婚約破棄? ならば現実を見せてあげますわ!
その日、私は数々の報告書を前にして、予想通りであったことに確信を深めた。
報告書と言っても、大したものではない。
せいぜい、直接本人を知っている人々の言葉を集めただけだ。
だが、これで予想はほぼ、あっていることになる。
人は形質遺伝によって作られるものだと私は思っている。
「お嬢様、どうしても本日のパーティに参加いたしますの?」
幼いころからの付き人であるネリーが私に聞いてくる。
「もちろんよ、ネリー」
それがたとえ、5歳のころから決められた婚約者に、婚約破棄を突きつけられるであろうことが分かっているとしても。
「私は公爵令嬢ですもの。この国の王族の方へ忠誠を誓っている一族の娘です」
きっぱりと言い切った私に、ネリーはため息を口の中で飲み込んだのだろう。
「ドレスの用意をいたしますわ」
「そうね、思いっきり扇情的なものにしてちょうだい。私、メアリ・レッドブラッドにふさわしいドレスをね」
そう、世間で噂の王太子と彼の思い人である男爵令嬢との仲を陰険に引き裂く『悪役令嬢』にふさわしいものを。
だって、これが最後ですもの。
私は王族の方への義務を果たし、そして社交界を追放されるであろう未来に思いをはせる。
しかし、ただで引き下がってもらえるとは思わないでほしい。
五歳から13年間。それだけの年月を一瞬にして瓦解させられるのだ。それ相応の報復はさせていただく。
茶番に付き合ってあげるのだ。せいぜい、社交界に今後100年は消えぬ醜聞となってもらいたい。
私は戦闘準備として、ゆっくりと肌におしろいを滑らせた。
■ ■ ■ ■
「メアリ・レッドブラッド、お前がこれまでエリザベスにした数々の非道、すべて証拠はそろっている!罪を認め、エリザベスに謝罪せよ!!」
そういって、私をパーティ会場の一番目立つ場所にて叱責の声を上げたのはチャールズ王子。
私の5才から決められた婚約者である。
そして、そのやや後方で困ったような顔で王子の服の裾をつまんでいるのは、目下、彼の思い人であるエリザベス・ホワイトハート男爵令嬢である。
「あら、チャールズ王子、ホワイトハート男爵令嬢にした数々の非道など、私にはまったく心当たりはございませんわ」
私はあっさりと王子の叱責を躱してみせる。
王子と言っても、5歳からの付き合い。
表面上はともかくとして、まったく威厳など感じない。
「よくも白々しい!私の言葉が偽りであるというのか?!」
言葉がどれほどの証明になるだろうか。
形に残らず、臭いもなく、重さもない。だからこそ、好きに偽れるものであろうに。
だが、そんな考えは言葉には出さない。
言葉には、神が宿る・・・この国ではそういわれている。
だから結婚式や、婚約式は書面でも残すが、本来ならば神に奏することが、なにより大切なのだ。
もっとも、5歳児で行われた婚約式の時の言葉など、横の両親が読み上げる言葉をなぞっただけだったが。
「私は、公爵家の娘です。王族へと忠誠を誓った家の娘。その私が王子に嘘を申し上げるとお思いですか?」
ちらりと視線を下げれば、男爵令嬢はびくっと体をこわばらせると、より一層王子に体を寄せる。
彼女の戦略的行動に、敵ながらなんて合理的な行動をするのだろう、とあきれる気持ちが浮かび上がる。
彼女は社交界では評価が真っ二つである。
一つには「いじらしい、庇護欲をそそる、そして素晴らしいメロンの持ち主だ」という評価。
もう一つは「卑屈、野蛮、そして憎たらしい脂肪の塊で男をそそのかす」という評価。
そう、彼女には、世の男性をほぼ屈服させるだけの力がある。
そして、我が婚約者はまごうことなきおっぱい星人である。
世の中の男性は胸に素晴らしいものが詰まっていると期待しているのだろう。
時にこのようにして、地位にも、名誉にもふさわしくない茶番劇を繰り広げられるのだから。
「ふん、このエリザベスのように純粋で、無垢な素晴らしい女性ならいざ知らず、お前のような強欲な女の言葉など、誰が信じるというのか?これまではこの国のため、と思い我慢をしていたが、先日のエリザベスに対する仕打ちを聞いて、これ以上我慢などできぬ!」
「先日…いったい何のお話でしょう?」
「三日前、お前がエリザベスを階段から突き落とした件だ!すでに騎士団からの報告は上がっている。それになによりエリザベスの証言がある!エリザベスはお前と違って、私には嘘偽りなどない。今日、この時をもってメアリ・レッドブラッドとの婚約を解消し、私、チャールズはエリザべス・ホワイトハートを新たなる婚約者とする!」
周りのざわめきなど意に介さず、チャールズ王子は一気に婚約解消の宣言をしてのけた。
ああ、とうとう言われてしまった。
覚悟はしていたが、いざ目の前に突きつけられるとやはりつらい。
身に覚えのないことで責められ、しかも、地位も教育も自分に劣る、ただのメロン二つに負けたのだ。
「王子からのお言葉、確かに承りました。私、メアリ・レッドブラッド、婚約破棄の件、了承しました。しかし一つだけよろしいでしょうか、王子?」
そう、すべてはこの時のため。
