第11話 誤解の火種、ビジルが扉を閉める夜
夜。子どもたちが布団の上でささやき合っていた。
「ホタルとオックス、昨日も台所で密会してた」
「密会だよね」
「そうだよ」
噂はすぐ広がる。廊下の端で聞いていたビジルの表情が固まった。彼は口を開きかけて閉じ、呼吸を数える。
「……やめろ」
冷えた声だった。子どもたちはびくりとして黙る。ビジルは自分の言い方に気づき、眉を寄せた。
「今の俺は……月に引っ張られてる。言葉が尖る。役に立たない」
オックスが近づきかけたが、ビジルは一歩下がった。
「近づくな。いまの俺は、余計なことを言う」
彼は図書室の鍵を床に置いた。
「鍵はここに。……俺は出る」
足音が強く鳴り、廊下の空気が冷えた。子どもたちが目を丸くし、ホタルは息を吸った。追いかけたい。けれど、追いかけても、今は刺さる言葉しか返ってこない気がした。
ホタルは廊下の窓の布を整え、隙間風を止めながら言った。
「明日、言葉で返す」
オックスが眉をひそめた。
「追わないのか」
「追うと、余計に苦しくなるときがある。今日は、閉める」
ホタルは鍵を拾い、手の中で温度を確かめた。冷たい。けれど、握っていれば、いつか温かくなる。
子どもが小声で聞いた。
「ビジル、怒ってる?」
「怒ってるんじゃない。苦しいんだよ」
ホタルは子どもの頭を撫でた。
「だから、明日、ありがとうを言う。助けてくれてるから」
廊下の足音が、遠くで一度だけ止まり、また歩き出した。迷っているみたいに。
ビジルが出ていったあと、子どもたちは布団に潜り込み、今度は噂話を小さな声で続けた。
「ビジル、怖い」
「でも、図面くれた」
「怒った顔、似合わない」
ホタルは子どもたちの頭を順番に撫で、灯りを落とした。
「怖いと思ったら、呼吸。四つで吸って、四つで吐く」
「ビジルのやつだ」
「そう。いいものは借りる」
寝息が揃い始めたころ、屋敷の奥で扉がきしんだ。月光の間の方角。空気が冷え、足音が強く鳴る。
オックスが立ち上がり、ほうきを握る。
「行く」
「今は行かない」
ホタルは止めた。
「俺は……放っておけない」
「放ってない。明日、言葉で返す」
オックスは歯を食いしばり、でも座り直した。手の甲の筋が浮いている。彼の“放っておけない”は、怒りじゃなくて、怖さから来るのだと分かった。
ホタルは灯りを落とした台所で、桶の水面の揺れを見つめた。
言葉が尖った夜は、返す言葉も尖る。だから明日の朝、改めて渡す。
廊下の奥で足音が一つ止まり、やがて静かに遠ざかった。『明日』を待つみたいに。




