第7話 ライル邸での平和な日々
【ヴェラ視点】
『アヴァロン帝国歴182年 4月6日 帝都ハーグ駅 昼 小雨』
巨大なガラス張りのドーム屋根に、冷たい雨粒がパラパラと打ち付けている。
アタイは、大勢の人でごった返すハーグ駅のホームに立っていた。数日間一緒に過ごしたニア王女が、今日、故郷のノヴァラへと帰るのだ。
「ライルのところに世話になるとは言え、小遣いは必要であろう?」
特別列車の車両に乗り込む直前、ニア王女は不意に振り返り、アタイの手になにかを握らせた。
開いてみると、そこには透かしの入った立派な紙幣があった。『百帝国マルク』と印刷されている。
(ひゃ、百マルク!? こんな大金……!)
アタイの頭の中で、昨日食べたあの甘くて冷たいお菓子がものすごい勢いで飛び交った。
確かに、これだけあればアイスクリームが食べ放題だ。むしろ、調子に乗って食べ過ぎて、お腹を壊さないように気を付けなければならないレベルである。
「ありがとうございます。ノヴァラの名を落とさないように頑張るよ!」
アタイが元気よく頭を下げると、王女は満足そうに微笑んでコクリと頷いた。
「うむ、また来るでな。外人部隊での仕事、励むのじゃぞ」
プァァァーッ!
汽笛が高らかに鳴り響き、列車がゆっくりと動き出す。アタイは、ニア王女を乗せた客車が白煙の向こうに見えなくなるまで、大きく手を振り続けた。
◇◆◇
駅での見送りを終え、アタイはライル様の広いお屋敷へと帰ってきた。
それからの数日間は、驚くほど充実した日々だった。
午前中は、ライル様と一緒に広い畑で土まみれになって農作業の手伝いをする。
午後は、専用の射撃場でたっぷり射撃の練習だ。
さらに、ヴァレリア様から直々に近接戦の手ほどきを受けたりもした。あの優雅な身のこなしから繰り出される恐ろしく鋭い体術は、まさに達人のそれだった。
そして休みの日は、もらったお小遣いを握りしめて、帝都の街で食べ歩きを満喫する。
ただ、一つだけ不満があるとすれば――射撃の腕比べのことだ。
アタイとライル様は時々、本気の撃ち比べをした。大抵はアタイが勝つのだが、風の読みやタイミング次第で、たまにライル様に負けることがあった。
狩人としてのプライドがあるアタイにとって、これはたまらなく屈辱だ。
そして何より問題なのは、ライル様が射撃で勝った日の夜である。
「それ以上はっ……! だめっ! アナタ……っ!」
銃を撃ってご機嫌になったライル様が張り切るせいか、夜な夜な廊下に響き渡るヴァレリア様の嬌声が、いつもより二割増しで高く、そして激しくなるのだ。
(ホント、やめてほしい……)
アタイは枕で両耳を塞ぎながら、ベッドの上でゴロゴロと身悶えしていた。いや、ホントに。
それでもこの屋敷を出ていかないのは、タダでふかふかのベッドと美味しいご飯を提供してもらっているし、何より、この大都会で他に行くあてなんてないからだ。
◇◆◇
ある日の午後。
射撃訓練を終えたアタイは、中庭のテラスでヴァレリア様と優雅にお茶をしていた。
温かい紅茶の香りにホッと息をつき、ふと心に浮かんだことを口にする。
「……男かぁ。アタイも、そのうち作ろっかな」
狩りに生きてきたアタイには縁遠い話だったが、この屋敷の甘い空気に当てられたのかもしれない。
すると、ティーカップを持っていたヴァレリア様が、クスリと品よく微笑んだ。
「あら、いいじゃない。これからヴェラちゃんが行くところは、男だらけのはずよ?」
「でもなぁ……傭兵かぁ~」
アタイは腕を組み、渋い顔をして空を見上げた。
「なんかこう、傷だらけで、お酒臭くて、ムサ苦しい男ばかりの気がするのよ~。アタイ、ああいうのはちょっと苦手かも」
「ふふっ。じゃあ、ヴェラちゃんはどんなタイプが好きかしら?」
ヴァレリア様が、面白そうに身を乗り出してくる。
(アタイの好きなタイプ、か……)
そういえば、今まで真面目に考えたことなんてなかった。
うーん、と唸りながら、アタイは部屋の隅に置かせてもらっている、自分のライフルに視線を向ける。
「やっぱり……銃がうまい男のほうがいいかな? アタイより下手な男の後ろをついて歩く気にはなれないし」
アタイが素直な気持ちを答えると、ヴァレリア様は目を丸くした後、いたずらっぽく笑ってウインクをした。
「あら。だとしても、うちのライルはあげないわよ?」
「い、いりませんよ! 夜があんなにうるさいの、アタイには耐えられませんから!」
アタイが慌てて手を振って全否定すると、二人でお腹を抱えて「アハハハハ!」と大笑いしてしまった。
「ただいまーっ!」
ちょうどそこへ、泥だらけの作業着姿のライル様が、満面の笑みでテラスに駆け込んできた。
その両腕には、大きく育った立派な緑の玉が、これでもかと抱えられている。
「聞いてよ二人とも! キャベツがいっぱいとれてさぁ! 今日は、とびきり美味しいキャベツロールを作って食べよう!」
「やったぁ!」
大好物の名前に、アタイは思わず椅子から立ち上がってバンザイをしてしまった。
不安だった外人部隊の指導官としての仕事が始まるまで、あと少し。
すっかり春めいた暖かな日差しが、笑い声の絶えないライル邸の中庭を、優しく包み込んでいた。
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