第15話 小さな幸運、指輪と手紙
夕方。床板の隙間に、何かが光った。ホタルが膝をつき、指先で埃を払う。古い指輪だった。鈍い銀色に、淡い緑の石がはまっている。ムーンジェイド。
「見つけた!」
子どもが覗き込み、息をのむ。
指輪の下に、薄い紙が挟まっていた。ホタルは破れないようにそっと引き抜く。古い手紙。文字はかすれているけれど、読めた。
『君が笑うと、家が息をする。
言えなかった言葉を、ここに残す。
ありがとう。』
ホタルは紙を両手で支え、声に出した。
「……ありがとう」
その瞬間、ムーンジェイドが穏やかに光った。台所の笑い声、食卓の湯気、誰かが皿を受け取る手。第3話で見た記憶より、長く、柔らかく流れる。
子どもたちは静かに聞き入った。誰かが鼻をすする。
オックスは胸元を押さえていた。喉が動く。言いかけて、飲み込む。
ホタルは何も聞かなかった。指輪を布で拭き、布で包み、ポケットに入れる。手紙は丁寧に畳んで、机の引き出しにしまった。
子どもが小声で言った。
「この指輪、誰の?」
「たぶん、この屋敷の人の」
「じゃあ、今は誰の?」
「……まだ分からない」
オックスが急に言った。
「その指輪、磨くのは俺がやる」
「どうして?」
「……得意だからだ」
ホタルは笑った。
「じゃあ、お願い。助かる」
オックスは頷き、指輪を受け取った。手の中で小さく光る石を見つめ、指先が震えた。
廊下の足音が、今日に限って静かだった。まるで、手紙の言葉を聞くために、屋敷が息を潜めているみたいに。
指輪を磨くため、オックスは物置の奥から小さな研磨布を出した。布はほつれているのに、角だけが丁寧に縫い直されている。誰かが、使い続けるために直した布だ。
「それ、直したの?」
ホタルが聞くと、オックスは首を振った。
「……昔からある」
彼は指輪を掌の上で転がし、布でゆっくり磨いた。磨くたびに石が少しずつ澄む。
子どもたちは息をのんで見守り、時々「ここも!」と指をさす。オックスは「触るな」と言いながら、指先で石の縁を丁寧に拭いた。
磨き終わると、指輪は月の欠片みたいになった。オックスはそれを見つめ、喉を動かした。
「……俺は、ここで育った。だから、あの手紙の字が……」
言いかけて止まる。ホタルは追わなかった。
「言える時でいい」
「……すまない」
「謝らなくていい。今、磨いてくれた。助かった」
オックスは返事をしなかった。けれど、指輪を布に包む手は、震えが止まっていた。
夕方に、ホタルは床板の隙間で指輪を布で拭きながら、東京の机の引き出しにしまった手紙を思い出した。胸がきゅっと縮むと、ホタルは四つ数えて長く吐いた。布の感触が、足元を今に戻した。
オックスが指輪を磨きしながら言った。「……磨く」 ホタルが笑って返す。「お願い」 言葉が少なくても、手元の動きが返事になった。
窓の外で鉱山の灯りが揺れ、引き出しの軋みが混ざった。屋敷の中はまだ古いけれど、残した手紙が一つ増えた気がした。




