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動詞の達人  作者: 小座敷
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ペンは剣よりよく斬れる。その2

 書取のマンションから徒歩三十分ほどでこの街唯一で名物の繁華街に到着する。

 この繁華街の正式名称は鈴瞳レジャーランドと呼ばれ、世界に名立たる鈴瞳財閥が建設した巨大なテーマパーク繁華街である。シンボルである特大噴水を中心にぐるっと囲むように建物が建ち並び、そしてまたその建物をぐるッと囲むように建物が建ち並んでいる。上空から眺めると立派な三重丸が見えるだろう。

 この繁華街は中心から楽しむというのがコンセプトになっており、外側は正方形の高い壁に覆われ、外側から入ることができない。

 ではどうやって中に入るのかというと答えは簡単、地上から入れなければ地下から入ればいいのだ。

 壁の外には幾つか地下への通路が設置されており、地下から中心の噴水周辺に出るようになっているのだ。

 そして中の店は品物も豊富で大抵の物が手に入れられる。街並みもユニークなので観光などで遠くから買い物に訪れる人も多く休日はごった返すほど人で賑やかになる。

 俺と書取は地下を通り繁華街の正面玄関である噴水広場へやってくる。

「さてと、とりあえず内側の店を回ってから外側の店を回るか」

 そう言って、この繁華街の定番行路を歩き出そうとすると、書取がこちらの袖を掴んでくる。

「どうしたんだ?」

「手を繋いで」

「……………………なぜ?」

 彼女でもない書取の大胆突然進言に思考が軽くストップする。

「歩いて回るだけっていうのもつまらないわ。だから手を繋いで」

(何でいきなりそんな事を言い出すんだ。さっきまでは何も言わず普通に歩いていたのに!)

 悲痛な心の叫びを唱えながら書取を見ると、書取はこっちを見ずに別の方向を見ていた。  その方向に目を向けると、どこぞのカップルが手を繋いで嬉しそうにキャイキャイと楽しそうに歩いているのが目に入る。

 そしてその光景を書取が羨望の眼差しで見ている。

(もしかして羨ましかったのか? いや、羨ましいというより興味津々って感じだな)

 興味九、ちょっと羨ましい一の配分といった所か。

「いや、でも、あれは恋人がすることだから」

 あんな恥ずかしいのは姉達だけでごめんだ。書取を思い止まらせようと説得を試みる。

「恋人……それも面白そうね」

(逆に薮をつついてしまった!)

「恋人って言うと、男と女がキスしたり抱き合ったりいっしょのベッドで寝たりその現場を別の女に見られてドロドロな関係になった挙句に男がその女に殺されて、それを捜査しにきた警察官がその女に恋をして犯人の逮捕と好きな気持ちが葛藤するアレよね」

 なんか後半から小さなサスペンスになってしまっているが、っていうか殺される男って俺の事だろうか。

「わかった! わかったから、よし! 手を繋ごう」

 これ以上変な要求をされては堪らない。書取の妄想が膨らみきる前に手を繋ぐだけで勘弁してもらう。恥ずかしいのは恥ずかしいのだが人前で手を繋ぐのは姉達で経験済みだ。

 考えれてみればここには知り合いもいないし、むしろマシなのではと思ってしまう。

「そう? じゃあ……」

 手を捕まれ引っ張られる。手を引っ張りながら歩く書取は楽しそうに見えるので承諾してよかったと思ってしまっている俺だった。

 ……後はのちのち噂にならないのを祈るだけだった。


 噴水と対面になる円の一番内側に建ち並ぶ店を一周ぐるっと見て回る頃には昼食を食べるにはちょうどいい時間になっていた。

 書取のサイフに幾ら入っているのか知らないが、俺は全然裕福なサイフ事情ではないのでできるだけ節約したい。よって半額セールの携帯クーポンを使って赤い髪のピエロがマスコットの店に入る。

 食べたい物を注文して二人用の席を見つけると書取と向かい合わせに座る。

「書取は欲しい物あったか?」

 店を回ってみた感想をちょっと聞いてみる。

「あの電気屋の大型液晶テレビが欲しかったわ。でも、あれだと私が持っている今のテレビよりインチが大きいのよね。それだと並べたら違和感が生じるからほかのテレビも買い換えて全部同じ大きさにしないといけないのだけど、でもあの大きさを並べるとなるとさすがに部屋には入りきらないのよね」

 などなどと贅沢な文句をしれっと言う書取。これが格差を感じる瞬間なのだろうか。昼飯の節約とか考えていた自分がすごく小さく感じる。

「……ちなみに今日幾ら持ってきているんだ?」

「んっ」

 ポシェットから財布を取り出して渡してくる。

(簡単にサイフを他人に渡すのはどうかと思うぞ)

 聞いたのは俺だけど後で注意しておこう。

 それでも興味があるのでついついサイフを空けると、中にはギッチリ詰まったお札束が……

 財布を閉じる。

 ……やっぱり見なかった事にしよう。これを認めてしまうと格の差を更に感じてしまう。自分が虫より小さい存在になってしまう。

「次は外周を回るぞ」

 昼食を食べ終えるとその陰鬱な気持ちを振り払うように声を張る。

 三重丸で構成されているこの繁華街の主な通りは円線と噴水部以外の面積部でその通りを内周と外周と呼んでいる。

 昼食前に回ったのは内周なので次は残りの外周だというわけだ。 

 店を出て歩き出すが書取が付いて来ない。

 もしかして手を繋いでないのが不満だったのかと思ったが、書取はあらぬ方向を見ていた。

 その先には、またどこぞカップルが腕を組んで歩いていて……

(まさか……まさかまさかまさか!)

 嫌な予感が……いや、嫌な確証が過ぎる。

 こっちに向き直った書取が一言。

「腕組んで」

「やっぱりー!」

 恐れていた要求のグレードアップが現実となってしまった。

「いや、さすがに、それは……」

 恥ずかしいにもほどがある。

「さあ、行くわよ」

「ええっ!」

 今度はこちらの了解を取らずに、しかもこちらに気取られずに腕を組まされていた。しかも頭をこちらの腕に乗せラブラブカップルを演出している。

「ちょっ、ちょっと!」

 ああ、見ている。みんなが見ている。好奇な目、微笑ましいそうな目、恨めしそうな目、様々な目が俺と書取に集中している。

 しかし、書取は一向に気にしている様子もなくずんずんと歩いている。組まれた腕を外そうとするが、書取の腕はガッチリと固められたように動かずはずれそうもない。

 周りの視線が気になってしょうがないので、ちらちらと横目で周囲を見ているとアイスクリーム屋が目に止まる。

「そうだ。書取、アイスクリーム食べたくないか?」

 その言葉に書取はピタッと足を止めて組まれている手の力が緩む。その隙に腕をしゅるりと抜いてしまう。

「せっかくだから奢るぞ。何がいい?」

「だったら私もいっしょに行くわ」

「いや、ほら、けっこー人が並んでいるだろ。さすがに二人も並んでちゃ迷惑だろ」

 二人で一つずつ頼むのも一人で二つ頼むのもいっしょなのだが、また腕を組まれてはたまらないとここは一つ距離を空ける作戦に出る。そうすれば、書取の腕を組む好奇心も少しは薄れるかもしれない。

「だったら、チョコレートアイスで」

「わかった。そこで待っててくれ」

 壁際の一角を指差して、一刻も早く書取から離れようとアイスクリーム屋に急いだ。

 こうして辛くも書取の魔の手から脱出できたのだった。



 書取は共李が指差した壁端まで歩くと、共李がアイスクリームを買ってくるのを大人しく待っていた。

「へいっ、かーのじょ~、こんな所で何やってんの?」

 バカっぽい第一声に三人の軽薄な男達が書取が現れる。三人が三人とも髪はカラフルに染められ、顔中にピアスを開け放題、まだ五月だというのに若さをアピールしたいのか半袖、短パンと薄ら寒い恰好をしている。

「あーあ、彼氏どっかに行っちゃったね。よかったら俺らと遊ばない?」

 どうやらこの男達は共李が離れるのを待っていたようで、いなくなった途端書取に近寄ってきたようだ。

「知らない人には付いて行くなと言われているから遠慮するわ」

「いいから、いいから」

 書取の断りの返事など聞く気がないのか。書取の腕を掴むと共李が帰ってくる前にさっさとここから移動しようとする。

「触らないでよ。チャラ男が」

 書取は体に触れられて気分を害したのか。掴まれている手を払いのけ男達を睨む。

「その怒った顔も素敵だねー」

 手を払われた男は気にした様子もなく、むしろ抵抗する書取の気概に男はやり甲斐と屈服させがいがあると嬉しそうにそして下品た笑みを浮かべる。残り二人の男達もいつの間にか書取を逃がさないよう左右に立ち書取を囲っていた。

「でも、君には拒否する権利はありませーん。大人しく付いて来てもらいまーす」

 バカ丸出しで勝利を確信して言う男達を見て、書取はため息をつく。

「テレビであなた達みたいな人間が出ているのを見てると煩わしく感じてたけど、生で見ると殺したいくらい鬱陶しいわね」

 そう言って書取はスカートのポケットに手を入れる。



「いらっしゃませ」

 注文待ちの行列を並び、ようやく順番が回ってくる。アイスクリーム屋の店員はかなりの人数を捌いているはずなのに、思わず余計なものまで買ってしまいそうになる爽やか営業スマイルで迎えてくれる。

「すいません。バニラとチョコレートで」

「トッピングはいかがですか」

「いえ、結構です」

 自分の奢りなのでそこはしっかりと断る。金はもちろんないのだ。

「でも失礼ですが、もう一つは彼女の分ですよね」

 なんて店員が突然聞いてくる。

「彼女じゃなくて友達だけど。でも、何でそんな事を?」

「そんな嘘つかなくても。先ほどここから腕を組んで歩いている所をバッチリ見させてもらいましたから」

 確かにここからならさっきの腕を組んでいる姿を見る事ができそうだ。

「あなたと彼女が余りに不釣合いでしたので記憶にしっかり残ってまして」

 余計なお世話の上に突き刺さる言葉をズケズケと言うスマイル店員。こちらの不満げな顔を気にもせず店員は話を続ける。

「甘いものは女にとってすごく重要な物質です。体型を気にしてなかなか食べる事ができず、やっとの思いで食べる時のあの至福。それをあなたはチョコレート味一つで終わらせようとするのですか もしかしたら、彼女はこれを食べてしまったら二ヶ月は甘い物を封印しないといけないかもしれません。それをあなたはチョコレート味一つで終わらせるというのでございますか」

 身に覚えがあるのか心の底から力説する店員。というか最後はなぜメイド長口調?

 けれど、その言葉に俺はハッと思い返す。

(そういえば、舞香姉さんが甘い物が売っている店の前を通ると、我慢、我慢……って、ぶつぶつ言っていたな。それで俺はお金がないなら奢ろうかって言ったら「共李は私に豚になれとでも言ってるのかしら」とか言われて首を絞められた経験があった) 

「身に覚えがあるみたいですね。それにたかだかアイスクリーム程度を奮発しない男なんて私は情けないと思いますよ。それに奮発したならあなたの株が急上昇するのは間違いなしです」

 などと昔を思い出していると店員がここぞとばかりに追い討ちをかけてくる。その間にも俺の後ろに並んでいる客は溜まり続けているがその店員は話に夢中になって気づきもしない。

 俺としてもここはいい友達として書取には好印象を持たせたいと考えるのは当然、当然の行為だ。

「だったら、このチョコをバナナとミントの三段重ねにしてくれ」

「ご注文、あっりがとうございます」

 店員は恭しく頭を下げる。

 その後ろでこの店の店長らしき人が長蛇の列を作り続けているこの店員にこめかみの血管を浮かび上がらせていたのだった。


 アイスを買って書取の所に向かうとちゃんと指定しておいた場所に書取が立っていてくれた。

「待ったか、ほら」

 三段重ねアイスを指し出す。なのに書取は不満そうなお顔をしている。

「どうした。もしかしてアイスのトッピングが気に入らなかったとか?」

 勝手にアイスの種類を決めて三段重ねにしたのだ。ミント味が嫌いだったのかもしれない。

 書取の眉がピクッと動いたと思ったら左足に痛みが走る。

「~~~~~~~~」

 あまりの痛さに声が上げられずブルブル震えていると、書取は続いてローキックを俺の足に放ってくる。その衝撃で重ねていた三段重ねのバナナとミント味のアイスがボトリと落ちる。

(ああ、俺の好感度アップアイテムが……)

 好感度アップアイテムは無駄な出費に生まれ変わってしまった。

「共李がいない間に非常に不愉快な思いをしたわ」

 アイスが落ちた事に気づいていないのか。書取はチョコ味のみ残ったアイスをひったくって舐める。

「な……何かあったのでしょうか?」

 これ以上は怒らせまいと慎重に敬語も使って尋ねてみる。

「あなたが買いに行った後、三人組の男達に声をかけられたわ」

 それで何となく状況が理解できた。どうやら書取は俺のいない間にナンパされたのでご立腹のようだ。

「けどナンパ男なんてどこにもいないけど。さっきのローキックで蹴散らしたのか?」

 あのキックならアマチュアボクサー程度なら一発ノックダウンできそうだ。

「私は鉛筆を手の甲に突き刺してやろうと思っただけど」

(いや、あなたがそれをやると本当に手の甲から平にかけて貫通するからやめてください)

