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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

九十九里Sea side BOYS

作者: アザとー

「海を見に行こう」

 拓人がそう言いだしたのは午後も遅くなって、すでに夕方に近い時間になってからのことだった。

 海沿いのこの街は夕方になれば海からの風が強く吹いて寒い。建物に守られていてもこの寒さなのだから、吹き晒しの海岸はどれほど寒いことか……

「明日にしようよ」

 断りの言葉を口にした俺に、この日の拓人は強情だった。

「いやだ。今すぐ、海が見たいんだ」

 拓人は県外の名門高校に進学が決まっていて、4月になればこの街を離れる。卒業式も間近なこの季節に、これは、拓人の最後のわがままかもしれないと……そう思うと断りきれるわけがなかった。

「わかったよ、だったら逆にさっさと行って、さっさと帰って来よう」

 俺が鞄を掴んで立ち上がると、拓人は嬉しそうに背筋をぴょんと伸ばす。

「うん!」

「ったく、このクソ寒いのに海とか、わけわかんねえ」

「いいじゃん! どうせこの街には海しかないんだし」

 ちりり、と体のどこかが焦げる気がした。

 俺と拓人が育ったこの街は漁師町で、遊泳のできるビーチはあるが、それは海街のおまけ程度のちんまりした海岸なのだから観光で栄えているようなこともない。テトラポッドで埋められた護岸と岩場が連なるだけの寂しげな風景が俺たちのいうところの『海』なのだ。

 だから俺は、校門を出たところで一度立ち止まって聞いた。

「なあ、お前がこの街を出るのは、ここが田舎だからか?」

「やだなあ、そういう理由だったら東京の高校を狙うよ」

「それはそうか……」

「いいから、ほら、早く行こうよ!」

 子犬のようなしぐさで俺の背後に回り込んで、拓人は背中を押してくれる。

「お、おい、自分で歩けるから、やめろって!」

 その手を慌てて押し返したが、この距離感は嫌いじゃない。

 子犬と飼い主――ずしずしと乱暴に歩く俺の二、三歩後ろを拓人が小走りについてくる。

「ねえ、灯台公園まで行こうよ!」

「は? やだよ、寒いのに」

「ちぇ~、けち~」

 少し声を張り上げての会話。そう、俺たちは今までどれくらいこうした無為な時間を積み重ねてきただろう。

 そう思うと、飛び切り不機嫌な声音が口をついてでた。

「俺は、ずっとこうしてお前と一緒にいられると思ってたんだけどな」

「え? なに?」

「別に……なんでもねえよ」

 後は無言だった。

 子犬のようにぴょこぴょこした足取りでついてくる拓人と、不機嫌で足早な俺。少し坂になった道をただ海に向かって……

 民家の軒の切れ目から、コンクリートに固められた護岸と冷たい青色に陽の光を受けて輝いている海の、ほんのひとかけらが見えた。

「……俺は、高校を卒業したら家を継ごうかと思っているんだ」

「え? お兄さんに継いでもらうんじゃなくて?」

 心底驚ききったような声だった。拓人にしては珍しい、狼狽しきった声。

「いや、それは困るよ。僕の華麗な計画が……」

「計画?」

「あ、いや、それは海についたら話すよ。それより、お兄さんはそれでいいって?」

「いや、兄貴にはまだ言ってない。けどさ、兄貴は北高に入れるくらい頭がいいんだぞ、大学にだって行けるはずなんだ」

「ああ、ゆうちゃん南高だもんね。それであきらめちゃったんだ?」

「あきらめたっていうか……誰がどう考えてもそうなるだろう?」

「ゆうちゃん、若いのにつまんないね~」

「悪かったな」

 海はもうすぐそこだ。会話の途切れた一瞬を、潮騒の音が埋める。

「……僕のことも……あきらめちゃうんだね?」

「は、なに?」

「ん~ん、なんでもない~。あ、ほら、海だ!」

 拓人は駆けだし、僕の横をすり抜けて護岸の上にピョンと飛び乗った。その向こうの、不規則かつ整然と積まれたテトラポッドに飛び移って俺を振り見る。

「ねえ、ゆうちゃんもこっちにおいでよ~」

「やだよ、それでなくても寒いのに」

「そうやってめんどくさがりなところさ、子供のころから変わってないよね」

「お前こそ行動が子供っぽくて……いつまでもガキのまんまじゃねえかよ」

「お互いさまっ!」

 もう一つ向こうのテトラポッドへと飛び移る拓人に手を伸ばしかけたのは、寂寥?

