第10話 静かな朝。ヴァレリア、未来を託す
【ヴァレリア視点】
『アヴァロン帝国歴182年 5月2日 ライル邸 朝 晴れ』
カーテンの隙間から、柔らかい朝の光が差し込んでいます。
庭の小鳥たちがさえずる声を聞きながら、わたくし、ヴァレリアはダイニングルームで紅茶の香りを楽しみながら、二人を待っていました。
カチャリ、とドアが開く音がします。
「おはよう、ヴァレリア。今日もいい天気だね!」
「お、おはようございます……ヴァレリア様」
入ってきたのは、いつものように屈託のない笑顔を浮かべる夫のライルと、その少し後ろで、真っ赤な顔をしてうつむいているヴェラちゃんでした。
「おはようございます、あなた。それに、ヴェラちゃん」
わたくしは、微笑みながら二人を迎え入れました。
席に着くヴェラちゃんの様子を、さりげなく観察します。
昨日のような張り詰めた雰囲気は消え、その肌は内側から発光しているかのように、ツヤツヤと瑞々しく輝いていました。まるで、水をたっぷりともらった花のように。
そしてライルもまた、憑き物が落ちたようにスッキリとした、精悍な顔つきをしています。
(ああ……やはり、そうなのですね。声は聞こえていたけど……)
わたくしの胸の奥に、嫉妬という感情はありませんでした。あるのは、どこか安堵に近い、静かな納得だけ。
テーブルには、焼きたてのパンと、新鮮な野菜のサラダ、そして温かいスープが並んでいます。
「いただきます! うん、今日のキャベツも甘くて最高だ!」
ライルが嬉しそうにサラダを頬張ります。
ヴェラちゃんは、まだ少し気まずそうに、スープをスプーンですくっていました。
「……ヴェラちゃん」
「は、はいっ!」
名前を呼ぶと、彼女はビクリと肩を震わせ、慌てて顔を上げました。
「昨夜は……よく眠れましたか?」
「えっ……あ、その……えっと……」
ヴェラちゃんは言葉を詰まらせ、さらに耳まで赤くして、助けを求めるようにライルを見ました。しかし、当のライルは「ん? どうしたの?」と、きょとんとしています。本当に、こういうところは昔から変わりません。
「ふふっ。いじめているわけではないのよ。わたくし、感謝しているのです」
「え……感謝、ですか?」
ヴェラちゃんが、不思議そうに瞬きをしました。
わたくしは紅茶のカップをソーサーに置き、ゆっくりと口を開きました。
「ええ。わたくしはね、もう年齢的に、ライルの子供を産むことはできません」
部屋の空気が、ふっと静まり返りました。
ライルが食べる手を止め、静かにこちらを見ています。
「ヴァレリア……」
「事実でしょう? わたくしはもう、十分に歳を重ねました。でもね、だからこそ思うのです。アナタという存在、その血、その才能……それを、もっとこの世界に残すべきだと」
わたくしは、ライルと、そしてヴェラちゃんを交互に見つめながら、言葉を紡ぎました。
「私たちの子供たち……かわいい皇帝のフェリクス。あの子は、アナタの類まれなる『政治センス』と、人を惹きつけるカリスマ性、そして軍事センスも受け継ぎました」
ライルが、照れくさそうに頭をかきます。
「そ、そうかな? フェリクスは僕なんかよりずっと優秀だよ」
「いいえ、アナタの背中を見て育ったからこそです。そして、レオ。あの子は、アシュレイとアナタの突飛な発想力……常識にとらわれない『柔軟な思考』を受け継ぎました。あのアシュレイ工廠の発展は、レオの発明あってこそです」
「あいつは変人だけどね」
ライルが苦笑いしましたが、その目には息子への誇りが宿っていました。
「それから、アウロラ。あの子は、ノクシアさんとアナタの『宗教的正当性』……人々を導く光のような力を引き継ぎました」
わたくしは、指を折りながら、愛しい子供たちの顔を思い浮かべました。
「他の子たちもそうです。優しさであったり、強さであったり、商才であったり……皆、アナタの何かしらの『因子』を受け継ぎ、それぞれの場所で花を咲かせています」
そこで一度言葉を切り、わたくしはヴェラちゃんの手の上に、自分の手をそっと重ねました。
「ヴェラちゃん。アナタは素晴らしい狩人です。その類まれな動体視力、集中力、そして何より、獲物を逃さないという強い意志。それは、ライルも持っている『射撃の才能』に通じるものがあります」
「アタイ……が?」
「ええ。もし、アナタとライルの間に子供ができたら……きっと、フェリクスやレオとはまた違う、素晴らしい才能を持った子が生まれるはずです。ライルの持っていた、また別の可能性が、未来へと繋がっていくのです」
わたくしは、真剣な眼差しで彼女を見つめました。
「ライルの因子は、少しでも多く、この世界に残したほうがいいと思うの。きれいごとに聞こえるかもしれないけれど……それが、妻として、彼を愛した女としての、わたくしの『最後の役目』だと思っているのよ」
ヴェラちゃんは、大きく目を見開き、わたくしの言葉を受け止めていました。
やがて、その瞳が潤み、頬の赤みがさらに増していきます。
彼女は、チラリとライルを見ました。
ライルは、何も言わずに優しく微笑んでいます。
ヴェラちゃんは、再びわたくしの方を向き、深く深呼吸をしました。
そして。
「……はい」
小さく、けれどもしっかりとした声でした。
「アタイ、難しいことはよくわかんないけど……ヴァレリア様の気持ちは、伝わりました。それに、アタイも……ライル様のことが、その……嫌いじゃない、ですから」
彼女は恥ずかしさに耐えるように、コクリと静かに頷きました。
「ありがとう、ヴェラちゃん」
わたくしは、彼女の手をギュッと握り返しました。
窓の外では、五月の爽やかな風が、木々の若葉を揺らしています。
こうして、わたくしたちの少し奇妙で、けれど愛に満ちた新しい関係が、静かに幕を開けたのでした。
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