「そしたらまた別の男に声をかけられたのよ」

 書取がその時の状況を説明してくれる。



「嫌がっている女性にしつこく迫るなんて感心できませんね」

 書取が鉛筆を相手の手の甲に突き刺してやろうとしたその時、ナンパ男達の後ろから声をかけられる。

 書取と同じくその声に気づいたナンパ男達も振り向くと真後ろに立っていた男にギョッとする。

「誰だてめぇは?」

 しかし、驚いたのは一瞬でナンパ男の一人がすぐに気を取り直し、ナンパの邪魔をしようとする男を睨みつける。

 それもそのはず、後ろに立っていた男は眼鏡をかけスーツをビシッと決めているだけのどこにでもいそうな商社マン風の優男だったからだ。そんな相手に憶する必要なんてどこにもない。

「通りすがりの旅人ですよ。こちらのお嬢さんが困っているようでしたので助太刀した次第でして」

「旅人だぁ?」

 旅人と名乗る割にはどう見ても商社マンにしか見えない。真面目そうなのは見かけだけで頭はちょっと変なのかもしれない。

「まさか! こんな所でこの可憐な少女を無理矢理連れ去ろうなどと」

 いきなり周りの人達に聞かせるかのように声高々と喋り出す。

「ちょ、おまっ、黙れよ!」

 いきなり叫ばれて慌てるナンパ男達。

「無理矢理連れ去っていったい何をしようというのですか! もしかして真っ昼間から言いにくい行為をしようと攫う気じゃないですよね」

 その大声に何事かと通行人が足を止め出す。しかも攫うという言葉を聞いて、あからさま不審な目を書取達に向けてくる。

「お、おいっ、行くぞ!」

 こんな大勢に見られていたら何もできないとナンパ男達はさっさと逃げ出す。

 そんな彼らを見てスーツ姿の男は誇らしげに鼻を鳴らす。

「ああいう手合いは注目を集められるとさっさと逃げ出すものです。ああ、礼には及びませんよ。今後は気をつけてくだいね」

 そう言い残すとこの男も雑踏に紛れていってしまう。後に残ったのは奇異と羨望と好意と悪意な視線に晒された書取のみだった。



「という事があったのよ」

 話している間に買ってきたアイスは書取の胃袋の中にいつの間にか納められてしまっていた。息継ぎする暇もなく話し続けていたはずなのだが。

 とにかく、話を簡単にまとめると書取は俺と別れた後に強引なナンパに遭い、通りすがりのスーツ男に助けられたようだ。

「まあ、結果的にはよかったんじゃないか」

 誰も怪我する事なく丸く収まったのだから。

「あの後もずっとジロジロ見られて続けて落ち着かなかったわ。携帯電話も持ってないから、ここ離れて入れ違いになっても困るし」

 アイスのコーンに巻いてあった紙を握り潰す。やっぱりこういう時は携帯電話がないと不便だよなとつくづく思う。

「何か悪かったな。そこは買い物で発散するという事で」

「うー」

 書取はまだ怒りが収まらないようだが、歩き出した俺の後をついてくる。

 怒りで腕を組むのもすっかり忘れているようなので書取には悪いがそのナンパ達には大いに感謝した。


 外周は内側に噴水があるので片側にしか店がない内周とは違い両端に店が建ち並んでいる。 店の裏側を見せたら見栄えがよくないのが理由なのか、内周と外周の間にある店は背中付け、あるいは通り抜けられるよう一店舗で二つの店が入っている造りになっていた。

 これなら余り数が多くない内周と外周を繋ぐ外の道を通らずに店の中を通り抜けて行き来でき、移動時間の短縮もできる。

 外周にある店を半分制覇した所で書取が足を止める。

「どうした?」

「あれ」

 何かを見つけた書取が指を差す。指し示した方向には三人の男が一人の男を囲むように密着して歩いている。

「あいつらがどうかしたのか?」

「私をナンパした男達と助けた男」

 その男達は外側の店と店との間にある従業員用の狭い路地へ入っていく。

「助けてくれた男は誰だ?」

「真ん中にいた奴」

 逃げられないように囲まれていた男が人気のない路地裏に連れて行かれる。そのシチュエーションで俺の中で一つの劇が思い浮かぶ。


ナンパ男1……よくも俺達のナンパを邪魔しやがったなー。この恨みは高くつくぞー。

ナンパ男2……そーだ、そーだ。

ナンパ男3……おい! 腹いせにボコボコにしてやろうぜー。

ナンパ男達……それ~~~。

助けた男……ひぃぃぃぃぃ、やめてくださーい。やっぱり助けなければよかったー。


 こうして助けた男は全治三ヶ月の大怪我を負い、お金も取られてしまった。


    出演 本人によく似たミニチュア人形四体

 草波共李脳内劇場      書取をナンパから助けた男の末路  


「……大変だ」

「真剣な顔してブツブツ呟いてると思ったら何が大変なの?」

「多分ナンパの邪魔をされたから、その腹いせに邪魔したあの人を袋叩きにするつもりだ」

「そうなの? 益々屑な奴らね」

 書取は男達が消えた路地に向かう。

「どうするつもりだ?」

「一応助けてくれたしね。見て見ぬ振りものも寝覚めが悪いわ」

「そっか。やっぱり書取はいい奴だな」

「なに言ってるのよ。共李だってそうするでしょ」

 もちろんわかってるわよと書取は自慢げな顔をこちらに向けるのだった。


 ナンパ男達を追い路地へと入る。

 路地の奥へと進み、三重丸の円の外に出てしまうと、その先には円の中とは打って変わり、建設途中の建物が建ち並ぶ廃墟にも似た場所に出る。

 その先には繁華街と町を隔てる高い壁がそびえ立っているのが見え、建設途中の建物は普通の民家ではなく、何かの店を建てているようで、どうやら近い将来この繁華街の三重丸は四重丸に変わるようだ。

「どこにもいないわよ」

 書取の言う通りどこを見てもさっきの男達の姿はない。だとするとこの未完成の建物のどこかに入ったのだと考えられる。

「手分けして探すか」

「その必要はないわ。こんなに静かなんだから何か物音がしたら……」

 書取の声を遮るように左側の建物から物を倒す音が聞こえてくる。

「ほらね」

「よし、行こう」

 音のした建物の中へ向かう。



 共李達が向かっている建物の中では、ナンパ男達がスーツの男を逃げられないよう一室の壁際に追い込み三方で囲んでいた。

「俺達と彼女の出会いを邪魔してどういうつもりだよ。ええっ、おっさん!」

 ナンパ男の一人が壁を思い切り蹴って、相手をビビらそうとする。

「どういうつもりもあなた達のヘタで強引なナンパに見かねて彼女を助けただけですが?」

 しかし、男はまるで動じず聞かれた事に淡々と答える。

「おまえ目玉悪いんじゃねーの。あれは俺達のナイスガイな顔ぶれに照れてただけだっつーの」

 なあ、とほかの二人に同意を求める。その二人もそうそうと頷く。

「あなた達の目が節穴なのはわかりましたが、そもそも私に何のご用です。付いてこいと言われたので付いてきましたが」

「いやね、あんたのせいで俺達は失恋の傷を負ったかわいそうな少年になっちゃったんだよね。だからそのかわいそうな少年に愛の募金をしてほしいわけ」

 募金という名のカツアゲを強要する。

「なるほど、ちなみにどのくらい払えばその傷は癒えるのですか?」

「そうだなぁ……持っている金を全部募金してくれるなら俺達から素敵なパンチ一発ずつでカンベンしてやってもいいぜ。それが駄目、もしくは俺達が納得する金額が入っていなかったらこっちの気が済むまで殴らせてもらおうか」

「わかりました。では……」

 どちらにしても殴られて金を取られてしまう無茶苦茶な要求なのだが、スーツの男はあっさりと頷いて懐に手を入れる。

「話がわかるじゃねーか。さーて、いくら持ってるかな」

 しかし、男が取り出したのは財布ではなく、ましてや身を守る為のスタンガンやナイフの類でもなく……。

「なっ! 何だそりゃあ」

 男が取り出した物は皮むき器だった。

「何って知らないのですか? 皮剥き器ですよ」

 囲まれ脅されているスーツの男は百円ショップで売っていそうな安っぽいプラスチック製の皮剥き器を持って淡々と、むしろ堂々と答える。

「知ってるに決まってるだろバカ。だから、何で財布じゃなくてそんなもんを懐から出すんだよ。俺らが欲しいのは金だよ金!」

 バカにされたと思ったのか、一人が声を荒げ捲し立てる。残りの二人も怒りを露わにして詰め寄ってくる。

「いえいえ、出す物はこれで合ってますよ。要するに、あなた達みたいな社会のゴミに払うお金なんて一銭もないと言っているのですよ」

「どうやら痛い目見ないとわからねーらしいな。おっさん!」

 完璧にバカにされたと感じたのか。頬をひくつかせ怒りにまかせに男に殴りかかろうとする。

「痛っ!」

 だが、その直前で手に痛みが走り、反射的に手を引く。

「何だぁ?」

 痛みがする手の甲を見ると、幅四センチほどの赤い線が手の甲を横断するようにできていた。

 男には最初この赤い線が何なのか理解できなかったが、その赤い線から次第に赤い水が滲み出て痛み出す。そしてその赤い水が手の甲から溢れ出す頃に、男はようやく赤い線が血で手に怪我をしたのだと理解する。

「手がっ! 血がっ!」

 突然の出来事に慌てふためきながらも、流れ出る血を止めようともう片方の手で傷口を押さえる。

「大げさですね。ちょっと、手の皮を一枚剝いただけですよ」

 その言葉に別の一人がスーツの男が持っている皮剥き器に薄い皮のような物が貼り付いているのを見つける。

 そして気づく。

 このスーツ男が血を流して痛いと言っている友人に何をしたのかを。

 目の前にいてそれを行った行為を全く見ていないが、男の言動と皮剥き器に付いている薄い皮で想像できてしまった。

 このスーツを着た男は持っている皮剥き器を使い友人の手の甲の皮を剥いだのだと。

 自分達は下手をしたらヤクザより質の悪い人間に関わってしまったのではないかと。

「あなた達は人ではなく悪意という名の皮を被っているようですね。せっかくですから全部剥いであげましょうか。多くの食べ物は皮は不味くてそのままでは食べられないですよね。賢い人は皮を剝きその身をおいしく食べる。きっとあなた達も悪意の皮を剥けば、きっと善意が姿を現すはずです。ではまず、その視力が悪い目玉から……」

 悲劇の幕が上がる。



 建物の中に入ったのはいいのだが、工事が中途半端で止まっているので、建物自体に電灯が付いておらず。日の光も入ってこないので、昼間だというのに薄暗かった。

 通路の先も地面も見えづらく、こけないよう急がず慎重に進むと先の方からペチャペチャと水が壁に飛び散って当たるような不気味な音が聞こえてくる。

「どこかで水でも漏れてるのか?」

「違うと思うわよ。とにかく行ってみましょう」

 音はこの先の部屋の中から聞こえてきているようだ。

 何だかホラーゲームを実体験しているような感じですごく怖いのだが、音のする部屋をそっと覗いてみる。

 部屋の中は薄暗く明確には見えないが、書取をナンパした男達と助けたスーツ男らしき人影が部屋の壁際で密集していた。

 もしかしてさっき妄想劇場通りリンチにされているのではないかと一瞬思ったが、それはすぐに撤回される事となる。

 なぜなら『守る』が何も反応しない。ナンパ男達は敵で『守る』の範囲外だとしてもスーツの男にも反応していないのは変だ。

(昨日言われて『守る』対象を意識するようになったから、無関係な人間には反応しなくなったのか?)

