第12話 グスタフ、再度わからせられる
【元荒くれの傭兵グスタフ視点】
『アヴァロン帝国歴182年 5月2日 帝都ハーグ郊外外人部隊駐屯地 昼 晴れ』
昨夜の鬱憤を晴らすどころか、二日酔いの頭を抱えて迎えた朝だった。
この日は、朝から基礎訓練のメニューが組まれていた。
隊列を組んでの行進。
その後、駐屯地の周りをひたすら走るという、まあ軍隊のご挨拶みたいな訓練だ。
(けっ、だりぃな……。隙を見て、あの小娘をわからせてやる)
俺は走りながら、指導官として前を走るヴェラの背中を睨みつけた。
だが、どうしたことだ。
今日のヴェラは、妙に肌がツヤツヤとしていて、全身から明るいオーラのようなものが溢れ出ている。
(な、なんだありゃ……眩しすぎて直視できねぇ……)
まるで真夏の太陽だ。
昨夜、薄暗い娼館で鬱屈した欲望をぶちまけてきた俺のような薄汚い人間には、その輝きが毒のように効く。下手に近づけば、浄化されて消滅しちまいそうだ。
それに、ヴェラの後ろには、妙なジイさんが影のようについていた。
白髪で、人の好さそうな顔をしているが、このきついランニングに涼しい顔でついてきている。只者じゃねぇ。
◇◆◇
そこそこ腹にたまる、具だくさんの豚汁と硬いパンの昼食を終え、俺たちは午後からの射撃訓練へと向かった。
射撃場の前には、外人部隊の設立者である青年貴族、ルシオンのヤツが顔を出していた。
午前中のランニングで完全にバテたのか、椅子に座って青い顔で水を飲んでいる。
「……情けねえ隊長だぜ」
「まあ、金払いのいいパトロンだと思えばいいさ」
周りの連中もクスクスと笑っていたが、給料を握られている相手だ。露骨な侮辱は避けていた。
そんな弛緩した空気の中、ヴェラが凛とした声で前に出た。
「それじゃあ、午後の訓練を始めるよ! まずはアタイが手本を見せる!」
「ほほう、それではワシがお相手しようかのう。的は三百メートルからでいいかな?」
あの謎のジイさんが、穏やかな笑みを浮かべてヴェラの隣に立った。
こうして、射撃訓練という名の、教官と謎の老人による実技が始まった。
「へへっ、三百なんて余裕だろ」
「おうよ! 俺なら五百はいけるぜ」
俺を含めた元傭兵たちは、ニヤニヤしながら野次を飛ばした。
所詮は小娘と年寄りだ。俺たち実戦経験者の足元にも及ばないだろうと、タカをくくっていたのだ。
そして、射撃が開始された。
ズドーン!
ズドーン!
乾いた音が交互に響く。
ヴェラもジイさんも、三百メートルの的を難なく撃ち抜いた。
まあ、これくらいは当然だ。
的は徐々に後ろへずらされていく。
三百五十メートル。命中。
四百メートル。命中。
四百五十メートル。命中。
五百メートル。
ズドーン!
二人の弾丸は、吸い込まれるように的の中心を捉えた。
この当時の常識からすれば、五百メートルを確実に当てる腕があれば、十分な凄腕の狙撃手だ。
「へえ、ジューコフさん、やるわねぇ!」
「ふふ、アナタ様こそ。若いのにお見事ですな」
余裕の笑みを交わす二人を見て、野次を飛ばしていた連中の声が小さくなった。
そして、五百五十メートル。
ズドーン!
ズドーン!
両名とも命中。
俺を含めた元傭兵組は、完全に黙り込んでしまった。
戦場で、この距離の動く標的を狙えるヤツなんて、そうそういない。
俺の最高記録も五百五十だが、あれはまぐれ当たりだった。こいつらは、息をするように当ててやがる。
そして、六百メートル……。
やはり両名とも命中。
傭兵たちの見る目が変わった。
侮蔑から驚愕へ、そして熱狂へ。
「おい、俺はヴェラ教官に賭けるぜ!」
「いや、俺はジイさんにだ! あの落ち着きは只者じゃねぇ!」
「俺も姉ちゃんに賭ける!」
賭けが始まった。だが、俺だけは財布を取り出す気になれなかった。
「……ヴェラ嬢ちゅん……教官ってのは、本当だったのか?」
俺は、圧倒的な実力差を見せつけられ、敗北感に打ちひしがれていた。
昨日の格闘技だけじゃない。傭兵としての本分である射撃でも、俺はこの女に勝てないのか。
勝負は進み、距離はついに九百五十メートルに達した。
肉眼では的が豆粒よりも小さく見える距離だ。
ズドーン!
ズドーン!
砂煙が舞う。
「ふふっ、外してしもうた。ワシの記録は九百じゃな」
ジイさん――ジューコフの弾は、惜しくも的の枠を掠めただけだった。
「じゃあ続けるよ! みんな、よく見てな! スコープを見るのも大事だけど、弾のタレ(落下)と、風の偏差、あと湿度とかも気をつけて!」
ヴェラ教官の声が、静まり返った射撃場に響く。
「いくら銃が精密にできていても、一丁一丁、個性とかクセがあるのも忘れないで! 相棒と対話するんだ!」
ヴェラは素早くボルトを引き、次弾を装填した。
その姿には、迷いも気負いもない。ただ純粋に、的を射抜くという意志だけがあった。
距離、千メートル。この射撃場の限界距離だ。
一瞬の静寂。
ズドーン!!
千メートル先の的が、見事に弾け飛んだ。
「っしゃあ! 命中!」
ヴェラがガッツポーズを決める。
俺は、震える足でふらふらと教官の前へ出た。
プライド? 男の意地? そんなものは、あの千メートル先の的と一緒に吹き飛んだ。
俺たち傭兵の世界にあるのは、強いか弱いか、それだけだ。
そして、目の前のこの女は、間違いなく「最強」だった。
俺は地面に膝をつき、両手を着いて、砂に頭を擦り付けた。
「ヴェラ教官! ……いや、姉さんと呼ばせてください!!」
俺の叫びに呼応するように、周りの兵たちも次々とその場に平伏した。
「姉さん! 一生ついていきます!」
「すげぇよ姉さん!」
皆、最初は教官を小娘とバカにしていた連中だ。
だが今は、その圧倒的な実力に心底惚れ込み、ひれ伏していた。
「えっ、ええええ~っ!?」
ヴェラ姉さんの素っ頓狂な声が聞こえる。
俺が少し顔を上げると、困惑して焦るヴェラの姉さんの背後に、雲の切れ間から差した太陽が後光のように輝いて見えた。
(ああ……完敗だ。あんたが俺たちのボスだ……)
俺は眩しさに目を細めながら、心地よい敗北感を噛み締めていた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