「……なあ、本当にこの街を出て行くつもりなのか?」

「『つもり』っていうか、もう決定しちゃったことだし?」

「勝手だよな、俺には一言の相談もなしでさあ」

 ここ数か月、そのことばかりを考えていた。

 いや、正確に言えば『考えようとしていた』か……しかし思考はいつでも停止する。だから堂々巡りを繰り返す。

「考えられないんだよ。お前がこの街にいないなんて、さ」

 俺と拓人は、そのぐらいにいつでも一緒だった。

 幼稚園のころから拓人は小柄で、女の子のような見てくれだったのだから男子のからかいの格好の的だった。だから俺の役割は『騎士ナイト』――つまりそういう連中を拳で黙らせることだったのだ。

 そのせいで俺には早くから『不良』のレッテルが貼られた。

「というか、俺がいなくて大丈夫なのかよ、お前は」

「ん、どういう意味で?」

「いじめられたりしたら……自分で戦えないだろ」

 俺はこれに「イエス」と答えて欲しかったんだと思う。少しでもすがり付いてほしかったんだろう。

 だが、拓人の答えは冷たかった。

「そんなに子供じゃないよ。もう、ゆうちゃんに守ってもらう必要は何もない」

「本当かよ、どうせすぐに泣いて帰ってくるんじゃないのか?」

「あのね、ゆうちゃんは僕のことを誤解している……」

 拓人が何かを言いかけたその時、俺の背後から下卑た声が聞こえた。

「おお、陽中の佐藤じゃん、こんなところでおデートか?」

「しかも男相手にとか、こいつホモかよ」

 振り向かなくてもわかる。いつも俺に難癖をつけては喧嘩を吹っ掛けてくる輩……南中の加賀の一味だ。

「まあ、ちょうど良かったよ。春からは仲良く一緒の高校に通うわけだし、お前にはしっかりとあいさつしたいと思っていたところだ」

 この言葉に真っ先に反応したのは俺ではなかった。拓人の、形良い唇の中から、小さく舌を打つ音がこぼれる。

「邪魔しないでくれるかな、僕はゆうちゃんと大事な話があるんだけど?」

「へえ、愛の告白ってやつですか、オカマやろー」

 どっと沸いた嘲笑の声を合図に拓人が動いた。それは電光石火ともいえる動きだった。岸まで三つほどあるテトラポッドを二足ほどで飛び越し、その勢いのまま、不良たちのど真ん中に飛び込んだ。