 詳しく検証してみないと何とも言えないが、少なくともスーツの男には危害は加えられていないように見える……気がする。

(まあ、中に入ればわかるか)

 相手はただのナンパ男達だ。こちらには書取大先生もいるし、びびる必要はどこにもない。

 大股気味に一歩中に入ってみると、空気が途端に変わる。暗くて見えなかったが集まっている男達から部屋中へ何かが飛び散っているのが見える。

 その飛び散っているものが壁を叩き、べちゃと音を立てる。先ほどから聞こえている音の正体はこの音のようだ。

(何が起こっているかわからない。わからないけど、一刻も速くこの部屋から逃げ出したい)

 壁に貼り付くそれが増えていくたび嗚咽を催す臭いが充満する。

 ここはもう普通な人間が居られる場所ではない。まるで知らぬ内に生贄を欲する黒ミサの集会に偶然立ち寄ってしまった哀れな一般市民の気分になる。

 そんな背徳と残虐が入り交じる空間に足は前に動かず、唾を飲み込むのも忘れていた。

 べちゃっとこちらすぐ横の壁にもそれが飛んでくる途端に我に帰る。

 そして好奇心か反射的なのか自分でもわからないが、飛んできたものが何なのか触れて確認しようとする。

 それは微かに温かい柔らかなものであったが、正体はわからずじまい。ただ、その物体には血らしきもの付着していた。

「うわっ」

 慌てて手に掴んだものを捨てる。

(まずいぞ。何が起こっているか何もわかってないが、俺の『守る』がやばいと警告している気がする)

 これ以上近づくな、関わるなと信号を送ってくる。ここを離れるのがもっとも安全に自分を守る方法だと。

(でも行くしかないよな)

 このままほっとくわけにもいかない。どういう状況かわからないが血が流れているのだ。

「危険そうだから見なかった事にしよう根性は俺にないんだよな」

 だが、本当に危険かもしれないので書取には部屋の外で待機、万が一を考えれば書取にはこの建物から出てもらった方がいい。

 そう考え後ろにいるはずであろう書取に小声で呼びかける。

「書取は一旦外に出といて……」

 振り向くがさっきまで後ろにいたはずの書取がいない。

 いったいどこにと思ったが、すぐ見つかる。書取は既に部屋の中に入り、俺の斜め前方に立っていた。

「いつの間に」

「あなたがバカみたいに突っ立っている間によ。横を通り過ぎたのに気づかなかったの?」

 あきれたわねと深い溜め息をつかれる。

 すると、こちらの会話に反応するようにさっきまで飛び散っていたものがおさまる。

「どなたですか?」

 こっちに声を投げかけられる。

 見つかってしまっては今更書取に逃げろと言っても無駄だろうと、前に進み書取の横に並んで立つ。

 ここまで近づけば奧にいる男達の姿がはっきりと見える。声をかけてきたのはこちらに顔を向けている書取をナンパから助けてくれたというスーツを着た男で、書取をナンパした男達は突然現れた俺達に振り向きもせず、なぜか背を向けたまま突っ立っている。

「おや、あなたはさっきこの男達にナンパされていた……もう一人はお友達ですか?」

 向こうも書取と俺の姿を視認し、書取に気づき話しかけてきた。

「私はあなたがその連中に連れて行かれるのを見たから助けに来たわけだけど……この飛び散っているのはあなたがやったの?」

 飛び散っているモノの一つを見て、嫌悪感を露わにする。

「そうですよ。私にちょっかいを出してきたので軽くお仕置きしていた所です」

 スーツの男が腕を横に振るう。すると振るった手に当たったのか、後ろを向いて立っていた三人のナンパ男達がゆっくり回りながら仰向けに倒れ込む。

「うっ!」

 倒れた男達の姿を見て、思わず後ずさりしてしまう。三人とも目から涙を流すように血を流していたからだ。

 いや、目だけではない。髪も頬も鼻も顎も首も胸も腕も手も腰も体の前面の皮が剥がされおびただしい血を流していた。胸の動きから呼吸をしているのがわかるが、三人とも生きていると言っていいのかわからない状態だったが、それも時間の問題だろう。男達の呼吸する胸の動きが段々と小さくなっているのがわかる。

 その姿を見ていると、恐怖の感情が怒りへと変わっていくのがわかる。

「……何でこんな事をした?」

「先に脅して金銭を要求してきたのはこの方達ですよ。私は少し世間の厳しさを教えただけです。相手を脅すならまずは身の程を知れとね」

 こんなのは教えるとは言わない。一方的な虐殺だ。

「それと更に残念ですが。見られてしまったからには、あなた方にも死んでいただきます」

 男がこちらに向かって歩いてくる。

 すると、トスッという小さな音が聞こえ、男の左手が跳ねる。

「なんっ!」

 跳ねた手を見た男が驚く。そりゃあ、驚くだろう。自分の左手のど真ん中に鉛筆が突き刺さっていたら。

(俺もそんな顔してたのかな?)

 不覚にも少し親近感を持ってしまった男から書取に視線を移すと、書取は続けて二本目を放とうとしている。

「ふっ!」

 小さな息吹と共に書取が二本目を放つが、今度は避けられてしまう。

「驚きましたよ。まさか鉛筆が飛んでくるとは……」

「あの時助けてくれたのは感謝するけど、あなたみたいのがこの町にいたら安心して眠れないからこのまま野放しにするつもりはないわよ。それにあなたみたいなタイプ嫌いなのよ。人を物以下で考えられる人」

 書取が腰に付けていたポシェットに右手を入れて取り出すと、その手には鉛筆が四本、指と指の間に一本ずつ挟まっていた。

 書取はそれを全て同時に投げつけようとするが、男はそれよりも速く何かを投げつけてくる。 投げる瞬間だったので書取の体が硬直し躱すタイミングを逃すが、飛来してきたものは俺の腕が勝手に動きはたき落とす。

「大丈夫か」

「ええ」

「いったい何を飛ばしてきたんだ?」

 飛んできたものを確認するため、はたき落としたそれを拾い上げる。

「これ……か?」

 拾い上げたものはどこにでも売っていそうな皮剥き器だった。

 地面にはこれ以外血のついた皮の塊しか落ちていない。スーツ男が飛ばしたのはこれ以外には考えられない。

 男にもう一度向き直る。

 手の甲から平にかけて鉛筆が貫通しているはずなのだが、男は全く平気な顔をしており、むしろ興味深そうに手に刺さった鉛筆を触ったりしている。

 そして少し考え込んだかと思うと肩を揺らし低く笑い出す。

 いきなり笑い出すので反射的に警戒を強める。

「いや、失敬。ようやく探していたものが見つかったかもしれないのでね。感激に打ち震えて笑ってしまいました。私は逆宮椋呂(さかみやむくろ)と言う者でして、自分と似た力を持つ人間を探していたんですよ。探し始めて二年ようやく今日、その一人目に出会えました」

 よっぽど嬉しいのかペラペラと自分の事を語り始める。

「その一人目って誰の事なんだ?」

「もちろん鉛筆で人を串刺しにできるそこのお嬢さんですよ」

 書取を指差す。どうやらこいつは書取の『書く』力に興味があるらしい。

「できれば抵抗せずに私といっしょに来て欲しいのですが」

「お断りだわ」

 答えはこれだと鉛筆を構える。

「俺もだ」

 こんな奴についてくなんざ断固断る。

「いえ、あなたではなく隣のお嬢さんだけですよ。それともあなたも何か力を持っているのですか?」

 椋呂が俺を観察するように見つめてくるが、すぐにやめる。

「まあ、いいでしょう。試してみればわかることです」

 椋呂は懐から皮剥き器を二個取り出して構える。その姿はまさに皮剥き器二刀流と呼ぶに相応しかったが、見た目的には少し滑稽だった。

「何で皮剥き器?」

 当然の疑問を相手に聞いてしまう。武器にするにはどう考えても適しないものだ。

「好きなんですよ。()くのがね」

 などと答えるが……

(もしかしてこいつも書取や俺みたいに変わった力を持ってるのか?)

 そんな疑問が頭によぎるが、書取の時みたく仲間意識が芽生えない。

(力以前に性格が合わなそうというか嫌悪感ビンビンだしな。それに書取も……)

 書取が鉛筆を放つ。それも野球のピッチャーが全力投球するように豪快にだ。

(同じ気持ちみたいだし)

 しかし、書取の投げた鉛筆はまたも椋呂が器用に躱し、書取に接近してくる。

 書取の投げる鉛筆の速さは決して遅くはない。見た感じバッティングセンターの百二十キロの球を軽く越えている。その豪速筆をこの暗い部屋の中で安々と躱しつつ、接近してくる椋呂の運動神経が異常なのだ。

 椋呂は書取の目の前まで近づくと、皮剥き器を振るい書取に襲いかかろうとすると金属が擦り合わせるような音が部屋に響き渡る。

「……こんな時代に篭手を着けているなんて、あなたは忍者の末裔か何かですか?」

「ただの護身用だ。最近は鉛筆を投げつけられたり、皮剥き器で襲われたりと何かと物騒だからな」

 書取と椋呂の立ち塞がり、椋呂のちょっとしたをツッコミを冷静に流す。

 椋呂の言った通り、椋呂の皮剥き器攻撃で破けた俺の袖の中から銀色の篭手が光っていた。 肘から手首にかけて守る簡易な篭手なのだが、書取に襲われた時から念のため腕に着けていたのだ。

 もちろん理由は書取が怒ってまた鉛筆を投げつけてきた時に備えてだ。これ以上手に風穴を開けられてはたまらないし、痛いのは誰だって嫌だ。

 俺の『守る』は基本肩から指先を使って守るのだが、どこを使えば自分も守る対象も傷つかず守れるのか自動で動いてしてくれるのだ。

「なるほど。しかし、そんなものをどこで手に入れたのですか? 見たところ通信販売で売ってる安っぽい代物には見えませんね」

「もらいものだから。詳しくは知らないな」

「そうですか。まあ、私にとってはさしたる障害にはならないですね。鉄製だろうがチタン製だろうが剥がせばいいだけですから」

「この篭手は薄いが頑丈、弾丸を受けてもビクともしない代物だ。そんな百円で買えそうな皮剥き器で……」

 そう言ってさっき攻撃を受けた箇所を見てみると……篭手には削られた跡が残っていた。

「うそぉぉぉぉぉっ!」

 思わず絶叫してしまう。

「削れてる。何で?」

 削り跡を触ってみると、それは汚れでもなく確かに削れた跡がついている。この事実に驚いている俺を見て、椋呂は少し得意げな顔をする。

「なぜか理由はわからないんですがね。いつの頃からか『剥く』のが以上に上手くなってしまいまして。初めは少し便利なぐらいにしか思ってなかったのですが、あんまりスルスルと剥けるのでね、試しにもっと硬いものを剥いてみようと考えたのですよ。プラスチック、ガラス、鉄、銅、銀、金、ダイヤ、動物、人といろいろ試しましたが、全て簡単に剥けてしまいましたね……しかもこの安物の皮剥き器で」

(こいつ、やっぱり俺達と似た力を)

 それよりも気になるのは……

「……さっき人にもとか言ってたよな」

「ええ、さっきの人達以外にも色んな人で試させてもらいました。同じ箇所を何度も剥いていき体に穴を開けるとか、リンゴの皮を繋ぎ続けたまま剥くようにどこまで途切れずに人の皮が剥けるとか……もっともみなさん途中で気が触れるか死んでしまいましたが」

 恍惚とした表情でスラスラと語る。その姿を見て益々嫌悪感が増す。

「おっと、私の話に付き合わせてすみませんね。好きな話になると夢中になってしまうのは私の悪い癖でして。では続きを……」

 次は立ち塞がる俺に襲いかかってくる。

「わわわわっ」

 足、腹、顔、篭手と所構わず皮剥き器を振るって攻撃してくる。しかも速い。篭手で敵の猛攻から身を守るが、防御に使う籠手はどんどんと剥がされ薄くなっていく。薄くて丈夫が謳い文句だったので篭手の厚みがほとんどない。このままでは籠手を貫通して露出した肌に届く紆余は余り残されていない。その前に何とかこの状況を打破しなければ。

 しかし、ここで椋呂は少し戦法を変えてくる。右手の皮剥き器を逆手に持ち、左手の籠手を滑らせながら削り剥がしつつ、何も着けていない二の腕まで駆け登ってこようとする。

 その進行を俺の『守る』が右の篭手をクロスさせる形で勝手に進行を阻むが、これで一つの皮剥き器に両腕を使う事になってしまい、当然椋呂の左手に持つもう一つの皮剥き器を防ぐ術がなく。右腹を剥がされしまう。

「くそっ」

(剥がされるって想像してたよりかなり痛いぞ。まずい、このままじゃ……)

 必死で考えるが何も浮かんでこない。焦りで頭の中がこんがらがってくる。

 またも椋呂が同じ戦法で俺に襲いかかってくる。このままだとさっきと同じ結果になりどこかしら剥がされてしまう。

 すると、椋呂の側面から書取が鉛筆を握り襲いかかる。書取の握る鉛筆は芯を長めに削っており、書けばあっけなくポキッと折れそうなのが印象だ。

 椋呂は襲いかかってくる書取に気づき、こちらへの攻撃の手を止める。

 その隙を突き俺は拳を握り椋呂を殴りつけようとする。

 運良くできた俺と書取の同時攻撃。椋呂は書取への対処を優先し、皮剥き器で書取の鉛筆を受け止める。

 『書く』と『剥く』がぶつかり合い有り得ない金属音が響く。

(何で鉛筆の芯がそんな甲高い音を奏でるんだよ……って、体が)

 殴ろうとした拳を止め、書取に向かって飛び込む。

 炭とステンレスのぶつかり合いの結果、書取の握っていた鉛筆が弾かれ、体勢を崩される。 そこに椋呂が追い打ちをかけるが、その間に俺が書取に覆い被さって抱きつき倒れ込む。

