愛の形
「……あんたは魔法で魅了されているだけだ。他の者たちと同様にな。」
傭兵の声には、もう憐れみすら混じっていなかった。ただ、事務的に「処理」すべき対象を見るような、乾いた響き。
「俺が解放してやる。そのまやかしの夢からな」
カタ、と。
傭兵が背中の大剣に手をかけた。鞘と鍔が擦れる、不吉な音が森に響く。
その瞬間、彼の顔色が真っ青に変わった。
「何をするんだ! よせ! 剣を下ろしてくれ!」
彼は、私を隠すように両手を広げ、傭兵の前に立ちはだかる。その目は血走っており、涙さえ浮かんでいた。
「彼女を傷つけるな!!!! 殺すなら俺を殺せ! 彼女を奪うことは、俺の魂を殺すことと同じだ!」
何という献身。何という純愛。
私は彼の背中越しに、傭兵をじっと見つめた。私の瞳の奥で、紫色の魔力が静かに渦を巻く。
「さぁ、どうするの? 傭兵さん。あなたは自分の判断が本当に正しいと思うの? この人を、こんなに愛し合っている私たちを引き裂いて、それが『救い』だと信じているのかしら?」
私は挑発するように微笑んだ。
私の指先は、こっそりと彼の背中に爪を立て、そこからさらに深い「愛」の毒を流し込む。彼はうめき声を漏らし、さらに強く私を求めて体を強張らせた。
「この人を無理やり連れ帰って、愛してもいない女の横に座らせることが、あなたの言う正義? ふふ、笑わせないで」
傭兵は、何も答えなかった。
ただ、深く、深く息を吸い込み、重心を落とした。
男の瞳の中に、迷いは微塵もなかった。それは、人間の情を超越した、冷酷なまでの「義務」の光だった。
「……………当然だ」
短く、重い言葉。
次の瞬間、私の視界から色が消えた。
銀色の閃光が、夜の闇を一閃する。
それはあまりにも速く、あまりにも正確だった。
グシャ…………
嫌な音がした。
硬い骨が砕け、柔らかい肉が裂け、温かい液体が噴き出す音。
私の胸のあたりに、熱い飛沫が飛んだ。それは、さっきまで私の腰を抱いていた彼の、愛の熱そのものだった。
「あぁぁぁああああぁぁぁーーーーー!!!!!!!!」
世界が反転する。
彼は地面に膝をつき、血にまみれた土を掴みながら叫んでいた。その絶叫は、もはや人間の言葉を成していない。ただ、魂そのものが擦り切れるような、悲痛な慟哭。
「なんて事をーーーーーー!!!! リリアーーーーー!!!! リリアーーーーー!!!」
私はゆっくりと、崩れ落ちていく。
視界が赤く染まり、月の色がさらに濃くなったように感じられた。
胸から腹にかけて、冷たい風が通り抜けていく。ああ、これが死。これが、彼が私に与えてくれた最後の「愛」の形。
「良かったな。これであんたはもう自由だ。」
傭兵が、血を拭いながら、力なく座り込む彼に近づく。
「さあ、もう帰れるぞ。化け物は死んだ。魔法は、もうすぐ解けるはずだ」
「うっ……ううっ……うう……」
彼は、私の抜け殻になった体に縋り付き、声を上げて泣きじゃくった。その手は私の返り血で真っ赤に染まり、私のドレスを汚していく。
「俺の……俺のリリアが………俺のリリアが………っ!!」
彼の涙が、私の頬に落ちる。
ああ、なんて温かくて、美味しい涙。
私は消えゆく意識の中で、彼の中に残した「私」の種が、さらに深く、暗く根を張っていくのを感じていた。
傭兵が、ふと足を止める。
傭兵の男の表情が、初めて困惑に歪んだ。
「……おい、どうした。しっかりしろ。魔物は死んだんだぞ」
彼の泣き声は止まらない。それどころか、その瞳には依然として、私に対する狂気じみた情熱が宿ったままだ。
魔法が解ければ、彼は我に返り、故郷の婚約者を思い出し、安堵するはずだった。
「…………サキュバスを殺したのに。魔法が解けないだと……?」
傭兵の声が震えていた。
背後の兵士たちが、怯えたように後ずさりする。
私は、音の出ない唇で、最期の言葉を紡いだ。
――ねえ、言ったでしょう?
――真実の愛はあるわ。
――あなたが信じないだけで。
私の心臓は止まった。
けれど、彼の心の中で、私は永遠に生き続ける。
誰にも解けない、死よりも重い呪いとなって。




