第4話 夜更けの台所、密会とスープの焦げ
深夜。月影館の台所は冷え切っていた。昼間に集めた露の水を鍋に入れ、火をつける。オックスが戸口で咳払いした。
「段取りの確認をしたい」
「今ですか」
「昼だと子どもが邪魔をする」
言い方がひどい。けれど、昼間の子どもたちは確かに全力で邪魔をする。ホタルは笑って鍋を見た。
「明日は廊下の雑巾がけ。窓の布を外す前に、外側の落ち葉を落としたい」
「落ち葉は俺がやる。君は……足元を見てくれ。滑る」
オックスはそう言いながら、棚の隅の煤を指で拭った。彼の手つきはやたら丁寧で、汚れを見つけると放っておけないらしい。
鍋の中で水が鳴り始めた。ホタルはスープの素を探し、見つけた乾燥豆を入れる。……はずだった。
「焦げた匂い、しない?」
「……する」
鍋の底が黒くなっていた。煙がもくもく上がり、ふたりで慌てて窓の布を外し、夜風を入れる。冷たい空気が煙を追い払い、咳が止まらない。
月明かりが台所の床に落ち、オックスの顔を照らした。咳で赤くなった目尻。ホタルは笑いながら布巾を濡らし、鍋の焦げをこすった。
「黙ってても手伝ってくれるの、助かる」
「……当たり前だ」
オックスの耳が赤くなった。耳まで赤い人は、珍しい。ホタルがそのことを口に出そうとした瞬間、背後で床がきしんだ。
「密会してる!」
子どもが寝間着で飛び込んできた。目がきらきらしている。続いて別の子も覗き込み、声をそろえた。
「密会ー!」
ホタルは慌てて子どもの口を塞ごうとしたが、手が滑って頬を押してしまい、子どもはますます喜ぶ。
「ほら、ほら、顔赤い!」
オックスは真顔で言い放った。
「密会じゃない。段取りの確認だ」
「余計に怪しい!」
子どもたちは腹を抱えて笑い、廊下へ走っていった。足音が追いかけるように響き、まるで屋敷まで笑っているみたいだった。
ホタルは深呼吸し、鍋を洗い直した。
「明日の段取り、続けます?」
「続ける。……今の、どう否定したらよかった」
「否定が下手ってことだけは、伝わりました」
オックスは口を開け、閉じた。代わりに、棚の埃を拭き始める。
台所の片隅で、ムーンジェイドの欠片が淡く光った。焦げた匂いの中でも、その光は柔らかく、怒っていない。
焦げた鍋を洗っている間、ホタルは棚の裏から古い帳面を見つけた。料理の手順が乱れた字で書かれている。途中で線が引かれ、最後のページだけが空白だった。
オックスは帳面を見て、視線を逸らした。
「読むな」
「読まない。……しまう」
ホタルは言われた通り、帳面を布で包んで引き出しに入れた。無理に覗かない。掃除には、触れない方がいい場所もある。
子どもたちが「密会!」と叫んで去ったあと、ホタルは窓の外に目をやった。鉱山の灯りが遠くで揺れ、夜の冷気が頬を刺す。それでも台所の中は、鍋と布と人の息で温かい。
オックスが不意に言った。
「君は、どうしてそんなに手が動く」
「動かないと、息が詰まるから」
それ以上は言わなかった。オックスも追わない。ただ、棚の埃を拭く手を少しだけゆっくりにして、呼吸を合わせるように動かした。
オックスが鍋の底をこすりしながら言った。「……目を離すな」 ホタルが笑って返す。「見張ってて」 短い言葉の代わりに、布の音が途切れず続いた。
窓の外で鉱山の灯りが揺れ、湯気の音が混ざった。屋敷の中はまだ古いけれど、一緒に食べる皿が一つ増えた気がした。
床板が小さくきしみ、子どもたちは顔を見合わせて笑った。