「いでっ! 大丈夫か書取?」

「私は大丈夫だけど……代わりにあなたがケガしたわね」

 書取は俺の脇を見つめる。そこはさっき書取の身代わりに椋呂から受けた傷ができていた。

「『守る』ってそんな便利なものじゃないのね。誰かを守って傷が増えていくだけじゃない」

「でも、おかげでまだ生きてるだろ。書取が危ない場面も守れたしな」

 俺が普通人なら既に俺の体は剥かれまくって殺されていただろう。それを生きていられるのはこの『守る』力のおかげだ。

 しかし、まだ危機が去ったわけではない。椋呂はすぐに傍にいるのだ。

 すぐに立ち上がって椋呂と向き合うが、いくら待っても椋呂が襲いかかってこない。

「……どうしたんだ?」

 さっきまでの饒舌と勢いはどこにいったのか。椋呂がその場から動かなくなる……と思ったら突如体が振動するように震え出す。

「」

 その奇怪な行動に俺も書取も震える椋呂を凝視したまま動けずにいた。

 椋呂の振動は十秒ほど続くとピタリと収まる。

「やめです」

「「……はい?」」

 椋呂のやめ宣言に、俺と書取は思わず同時に聞き返してしまう。

 やめと言って不意打ちで攻撃をしてくる感じはない。椋呂は今の戦いの最中に息を引き取った三人を掴むと、こちらに一切の視線も合わさず、男達を引きずって部屋から出て行こうとする。

「ちょ、ちょっと待て。そいつらを連れていったいどこに行くんだ? そもそも見られたら殺すんじゃなかったのか?」

 ピンチからの余りの急展開に思考がついていかず、その行動の真意を探るべく、椋呂を呼び止めてしまう。

「少し考えを改めましてね。せっかく見つけた可能性をあっさり殺すのはもったいないです。それに直に見てみたいと言われましてね」

 こちらの問いに、椋呂がこちらに目を合わさず答える。

(言われた? もしかしてさっきの病的な振動は携帯電話のバイブ機能の振動だったのか?  でも椋呂は一言も口を開いて話していないし、外からここの様子を伺える窓だってついていない)

 ますます疑問が深まる。

「近いうちにまた会いに来ます。これは処分しておきますので安心してください」

 何が安心かわからないが、そう言い残して椋呂はこの部屋から出て行ってしまう。足音と 引きずる音が遠ざかりやがて聞こえなくなる。

「はああぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ」

 危機が去った安心感から大きな大きな溜め息が出てしまう。訳がわからないがどうやらこの局面は乗り越えられたらしい。

「……もう帰るか。さすがにこれから買い物の続きをする気は起きないし」

「そうね。私もそんな気力はさすがにないわ」

 書取の同意を得たので今日のショッピングはこれにて終了。

「怪我の治療もしないといけいし、とりあえず私の家に来なさいよ。鳴も夕飯を作って待ってるはずだし、さっきの出来事も話してもらわないと」

 それにはOKなのだが、まだ一つ問題が残っている。

「悪いけど、何でもいいから服買ってきてくれないか? こんな格好じゃ外に歩けない」

 椋呂の攻撃でボロボロに破けてもう着られない今日下ろし立ての服を見て更に溜め息が出てしまうのであった。


 書取に買ってきてもらった服を着て外に出る頃には、夕日色に染まり始めた空が繁華街を照らしていた。

 そして今は書取のマンションに向かっている途中だ……書取を背負いながら。

 なぜこんな事になってしまったのか自分にもわからない。歩いている途中で書取がいきなり背中に飛び乗ってきたのだ。ケガした所が痛いと言っても書取は降りてくれなく、疲れていたのかあっという間に背中で眠ってしまった。しょうがないので降りてもらうのはあきらめて背負って帰っているわけだが……

「俺って押しに弱いなぁ」

 今までの過去を振り返ってみると、かなりの確率で色々と押し切られていた。

 道行く人々から書取を背負っている姿をチラチラと見られたが、近寄ってきたり通報されたりしなかったのは幸いだった。下手に近寄られていたら買ったばかりの服に血が滲んでいるのがバレてしまう。

「しっかし、えらい軽いな」

 背負われ眠っている書取から重さを余り感じないので、人ではなくリュックを背負っているような気さえしてくる。

「ちゃんと食べないと、ナイスバディにはなれないぞ」

 背中に当たるものに対してついつい感想が口から漏れてしまう。

 その言葉に書取は眠っているので当然何の反応もなかったが、なぜか背中から熱い怒気を感じ、背中越しながらにっこり微笑みつつもこめかみに怒りマークを貼りつけている書取の姿が見えた……気がした!

 全力で首を捻って書取の姿を確認するが、やはり書取は眠ったままで起きた様子もないので、さっきの感覚は気のせいと思うことにする。そうじゃないと後が怖い。

 そうこうしている内に書取のマンションに無事到着する。

「おーい、マンションに着いたからいいかげん起きてくれ」

 声をかけるが書取はやはり反応はなく、軽く揺すってみても起きる気配はなかった。

 危うく殺されかける出来事に巻き込まれたのだから疲れ果てて当然といえば当然なのだが、それはこちらも同じ事。正直もうベッドにダイブして何もかも忘れて眠りにつきたい。

 とにかくまずは背中の荷物をどうにかする必要がある。幸いにも鳴に正面玄関を開ける番号を教えてもらっているが、この背負った状態ではさすがに押しにくいので、まずは書取を地面に下ろし、装飾の柱にもたれさせる。

 その拍子に服の首ふちのボタンがはずれ、スカートから太ももが露わになったりとはしたない格好になってしまう。

 その姿に思わず見とれて生唾を飲んでしまうが、咳払い一つして意識を切り替えると服の乱れを直そうとする。

「私の家の前で猥褻行為はご遠慮願いたいのだが」

 善意な行為を猥褻行為と勘違いされ、背後から呼び止められる。

「いや、これは決して猥褻行為などではなくて……」

 気まずいというか顔を見られたら終わりな気がするので振り向けないが、丁寧に誠意をもって後ろ向きで弁解する。というか、最近似たような事があったような……

「眠っている無防備な女性を襲おうとしている卑劣な性犯罪者が私の家の前で今まさに誕生しようとしているこの状況で、私はいったいどうすればいいと思う? やはり警察に通報して臭い飯を食べながら自らの行いを反省してもらうべきなのだろうか?」

(向こうは警察を呼ぶ気満々だ) 

「と、とにかくもう一度状況を整理して考えてください。そしてこっちの事情もよーく聞いてください。これは本当に誤解なんです。話せばわかる……っていうかその声もしかして鳴さん?」

「何かね。共李君」

 少し冷静になってっみると聞いた事のある声、しかもその声の主はマンションの住人だ。振り向いてみるとやはり後ろに立っていたのは雪城鳴だった。

「もしかして、さっきのって冗談?」

「ああ、誤解で慌てふためく人を見ていると、とても楽しいな気分になってくるよ」

「こっちにしてみれば寿命が縮まる冗談なんですけど」

 鳴は眠っている書取の傍に座り込み、書取の体をペタペタと触る。

「擦り傷程度で大したケガもしていないようだな。疲れて眠っているだけか。ふふっ、遊び疲れた子供のような顔をしているな」

 そう言われてみればそんな顔に見えてくる。今日一日を十二分に楽しんで満足したそんな顔だ。

「怪我なら共李がしているな。手当てをするから部屋に来てくれ。悪いが書取を部屋まで運んでな。私はこの通り手が塞がっているものでね」

 両手に持っている買い物袋を軽く持ち上げてアピールする。

「わかりました……っと!」

 書取をもう一度背負い、鳴の後に続きマンションの中へ入る。

「共李、ちょっとここに」

 鳴は暗証番号を入力する機械の前で手招して俺を呼ぶ。

「ここの番号は覚えているか?」

 そう言われて教えてもらった番号を口答する。

「正解だ。これで本当にこのマンションの入室は自由だな」

「でも、本当にいいのか? マンションの関係者じゃない人間に番号を教えて」

 前にも聞いたが、念を入れてもう一度確認しておく。

「構わないさ」

「でも、ほかの住人に迷惑が……」

「このマンションをどう思う?」

「聞いてますか! って、本当にいいの」

 さらっと流された感が非常に気にかかるが……

(俺が気の迷いを起こさなければいいだけの話だ。うん。それでこのマンションをどう思うかだったな)

「新築の綺麗なマンションですね。俺の住んでいるアパートとは雲泥の差というか根本から大違いだし、一度はこんなマンションに住んでみたいと思いますよ」

 こんなセレブが住んでいそうなマンションに住むのは庶民にとって一つの夢だ。

「そうかそうか。気に入ってもらえているなら問題はないな」

 鳴は俺の回答に満足そうだが、俺にはそれを聞かれた理由が全然わからなかった。


 鳴の先導で書取の部屋として使っている502号室に入る。鍵はやはりかかっておらず、素通りだった。

 鳴の指示で書取を寝室に連れて行く。

「そこに寝かせてくれ」

 鳴に言われた通り書取をベッドに寝かせる。ここまでしても全く起きる気配のない書取が不思議生物に思えてきた。

「先に時雨を簡単に治療するから、悪い少し待っていてくれるか」

 こっちの傷はもう血も止まっているので、別に急いで治療する必要もない。

 手当をしてくれるだけありがたいので頷く。鳴は救急箱を持ってくると、俺が見ているのも気にせず書取の服を脱がし始めるので慌てて部屋に出る。


 少しの間居間って待っていると鳴が書取の寝室から出てくる。

「待たせたな。じゃあ手当てするからまずは服を脱いでくれ」

 言われた通り服を脱ぐ。

「……服を脱いでくれと言ったのだが」

「だから、脱いでるじゃないですか」

 上半身裸で答える。

「全部脱いでくれ」

「全部って、まさか下も?」

「当然だ。どこにどんな怪我をしているかわからないからな」

(生まれたままの姿を若い女性の前で晒せというのかこのお人は)

「じゃあ、もしかして書取も……」

「当然全部脱がしてから手当てした。といってもホントに軽いケガだったので絆創膏を張っただけだが」

 思わず全裸で絆創膏を貼られた書取を妄想して、鼻血が出そうになる。

「その想像は健全な若者としていい事だと思うが、さっさと脱いでくれないか。怪我は万病の元というからな些細な傷もしっかり見ないと、共李がいいなら私が脱がすが」

「全然よくないです」

 意地を張っても鳴に勝てる気がしないので頼み込んでパンツだけはカンベンしてもらう事で決着がついた。

 鳴は体全体を一度確認すると怪我をしている部分を消毒してガーゼを貼る。

「よし、これでいい。特に深い傷もないようだし、それで十分だろう」

「ありがとうございます」

 手当てをしてくれた鳴に礼を言って、ソファーにだらけて座る。

 かなりくたびれたので自分の家でもないのに礼儀もおかまいなしだ。書取に買ってもらったばかりの服も血が染み込んでもう着られなくなっていたので、鳴に服を処分してもらい、代わりの服を鳴が持ってきてくれたので礼を言う。

「構わないさ。それじゃあ、今日何があったか聞かせてもらおうか」

「わかりました」

 繁華街で偶然出会った逆宮椋呂との出来事について話す。

「……時雨や共李に似た力を持つ男といきなり戦う羽目になったと」

「そうなんですよ。本当に死ぬかもと思いました」

 でも、改めて考えてみるとすごい偶然だ。もし、その男が書取をナンパから助けなければ恐らく出会いはしなかっただろう。

「でも書取はすごいな。横で人が死にかけていても平気な顔して戦ったし」

 しかもスプラッタ風に仕上がっていたのに怖がっている様子が見られなかった。

「それを言うなら共李もだろう。殺されかけたというのに平気な顔をしている」

「俺は色々ありましたから」

 一度でも俺死んだと思わせる出来事に直面すると結構耐性がついてしまうのかもしれない。

「それで、これからどうするつもりだ?」

「どうするって?」

「襲ってきた逆宮椋呂だよ。さっきの話だとそいつはまた会いに来るみたいじゃないか」

(ああ、やっぱりそういう意味なのか。考えたくなかったからあえて考えていなかったけど……)

「とりあえず来るまで待つしかないですよね。こっちから行こうにも相手がどこにいるかわからないですし」

「戦うつもりなのか?」

「向こうの目的は書取みたいで、逃げても諦めてくれそうにないですし」

 だったら戦うしかない。自分だけが逃げ出すなんてそもそも論外だ。

「その時が来たら、鳴さんは書取を守ってください」

「一人で戦うつもりなのか?」

「それは……やる事が事ですから」

 戦いなんて両者が納得して決着が付くなんてのは滅多にない。最悪……禍根を断つ為に相手の息の根を止める必要がある。幾ら書取の肝が据わっているからといって、俺は書取に人殺しをして欲しくない。偉そうにそう思ってる俺もした事はないんだけど。

「私はどんな形にしろ時雨自身に乗り越えて欲しいと思っているが……時雨はどうする?」

 鳴が俺の背後を見つめる。後ろを振り向くとソファーの後ろにいつの間にか書取が立っていた。

「起きたのか?」

 声をかけるが書取はじぃーっとこっちを見ているというか、睨んでいた。

「? どうかしたのか?」

 書取はこっちにスーッと近づいてきたかと思うと、いきなりこちらの首を締め上げてきた。

「んな! な、なん、じぇ……?」

「私を背負っている時に貧相な体なんて口走るから」

(やっぱり起きてたのか。でも何で今更の時間差攻撃?)

