人生のリセットボタン
ありきたりなネタでひっどいオチです。
「あの時ああしていれば」
人生の重大な分岐点に立っていても、気がつかない人間はいくらでも居る。更に、適当な判断が出来ない人間なら尚の事だ。
つまりは、負け組のセリフ。自分のケツを自分で拭えないような奴がこの泣き言を漏らす。ああ、あの時あれに投資していれば、もっと勉強していれば、ちゃんと運動していれば……どれもムカムカする言い訳で、聞いているだけでストレスの臨界点に達する。
じゃあ、これら人生の分岐点で適当な判断を出来ると勝ち組か――
答えはYESでありNOでもある。世間一般で言う“成功者”、あいつらだって何かしらの失敗を背負っている。総合的に見ると負け、だ。
だから結局、大人たちはこう言うしかないのだ。人生のリセットボタンは無い、と。
真の勝ち組は――自分で言うのも憚れるが――僕だ。
僕は無いはずのボタンを持っていた。
日焼けして、すっかり小麦色になった畳6枚の空間に、黒い箱と白い箱、そして透明な箱が1つずつ置かれている。
黒い箱は机の下に置かれ、いくつかの折れ線グラフを映し出す5台のモニターに1つの電源、キーボードとマウスが1つずつ繋がっており、処理の為に低い唸り声を上げている。
白い箱には申し訳なしにコンセントが1本付いて、馬鹿みたいに中身を冷やさんと喚くだけだった。
そして、10センチ四方の透明な箱は何にも繋がっていなかった。電源も、モニターも何もかも。スケルトンボディの箱には、赤いボタンが1つあるだけだった。これら箱の中で、部屋の主である僕に最も役立っているのはこれだが。
「こいつをこうして……」
僕の収入源は投資だ。聞こえはいいが、こいつのせいで実際多くの人が人生を失った。せい、というのは語弊があるか。結局、投資を始めたのも、大負けしたのも、築かれるのが借金の山なのも全て自己責任。何も中学の授業で強制させられたわけでもない。不確かな天候を聞かされて、トレジャーハンター気取りの人間が散っていっただけだ。
その点、全てを知っている僕は完璧だった。引き際もわかるし、どれだけ儲けられるかもわかる。一回経験しているし、何度でもやり直しがきいた。ボタンさえ押せば。
「よし、こんなもんかな……。出掛けるか」
同じ歳のやつは今頃、高校で入試の勉強しているだろう。そいつらが一生をかけて築く資産も、やろうと思えばすぐに手に入る。資格だって何度も勉強してはやり直して、いくらでも取った。まあ、意味はないが。
つまらない事を考えながら、厚手のコートを羽織る。外は銀杏色づく季節、気温はこの空間とは比べ物になら無いだろう。
外の情景を思い浮かべた勢いで、一気に階段を駆け降りる。
「じゃあ、行ってきます」
家族にはフリーターということになっている。一度だけ自分の収入を見せたら目の色を変えたからだ。まあ、自分も同じことをされたら、と考えると悪寒が背筋を走った。
いつも通り、返事はない。毎日怒号を飛ばされていたものの、最近は呆れられたのか、もはや話さえしていない。
今さら家族を気にしてもしょうがない。履き、鍵をかけていないドアを開く。
「おっ! 寒いな……」
覚悟していたものの、体感すると考えを改めなければならない。冷たい風が頬を刺す感覚に襲われる。無数の針のように振る舞いながらも体温まで奪っていく。
できるだけ肌を晒さないようにコートの中で縮こまると、自転車が置かれているビニール製の車庫へ急いだ。
自転車の状態は良いものではない。所々錆び、泥よけも大きく歪んでいる。買い換えようにもどうせママチャリだ。
「今日は駅前のネカフェに行くか」
ロックを外し、サドルに座る。ペダルは足をかけただけで何かがズレた感覚がし、踏み込むと冬の川に張った氷に石を投げて割った時の音がした。
駅前には色々な人間がいる。
昼間から戯れているカップル。固まった髪を隠すかのように野球帽を被り新聞を広げているホームレスに、カーオーディオに耳を傾けタバコをくわえているタクシーの運転手。
十人十色というが一見したところ変化はカラーコードの1つ2つ程度だ。誰もが同じようにしか見えない。昔からそうだった。活気溢れる者は燃えるような赤、生気が感じられない者からは灰色、と少々色味の違いさえあれどこんな感じでしか見ることができない。
そんな事を考えながら駐輪所の機械にコインを入れようとした時、タクシーに乗ろうとする1人の女性が目に入った。スタイルが良かったとか、服が良かったとか、そういうものじゃない。普通の大学生かそれくらいに見える。ただ、一目見て、運命の人だと感じた。
18になるまで100年も1000年にも及ぶ時間をやり直して来たがこれほど美しい人は初めて見た。色でいうと――いや、色というより光だった。何もかも成功し、色味の無い人生の中に射した光だ。
俺は手に持っていた100円玉が手から溢れるのも構わず――普段でも拾おうとしないが――、無我夢中で走り出した。
しかし、タクシーのドアが彼女を飲み込むと、せかせかと走り出した。
「行ってしまった……」
ボタンは何処だ? バッグの中だ、早く取り出せ。落ち着かなくていい、中身をその辺にぶちまけてさっさと――
「あった……。置いてこなくてよかった」
そう言うとカバーを開き、赤いボタンを押し込む。
気がつくと俺は駅前にいた。まだ自転車に乗っている……。
「よし、間に合う!」
俺は逸る気持ちを押さえきれず乗っていた鉄屑をその辺に放り、タクシー乗り場まで走った。
「来た……!」
その人はさっきと同じように駅から歩いてきた。俺は同じ過ちを繰り返さないように駆け寄った。
「あ、あの!」
「え……。私ですか? どうされましたか?」
突然話しかけたせいで困惑しているようだが、話は聞いてもらえそうだ。息を整えながら次の言葉を探る。
「よ、よろしければ今からコーヒーでもいかがですか?」
それを聞いた女性は申し訳なさそうな顔をして、
「ごめんなさい、ちょっと急いでるので」
そう言うとタクシーに乗り込んだ。
「クソ! もう一回!」
ボタンを押し込む。
「ごめんなさい、用事があるので」
ボタンを押し込む。
「ごめんなさい、外せないので」
ボタンを押し込む。
「ごめんなさい」
ボタンを押し込む。
「ごめんなさ」
ボタンを押し込む。
ボタンを押し込む。
ボタンを押し込む。
白い壁に覆われた空間の中、1人の青年はボタンを押し続けている。
ここはとある精神病院。完治する見込みのない患者が集められる……。
かなり無理矢理感のあるオチでした……。壮大な展開を期待された方、すみません。
お分かりでしょうが、主人公は妄想を見続けている、ということです。
いつか余裕があったら本来のオチを……。