私はできるだけ大きく息を吸い、そして傲然と顎を引き、胸をそらせた。
「エリザベス・ホワイトハート男爵令嬢は、チャールズ王子に対して、何一つ嘘偽りはないというお言葉…それはまことでしょうか?」
私の問いかけに対して、うんざりしたような顔をするチャールズ王子。
彼は別段美男子ではない。王太子という地位にある人間として手入れされているので、それなりに見えるだけだ。なので、美形がやれば憂い顔も素晴らしいのだろうが、彼がやればふてされた子供にしか見えない。
まあ、王子補正(地位・名誉・金髪碧眼)で整った顔立ちには入るのだろうが。
「当たり前だ。エリザべスは私に何一つ秘密はないと誓った。嘘も偽りもないと。そう、あの日、薔薇の庭園で・・・」
お互いの顔を見合わせながら、うふふ、あはは、な雰囲気を出し始める二人はどうでもいい。
言質はとった。
「そうですか…ではお話しさせていただきます。エリザベス様、あなたは一か月前のセイラム伯爵邸のお茶会で暴れ馬が乱入した場にいましたね」
私の発言に、いぶかしげに眉をよせるデカメロン。
「ええ、それがなにか・・・?」
「あの時、参加していた令嬢のほとんどが気絶した中、あなたは気絶もせずにセイラム伯爵に走って行って取りすがったとか」
「・・・恐怖に駆られて、逃げてしまった私をお攻めになりますの?」
さすがは、メロン男爵令嬢。か弱さを前面に出しつつ、発言者を攻撃者と周りに認識させるテクニック。
「いいえ、私はただ、聞きたいのです。あなたは気絶なさらなかったのですね、と」
近年、女性らしさとは大きな胸と白い肌、細い腰と言われている。
胸はともかく、肌をおしろいで塗りたくり、コルセットで細い腰を締め上げて、私たち女性は、日々、美の名のもとに体を酷使している。
冗談抜きで、細い腰を維持するために、ろっ骨を下から二本、外科的手術で取り除く猛者もいるのだ。
淑女の描写として、すぐに気絶するというものがあるが、あれはコルセットで限界ぎりぎりまで締め上げているため、ちょっとしたことで酸欠になってぶったおれるのが現実なのだ。
エリザベス男爵令嬢は今日もふわふわとした淡い色のドレスを着ている。
盛り上がる二つの双丘。ほっそりした二の腕。そしてみごとに細い腰。
顎のたるみもない小さな顔に、大きなたれ目気味の碧眼。
そう、彼女は見事に女性らしい肢体をしている。
触れなば落ちん、というか弱さ。
一方、私の胸は・・・まあ、大きいほう、には入っている、
が、コルセットはぎりぎりまで締めたとしても、彼女の細さにはかなわない。
二の腕だって、太いとは言われないが、細くもない。
「いいかげんに、無駄な難癖などやめるがいい、見苦しいぞ、メアリ・レッドブラッド!」
王子がエリザベスを庇うように前に出てきた。
「チャールズ王子、私はもはや貴方の婚約者ではございません。しかし、公爵家の人間です。王族の方へ偽りを白日のもとへとさらすのも、また義務でしょう」
そう呟いて、私は胸元から小さなナイフを取り出した。
王子の目が驚愕で見開いた。
エリザベス嬢が、それを見えていた周りの者が、悲鳴を上げた。
そして私は彼女に向かって、ナイフを振るう___
ぱっと、いくつもの花びらが舞う。
彼女の胸元から、大輪の花びらが・・・
そして、ぽとん、と落ちたその花弁に…
「え・・・?」
チャールズ王子のつぶやきがこぼれた。
床に散乱するは、肌色の丸みを帯びたいくつもの物体。
そう、女性はそれを、胸パットと称する・・・
胸元を大きく切り裂かれ、抑えたエリザベス男爵令嬢の胸は・・・
まな板、だった。
■ ■ ■ ■
王都を離れる馬車に揺られながら、私は数々の報告書を見返す。
それは大したものではない。せいぜい、彼女の血縁関係者の容姿に対する調査書だ。
彼女の血縁には巨乳が一人もいなかった。
皆、小柄で細く、たおやかな容姿だという。
あるものをなく見せることは難しい。
しかし、ないものをあるように見せることはできる。
それは脂肪の永遠のテーマである。
私は婚約破棄に動揺して男爵令嬢に刃を向けた愚かな公爵令嬢として王都を離れることになった。
まあ、予想通りである。
しかし公式発表はどうであれ、あれほどの醜聞である。
私は公式発表に見合わない、田舎で蟄居、という罰だけで済んでいた。
実際には、彼女を傷つけるつもりもなく、ただ彼女の偽りを白日にさらしただけ。
そして、おそらく今後の社交界の女性の流行がしばらくは胸元を隠さないものになるだけ・・・
隠していれば、いるほど、「もしかして?」と疑われることになるのだから仕方がないだろう。
男性にとっては歓迎すべき流行なのではないだろうか。
眼福にもなり、偽りが入り込むこともない。
そう、最後のささやかな嫌がらせなのだ。
あの日、わざと扇情的な胸元の空いたドレスを身にまとい・・・胸元から短剣を取り出して見せた。
彼女の持っていない、本物で、私は彼女にとどめを刺したのだ。
浅はかだと笑いたくば笑えばいい。私は、偽物なんかに負けたくなかったのだ。
「ああ、いい風・・・」
私は馬車の窓を開けて、やぶった報告書を風に散らした。