「言った瞬間に首を絞めてやろうかと思ったけど。あの時、共李の背中が心地よくて、眠くて眠くてしょうがなかったから殺らなかったの。だから目が覚めたらまず共李の首を絞めてやろうと心に決めていたわ」

 書取は締める手にさらに力を込める。

(やばいっ! こいつ本当に俺を殺る気だ)

 締め上げている手を外そうとするがビクともしない。このままでは書取の代わりに戦うと決着させるとかそういう以前に死んでしまう。

「後、……私を置いていこうとするから、もっと腹が立ったわ」

「書取……」

 その言葉を吐くと、書取は怒りというより悲しい顔をする

「で、でも死ぬかもしれないんだぞ。それに殺したりも……」

「それは共李も同じでしょ。共李には私が身勝手に重荷を他人に乗っける薄情な女に見えるの?」

 そんなわけない。まだ話して四日しか経っていないが、書取がいい奴だっていうのは十分に伝わっている。

 書取が首を締めていた手を放す。

「……私は共李と一緒にいる資格がない?」

 書取は顔をうつむかせ、髪の毛が垂れて顔が見えなくなる。

「ばかっ」

 俺は書取の髪をくしゃくしゃと撫でる。書取は何で頭を撫でられているのかわからない様子だったが黙って俺に撫でられ続けた。

 こちらが納得というか満足するまで撫でると、書取の顔を上に向ける。顔を上げた書取の目には涙が溜っていた。

「ごめん。そうだなよな俺一人が身勝手に決めていい事じゃないかったな。書取がそういう奴だってわかってたはずなのに。あれじゃあ、邪魔だって言ってるようなもんだよな」

 そうだ。俺達は友達なんだ。友達っていうのは後ろに守るもんじゃない。横に並ぶもんだ。敬語なんていらない。遠慮だっていらない。喧嘩したって離れない。ただ横にいるのが当たり前なのが友達だ。仲間だ。

「でも、俺は『守る』なんだ。『守る』が俺なんだ。だから俺は絶対に書取を守る。書取がほっといて、構わないでって言われたって守る。それでもいいか?」

「形なんてどうでもいいわよ。避けないで受け止めてくれればそれで……」

 今の言葉で書取は満足してくれたのか、涙交じりだが声に元気が戻る。やっぱり書取はその無表情だけど元気なのが似合っている。

「いい雰囲気で悪いのだが、少々気になった事がある?」

 その間に鳴が割って入ってくる。

「なっ、何ですか?」

 いい雰囲気と言われて気恥ずかしくなるのを誤魔化すように鳴に顔を向ける。

「共李の『守る』力だが、時雨に首を絞められた時には何もしなかったな。どうしてだ?」

 鳴の質問にどう答えるのがぴったり考える。

「俺の『守る』って守ったり守らなかったりとけっこー曖昧なんですよ。でも鳴さんに言われて『守る』対象を意識するようになってからは突発的に『守る』のが減った気がしますけど」

「ふむ、もしかしたら『守る』力は共李の精神に大きく左右されるのかもしれないな。だったらさっきは意思の力で止めていたのか?」

「いや、してないですね」

「ならば『守る』がたまたま反応しなかったという事か?」

「え~と、今回はそれとも違うと思うんですよ」

 ぽりぽりと頬を掻く。

「その言い方だと原因がわかっているようだが、言いたくないのか?」

 どちらかと言えば言いたくない。言いたくないが今後の関係を考えたら言っておいた方がいいに決まっているので半分諦めた気持ちで理由を話す。

「実は『守る』力で一つわかっている事がありまして、どうも俺が気を許している相手からの攻撃には全然反応してくれないんですよ」

「…………ぷぷっ、ぷわっははははっ」

 俺の言った事を理解したのか、鳴は途端に笑い出す。

「なるほどなるほど、共李を殴って防がれなければ共李が気を許しているかどうかわかるわけか。よかったな時雨、共李は時雨を信頼しているみたいだぞ」

 そんな言い方をされるとすっごく恥ずかしい。幸いと言っていいのか、書取は鳴の言っている意味がよくわかっていないみたいだが。

「なら、ちょっと私も試してみようかな」

 拳を振りかぶる鳴。

「えっ、うそ、ちょっとまっ……」

 その結果は、俺の腫れ上がった左頬が答えだった。


 料理ができるまで待っていてくれと鳴はキッチンに赴き、俺と書取はリビングに待たされていた。

(待っている間にさっき考えた事を書取と話しておくか)

「書取、明日から登校と下校の間も一緒に行動しよう。あいつがいつまた現れるかわからないし」

「別にいいけど、共李が迎えに来るの?」

「そうするつもりだけど、俺からの提案なんだし」

 それにどこぞの幼馴染じゃあるまいし、普通は男が迎えに行くものだ。

「ちゃんと学校に間に合うように来れるんでしょうね」

 疑いの眼差しを向けてくる。確かに学校には書取の方がいつも早く着いているし、俺のアパートから書取のマンションに寄り、それから学校に行くとかなり遠回りになってしまう。当然俺はいつもよりかなり早く起きないといけないのだが……

「……ちなみに書取は何時頃家を出るんだ?」

「八時ね。それで八時二十分には学校に着くわ」

 頭の中で計算してみる。俺のアパートから書取のマンションまでおおよそ三十分。ということは七時三十分にはアパートを出ないといけない。後、着替えやら何やらを加えると七時には起きないといけない計算になる。ちなみにいつもは八時十五分頃に起きて学校へ向かっている。

「大丈夫……だと思う。でも、八時になっても来なかったら先に行っててくれ」

「わかったわ」

 明日からの予定を決め終えると鳴が料理を持って戻ってくる。料理を食べ終わった後、お礼をかねて皿洗いをしてからアパートへ帰った。


 翌朝、昨日は散々な目に遭い疲れ果てていたが、ちゃんと七時にセットしていた目覚ましが鳴り、その二十分後に何とか起きることに成功。書取を待たせてはいけないと急いで歯を磨いて制服に着替えて時計を見ると七時三十分。

 今出ればギリギリ間に合うが、それだと書取が先に行ってしまう可能性もある。

「朝からしんどいけど走るか」

 初日からギリギリだと書取の心証も悪かろう。

「行ってきます」

 誰もいない部屋に向かって挨拶をして外に出る。これはもう昔からの習慣なので一人暮らしを始めても自然と口にしてしまっていた。端から見れば虚しい光景なのだが、俺自身はわりかし気に入っているので治そうとは別に思わないのであった。


 家を出てから走り続け、書取の住んでいるマンションに辿り着く。

「今何時だ?」

 必要がなかったのでずっと電源を落としたままの携帯に久しぶりに熱を入れる。携帯はすぐに起動し時間が表示される。

「なんだあれから十五分しか……げげっ」

 続いて着信履歴が表示される。その全部が家からになっており、おびただしい数の着信履歴が残っていた。

「…………俺は何も見てない」

 再び携帯の電源を落とす。恐らく次の帰郷までこの携帯を起動される事はないだろう。

 とにかく現在時刻はわかった。これなら余裕で書取と合流して学校には間に合うはずだ。

「マンションの前に誰かいるな?」

 マンションの玄関前には誰かが立っており、その外見には見覚えがあるのだが、その人物は慌てているというかおかしな動きをしていた。

「書取だよな? あの長い黒髪は絶対そうだよな」

 マンションの前にいる書取はこちらに背を向けたまま座っていると思ったら立ちがり、立っていると思ったら座ると屈伸運動を繰り返す。

 そんな書取の仕草に訝しみながらもとりあえず近づく。

「どうかしたのか? 書取」

 後ろを向いている書取に声をかけてみるが、書取は全然こちらに気がつかない。

「おーい」

 声が小さくて聞こえなかったのかと思い、さっきより大きめの声で呼ぶとビクッと今度は脊椎反射的な反応し、書取がこちらに振り返る。

「もう来たの。ギリギリ来ると思ってたけど早かったじゃない」

 書取はさっきまでの挙動不審などなかったように堂々と立ち上がってくる。

「確かに走らないとギリギリだったけど、書取こそまだ家を出るには早いだろ。それに部屋にいてくれればインターフォン鳴らしたぞ」

 せっかく鳴に教えてもらったインターフォンを使う機会があったというのに。

「それとすごい怪しい動きしてたぞ」

 不審者扱いされても文句は言えないほど。

「私が? そんなわけないでしょ。待ってる間ちょっと退屈で体動かしてただけよ」

 そう呟く書取は少し照れた顔をする。自覚はあったのだろう。

「いつからここにいるんだ?」

「一時間ぐらい前かしら」

「そんなに待ってたのか」

 呆れ顔で書取を見てると、書取はしまったとバツの悪そうな顔をして視線を逸らす。なんか遠足が楽しみすぎて待ちきれない子供みたいだ。

「だって、時間を決めてなかったから」

(確かに八時までに迎えに行くとは言って、集合時間は決めてなかったけど)

「集合場所は家の前なんだから普通は部屋で待ってるだろ。迎えに行くって言ったんだから。携帯電話がなくてもインターフォンがあるからすぐ呼び出すし」

 書取は携帯を持っていないのだ。

「ちょっとうっかりしただけよ。次からはそうするわ」

「わかった。とにかくもう行くか……んっ?」

 書取の立っている下の地面に黒い粒々したものが正方形を象っているのを見つける。

「何だこれ?」

 顔を地面に寄せてじーっと見つめるが、黒い粒々の集まりにしか見えず検討もつかない。

「書取、この黒いのは何なんだ?」

 ちょうど書取の座っていた辺りだから、関係があるのではと聞いてみる。

「はい」

 その回答としてか書取は鞄の中から虫めがねを取り出して俺に渡してくる。

(何で虫めがねなんか持ってるんだ?)

 と思ったが、とりあえず受け取る。

 高級そうな虫めがねだが、高かろうが安かろうがこれでやることは一つしかない。

 黒い粒々を虫めがね越しに覗いてみる。それでこの黒い粒々が何なのかハッキリした。

 黒い粒々の正体は無数の人という文字だった。しかもこの虫めがねを使って人と見える大きさで、しかもその字は綺麗に整頓整列されて書かれていた。

「何でこんな所に巧みの技術が」

「待っている間なんか緊張しちゃって、人と言う字を書くと落ち着くってテレビでやってたから」

 予想はしていたが、犯人がすぐに判明する。

「普通は手のひらに書くんだ」

「えっ? それだと手が汚れてしまうじゃない」

「……鉛筆から手を放せ。指で字を書くんだ」

 どうやらそのテレビ番組では緊張をほぐす方法は教えても指で手の平に書く事は教えていなかったようだ。

「しっかし、見事だな」

 もう一度虫めがねで書取の書いた字を覗く。米粒に文字を書く達人も参りましたと言わんばかりの精巧な人の文字の羅列はずっと見ていても飽きる気が起きない。達筆というだけで一つの芸術になってしまうんだなぁとついつい時間を忘れて見ていると、首筋に痛みが走る。

「いつっ!」

 とっさに痛みが走った部分を押さえ、見上げてみると書取の顔が映り、その手には鉛筆が握られていた。どうやらさっきの首の痛みは書取に鉛筆で刺されてたようだ。

「早く行かないと遅刻するわよ。その程度だったらいつでも書いてあげるから見ていないで行くわよ」

 俺の袖を掴んで引っ張って歩き出す。 

「えっ、今何時だ?」

「時計を持ってないからわからないけど、いつもより遅いのは確実だわ」

 虫眼鏡は持ってるのに時計は持ってないのかよと思ったが、遅れているなら急いだ方がよさそうだ。

「じゃあ、行くか」

 書取に掴まれた袖を離してもらい、学校へ向かう。

 その道中、書取は前を見ずに自分の手をじっと見ながら歩いている事に気づく。

「前を見とかないと危ないぞ」

 注意するが、書取は手から目を離さず、ぶつぶつと何か呟いている。どうやら集中しすぎて俺の声が届いてないらしい。

 俺は何を言っているのか気になり、書取に顔を寄せ聞き耳をたてる。

「指で書くってどうやって手の平に人って字を残すの? もしかして血で……」

「チョップ」

 有無を言わさず、書取のおでこに水平チョップを食らわす。

「何するのよ」

「そんなわけあるか! 指で手の平をなぞってイメージで書くんだよ」

 怖い考えに到っていた書取に注意していると、コンビニの中にある時計が目に入る。

「ヤバッ、書取! もう全力で走らないと間に合わないぞ」

 書取の手を掴んで走り出す。

「ちょっ、急に走らないでよ足がもつれて転ぶで……って速い! 速すぎ! 足が追いつかないわよ! あっ……」


「ま、間に合った……はあ、はあ」

「つ、次は、はあ、はあ、もっと早く、はあ、来なさいよ」

 必死扱いて走った結果、ホームルーム開始の鐘が鳴り終わると同時に教室に飛び込む事に成功する。

「バ、バカいえ、普通に間に合う時間だったよ。か、書取が地面に達筆な字を書いてるから、悪いんだろ」

「ちょ、ちょっと気晴らしに書いてただけじゃない。そ、それをずっと見ていたのは共李でしょ」

 息絶え絶えで文句を言い合う。しかし、話す度に息が苦しくなってくるので、互いに黙って息を整える事に専念する。

 もうすぐ先生がやってくるのでこのまま教室の入り口で二人突っ立っているわけにもいかない。俺と書取は自分の席に座る。

「おはよー二人とも」

 そんな俺達に牧広源が元気いっぱいな挨拶をしてくる。

「おはよう。牧広は朝から元気だな」

「朝から元気じゃないと体がもたないよ。何でも最初が肝心なんだから。書取さんもおはよー」

「……おはよう」

 いきなり話しかけられたので、たじたじに書取が牧広に挨拶を返す。

「あっ、そういえば自己紹介してなかったね。あたし、牧広源って名前なんだけど、みんなは源って呼んでるからよかったら書取さんもそう呼んで」

 牧広が話し終えると書取がこちらに「どうしたらいいの?」と言った視線で送ってくる。まあ、これは俺の勝手な想像なのだが多分合ってるだろう。

「牧広は書取にこれから話しかけていいかと聞いてるんだ。どう話したらいいかわからなかったら、俺が間に入ってやるし心配するな」

「……わかったわ。なら源と呼ばせてもらうわね。私の事も時雨と呼んでくれていいわ」

「悪いな口を挟んで、俺も話してみてわかったけど、こいつけっこー人見知りで会話するのも慣れてないみたいなんだ」

「全然構わないわよ。よろしく時雨」

 そう言って握手を求め手を差し出し、書取がその手を握るとブンブンと手を振る。いや、振っているのは牧広だけだが。とにかくこれで書取にも新たな知り合い(友達?)ができたわけだ。

