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神足のレオル  作者: 卯野裕富
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準備運動

困難に立ち向かい、乗り越えようとする全ての人達へ

 レオルは無知で愚鈍で貧弱な男であった。

 しかし彼は正直で頑固だった。

 ひつじ飼いの家に生まれ、幼きころに父親が兵に取られたきり帰還せず、その後ほどなく病で母も失い、妻子も無く、たった一人の肉親である妹とふたり暮らすために一生懸命働いてきた。この度、兄と同じく内気で愚図だが優しさだけが取り柄の可愛い妹が、近隣の村の律儀なひつじ飼いの若者と結婚することになった。貧しいながらも何とか僅かな金を貯め、妹の結婚式のために、山野を越え、河川を渡り、一日半かけて村から25里離れたこのパルメルフの王都までやってきた。しかし、王都は思ったよりも人が少なく、にぎやかさの欠片もない。

 レオルはこの地に瑠璃の髪飾りを買うために来ていた。それは王都でしか手に入らぬ希少で高価な髪飾りである。近日に迫る結婚式のときに妹に贈ってやろうと考えてのことであった。

 子供の頃、遠征に勝利し、国に凱旋する前代の王・アラミスが近くの街道を悠々と帰還しているのを、ふたりで見に行った。そのとき馬上の王の勇壮な姿とともに、豪華な御車が随行しており、御車の中にはとても綺麗な王妃が乗っていた。その王妃の頭には空色に光る瑠璃の髪飾り。道に立ち並ぶ護衛兵達の隙間から、その髪飾りを遠めに見た幼き妹が「あれが欲しい」とゆびさし、珍しく駄々をこねたのをレオルは、それ以来ずっと覚えている。

 いつか俺が買ってやる、とその時レオルは約束した。そして、その願いを叶えてやるためにここへやってきた。しかし市場のどこを探しても見つからない。この活気の無い市場にあるのは間違いない。以前、村に出入りする王都の商人に聞いたのだから間違いはない。レオルは石売りの店で訊いてみた。すると暗い目をした石売りはこう言った。

 「この街にある宝石のたぐいは、王にすべて没収された。王は国民の贅沢を決して許さない」

 レオルは諦めなかった。石売りに断られると、次は市場を往来する人々に聞いて回った。瑠璃の髪飾りを持っていたらどうか売ってください、と。しかし誰も答えるものは居なかった。道端に座り込む身なりの悪い老人が抜けた歯の隙間からこう漏らした。

「持っている、と言えば処刑される。若き王に殺される。なぜなら王は国民の贅沢を決して許さない」

 レオルはその老人の肩を掴んで、

「お願いです。私はなんとしてもそれを手に入れなければなりません。お知恵をいただけないでしょうか」

 老人はカッと痰を吐き出し、それなら王の直属の商人を訪ねなさい、と言ったあと、さらに小声で詳しく教えてくれた。レオルは老人の指し示す道を進み、城門へと続く大通りに出た。大通りの片側には、向こう側の城と街とを隔てる大きく長い城壁がそびえており、それと平行するかたちで、太く高い杭が10本ほど並んでいた。

 奇妙なことに、その杭の一本一本には人間らしきものがくくり付けられ、ぶら下がっていた。形が人間の様相なのである。さらに、それらは黒くひからびている。死んで腐り、やがて乾燥して、黒ずんでいたのである。かすかな腐臭があたりを覆っていた。

 レオルは通りを歩く人に訊いた。あの人たちは何をしたのですか、と。

「何もしていない。若き王は、悪しき心を持っている人間を決して許さない。しかし、あの人たちは悪さなど何もしていない」

 と年増の夫人が小声で耳打ちしてきた。また、別の痩せ細った老婆はこう呟いた。

「若き王は誰も信じない。王は母・メーブル様を、そして自身の姉様とその婿様、その間に生まれた小さなお子様を、さらに護国の賢臣アレキウス様を、すべて信じられぬとして殺害なされました。また、私達国民のことも等しく信じておりません。だから皆、虐げられ殺されるのです」

 レオルは激怒した。

 生来、正しい道をまっすぐ往く男である。王の乱心が許せなくても仕方がない。しかし彼の細い腕では何も出来ることはなかった。自分の力で何とかしてやりたいと思ったが、頭の悪いレオルには何も思い浮かばない。仕方なくレオルは吊るされた死体の前を通り過ぎ、大通りを先へ進んだ。しばらく進むと石造りの巨大な城門がある。レオルはその前に立ち、数刻の間、待った。

――日が最も高く上る時、王都の商人たちが貢ぎ物を持ってお城の中に入る。各地をめぐって金銀宝物や珍しい食料を集めて帰ってくるから、彼らのどれかが、お前の探している物を持っているかも知れない。

 あの身なりの悪い老人が教えてくれた言葉を思い出しながら、待った。

 すると、向こうのほうから大袋を背負った商人が一人、やってきた。レオルはそちらへ走って赴き、嘆願した。

「お願いです。もし瑠璃の髪飾りを持っていたならば、私に売ってくれませんか」

 その商人は首を横に振り、レオルの横を通り過ぎた。またその後ろに商人が現れた。しかし、また断られた。その次も、その次も、さらにその次も、レオルは商人に断られ続けた。そして何人目かの、先程までの商人たちが持っていた荷物の、半分以下ほどの小さな袋を下げた男が、レオルの必死の願いを聞いて、こう答えた。

「持っていますよ。私のこの袋の中には、たった一つ、瑠璃の髪飾りしか入っておりません。しかし、これをあなたに売ってしまえば、私は王様へ献上するものが無くなってしまう。それでは旅の給金をいただけません。お引取り願いましょう」

