第15話 ライルさん、野菜を売り歩く
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴182年 6月4日 帝都ハーグ 晴れ』
初夏の風が心地よく吹き抜ける、素晴らしい朝だ。
僕は麦わら帽子をかぶり、首にタオルを巻いて、屋敷の広い畑の前に立っていた。
(うーん、見事な出来栄えだ)
目の前には、丸々と太った緑色のキャベツや、太陽の光を浴びて真っ赤に熟したトマトが、これでもかと実っている。
ヴェラちゃんは、朝早くから外人部隊の駐屯地へ指導に出かけていった。
妻のヴァレリアは、最近お気に入りの自動車に乗って、帝都へ買い物に出ている。
つまり、今日の僕は、ものすごく暇なのだ。
「よし! せっかく美味しくできたんだから、みんなにも食べてもらおう!」
僕は思い立ち、納屋から木製のリヤカーを引っ張り出してきた。
そこに、採れたてのキャベツ、トマト、それに土のついたジャガイモを、山のように積み込んでいく。
準備は万端だ。
◇◆◇
ガラガラ、ガラガラ。
リヤカーを引く車輪の音が、石畳の道に響く。
ここは世界の中心、アヴァロン帝国の首都ハーグだ。
馬車や自動車が行き交い、おしゃれな服を着た人々が歩く大通りを、麦わら帽子に泥だらけの作業着姿の男が、リヤカーを引いて歩いている。
我ながら、ちょっと浮いている気はするけれど、細かいことは気にしない。
「いらっしゃい、いらっしゃい! ライル農園の朝採れ野菜だよ! 甘くて美味しいキャベツはいかがかな!」
僕が大きな声で呼びかけると、道を歩いていたご婦人たちが、ピタリと足を止めた。
「あら……あの声、あの顔。もしかして、先帝陛下のライル様!?」
「ええっ!? ほ、本当だわ! ライル様が、野菜を売っているの!?」
ご婦人たちが、信じられないという顔でざわめき始める。
僕はニッコリと笑って、一番大きなキャベツを持ち上げた。
「お嬢さんたち、見る目があるね! 僕が丹精込めて育てた、自慢の無農薬キャベツだよ。生で食べても甘いし、スープにしても最高なんだ」
「お、お嬢さんだなんて……! ライル様、わたくし、そのキャベツを三ついただきますわ!」
「わたくしはトマトを全部ちょうだい!」
ワーッと歓声が上がり、あっという間に人だかりができた。
かつては剣と槍で戦場を駆け抜け、皇帝として玉座に座っていたけれど、やっぱり僕は、こうして直接人々の笑顔を見るのが一番好きだ。
(皇帝の仕事より、こっちのほうが性に合っているよなぁ)
次々と売れていく野菜を紙袋に詰めながら、僕は密かにそんなことを思っていた。
◇◆◇
ガラガラ、ガラガラ。
リヤカーの荷台は、もう半分以上空っぽになっていた。
帝都をのんびりと歩いていると、遠くに巨大な建築現場が見えてきた。たくさんの足場が組まれ、職人たちが汗水流して働いている。
(ああ、あれは『ライルの新宮殿』か)
もう何十年も前に僕が建築を命じたはずなのに、いまだに完成する気配がない、ハーグの名物だ。
僕はリヤカーを引いたまま、休憩中の職人たちに近づいていった。
「やあ、みんな! 暑い中、お疲れ様!」
「ん? なんだ、農家のおっちゃん……って、うおっ! ライル様じゃねえか!」
お茶を飲んでいた職人たちが、慌てて立ち上がる。
「そのまま、そのままでいいよ。よかったら、この冷やしたトマトを食べてよ。塩を振って丸かじりすると、疲れが吹き飛ぶからさ」
僕が残っていた真っ赤なトマトを差し出すと、職人たちは嬉しそうに顔を見合わせた。
「ありがてえ! ライル様の作ったトマトなら、百人力だぜ!」
「おう! この宮殿、俺たちが生きてるうちに、絶対完成させてみせますからね!」
「あはは、無理しなくていいよ。安全第一でね」
僕は笑って手を振り、すっかり空っぽになったリヤカーを引き始めた。
◇◆◇
夕方。
屋敷に帰ると、ちょうどヴェラちゃんが駐屯地から帰ってきたところだった。
「ただいま戻りました、ライル様。……あれ? そのリヤカー、どうしたんですか?」
不思議そうに首を傾げるヴェラちゃんに、僕は空っぽの荷台をポンと叩いて胸を張った。
「ふふん。今日はね、僕の作った野菜を街で売り歩いていたんだ。見事に完売だよ!」
「ええっ!? 先帝陛下が、野菜売りですか!?」
ヴェラちゃんが目を丸くして驚いている。
「そうさ。それでね、売上金で美味しいノヴァラ牛のお肉を買ってきたんだ。今夜は、残ったキャベツとお肉で、とびきり美味しいご飯を作ろう!」
「お肉! やりました!」
ヴェラちゃんが、花が咲いたような極上の笑顔を見せる。
少し疲れているようだったけれど、その笑顔を見られただけで、今日一日歩き回った疲れなんて吹き飛んでしまった。
ただ野菜を売り歩いただけの、何気ない一日。
けれど、僕にとっては、金貨や名誉よりもずっと価値のある、最高に平和で充実した時間だった。
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