(いい関係が築けるようフォローしてやらないとな)

 恐らく俺のフォロー次第で社交的にも引きこもりにもなる。別の言い方をすれば神にも悪魔にもなれる。俺が上手にパイルダーオンして操縦してやれねば。

(育成ゲームしてるみたいだ)

 なんて書取が聞いたら鉛筆串刺しの刑にされそうな事を考えていたのだった。


「休み明けたら君達さらに仲良くなってない?」

 昼休み、今日は書取を迎えに行ってコンビニに寄る暇もなかったので、学校の購買でパンを買いに行かなければならないのだが、買い出しになぜか同行してきたキヨミンがそんな事を言い出す。

「仲良くって、書取か?」

「そうだよ。僕的には先週までは草波君と書取さんの関係は校内だけで仲良くするクラスメートと思っていたのに、今日はお笑い芸人の相方みたいにボケとツッコミを平気で行える関係に成長してたよ。いったい休みにどんなイベントがあったのか……」

 俺的には書取との仲は大して変わっていないと思うのだが、廊下の真ん中で変な妄想に胸膨らませているキヨミンを呆れた目で見つめる。

「別に変わってないだろ」

「いーや、変わったね。それじゃあ聞くけど草波君はこの休日はどう過ごしてたの?」

 ずいっと詰め寄るキヨミン。書取とは友達なんだから一緒に遊ぶのは自然だし、別に隠す必要もないので正直に話す。

「書取と一緒に買い物に行ったけど」

「ほらやっぱり」

 キヨミンは自分の妄想が的中したのにご満悦だ。

「ちぇー、草波君が羨ましいな」

 キヨミンが愚痴みたくポツリと呟く。

「えっ、もしかしてキヨミン、書取が好きなのか?」

(だったら誤解を解いてやらねば、俺は別に書取を好きでは…………まっ、言わなくていいか。面倒だしな。うんっ、そうだな)

「違うよ。確かに書取さんは魅力的な女性だけども、僕は……僕は……草波君が入学早々可愛い子とデートしているのが羨ましいんだ!」

 突然涙を流しながら力説しだすので、キヨミンから離れて通行人が通りだす。ちなみに俺も距離をとった。

「僕はシチュエーションを制するものは世界を制すると思ってるんだ。女の子との曲がり角でもぶつかり合い、不良に絡まれて困っている可愛い女の子を見かける。幼馴染が毎朝起こしに来てくれるなどそんなシチュエーションに自ら遭遇できる人物はもう世界を制していると言っても過言ではないんだよ。まさに幸せを約束された存在。それになっている草波君が羨ましいんだ」

「だったら、何で書取に声をかけなかったんだ。入学当初はまさに幸薄そうな孤独な美少女と知り合うのに絶好の機会だっただろう?」

 キヨミンの言う絶好のシチュエーションが転がっていた。

「そんな意図的に作るシチュエーションはシチュエーションとは呼ばないよ。気がついたらそうなっていたというのが僕の理想のシチュエーションなんだ」

 キヨミンなりのこだわりがあるらしい。

「それを言うなら俺だって自分から意図して声をかけたんだからいっしょだろ?」

「違うよ。確かに自ら声をかけたというのは確かに僕の理想とはそぐわないけど、草波君の席は書取さんのすぐ後ろだというのを忘れてないかい。その時点で草波君は運命という名のシチュエーションにどっぷり浸かっているんだよ」

「はあ、そうやって待ってるだけの人生なんて寂しすぎないか? 夢見るお姫様じゃあるまいし」

「待つのも楽しみの内さ。まあ、十年後同じセリフを吐けるとは思えないけどね。思春期故の夢みたいな」

「そっか。俺はキヨミンならあると思うぞ。その運命の出会いって奴が」

 俺や牧広源を助けたりと自分の徳にもならない事に色々と尽力してくれた。そんな人間にこそ運命が訪れるものだ。

「ありがとう。なんだか自信がついたよ」

 そう言ってキヨミンは笑った。



 九々露にある一角の場所。

 建物に囲まれたその場所は建物に日の光が遮られ、昼間だというのに夜のように暗い。その路地裏で逆宮椋呂が体を激しく振動させつつ誰かと会話をしていた。

「……それでいつ頃…………わかり……ではこの辺りで一番………………」

 しかし、声は椋呂のみで周りには誰もいない。携帯電話などの通信装置も椋呂は持っていなかった。

 それでも椋呂は一人言で会話をし続ける。会話が途切れると同時に振動もピタリと止まる。

「ふぅ、しかしあの方と話をするのはなかなか疲れますね。頭に直接響くものですからたまったものじゃありませんよ。……この辺りで一番高い所ですか。だったらあのビルがよさそうですね」

 路地裏を進み大通りに出ると、そこから見える高いビルを見つめる。

 この町のどこからも見え、ほかのビルより頭五つは抜き出た高層ビル。この町、いや県で比較しても一番高い建物だろう。

「ではさっそく準備しなければ……そういえば、彼らがどこの誰だかも知りませんでしたね。見た目からいって高校生ぐらいでしょうから、まずはその辺りから調べますか」

 そう呟いて歩き出そうとするが、何かを思いついたように足を止める。

「そういえばあの方とは…………いえ、詮無き考えでしたね」

 椋呂はふと気になった考えを止め再び歩き始めた。



「……来ないな」

「そうね」

「名前何て言ってたっけ?」

「逆宮椋呂でしょ」

 また来ると言っていたので、すぐに来るとだろうと思っていたが、逆宮椋呂との遭遇から五日過ぎたが一向に姿を現さない。

「一週間も経つと殺されかけた相手なのに名前も思い出せなくなるな」

「どれだけ図太いのよあなたは」

「まあ、冗談はともかくとして。来ないならそれに越した事はないわけだし」

「私は絶対来ると思うわよ。ようやく探し物が見つかったってなんて言ってたから」

「だよなー」

 さすがにこのままほっとかれたままというのは有り得ないだろう。

「もしかして私達がどこにいるかわからないとか?」

「可能性はあるな」

 こっちは名前も言わなかったし、あの時は私服だったから特定できるもの身に付けていなかったはずだ。

「だったらもうこっちから探すか? このままだとあのナンパ男達みたいに犠牲者が出るかも」

 ニュースでその事をやっていなかったので、あのナンパ男達の両親から被害届が出されて警察がどう捜索してどう扱ったかわからないが、恐らく男達の遺体が出てくる事はないだろうなと思った。

 そんな死んでいると決まっている行方不明者が続出したらと想像するだけで胸くそ悪くなってくる。

「あんな人達ならどれだけ死んでも構わないけど……帰りに繁華街でも寄ってみましょうか」

 よっぽどしつこいナンパだったのか酷いセリフを吐く書取だが、さすがに見知らぬ人間に被害が及ぶのは気の毒に思ったのだろう。そんな提案をしてくる。

「そうだな。それにしてもうまそうな弁当だな」

 購買で買ったパンを食べ終わると、腹七分目しか膨らまず少し物足りなかった。そこにちょうど書取の食べている弁当が目に入る。

 ちなみに今までの会話は俺と書取は机を向かい合わせて座り、昼食を食べながらの会話だ。

「その弁当も鳴が作ったのか?」

「そうよ。私は料理が全くできないから……食べる?」

 書取は俺が待っていた言葉を言ってくれる。

「くれるのか。あー、でも箸がないな」

 こっちはパンだったので購買のおばちゃんは割り箸を袋に入れてくれなかった。

 こうなったら行儀は悪いが手で掴んでしまおうと考える。なぜかそこまでしても無性に食べたかった。

「……いい方法があるわ」

 閃いたとばかりに書取はたまご焼きを一つ箸で掴む。

「あ~~~~ん」

 書取が古来伝統奥義を繰り出してくる。しかもいつものクールな声ではなく、砂糖よりも甘い声で。

(どうする どうすればいい俺)

 うまそうな鳴のたまご焼きと羞恥心の葛藤で動けずにいる。その間にもたまご焼きはどんどんと口に迫ってきて……

 ズゴムッ!

 口の中に捻じ込まれる。

「んっっ、ぐうっ、ん~~~~~~~~~~っ!」

 しかもそのまま箸ごと口の奥に突っ込まれる。喉が苦しくなって吐き気を催し、呼吸もままならない。甘い声とは裏腹に情熱余りある食べさせ方だった。

 喉の限界直前で書取が箸を引き、喉の中をたまご焼きが通り過ぎていく。

「おいしい?」

 吐き気を堪えるのが精一杯で書取に返事ができずにいる。

「んごっ、んっ、んぐっ……はぁ、はぁ、はぁ、食べきった」

 何とかリバースせずにたまご焼きを飲み込む事に成功する。

「おいしい?」

「あんな喉の奥まで入れられて味なんてわかるはずないだろうが!」

 あやうく殺されかけたので文句の一つも出てくる。周りを見てみると幸い今のシーンは誰にも見られていなかったようだ。

「…………」

 今の返答に不満だったのか書取は別のおかずを箸で掴む。たまご焼きはさっきで最後なので今度はミートボールを箸で掴んでいる。

「あ~~~~~~」

「ストップ」

 ミートボールの進行を手を出して遮る。また口の奧に突っ込まれては堪らない。

「箸を貸せ」

 一度ミートボールを弁当箱に戻してから書取の箸を奪いミートボールを口に入れる。レンジでチンする冷凍食品ではなく手作りの味がした。ミートボールについているタレがまた文句なしにうまい。

「やっぱり、何度食べても鳴の料理はうまいな」

 書取といっしょに帰る事になってから、晩ごはんを鳴宅にお呼ばれされるのが通例となってしまっていた。経緯はこうだ。


 マンションまで書取を送って自分のアパートに帰ろうとする→書取に部屋まで来てと誘われる→年頃の女の子に部屋に誘われるなんてと淡い期待をする→しかも部屋へ誘う時の書取の無口っぷりというか恥ずかしそうな表情がさらに期待度を上げる→書取をどうこうするつもりはないけど……ないけど男としてここは受けねばなるまいと考えてしまう→内なる奥義自己完結で結論を出し書取の部屋にお邪魔する→なぜか部屋の中から食欲をそそる匂いが漂ってくる→書取の部屋にはなぜか鳴がいて、せっかく来たのだから夕食を食べていってくれと誘われる→元々、書取もそういう魂胆で部屋に誘ったのだと気づく→内心かなりがっくりする→でも店屋物やコンビニ弁当にはもう飽きていたので喜んで食べていく→この件の片が付くまでここで夕飯を食べていってくれという鳴の申し出を快く受ける。


 女性二人だと何かと物騒だからと鳴は言っていたが、絶対俺より鳴達の方が強いし間違いなく頼りになる。でも、ご飯がうまいのでそこの所は黙っておく。

 さすがに毎日晩ご飯をご馳走になるのは悪いと思い、少ないがお金を払うと提案したが断られてしまう。

 その理由は「これからよき隣人になるのだから、そんなの気にしなくてもいい」との事だ。

 別に俺は隣人ではないので言ってる意味は俺にはわからなかったが、これからも書取と仲良くしてくれという意味だと勝手に思っておいた。

「このままだと鳴の料理を食べ続けないと生きていけなくなる気がする」

 そう口にしてしまうほど現在病みつきになってしまっていた。そこまで家庭料理に飢えていたのだろうか。

「……餌付けは順調のようね」

「え、何か言ったか?」

「別に」

 書取は素知らぬ顔で弁当に箸を伸ばす。

「前から聞きたかったんだけど、書取と鳴ってどういう関係なんだ?」

 二人を見た時から疑問に思っていた。互いに美人という所以外は容姿は似ていないし、名字も違う。そもそも鳴はどう見ても異国のお人だ。

「拾われたのよ」

「拾われた?」

 その瞬間、ダンボールの中で幼い書取が三角座りしながら涙目でにゃーにゃー鳴く姿を思い浮かべ、無性に書取を抱きしめたい衝動に駆られるがギリギリ我慢する。

「ずっと閉じ込められていたの。いつからなんて忘れてしまうほど昔から。でもそこに鳴が突然現れて、私を外の世界に連れ出してくれたの。鳴はいっしょに来るかと手を差し伸べてくれて……私はその手を握ったわ」

