第18話 月光の間、ふたりの言葉が鍵になる
夜。月光の間の前に、全員が集まった。子どもたちは怖がらないふりをして、でも指先が袖を握りしめている。扉の隙間から冷気が漏れ、髪が逆立つみたいに感じた。
「触れると、悲しみが押し寄せるかもしれない」
デニソンが静かに言う。
「泣くかもしれない」
ホタルが言う。
「泣いても拭く」
マルゲンが言う。
オックスは何も言わず、ホタルの手を握った。大きな手。握り方が少し震えている。
「……怖い?」
ホタルが聞くと、オックスは頷いた。
「でも、行く」
ビジルがムーンジェイドの欠片を扉の錠に触れさせた。石が淡く光り、同時に胸の奥がぎゅっと締まる。
視界が揺れた。
台所の影。食卓の影。皿を差し出す子どもの影。返事がない影。誰かの背中が小さく震え、床に座り込む。言葉が出ない。息ができない。
ホタルの目から涙が溢れた。理由が分からないのに、胸が痛い。
「……ここまで一緒に来てくれてありがとう」
ホタルは息を絞り出すように言った。手を握るオックスの温度が、今だけ現実を繋いでくれる。
オックスは顔を赤くし、正面を見たまま返した。
「俺も同じだ。ここへ来てくれてありがとう」
その言葉が鍵になった。錠が、かちり、と音を立てて外れる。扉の隙間から、静かな光が漏れた。冷気はまだある。でも、刺す冷たさじゃない。澄んだ夜の冷たさ。
子どもが小さく言った。
「……開いた」
ホタルは涙を拭き、雑巾を握り直した。
「入ろう。拭こう」
扉を押すと、月光の間は白い光で満ちていた。床に積もった埃は銀色に見え、窓の外の月が近く感じる。
足音が、部屋の中で静かに鳴った。歓迎するみたいに。
月光の間の中で、皆は黙って拭いた。言葉があると、悲しみが増える気がしたからだ。布が床を滑る音だけが響く。
窓辺に積もった埃を払うと、古い写真の枠が出てきた。絵のような肖像。笑っている二人と、小さな子ども。ホタルはそれをそっと持ち上げ、布で拭いた。
子どもたちが息をのむ。
「……あの影の人?」
デニソンが小さく頷いた。
「たぶんね」
写真の裏に、短い文字があった。『家は、言葉で守る』。
ホタルは声に出さず、指でなぞった。オックスがその指を見て、唇を震わせた。
「俺は……守れなかった」
「今、守ってる」
ホタルが返すと、オックスは目を閉じ、深く息を吐いた。
ビジルは窓枠の釘を抜き、危ない部分を整えた。手順はいつも通り。でも目元が少し柔らかい。マルゲンは布を交換し、子どもたちに水を配った。子どもたちは泣きながらも、ちゃんと布を絞った。
悲しみは消えない。けれど、部屋の埃は減る。手が動けば、息ができる。写真の中の笑い声が、少しだけ近づいた気がした。
夜の扉の前で、ホタルは月光の間で写真の枠を布で拭きながら、東京の見知らぬ誰かの食卓を思い出した。胸が詰まりそうになると、ホタルはビジルに教わった通り四つ数え、長く吐いた。布を握ると、指先が今に戻る。
オックスが扉を押しながら言った。「……ありがとう」 ホタルが笑って返す。「拭こう」 言葉は短いのに、手は止まらない。
窓の外で鉱山の灯りが揺れ、布が床を滑る音が混ざった。屋敷の中はまだ古いけれど、写真を拭く手が一つ増えた気がした。




