弁当屋の主人と娘⑤(一日目)
「あれでよかったのですか?」
自分の軍営に戻ったディナはシャニスに尋ねた。彼は彼女に目もくれず、書類に目を落としていた。先ほど兵站担当の者が持って来たものだった。
溜息をついたディナは、
「本当にあれでよかったのですか?」
再度尋ねてみた。
「構わん。元帥のご命令に我々は従うまでだ」
さすがにシャニスの意思は固いようである。彼はその異常な忠誠心から「元帥の犬」という噂は聞いていたが、まさかここまでとは思ってもいなかった。
ならば自分も副官としてシャニスに従うまでだ。
「お前はどうなんだ、ディナ?」
「私ですか?」
「弟が抜擢されて嬉しくないのか?」
「私の気持は先ほどの軍議で申し上げた通りです。私的なことと公的なことは区別しております」
「本心は公を大切にするということだな」
「ええ」
シャニスは書類から目を離すとディナを見つめた。彼は黒い瞳である。ディナは異民族なので瞳は青だが、シャニスの瞳の色はどこか冷たかった。しかし、芯は通っているのが伝わった。
「まずはお前の弟の手並みでも拝見しようじゃないか。腕次第で我々は次の行動を決めよう」
「承知致しました」
ディナは、こくりと頷いた。
***
ロウマは幕舎でキールと話し合っていた。キールは仮面を取っていた。顔の半分だけ綺麗に火傷を負っているが今はこれに言及をする者がここにはいないので、キールはほっとしていた。
「お前にしては随分と強硬的だったぞ」
キールの口調は友達に対してのものに変わっていた。
「いいんだ。ああでも言わないとみんな納得しないはずだからな」
「納得だと?本当にそう思っているのか?」
「あとはロバートの実力次第だ。あの男は見た目は軽そうだが、中身は思慮深い奴だ。私の代わりぐらい務めきれるはずだ」
キールは心配だった。何事も起きないことを祈っていた。
「そんなことより頼みがあるのだが……」
ロウマが急に真剣な面持ちに変わった。内密のことでもあるのだろうかと思いキールは身構えた。
「言ってみろ」
「今日、屋敷に泊めてくれ」
「断る」
それは一瞬のことだった。キールは表情を変えることなく返してみせた。
ロウマは、がっくりとうなだれた。
その様子にキールは心中情けないと思っていた。
ロウマが悩んでいるのは一緒に屋敷に住まわせているナナー=サルムと使用人のアリス、シャリ―の三人だった。
三人とも顔を合わせれば口げんか、乱闘ばかりであり、ロウマは常にその収集にひと苦労していた。
ロウマの実弟のノーチラスはこんな事が毎日続くので、とうとう嫌気がさしてしまい、土地を一つ買って出て行った。
「いい加減にしろ。一週間に何度懇願しているんだ?お前も往生際が悪いぞ。そんなに嫌なら、追い出せばいいだろう」
「それが出来れば苦労はしない。そんなことを口に出せばアリスからは『これから食事は誰が用意するのですか?』とか、ナナーからは『これからあなたの病気は誰が診るの?』とか、シャリ―からは『私がいなくなったら弟子は誰がやっていくのですか?』とか……」
「全部言い返せるだろう。食事は自分で作ればいいし、病気はシャニスかレイラに診てもらえばいいし、最後なんて一番どうだっていいだろう」
「先日同じように言い返したら、袋叩きにあって外に出されたよ」
それじゃあもう対処の仕様は無い。
ロウマには、しっかりと自分の運命を受け入れてもらうことにした。
ロウマはせめて、隠れ家だけでも提供してほしいと願い出ていたが、キールは一刀に斬り捨てた。
うらめしそうな顔をしながら、ロウマは幕舎をあとにした。
「やれやれ、あいつが人にものを頼むなんて考えもしなかったな。これもロバートのおかげかな」
ロバートとは、不思議な男である。ある意味、奴の力を認めなければいけないかもしれなかった。