 レオルは引き下がらなかった。給金ほどの額は出せないが、こつこつ貯めてきた髪飾りの代金に加えて、いま自分が持っている金や衣服、靴にいたるまで全てをあなたに差し上げる、と必死に乞う。それを無視して先を急ごうとするその商人の裾にしがみつき、地面にひれ伏して、さらに乞うた。

 そのとき、裾にしがみつかれていた商人の動きが、はたと凍りついた。その緊張に気付いたレオルが見上げると、その顔も引きつっている。商人の目線の先を追うと、そこには輝くほどに白いマントを羽織った、顔立ちの整った若者が立っており、その傍らには数人の屈強な大男たちが控えていた。

 金色の長髪。深いブルーの瞳。白面にして唇赤く、鼻筋は極めてなだらかに通っていた。白いマントからのぞく、レザーのベストに黒色のパンツ。茶色のベルトに下がる白銀の長剣のおさまる鞘。

 平民とはあきらかに気配が違う。華やかな風格が備わっていた。25歳を過ぎるレオルよりも若く、気品があり、体格もすらりと長かった。対面ながらも上下に向かい合う、ふたりの間に広がるのは、天と地ほどの落差である。

「お、王様!」

 商人はあわてて平伏した。その言葉を聞き、もとから地べたに膝をついていたレオルも慌てて頭を地べたに擦り付ける。

「なにをしていた、そこの者」

 若き王・ディオニクスは地に伏する青年を見て、そう訊いた。レオルは顔を上げて頭上の王をはたと見据えると、こう申し上げた。

「瑠璃の髪飾りを買うために、こちらに参りました。もうすぐ私の妹の結婚式があるからです。しかし何処にも売ってはおりません。だからこうして商人たちにお願いしていたのです。それなのに、たったのひとつも彼らは売ってはくれませぬ」

 ディオニクス王は、へりくだりながらも不遜な様子のレオルに苦々しく言う。

「門外に変な男が居ると、さっき商人から聞いて様子を見に来てみれば、なんと失礼な奴なのだ。貴様は宝石の所持が不法であると知らぬのか。不法は死罪なのだぞ。あそこにお前も吊るされたいのか」

 王は後ろの向こうをゆびさした。そこには、さっきの杭が並んでいる。レオルは物怖じせずに返答する。

「かまいません。妹との約束を守るためなら、死んでもかまいません、ですからどうか王様。瑠璃の髪飾りを私に売ってくださいませ」

「瑠璃、瑠璃とうるさい奴め。それに、貴様が命をかけて、髪飾りを手に入れたところで、俺はそれを没収するぞ。贅沢は許しておらぬからな。それに妹とその婿が、貴様がせっかく手に入れた髪飾りを、どこかに売って金に換える可能性だってあるぞ。そうまでして手に入れる価値があるというのか」

「私は妹を信じています。婿になる男も正直者です。私は彼も信じています」

「ほう。信じるというのか。嘘を付くな。心が汚れているからそうやって嘘を付くのだ。本当は死ぬのも嫌だし、心の底では、その婿の事も疑っておるのだろう。そういう悪き心を俺は裁かねばならぬ」

 眼光妖しく、王はそう言いながら、すらりと腰の長剣を抜いた。そして、鈍く光るそれをレオルの首元に突きつけた。それでもレオルは怖気づかない。

「人を疑うことは最も恥ずべき行為と考えます。私は政治を知りません。しかし私でも分かることがあります。王様は私のみならず、忠誠を尽くした国民をもお疑いのようですが、それでは誰も王様を信じることができませぬ」

「黙れ! 俺は誰も信じない。誰にも信じられたくもない。疑うことを俺に教えたのはお前達だ。人間など私利私欲の塊に過ぎない。俺は、国の平和のために人を疑って生きるのだ」

 レオルは王の話に思わず鼻で笑い、口角をあげて進言した。

「平和とは誰のためでしょうか。自身の安寧のためだけなら、それは平和とは言いません。罪の無い人を殺しておいて、平和とは良く言えたものですね」

 ディオニクス王は目を剥き、今にもレオルを斬りおとしそうな勢いで、こう吼える。

「貴様、いますぐ磔にしてくれる! 吊るされてから、命乞いをしても遅いのだぞ!」

 するとレオルは王の怒声をよそに、静かにお願いした。

「王様、私は命乞いなどはいたしません。もはや死ぬ覚悟はできています。ただし、私の命の代わりに、こちらの商人が持っている髪飾りを私に売ってください。そして、それを私の愛する妹に届けさせてください。そしたら私はここに戻ってきて、自分で自分を杭に吊るして死にましょう。どうかお願いします。私を信じてください」

「それが信じられぬ。貴様が戻ってくる保証などどこにあるものか。それに貴様を自ら死なせたりしない。俺の意思で殺す」

 王は剣を構えたまま、レオルを睨んでいた。レオルはその視線をまっすぐ受け止める。彼らの周囲には、騒動を見物しようと人々が、遠巻きに集まってきていた。

 ふいにその中から、一人の男が飛び出してきた。

「レオル! レオルじゃないか! 何をしているんだ」

 白いウールの一枚布を体に巻きつけ、胸当てをした小奇麗な男であった。男は、ディオニクス王に匹敵するほどの端正な顔立ちを持っていた。そしてその姿と声はレオルにとって大変懐かしく、確かなものであった。

「おお、セルビアヌス! わが友よ」

 レオルは、鋭い剣先を目の前にしているにも関わらず、嬉しそうに言った。


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