 何が起こったのかわからないうちにリーダーの、加賀が体を折り曲げて悲鳴混じりの呼吸を吐き出した。

「ぐぼぉ!?」

 一瞬遅れて振り返った俺は、加賀の懐深くに飛び込んだ拓人の拳が、自分よりはるかに大きなその男の脇腹に食いこむように叩き込まれているのを見た。

 しかも次の瞬間にはもう、加賀は地面に向かって膝を崩し、倒れ込んでゆく。そのぱんちが生半可なものではなく、加賀の内臓を揺するほどのダメージだったことは明らかだ。

「あれ? オカマ野郎のパンチで沈んじゃうとか、ダメじゃないですか、起きてくださいよ」

 拓人のきれいな顔が、凄みさえ感じる美しい笑みに彩られてゆく。その表情とは裏腹に、彼の爪先は軽く空気を切ってかがみこんだ加賀の顎の下に抉りこまれた。

「うぐあ!」

 悲鳴と共に聞こえたのは何かが砕ける音。

「ああ、ごめん、骨、いっちゃったかも?」

 ゆっくりと足を引く拓人の顔から、笑みはいまだ消えない。

「早く病院に連れていったほうがいいよ。本当に骨折とかしていたらシャレにならないからね」

 静かすぎるほどの微笑みを見て、それ以上襲い掛かって来ようとする猛者はいなかった。不良どもは呻いている加賀を担ぎ、逃げだしたのだ。

「さて、邪魔者はいなくなったし……」

 平然と俺を見る拓人に怒りの感情が湧きあがる。

「なんだよ、今の!」

「え? 話の邪魔だったから」

「そうじゃない! お前、強いんだったら……」

 ぐっと唇を噛んで続ける。

「……俺なんか、いらなかったじゃん」

「ああ、それを言われるのわかってたから……今まで言えなかったんだ」

 拓人の微笑みが曇った。声音もどことなく暗く沈んでいる。

「でも、僕には君が必要だった……君に守ってもらわないと息もできないくらいに、君が必要だった……だから、別に強いわけじゃない」

「強いじゃん! あの加賀を一撃とか、どんだけだよ!」

「そうだね、喧嘩のうまさだけなら僕の方が上だよね。君の喧嘩っていつも下手くそで見てられなかった」

「そうやっていつも嘲り笑ってたんだな!」

「そうじゃない!」

 拓人が俺にグイッと顔を近づけた。汗と、海のまじりあった匂いがした。

「僕は……」

 彼が吐いた呼吸は、どこか薔薇を思わせるような甘やかな香りを持って俺の鼻先をくすぐる。脳芯がゆすられ、小さな疼きが脊髄に広がる。

「君が僕のために戦ってくれる姿を見るのが好きだった。不器用だし、弱っちいし、絶対に勝てないってわかっている相手にも、僕を守るためなら平気で喧嘩を売りに行く……そんな君が好きだった……」

 不意に、拓人の体がくらりと揺れた……僕の胸元に体を預けるように倒れ込んできたのだ。

「おっと、危ない!」

 反射的に両手を出して支えれば、拓人は甘ったれた猫のように体をしならせて僕の腕の中に収まった。

「ほら、優しいね」

「優しかねえよ。ただの反射だ」

「そうだね」

 拓人はさらに揺するように体を擦り付けてくるから、俺は両足を踏ん張らないわけにはいかない。そうしなければ二人でコンクリートの上に尻もちをついてしまうだろう。

「おい、離れろよ」

「やだよ」

 薄いコロンの香りをまとった柔らかい髪が俺の鼻先に触れた。

「油断しすぎだ……バカ」

 気づかれないほどそっと両腕に力を込め、その髪の隅に唇を寄せる。

 この幼馴染に対して……俺はいつでもそうだ。一番言いたい言葉を、脳何年も隠し続けている。

「お前なんか、勝手にどこにでも行っちまえよ」

 いらだち混じりの悪態に、拓人は顔を上げた。美しい、冷たい夜海色の瞳がまっすぐに俺を見つめる。

「本当にいいの? 僕がいなくなっても?」

「ああ、構わない」

「そうか……じゃあここから海に身投げでもしちゃおうかな」

「そういうことじゃねえよ、ばか」

 本心を隠しているのだから、伝わるはずがない。本当はずっとそばにいて欲しいだけなのだと……

「お前のお守りをしなくて済むようになると思ったら、せいせいするわ!」

「嘘つき」

「は? 本心だし」

 不意にするりと身をよじって、拓人は俺の腕の中から抜け出した。

「まあ、いっか。どうせ君は僕から離れられないんだし」

「ばっかじゃねえの、勝手にどこでも行けって言ってんだろ」

「素直じゃないよねえ」

 拓人が微笑む。少しだけ唇の端をあげて、妖艶に。

「まあ、いいよ。僕はいつまでだって待ってるから……追いかけてきてよ」

「は? 追いかけるってなんだよ?」

「今まで僕ばかりが君の後ろを追っかけて、不公平だったんだから、このぐらいいいでしょ」

 まっすぐに立てた人差し指を唇に押し当てて、拓人は俺をまっすぐに、ただ見つめていた。

「十五年分のお返し……少しは追う者の気持ちを知るといいよ」

「絶対にわかりたくないね」

「意地っ張りだなぁ」

 指を唇から放して、拓人は俺に両手を広げて見せた。

「じゃあ、試しにキスしてみる? それで僕を追いかける気持ちなんか起きないって言うんなら、きれいサッパリあきらめてあげるよ」

「何をあきらめるって言うんだよ」

「さあね」

 この時はもう、俺も両手を拓人に向けて伸ばしていたんだと思う。俺と拓人の薄い胸板は、すぐに重なった。

「ふふふふふ、ゆうちゃん、ドキドキしてる」

「バカ、お前だってすごいドキドキしてるじゃねえか」

 皮膚越しに、服越しに伝わるお互いの動機を抱きしめて、俺たちは唇を重ねた。

 深く、長いそのキスは、海の香りがした……


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