第19話 屋敷が家になる日、子どもたちの枕が揃う
朝。月光の間を拭き終えると、屋敷の足音が変わった。追い払う音でも、合図の音でもない。風が通る音に混ざって、床がきしむ程度の、生活の音になった。
子どもたちは枕を抱えて走り回った。
「ここ、寝てもいい?」
「だめ。走らない」
ホタルが言うと、子どもは立ち止まって、枕を抱え直した。
役所の人が屋敷へ来た。書類を抱え、顔色をうかがいながら言う。
「月影館を、子どもたちの住まいとして正式に認めます。後見の手続きを始めます」
子どもたちが息をのむ。誰かが「追い出されない?」と小声で聞いた。
オックスが一歩前に出た。
「俺が名乗り出る。後見人になる」
一瞬、静かになった。次の瞬間、子どもたちが一斉にオックスへ飛びついた。
「ほんと!?」
「隊長、家族!?」
「抱っこ!」
オックスは抱えきれず、膝をつき、でも笑った。笑い方が不器用で、でも本物だった。
ホタルはその様子を見て、目の端を拭いた。笑いながら泣くのは、変じゃない。今なら分かる。
デニソンが書類を片づけながら、静かに言った。
「……元の世界へ戻る道の可能性も、ある」
その言葉で、ホタルの胸が揺れた。東京。仕事。元の景色。帰る、という言葉。
子どもたちの笑い声が遠くなる気がした。ホタルは雑巾を握りしめる。指先が白くなる。
オックスが子どもを抱えたまま、ホタルを見た。言葉が出ない。代わりに、彼は子どもを下ろし、ゆっくり近づく。
「……」
何か言いたいのに、言えない顔。
ホタルは笑って、先に言った。
「今は、拭こう。考えるのは、あと」
オックスは頷き、黙って雑巾を受け取った。二人で同じ場所を拭く。足音は、風の音に溶けていた。
認められた翌日、子どもたちは自分たちで寝床を整えた。布団を干し、枕を並べ、床の端に靴を揃える。揃える、という行為が新鮮らしく、何度もやり直しては笑う。
「この線に合わせる!」
「揃ったら気持ちいい!」
ホタルはその声を聞きながら、台所の棚を拭いた。棚の奥から、古い小鉢が出てきた。数はちょうど子どもたちの人数分。ホタルは一つずつ拭き、欠けた縁を指で確かめた。欠けていても使える。大事にすれば。
デニソンが戻る話をしたあと、ホタルは屋敷の外へ出た。鉱山道の先に、煙が薄く立つ。東京の空と違う匂い。でも、この匂いの中で笑う子どもたちがいる。
オックスが並び、何も言わずに同じ景色を見た。
「……俺は、言葉が遅い」
「遅くていい。止まらなければ」
オックスは短く頷いた。その頷きが、言葉の代わりだった。
朝に、ホタルは寝室の床で揃った枕を布で拭きながら、東京の元の世界の玄関の鍵を思い出した。胸が詰まりそうになると、ホタルはビジルに教わった通り四つ数え、長く吐いた。布を握ると、指先が今に戻る。
オックスが雑巾を差し出しながら言った。「……言葉が遅い」 ホタルが笑って返す。「止まらなければ」 言葉が少なくても、手元の動きが返事になった。
窓の外で鉱山の灯りが揺れ、風の通る音が混ざった。屋敷の中はまだ古いけれど、追い出されない約束が一つ増えた気がした。




