第3話 小さな幸運は、石の欠片から
昼。玄関前に積もった灰と埃を、皆で外へ運び出した。桶の中の灰は軽くて、風に舞う。子どもたちは面白がって「雲だ!」と叫ぶが、ホタルは布を口に当てさせ、列を作らせた。
「吸い込むと喉が痛くなる。並んで運ぼう。押さない」
「はい、隊長!」
なぜか子どもがホタルを隊長と呼び、オックスが眉を動かす。
灰捨て場へ向かう途中、ホタルの足先が何か硬いものを蹴った。淡い緑の欠片。煤の中で、月の欠片みたいに光っている。ホタルは指でつまみ上げた。触れた瞬間、冷たいはずの石が温かく感じる。
「それ、ムーンジェイドの欠片だよ」
背後から声がした。眼鏡をかけた男が、息を切らせて近づいてくる。抱えているのは書類の束と布袋。
「デニソン。町の学者だ。……来たのか」
「呼ばれた気がしたからね。月影館の話は、町の本にも載っている」
デニソンは欠片を布で包み、ホタルに見せた。
「触れると、過去の記憶が一瞬浮かぶことがある。ムーンジェイドは“思い”を光に変える石なんだ」
ホタルは布越しに欠片へ指を当てた。次の瞬間、視界の端が揺れた。薄暗い台所。誰かがスープをよそい合い、笑い声が重なる。手が皿を差し出し、別の手が受け取る。短い「ありがとう」。
ふっと現実に戻ると、ホタルの胸の奥が熱かった。
「……昔、ここは」
「楽しい家だった?」
子どもが覗き込み、目を丸くする。ホタルは欠片を握り直した。
「だった、じゃなくて。戻そう。今からでも」
オックスは言葉少なにうなずき、ほうきを構えた。
「俺も手伝う」
デニソンは屋敷の門を見上げ、声を落とした。
「奥に“月光の間”がある。ムーンジェイドの力が濃い場所だ。そこは扉が閉じている。無理に開けると、記憶が暴れる」
「暴れる?」
「悲しみが溜まるとね。片づけが止まり、言葉が止まると――石が怒鳴るみたいに光る」
子どもたちが「怒鳴る石!」と面白がって繰り返す。ホタルはその頭を撫で、布で口元を覆わせた。
屋敷に戻る道すがら、オックスがぽつりと言った。
「君、怖くないのか」
「怖いです。でも、掃除すると呼吸が戻る。私、それを知ってる」
オックスは歩幅を合わせ、足元の泥をまた拭いた。
「……助かる。そういうの」
ホタルは笑った。
「今の、ありがとうって言う代わり?」
オックスは咳払いして、前を向いた。
町の市場へ出ると、鉱山用のランタンや鉄の鍋が並び、露天の人が声を張っていた。ホタルが欠片を布で包んでいるのを見て、店の老婆が目を細めた。
「それを拾ったのかい。月の石は、人の胸に触る。拾うなら、手を洗ってから寝な」
「はい。……ありがとうございます」
老婆は礼を言われて驚き、すぐに鼻で笑った。
「言葉を返されると落ち着かないね。変な世の中だ」
ホタルは水桶を買えない代わりに、欠けた桶を直す釘を分けてもらった。帰り道、オックスが釘の包みを持とうとして、ホタルに止められる。
「あなたの腕は、子どもを止める用に取っておいて」
「……そんな用は」
「あります。さっき、三回」
オックスは言い返せず、荷物を持つ代わりに道端の石を拾って整え始めた。歩きやすくするために。そういうところが、この町の人に好かれているのだろう。
屋敷へ戻ると、子どもたちが勝手に床の欠片を集めていた。ホタルは声を落として言う。
「触るときは、布。終わったら手を洗う」
「はーい」
約束が守られるたび、ムーンジェイドの欠片は怒らず、静かに光った。
市場帰りに、ホタルは門の内側でムーンジェイドの欠片を布で拭きながら、東京の夜中の駅のホームを思い出した。胸が詰まりかけると、ホタルは東京で覚えた数え息を四つまで数え、長く吐いた。布が指先に触れると、足元の感覚が戻ってくる。
オックスが釘の包みを結び直しながら言った。「……持つ」 ホタルが笑って返す。「持たせない」 言葉が少なくても、手元の動きが返事になった。
窓の外で鉱山の灯りが揺れ、露天の呼び声が混ざった。屋敷の中はまだ古いけれど、危ない場所の印が一つ増えた気がした。