 閉じ込められていたとかあからさまに物騒で、もしかしたら気軽に聞いてはいけない話じゃなかったのかもしれない。

「あー……悪い。言いたくないなら言わなくていい」

「別に。ただ、どう説明したらいいかわからないだけよ。私はあの小さな世界でただ息をしていただけだから。詳しい話が知りたかったら鳴に聞いて。多分私より事情を知っているはずよ。私は興味がなかったから今まで聞かなかったけど」

 書取は本当に気にしていないのかあっけらかんと答えていた。

「でも、ずっと閉じ込められていたんだろ。その……辛くなかったのか?」

 話を聞いている内に感傷的になったのか少し同情めいた言葉が出る。

「辛い? ……最初はあったかもしれないわね。でもすぐにそんな気持ちも起きなくなったわ。そこにずっといて段々わかってきたの。私はここでは必要とされない。見たくもない気味が悪い存在なんだって」

「……」

(きっと書取は心が潰される前に無意識に感情を切ったのかもな)

 書取の話を聞きてそんな風に思う。書取が自分の過去に余り興味がないのもその影響があるかもしれない。

(やっぱ、鳴さんに詳しい話を聞いておいた方がいいな)

 何が書取を傷つけるかわからない。下手に傷口を広げる前に事情を知って正しい対処方法を身に付けておきたい。

「今夜にでもさっそく聞いてみるか」

 今夜の予定を決定したのだった。


 放課後、俺も書取も帰宅部なので後は帰るだけなのだが、今日は昼休みに言っていた通り、逆宮椋呂を探し出す為、繁華街を軽く回ってから書取をマンションに送ろうと考えていた。都会とは呼べない一地方にあるものの。あの特殊な繁華街効果か、あそこの人口密集度だけは平日でも都会にも遜色がない。そう簡単にお目当ての人物が見つかるとは思っていなかった。

 しかし、それは杞憂に終わる。なぜならお目当ての人物が校門の前で待っていたからだ。

「お待たせしました。約束通り会いに来ましたよ」

 校門の前で逆宮椋呂が声をかけてくる。俺は反射的に書取を後ろに庇い、書取は俺が邪魔で椋呂見えないのか肩越しにひょっこり顔を出す形で椋呂と相対する。

「いえいえ、こんな所では戦いませんよ。それくらいの常識はあるつもりです」

「だったら何の用だ?」

 椋呂の動きに警戒しつつ慎重に質問する。

「戦う場所を用意したので、招待をしに来ました」

「戦う場所?」

「場所は九々露タワーの屋上。この街で一番高いビルといえばわかりやすいですか。あそこに見えるビルです」

 椋呂が指さす先に大きなビルが見える。この街のどこにいても見え、この町唯一の超高層ビルだ。

「時間は今夜零時。ちなみに遅刻、もしくは来なかったり逃げたりした場合は次の日からこの学校の生徒を日ごとに一人ずつ殺していきますので、それでもよければどうぞ逃げてください。程々殺して待ちぼうけさせられた気晴らしをしたら、またあなた達を探しに行きます」

 気軽な罰ゲームを説明するように淡々と話す。

(平然とむかつく発言しやがるんだこの野郎!)

三十人殺すということは一ヶ月は猶予をやるという事だが、他人の命より自分の命が大切ならどうぞご自由にという舐めた態度がまた腹立つ。

「ではお待ちしております」

 椋呂は踵を返しその場から離れていく。あまりの出来事と言い分に何も言い返せず、椋呂の姿が見えなくなるまで黙って見送る形になってしまった。

「よかったじゃない。探す手間が省けたわ」

 後ろにいたはずの書取がいつの間にか俺の前に立っていた。

「そうだな……」

 どうやら俺も書取のおまけとして行っていいみたいだ。でなければ邪魔になりそうな俺をさっさと殺して排除しようと考えているのかもしれない。

(俺の力って他人から見るとわかりにくい力だしな。けど、似た力を持っているせいか、椋呂の奴も俺に対して思う所があるみたいだ)

 椋呂がなぜ自分と似た力を持つ人間を探しているのかわからないが、目的が書取なら降参すればとりあえず書取が殺される事はないと思う。殺したら探していた意味もなくなるのだから。 でも、あいつの印象からしてうっかり殺してしまっても「殺っちゃった。でもまあいいですか。次がんばりましょう。ドンマイドンマイ」とか言って気にしなさそうだし……

「とにかく、今夜零時か」

 覚悟と気合いを入れる。

 やる事は決まった。できれば書取を決戦の場に行かせたくないが、きっと書取も俺同様覚悟しているはずだ。そもそも椋呂は自分を狙っているというのにそれを黙って傍観するはずがない。前回の椋呂との遭遇戦からもそれがわかる……後は運だな。

「書取、怖いなら来なくてもいいぞ」

 試しに言ってみるが、書取はきっとこう答えるだろう。

「こっちのセリフよ。怖いのなら私が守ってあげてもいいわ」

「はあ、そういうと思ったよ」

 二人でほくそ笑む。

 話し始めてたった一週間でこんなに書取と打ち溶け合えるとは思っていなかったが、書取との頼り頼られる関係は心地がよく感じる。

「悪いけどちょっと武器取ってくるから先に帰っててくれ。後でマンションに行くから」

「武器?」

「あの篭手じゃ前の二の舞だろうし。最初のうちは持ち歩いていたんだけど……全然来ないから家に置いてきた物があるんだ」

 あのまま戦いにならなくてホッとしている。

「じゃあ、後で」

「こっちに来たら勝手に部屋に入って構わないわよ」

「わかった」

 急いでアパートに向かう。書取は俺の姿が見えなくなるまでじっとこっちを見ていた。


 アパートに着くと、机の上に置きっぱなしなっている紙袋に包まれた特大焼き芋ほどの大きさ物を取ると、急ぎ書取のマンションに向かう。

 マンションに到着し、502号室のドアをノックする。さすがに鳴と違ってノックもせずに勝手に部屋へ入る真似はしないが。

 だが、それは杞憂ですぐにドアが開き書取が出てくる。

「入って」

「あのな。開ける前に誰が来たのかぐらい確認しろ」

 呆れながら書取に注意する。書取は制服ではなく私服に着替えていた。

「平気よ。鳴と共李以外誰もここに来た事がないもの」

「あ、そう」

 部屋の中に入ると肉の焼けるいい匂いがする。

(……来る度いつも鳴さんが料理しているな)

 そういえば仕事をしている姿を見た事がない。在宅勤務な仕事をしているのだろうか。もしくは親が金持ちで自宅警備をしている可能性もある。見た目はできる女なのでそれはあり得なさそうだが。

 そんな考えを巡らせていると鳴が顔を出す。

「来たか。時雨から話は聞いたぞ。決戦を前に今日は腕によりをかけるつもりだ。最後の食事になるかもしれないからな」

「……縁起でもない事言わないでください」

 それと鳴は手伝ってはくれないんだなと内心がっかりする。別にタイマンするわけではないし、戦力は多いに越したことはない。書取の戦いは鉛筆を使った特殊なモノだが、その動きは素人ではなく、戦い慣れた動きだった。

 恐らく教えたのは鳴で、当然教えたからには書取より強いはずだ。

(まっ、それでもやるけどね)

 戦力が足りなかろうが、それはもう決めたことだ。

 

 腕によりをかけると言った鳴の料理はいつもより豪勢な顔ぶれの料理が食卓に並べられたが、それを見てると本当に最後の晩餐気分になってくる。

 それらを全て平らげて、約束の時間まで居間にあるソファーに座わって、くつろごうと思うのだが、緊張しているのか何だか落ち着かない。

(これから命懸けで戦うのだから緊張しない方がおかしいよな)

 書取は食事を済ませるとさっさと自室に籠もってしまった。恐らくテレビを見ているのだと思うが、別に書取の邪魔をするつもりもないので、こうして一人で座っているわけだ。

「緊張しているのか?」

 今日は特別だと言って、代わりに皿洗いをしていた鳴が洗い終わったのか俺に声をかけてくる。

「当然といえば当然なんですけどね」

 さっきから心臓の跳ね上がる音が体に響き続けている。別の事を考えたり、深呼吸したりもするが動機が収まらない。

「それなら私が話し相手になろう。誰かと話をしていた方が気も紛れる」

 鳴が俺の横に座る。

「だったら、書取の方をお願いしていいですか」

 書取だって絶対緊張しているはずだ。

「時雨なら心配はいらないさ。見たい番組があったから部屋に籠もっただけだろう」

「でもテレビだったらここにも……」

 このリビングにもちゃんとテレビはある。

「集中して見たいのさ。私といっしょに見ている時はテレビに集中しきれてないようだしな。楽しみの邪魔をする方が野暮ってものだろう」

「そうですか」

(あれ? でも俺と見ていた時はこっちの声が聞こえないほど集中していたよな?)

 もしかしてあれよりさらに集中して見ているのだろうか。

「それで、共李は逆宮椋呂をどうするつもりだ?」

「どうするって、戦いますけど」

「そうじゃない。私が聞いているのは結果をどうするかだ。この(いさか)いをどう終わらせる?」

 そう、これは喧嘩じゃない。殴り合って倒すだけでは決して解決しない。今回の敵、逆宮椋呂の目的は書取を捕まえる事、もしくは似た力の持ち主同士で戦うのが目的かもしれないが、どちらも書取に危険が及ぶ。ならばどうするか……

「俺は……最悪あいつを殺すつもりです」

 できればそんな事はしたくないが、椋呂が決して諦めず、向かってくるのならこの方法しかない。

「書取にもその覚悟があるのはわかってます。けど、できれば俺が……」

 偽善かもしれないが、書取に人殺しをさせたくない。

「そうか。その覚悟があるなら私から何も言わない。時雨も自分の居場所を守る為に命をかけて戦うだろうしな」

「居場所を守る?」

「今この時この場所、五年前まで手に入らなかった人として必要とされる場所だ。時雨はそれを守る為なら命懸けで戦うだろう。時雨と出会って二年経ったが、最初の頃と比べると随分人らしくなった。共李と出会ってからは更にいい表情をするようになったものだ。それだけに共李の存在は時雨にとって必要なものなのだろうな。何せ初めてできた友達だ」

 それを聞いて、昼に書取が言っていた拾われた話を思い出す。

「書取は鳴さんが自分を拾ってくれたと言ってましたけど、どういう事ですか? 書取は知りたかったら鳴さんに聞けって言ってくれましたけど」

 これから一緒に命を賭けた戦いに行くせいなのかわからないが、無性にもっと書取の事が知りたくなる。これはまだ心の奥底では書取を信用しきれていない表れなのかもしれない。

「別に大した話ではないが……いいだろう。時間潰しと気晴らしにはなるかもしれんな」

 そう言って鳴は書取と出会った時の事を話をする。


 五年ほど前、風の向くまま気の向くままに過ごしていた鳴が日本に駐在していた時、ある話が耳に入ってきた。地方の名家で不思議な力を持った子供が生まれ、その子供の親達はその子供を気味悪がり、監禁しているという話だ。

 退屈と暇を持て余していたのに加えて、なぜかその話が妙に気になってしまったのでその子供を監禁しているという家に行く事にした。鳴はそういう奇っ怪な事件に首を突っ込む、私立探偵みたいな仕事をしていると本人は言っており、鳴はその家に訪れた。

 そこは田舎と呼ぶに相応しい名物も何もない村で、コンクリートで建てられた家より木造の家の方が多く、その家々の数倍の田畑が広がっていた。この全ての土地がこれから行く名家の持ち物であり、住んでいる者達は昔ながらその家に仕えている者達らしい。山を越えた先に鳴がここに来る前に訪れた交通機関のある小さな町もあるが、そこもその名家が地主でこの辺りの支配者と言っても過言ではない影響力を持っていた。

 その名家を訪れる為、村を抜け最低限舗装された一本道を進む。電灯も付いていない真っ暗な夜道を鳴は明かりも点けず進んでいくと、次第に大きな武家屋敷が見えてくる。

「たのもー」

 名家といわれるだけあって立派な門構えの門を鳴が容赦なくドンドンと強く叩く。

 すぐ横にインターフォンが設置されていたが、暗くて目につかないのか鳴は門を叩き続ける。 すると門に付いている覗き窓が開き、その中から四十代ほど年食った家政婦らしい女性が顔を覗かせる。家政婦はインターフォンで逆に呼びかけていたが、門を叩く音が煩く鳴の耳に聞こえていないようだったので、仕方なく直接応対したのだった。

