙間に、割って入るなどという愚行をおかすことなど、誰にも出来なかった。

 闘いの天才同士が、自己の技術の粋を発揮して、命を削り合っている。

 片腕の剣士はすでに、相当な人数を相手に闘っていたはずなのに、その剣は衰えることなく、むしろさっきまでよりも生き生きとして動いていた。

 すさまじい火花が散る。

 剣と剣が朝日を浴びて、光る。

 平和で静かなはずの朝の街道の一角に、殺気に満ち溢れた場所があった。

 遠くでは、小鳥のさわやかな鳴き声が聞こえていたが、ここには鉄と鉄のぶつかる金属音が響いている。

 遠くでは、光を浴びた植物の呼吸が健やかな匂いを発していたが、ここには生臭い血の匂いが充満していた。

 異様な空間――。

 若き近衛兵たちはただ、立ち尽くしていた。


 

 ブリュンハイドは、その瞬間を待っていた。

 それ以外、勝機はなかった。

 彼の目的は、ザキットを疲労させること。

 それに加えて、剣を疲弊させること。

 だから、剣のみを叩いた。

 ザキットが攻撃に移る前に、その背後から襲い掛かり、そこからはひたすらその剣を目掛けて連撃。

 いつ向こうの剣先が自分に刺さってもおかしくないほどの、ぎりぎりの剣の応酬をした。

 ザキットの視線が、自分の首に向かって走っていることは分かっていた。

 そろそろ来る、とブリュンハイドは覚悟した。

 博打だった。

 自分の打剣と、殺された近衛兵たちの血と脂で、どれだけ相手の刃が斬れなくなっているか。

 ザキットの必殺の剣を防ぐことは出来ない。

 だから、あえて斬らせる。

 そこを狙う。

 その後を狙う。

 それしか無い。

 そして、来た。

 一瞬の攻撃の隙間を縫って、剣がまるで意思を持っているかのように、自分の首筋に入ってきた。

 まるで、蛇――。

 ぞくり。

 ぬるり。

 ざくり。

 ブリュンハイドは戦慄し、思った。

 こいつは、やはり天才だ。

 そして、動いた。

 いましか無い――。



 入った――とザキットは思った。

 喉仏を貫いた、と思った。

 しかし、貫いた感触が無かった。

 腕に感覚が伝わってこなかったのである。

 なぜならそこに、剣が、無かったから――。

 さらに言うと、手首から先が、無くなっていた。

 相手の喉へ向かい、まっすぐ腕は伸びていたが、その先のものが無かった。あるはずの自分の手と剣が。

 いつやられたのか。

 いつ切断されたのか。

 あの時――。

 ブリュンハイドの首筋を斬れず、剣を引こうとした際に感じた風圧――。

 あの時どうやら、下から大剣で手首を斬られていたらしい。

 ザキットは、先が無くなった手首の部分を見ながら、この数刻の応酬を振り返った。

 ブリュンハイドの首筋を、確かにあの時、自分の剣は斬った。しかし、剣の切れ味が劣化してしまっていたことに加えて、ブリュンハイドの鍛えられた首の太い筋肉が、刃を致命的な部分にまで到達させることを許さなかった。

 その直後に、振り上がってきた隊長の剣により、手首を切り落とされたらしい。

 斬られたことに気付かなかったのは、ブリュンハイドの豪剣による斬撃があまりにも速すぎたことと、興奮の極みに達していたザキットの体が痛みを脳に伝えることを阻んだせいであった。

 そのため、剣を持っていると思い込んでいたザキットは、ブリュンハイドの喉を、持っているはずの剣で突いたのである。

 持っていれば、仕留められていたのに――。

 そんな推察を頭にめぐらせながら、ザキットはまだ自分の無くなった手首を見ている。

 一方のブリュンハイドは仁王立ちしていた。

 首から尋常ではない出血を見せながら、立っている。

 悲しい目をして、ザキットを見ていた。

 どばり、とザキットの腕の切り口から大量の血が吹き出る。

 その血が飛んだ先に、剣を握り締めた自分の手が落ちていた。

 ザキットは、それを眺めて、ゆっくりと腰を落とした。

 近衛兵たちも、ブリュンハイドも、誰もが、終わった、と思っていた。

 しかし、ザキットだけがまだ、終わっていなかったということである。

 腰を落とし、低い姿勢のまま、目の前のブリュンハイドに飛び掛っていったのだ。その胸めがけて自分の頭を、その胴めがけて自分の肩を、まっすぐ力強く当てていった。

 ブリュンハイドは、後退する事無く、全身で彼を受け止めた。「ここから先へは進ませない」という部下の強い意志ごと受け止める。

 ザキットは足を動かし続け、自分の体ごと押し込んでブリュンハイドを下がらせようとしたが、いかんせん体格の差がありすぎた。

 微動だにしないブリュンハイドは、ザキットの肩をがっちり掴むと、説得するように言った。

「もう止めろ」

 その言葉を聞き、相手の胴体に巻きつけた手首から血を吹き続けながら、ザキットはふと思い出す。

 妻を殺されたと知った日――王を殺そうと思ったあのときの、自宅の玄関先でのこと。

 あの日も、こんな感じで、隊長に押さえ込まれていたな。

 でも、あのときは俺が行こうとしていた。

 今日は逆に、隊長が行こうとしている。

 あのときは止められたが、今日は止められなさそうだ――。

 ザキットは、がたがたと震えはじめた。

 それは、急速に命の冷えていく震えであった。

 ブリュンハイドは、自分の腕の中で、迫り来る死と闘う部下を見て、目をつぶった。

 そして、命じた。

「――死んでいいぞ」

 あのドンゲル橋のとき。あの玄関先でのとき。ブリュンハイドはザキットに「お前の死ぬときは俺が決める」と言い放った。その上官の命令を、ザキットは今のいままで守っていた。

 だから生きてきた――。

 そして、今、ようやく死ねる――。

 隊長の最後の命令を聞いたザキットの体から、力が抜けていった。

 黄金の鎧の胸部に当たっていたザキットの額が、ずるずると下に滑り落ちる。

 どさり――。

 その額が地面に着いたとき、ブリュンハイドはザキットを見下ろしながら、突き上げる怒りに耐えていた。

 俺は――何をしているんだ。

 自分がかつて守った部下を、自分の手で殺して、俺は、何をしているんだ。

 そしてこれから、俺は何をするのか。

 戦場を往来すること10数年。

 命を賭け続けて、生きてきた。

 国のために生きてきた。

 昨日から、自分のやっていることは、果たしてこれまでと同様に、国のためなのか。

 繰り返されるのは自問自答のみ――。

「お前ら、もう良い。好きに帰れ。これからは俺だけで奴を追う」

 傍らで呆然としているわずかな近衛兵たちにそう命じて、いまだに首から止まらぬ血をそのままに、ブリュンハイドは馬にまたがった。剣を鞘に収め、弓矢を背負い、側面に槍をぶら下げた馬に乗って、金色の大将は走り始める。

 そして、そのまま無数の死体と大量の赤い血で描かれた地獄絵図のような場所から遠ざかり、土煙の向こうへ消えていった。


さらば、最強の剣士。

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