弁当屋の主人と娘②(一日目)
「エレンちゃん、うますぎて死にそう」
「本当ですか?よかった。実は新作のトマトのスープなんです」
「ほう、新作か」
「はい、トマトは腐っていたのですけど、捨てるのがもったいなかったので、スープにしたのです。どうやらこれで商品として出せそうです」
「エレンちゃん、俺はとんでもないことを耳にしたのだけど……」
つまり自分は味見をしたのではなく、毒味をさせられたのである。
このエレンと言う女。
案外、父親譲りの悪かもしれない。記憶が無いからといって油断はできない。
「俺、もう戻るよ」
この親子に関わるとろくなことが無いから、もうロウマのもとに戻った方がいいかもしれなかった。あいつもいい加減、しびれを切らしているころだろう。
ゴルドーが店を出たその時だった。
「うおー、俺が一番だ!」
「どけ、俺に決まっているだろう!」
「馬鹿野郎、俺が彼女と最初に握手するんだ」
次から次へと奇声が湧いてきた。何事だと疑問に思ったゴルドーは遠くに目をこらした。
ぎょっとした。
何十人もの男達が店まで走って来ていた。彼らの目は血走っており、鬼気迫るものを感じ取った。
恐怖。
感じたものは、まさにそれである。全身の毛穴から一瞬にして冷や汗が噴き出た。
ただしこれは戦場とは違う意味の恐怖であった。奴らに近寄るなというより、関わってはいけないという警告が自然と発せられていた。
「エレン、下種どもが来たぞ。出てやれ」
「はい、父さん」
グレイスの指図でエレンは店先に出た。
「いらっしゃい、今日もお弁当ありますよ。ちゃんと並んで買ってくださいね」
その一言が利いたのか、男達はすぐに一列に整列を始めた。実に綺麗な直線だった。軍にもここまで綺麗な形を作れる指揮官はいなかった。
「ありがとう、みんな。そんな人達にはお弁当と握手のプレゼントだよ」
『うお~~~~~~~~~~~~~~~~』
また奇声が上がった。本当にこの連中はなんだろう。連中は弁当を買いエレンと握手をすると嬉しそうに帰って行った。しかも握手をした手を大切そうにしているし、中には弁当にキスまでしている奴までいた。
段々と頭が痛くなった。
「おっさん、なんだあいつら?」
「うちの娘のファンだ」
「ファン?」
「私が店を始めたばかりのころ、奴らは停職にすら就いてないで道端で残飯をあさり、その日その日を過ごしていた。だが、そんな奴らを助けたのが……」
「エレンか?」
グレイスは、こくりと頷いた。その目になぜかわざとらしく涙が浮かんでいた。
嘘くさい、とゴルドーは疑った。
「普通の奴だったら助けないのに、うちの娘は助けたんだぞ。なんて心がきれいで、美しくて、透き通っているんだ。水晶みたいじゃないか」
「そこまで感動するなよ。確かに感動するかもしれないけど、裏を返せば店の客を集めるために、わざとやったかもしれないし……」
ドゴン!
グレイスの拳がゴルドーを向かいのゴミ捨て場にまで吹き飛ばした。ゴルドーはよりによって、生ゴミの山に頭から突っ込んだので、見るも無惨な姿になって果てた。
「うちの娘の悪口はやめろ!」
駄目だ、この親父は。娘と暮らすようになってから、すっかりただのアホになってしまったようだ。もう騎士のころのグレイスには戻れないかもしれない。
ゴルドーは、涙がにじんだ。
空は今日も快晴だった。
***
幕舎ではイメールが遠征の報告をしていた。ゴルドーとイメールが行っていたのは、反乱軍の残党の掃討だった。残党はかつての反乱軍の幹部バルザック=ドミムジー、デュマ、そしてガストーが率いる部隊である。
「そうか……また駄目だったのか」
報告書に目を通し終えたロウマは、目を閉じるとそれをシャニスに手渡した。
シャニスも目を通すと、それを持って外に出た。
報告書は宮中へと持って行かれるが、情報は早々とラジム二世のもとに届いているだろう。
反乱軍の残党バルザック達に対しての掃討作戦はこれで三度目だった。彼らが南方のパルテノス王国に逃げ込んだのは間諜隊の報告で確認できたので、捕まえるのは容易だったはずである。