「すまないが少し聞きたい事があるのだが……」

 鳴が開いた小窓に顔を寄せる。家政婦は赤い髪と日本人ではない容姿をした女性の突然の来訪に戸惑うが、鳴の流暢な日本語を聞き、言葉の壁がないのに少し安心する。

「私でわかる事でしたら」

「ここに監禁されている子供がいると聞いたのだが、それは事実か?」

 鳴は直球で家政婦に質問する。

「そっ、そのような事は存じ上げません! しっ、失礼します」

 家政婦が慌てて小窓を閉めようとするが、鳴が閉じようとする小窓に手を入れ、それを遮る。その細い体のどこにそんな力があるのか、肉感的には断然家政婦が上に見えるのだが、家政婦がどんなに力を入れても小窓はぴくりとも動かなかった。

「その慌てようからするに事実のようだな」

「な…ななっ…何の事でございますか。そんな根も葉もない話をされましても……記憶にございませんし、私はただの家政婦ですので」

「ならば家主に聞くとしようか」

小窓から手を離すと家政婦が力を込めていた分勢いよく小窓が閉まる。家政婦がほっと一息つくと……門が爆発した。

 正確には爆発したと錯覚するほどの衝撃で門が粉砕されたのだが、家政婦が恐る恐る音のした方を確認すると、門が破壊され人が通れるほどの穴が空き、その穴から鳴が屋敷の中へ入ってくる。

 家政婦は鳴に恐怖しつつも仕事を全うしようと困りますやら警察を呼びますよやら喧しく言ってくるが、鳴は気にも止めず園庭を抜け、屋敷の玄関を開け、土足でズカズカと上がり込む。 そのまま一直線に廊下を進むと襖が立ち塞がり、その襖を開けると、その先の和室にはいかにも偉そうな感じの恰幅のいい中年男とその連れ合いと思われる長い黒髪に線の細い女性、とこれまた中年男よりさらに偉そうなヤクザの親分な風貌の爺さんがいた。

「誰だ貴様は ここをどこだと思ってる。貴様如きが立ち入っていい場所ではない」

 中年男は突然入ってきた鳴に近づき神経を逆なでさせる声で喚きたててくる。それを煩わしく思った鳴は中年男の腹に一発拳を入れて黙らせ、加えて動けなくする。

「監禁している人物に会いたいがどこにいる?」

 鳴はいきなりの暴力と命令口調で問いかける。

「あれと会ってどうするつもりだ?」

 呼吸困難で話せない中年の男に代わって爺さんが答える。

「それは会ってから決める」

「あっちの離れ座敷にいる。勝手に行きな。ただし絶対外に出すんじゃねえぞ。あんな化け物、生かしているだけでも感謝してほしいもんだ」

 そう言って爺さんは今来た方向より更に奥を指差す。

 部屋を出て、指差された方向に歩いていくと外に続く通路に出るが、土足で入ったので構わずまっすぐ進む。

 それからしばらく木々囲まれた道を歩くと、爺さんが言っていた離れ座敷は見えてくる。

 暗い山々の影に覆われ、その中に飲み込まれるようにそれは建っていた。

 近くまで寄ってみると座敷はずっと放置されたままというわけではなく、清掃をした跡と人が行き来されている形跡があった。

 中に入ってみると明かりはなく、月明かりさえ通っていないそこは漆黒が広がり、自分の手さえ顔に寄せないと見えにくいほどだ。

 周囲に気を配りながらも鳴は一歩一歩と進むと離れの中心に来た所で暗闇しか見えない視界の中に白いものがぼんやりと見えてくる。

「……あれか?」

 それに近づいていくと、白いものが段々と蹲っている人型へと形作っていき、呼吸をする度に微かに上下しているので生き物ではあるようだが、その白い生き物はこちらに気づいていないのか鳴に対し何の反応も示さない。

 目の前まで辿り着くと顔を近づける。鼻先が当たりそうなほど近くにだ。そこでやっとその正体が白い着物を着た黒髪を伸びに伸ばした人間だとわかる。目を閉じているのか目の付いているはずの部分も暗い。いや、伸びた前髪で顔が隠れているせいかもしれない。

「しかし、こんなに接近してるというのに全然反応がないな」

 前髪を掻き分けて指で顔に触れてみてもやはり反応がなく、あったのはお風呂にもまったく入っていないのかザラザラとした肌の感触だけだった。しかし、この感触と体温の暖かさが確かにこの物体が人だと物語っていた。

 その時、前髪の奥から二つの光が現れる。目だ……この人間の目が開きこちらを覗き見ている。

「……ダ………レ…………?」

 その声は女というより少女の声だったが、随分と長い間口を開いていなかったのか掠れた声を出す。

「私か? 私は雪城鳴という者だ。君の名前は?」

「ナ? ……ナ…マ…エ……ナ……ニィ…?」

「ななまえなにぃ? 七前ナニィか? 随分と日本人離れした名前だが……もしかして私の言葉を理解できていないのか?」

 いったいいつからここにいるのだろう。この暗さと外見からでは推定年齢もわからない。鳴は前髪を真ん中から分け開き顔を見ようとする。

 相手は怯えたように体を少し震わせるが一歩も動かなかったので、了解を得たと思い、そのまま前髪をどかす。

「ほう」

 髪をどかしたその先にはカサカサに荒れた肌だが、あどけなさが少し残る美少女と呼ぶにふさわしい容姿の女の子がいた。

「身体的には問題ないな」

 身体の一部が奇怪な形に変体し、迫害を受けたりする人間もいるが、この少女にはその様子はない。

「だとしたら何が原因で……」

 理由を聞こうにもこの子は言葉を話せないようなので、だったらここに閉じ込めた彼らに聞いた方が早いと思い、鳴は一旦引き返した。


「なぜあの子を閉じ込めた?」

 さっき腹を殴って気絶させた中年男は意識を取り戻し、鳴を睨みつけてくるが鳴は視界にすら入れていない。中年男も睨むだけでつっかかったりはしてこなかった。つっかかった所でどうなるかはぐらいの理性は残っていたのだろう。

 鳴が尋ねたのはこの家で一番偉いであろう爺さんだ。その爺さんが渋々口を開く。

「あれは一応ワシの孫でな。こいつらの子でもある」

 横にいる中年夫妻に親指をくいっと指す。

「わしらも最初は普通の子だと思っていた。あれが三つの時、初めて鉛筆を持たせた時までな。そいつは初めて鉛筆を握るにもかかわらず速く正確に文字を書いた。まるでパソコンで表記される文字のように正確に精巧に文字をな。最初は驚いたもんさ。もしかしたらこの子は天才かもしれないと。しかし、どこにでも文字を書き、鉛筆で紙の下のテーブルも切ってしまうその子が気味悪くなってきてな……もしかしたら天才などではなく化け物ではないかとそう思い始めた。だが、化け物と言えど孫を殺すのは忍びなくてな。ああやって離れに隔離して生かしておるのだよ。わかったのならさっさと帰れ!」

 随分と手前勝手な話をする爺さん。横の二人からもその子に対して怯えの表情を浮かべているにこの爺さんと同意見なのだろう。鳴は目を瞑り黙考すると……

「わかった。ならば私が連れて行こう」

 鳴は爺さんに目の前まで一瞬で接近すると、ノーモーションで爺さんを殴り飛ばす。爺さんは捻れ込みながらも綺麗な弧を描き襖に激突して動かなくなる。

 そして今度は中年男まで霞む速度で移動し蹴りでぶっ飛ばす。この手の頑固な連中は口論しても時間の無駄だと思っているのだろうか、鳴は無慈悲に少し怒り混じりに拳を振るう。

 最後に残った中年男の連れ添いの女性には逃げても無駄と言わんばかりにゆっくりと近づいていく。その女性は何が起こっているのかわからず呆然と鳴の接近を許している。

「殴る前に聞いておく。あの子の名前は何だ?」

「……名前?」

 女は小さく何度も深呼吸して自身を落ち着かせ、鳴の言っている言葉の意味を理解しようする。

「そうだ。名付けてはいるだろ」

 生まれた後はどうあれ子に名前をつけない親などいない。女は鳴がこれからどうするのか理解したのか。怯えるのをやめ、はっきりと答える。

「時雨です。時折降る雨と書いて時雨です」

「時雨か。いい名前だ。その名だけもらっていく」

 女は覚悟を決めたように目を閉じる。

「こんな事を言う資格は私にないですけど、あの子をよろしくお願いします」

 殴り飛ばす。気のせいかもしれないが、他の男達よりは殴り加減はソフトだったかもしれない。それでも襖に激突するほど吹っ飛ばすのは変わりないのだが。

 あの女はただ心が弱かっただけなのかもしれない。逃げ出すことも反発することもできず、自分の娘が閉じ込められた時も見ている事しかできなかった。ただ心が弱かったそれだけだった。

 それに鳴も気づいていたので本当は殴るつもりはなかったのだが、女は罰が欲しかった。だから目を閉じ覚悟した。鳴はそれに応え殴った。

 先ほどの離れ座敷にまた引き返す。時雨という名の少女はさっきと同じ体勢のまま目は開いていたが、そこから逃げだそうと動いた様子はない。そんな時雨に鳴は手を差し伸べる。

「時雨、私といっしょに来るか?」

 時雨は鳴の顔と手を目線のみで交互に見つめる。

「外に出たくないか? こんな暗闇しかない場所ではなく、昔のように日の当たる場所に。そこにはその瞳を輝かせる楽しみが幾らでも転がっているぞ」

 戸が開いて外が見える場所を指差す。時雨がその指に誘導されるように開いた戸から見える外界に目を向ける。

「…………そと…………そら………たい…よう」

 ふらふらとうまく立ち上がれないのか。這ってゆっくりゆっくりと外に向かって進む。途中、体を支える腕に力が入らなくなったのか、手を滑らせかなりいい音で頭を床にぶつける。

「……い…た…」

 それでもまだ進もうとする時雨を鳴が片手でひょいと持ち上げる。

「本当は手をとって欲しかったんだがな。だが、時雨の気持ちはわかった。ならばこれからは私がお前の育て親になろう」

 時雨には鳴が何を言っているのか理解できていなかったかもしれないが、鳴の気持ちが通じたのか時雨は鳴に体を預け、安らかに顔をして目を閉じ眠った。時雨を片手で抱えたまま鳴は離れ座敷の外に出る。その時が、時雨の本当の意味での人生の始まりだった。

 ちなみに知らぬ存ぜぬしていたあの家政婦にも忘れず蹴りを入れてぶっ飛ばしておいた。


「とまぁ、これが時雨との出会いと育てる事になった経緯なわけだが……」

 鳴の過去話が終わり、そんな二人の出会いを聞いて言葉を失う。だけどそれは書取にそんな過去があったなんて……ではなく、鳴が気に入らなければ老若男女構わずぶっ飛ばすアグレッシブな怖い御方だったなんてだ。そっちの方がかなり衝撃的事実だった。

 ちなみに今の過去の映像は鳴の話を元にイメージした俺の脳内劇場だったので多少誇張した所があるせいかもしれないが……

 書取の過去ももちろん衝撃ではあった。ちょっと人として異能の力があったというだけで家族に人だと思われなかった書取に鳴と同様の怒りを感じている。さすがにそんな暴れっぷりは発揮しないが。

「実際はそこからが大変だった。書取の弱りきった体を回復させたり、言葉を教えたり、まるで子育て気分だったな。ちなみに苗字は私が考えた。時雨にぴったりないい苗字だろ」

 鳴は育成情景を思い出しているのか楽しげに笑う。大変だったかもしれないが、充実した楽しい時間だったようだ。

「でも、言葉も満足に話せない頃から閉じ込められてたのに、俺達と変わらず勉強できるなんて」

 通常の倍のスピードで教育課程を終えた事になる。

「時雨は元々が利口だったからな。紙が水を吸うように覚えていったよ。それに時雨は人あって人ではない存在だ。一般常識で当てはめるのはどうかと思うが」

 だが、俺はこの力に目覚めた後、特に成績が上がる事はなかった。『動詞達人』うんぬんは関係なく、単純に書取の頭がよかっただけだろう。

「ほかには普通の人より何倍もテレビにかじりついていたからとも考えられるが」

「それだ!」

 反射的に同意してしまう。

「二人してなに盛り上がってるのよ」

 鳴と長々と話していたら、書取が部屋から出てくる。

「私と時雨の出会った話していた所だ」

「そう、今思えば出会った後は大変だったわ」

(鳴と同じ事を言ってるな)

「食べ物残したり、特訓をサボればすごい折檻の嵐が……」

 なかなかのスパルタ教育ぶりだったようだ。

「あそこから出たのを後悔してるか?」

 鳴が書取に尋ねる。

「それは……感謝してる」

 そう言った書取の顔は赤くなっていた。その顔と言葉には鳴に対する感謝と信愛が含まれていた。

「そうか、ならばとっとやる事済ませて帰ってこい。この世界にはテレビより楽しい事がまだまだ転がっているぞ。死ぬにはまだまだ惜しすぎるほどな」

「そうだな。こんな所で死ねないよな」

 鳴に同意する。

「いや、テレビより面白いものなんてこの世に絶対ないから」

 書取はきっぱりと言い放った。

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